32話 神「来ちゃった」
「うわっ!?」
二郎系ラーメンを食べた日は必ず悪夢を見るジンクス持ちの俺だが、それにも負けない悪夢を見た。
白い蒸気を漂わせる意匠性に富んだ大浴場。それも和の心が感じられる美しい露天風呂で、なんと俺は覗きをしていた。けしからんが、グッジョブも同時に送りたい。
幸せな光景を楽しんでいると、突如俺を守っていたはずの仕切りが倒れる。竹で作られた頑丈なものだと思っていたのに!?もちろん俺の覗きはバレて、宿の女将に包丁を持って追いかけられる事態に。
大声をあげて泣きわめいての逃走。情けないことこの上ないが、悪いことに逃げ足も遅く捕まった。豚か鳥を絞めるくらい簡単に、俺は首元に包丁を突き付けられたのだった。
何かを暗示していそうな悪夢に、ベッドから飛び起きた。
はあはあ、とまだ息が乱れる。暑くもないのに、汗がびっしょりだ。
少し涼もうと窓を開けて夜空を見上げる。まだ日が昇るには時間がかかりそうだ。二度寝するには十分すぎる猶予がある。
そんなことを思っていると、空から火の玉が降ってくるのが見えた。おかしなものを見たのかと思い、目を擦るがやはり火の玉だ。
もしかしたら流れ星の類かもしれないので、一応願い事を唱えておく。
「小物に幸あれ。小物に幸あれ。小物に幸あれ」
なんとか言いきれた。確か3回であってるよな?
しかし、それが流れ星でないと判明するのにそう時間はかからない。火の玉は次第に大きくなり、というより接近してその大きさが正確にわかって来た。
隕石のごとく巨大だが、隕石でないことも明白。純粋な炎の塊は自然現象ではありえない。遠くからでもひしひしと感じる膨大な魔力量に、寝ぼけた頭でも理解が及んだ。
「うそっ……。敵襲ってコト!?」
ここが誰の屋敷で、今現在誰がいるかわかっているのか?
凶暴なスズメバチの巣に手を出そうという者はいない。もしもいるとしたら、それは蜜を狙うクマかバカか。クマだったらやばいが、そんなことはあり得ない。この場合、確実にバカだ。
なんたって、ここには現在伯爵がいる。そして最強を謳われるその軍もいる。
つまり、ここは蜂の巣にあらず、龍の住む巣である。
敵の正体は未だわからないが、見誤ったな。おそらく今回の一連の事件の首謀者が本腰を入れに来たのだろう。いくら鉱山から採れる魔石が目当てでも、相手が悪すぎる。
窓の外は、まるで災害が起きたような被害が出始めていた。草木に火が燃え広がり、軍が寝静まる天幕の傍に大量に煙が立ち上った。
屋敷の中も人が起きだして軽くパニック状態に陥る。
しかし、このハチだけは妙に冷静だ。
それもそのはず、俺は勝ちを確信しているからだ。
こういうのは、変に慌てて自分で怪我を負ったり、醜態を晒して後日話のネタにされる方がきつい。
逞しい顔つきを忘れず、それでいて頭はクールに考える。
少し考えただけで、俺の脳内で結論が出た。一番安全な場所はあそこだと!
ゆっくりと着替えを済ませて室内から出ると、ちょうど護衛に守られた伯爵が屋敷から脱出を図っている場面に遭遇した。
続いてクラウスも連れていかれる。屈強な護衛たちはいつの間に鎧を着こんだのか、完全武装して伯爵家の人間を逃がしていく。
シロウやミリアのことを気にかけようとしたが、屋敷内は人が行きかっており、屋敷の奥まった場所にあるシロウとミリアの部屋にはなかなか近づけない。
けれど、伯爵の部下たちが思ったよりも優秀だった。
これから鉱山を共同開発するクルスカ家の者も優先順位が高いみたいで、護衛に抱えられて脱出するミリアちゃんの姿を見た。
ほっ。
それだけ見れたら十分だ。
ミリアちゃんは足が不自由で、必ず誰かの助けがいる。シロウはどんな状況かわからないが、自分で逃げらない程愚鈍な男じゃない。そこはいい意味で信頼している。
となると、後は自分の身だけだ。
俺には護衛は付いてくれちゃいないが問題ない。先ほど思いついた、最も安全な場所を知っている。その上、この身は誰よりも俊敏だ。
屋敷の出口まで辿り着くと、俺は目的の場所”盾持ち”たちの元へと一目散に走った。
――。
「何をやっている!?僕を最優先にしろ!父上の護衛以外は全員この僕を守れ!なんだあの炎は!?一体何者があんなスキルを使った!あれは人間の技じゃないぞ。少なくとも僕は見たことがない。うあああ、死ぬんだ!このままでは、全員死んでしまう!いやだ、僕は死にたくない!絶対に死にたくない!どけ!僕は生きる!」
涙と鼻水を流しながら、半狂乱状態でクラウスが騒ぎ立てる。
屋敷の重要人物はほとんど逃がしたが、この一団だけが後れを取っている。
それもそのはず。敵襲があって以降、クラウスはずっとこの調子だ。護衛の指示にも従わず、それでいながら自分で逃げようともしない。ただ騒ぎ立て、狼狽して護衛を手こずらせた。
悪いことにそのパニックは伝染し、始めは統率の取れていた脱出組も今では散り散りになり始めている。
見かねたシロウが近づき、膝をつく。
「クラウス様、どうか気をしっかり。敵の攻撃は屋敷からは遠い場所に放たれています。伯爵の軍は未だ健在。しかも将軍自ら最前線に行ったという報告も受けています。……ごほっごほ。どうか、ご安心下さい。このシロウもクラウス様の護衛にあたりますので」
「うるさい!お前に何ができる!今にも死にそうな青白い顔をしながら、吐血までしているじゃないか!なんの役にも立たないことなんてわかっているんだ!」
調子の悪さは、シロウにとってはいつものことなのだが、狂乱状態のクラウスにはそれすら敵襲の影響かに見えた。
「あんな膨大な魔力を見たことがない。ワレンジャール姉妹のスキルを見た時……いや、それ以上だ。あれは人の力じゃない。絶対に違う!うわあああああ、絶対に無理だ。僕は死ぬんだ!いやだ、まだ生きていたい!」
皆が困り果てる。
しかし、泣き叫ぶクラウスに一人静かに近づく人物がいた。
「おい、貴様ら何を逃げている!この僕より先に逃げる者は死罪だ!かならず罰してやる!良いから僕を守れ!全員、僕から――」
パチン!と乾いた破裂音があたりに響いた。
クラウスの喚き声が収まったからか、余計にビンタの音が遠くまで響く。
「み、ミリア。なんてことを!?」
震える脚でなんとか立ち上がり、クラウスに痛烈な一撃を加えたのはミリアだった。いつも植物に囲まれて幸せそうにしている穏やかな女性。両親と兄を敬愛し、一歩引いた立ち位置が彼女のポジション。
今のミリアにそんな面影は無い。
気丈な顔でクラウスを叩き、なんとか自力で立ち続けようとする。
しかし、彼女の脚はかなり悪く、10秒も立っていられなかった。すぐにその場に崩れ、シロウが走り寄って妹を支える。
長年、妹の身を見てきたシロウからすると、数秒立ったこと、そしてクラウスにビンタを入れるために歩いたこと事自体奇跡に近かった。
彼女の強烈な感情が、奇跡を起こしたのだ。
それでも、シロウはただ喜ぶわけにはいかなかった。あろうことか、ミリアはあのクラウスを叩いたのだ。
「恥を知りなさい、クラウス・ヘンダー!」
目を赤くして、ミリアが力強くクラウスを罵倒した。
「ひっ!」
すっかり精神的に参っているクラウスは、少女の覇気にすら気が縮こまる。
「我々はなんのための貴族ですか。なんのための権力でしょうか。民に守られ、自分だけが助かるための特権でしょうか?いいえ、違います。真の貴族とは、こういう事態にこそ前線に身を置き、民を思いやるものです。あなたのお姿はご自身だけでなく、伯爵家への侮辱でもあります!」
兄にも負けない高潔さ。そして兄を遥かに凌ぐ胆力。
この場にハチがいたならば、その大物さに度肝を抜かれたであろう。
事実、皆が静まり返って、敬意に満ちた視線をミリアに送り続けている。この場で一番体の弱い彼女が、一番心逞しくあったからだ。
「兄様も、兄様です!なぜここにいるのですか。クルスカの民は避難したのでしょうか?兄様のやるべきことは、まずは民の安全を確認しに行くことではないでしょうか!」
「……ご、ごめん。ミリアの言うとおりだ」
言いたいことを言いきって、ミリアはその赤くした目から大粒の涙を流し始めた。ボロボロと泣き崩れ、赤子のように大泣きをする。
どうしたのかと皆が戸惑い始める。先ほどまであれほどの覇気を放っていた女性がどうしたのかと。
「口惜しい……!」
「どうしたんだい?なんことだ?」
「兄様、不自由な体が口惜しくあります!両親から与えられたありがたき命。兄様にも大事にされ、人生でこの体のことを恨んだことはありません。しかし、今だけは!今だけは!」
激しい感情を伴って、自身の脚を打ち据えるミリア。感情につられて魔力も籠った一撃は相当な威力になっている。一瞬にして、打ち据えた肌が赤く腫れあがっていた。
妹のただならぬ様子にシロウが両手を掴み上げる。
「やめるんだ、ミリア!どうしたんだ。僕にはミリアが何を考えているのかわからないよ!」
「……無力だとしても、死んだとしても、ミリアはハチ様に着いて行きとうございました」
「ハチ?」
名前を呼ばれて、シロウがようやく気付く。辺りを見回すが、ハチの姿が見えないことにようやく思考が巡った。
それも無理はない。クラウスの半狂乱。それにシロウは家族を守る使命もある。事態は目まぐるしかった。友人のハチを忘れていたとて、誰も彼を責められはしない。
「ハチがどうしたというんだ。どこにいるのかわかるのか?」
ミリアは泣き続けながら、指を向けた。
その先は、あり得ないことに、あの巨大な火の玉が落ちた方角だった。
「まさかハチは敵の元へ!?」
「私は見ました。ハチ様が駆けて行くお姿を。あの方はそういうお人です。兄様が攫われたときも、嘘をついて一人死地に向かったのです。今回も……誰よりも早く敵の元に」
「そんな……敵は、多分神だぞ……ハチ!いくら君でもそれは……」
「ハチ様は命など惜しんではいないのでしょう」
ミリアの口から発せられた衝撃の事実に、辺りが静まり返る。皆自分の身が可愛くて仕方なかった。逃げるのは仕方ないことだと言い聞かせていた。仕事で貴族を逃がしていた護衛でさえも、少し後ろめたい気持ちに苛まれる。
「……今日、この地に真の貴族はただ一人。ハチ様だけです」
ミリアの言葉は、人々の心に強烈な印象を残し、次第に静かな夜に溶け込んでいった。
――。
なぜ盾持ちがモテるのかを真剣に考えたことがある。
俺もモテたいからだ。
合コン無双を繰り広げる彼らのモテエピソードは列挙し出したらキリがない。だから、男も女も皆が憧れる。
伯爵領の10歳以下の少年に向けたアンケートで、20年連続なりたい職業ランキング1位の座を守っている。その前は『貴族のスキャンダル記者』だったらしいので、アンケートから伯爵領の暗黒時代が一発で分かる仕様となっている。
今の伯爵が当主になる前、この地は結構ひどかったらしい。伯爵様はやはり有能な大物なのだ。
その伯爵が作り上げた『盾持ち』という名誉職。彼らを一言で言い表すと『強い』。とにかく強い。
明確な基準は無いにせよ、盾持ちの平均魔力量は7000台といわれている。ミナミマグロの大トロレベルだ。クロマグロよりは格下に見られるが、人によってはミナミマグロの方が全然おいしいよっていう人もいる。
クロマグロ級でもモテない人はいるが、盾持ちにモテない人はいないと言い切れるのだから、その万能性が分かる。
さて、なぜモテるのかというところに戻ろう。
俺が導き出した答えはこうだ。
盾持ちは女性の本能にクリティカルヒットしている。論文を書くとしたら、書き出しはこの一文だろうな。
女性というのはこの世界で唯一生物を生み出せる体をしている。神も母ちゃんから生まれるらしいからね。これほんと。
その奇跡にも近い力は、当然代償を伴う。妊娠期間中の、自身と体内に宿した子供の危険。そして食料の確保ができなくなるリスク。魔力を二人分体に抱えることも相当負担になると本で読んだことがある。それらを乗り越えてくれたからこそ、我々はこの世に誕生できたのである。今度、母に感謝の気持ちを伝えようと思う。
思えば我が家の姉は双子だ。体内に魔力3人分を抱えたことなる。しかもあの天才2人分だ。一体、それはどれほどの負担であるか。俺と同じ凡人だと侮っていた母は、意外と大物だったりするのか?
生命の神秘に思いを馳せつつ、理論に戻る。それらのリスクを人は別に1人で背負うことはない。むしろ分け合うのが自然だ。故に、女性はその危ない期間を守ってくれる強い男に惹かれる。子供の魔力量も遺伝によるところが大きい(例外はある。俺の姉とか。姉とか!)ので、改めて強さは正義だ。これは生物の本能的に反論の余地がないだろう。
しかし、その中でも盾持ちは特段モテる。強いという一点では説明しきれないモテ力。あいつら本当にモテるんだから!
強いだけでは説明しきれないその魅力は、彼らの仕事の本分が”守る”という仕事だからだ。いくら強くても自分を守ってくれない男に誰が惹かれよう。
その点、盾持ちは「なんか守ってくれそうだよね。うふふ」という安心感がある。俺の導き出したモテ結論は、この安心感にあった。
この圧倒的な安心感。俺もこの安心感を求めて全力疾走している訳である。火の玉が落ちたところに向かっているのは一見危険なようだが、台風の中心は風が吹かないのだ。盾持ちの傍は、最前線のようで一番安全。
遠くに逃げるのは最善の手にあらず。敵は馬鹿ではあるが、それでも伯爵に喧嘩を売る大馬鹿だ。どこに敵が潜んでいるとも限らない。
俺はせいぜい、最強たちの元へと行って、モテテクでも教わるが宜しい。
自分のあまりのせこさに小物を自覚せざるを得ないが、それは仕方ない部分もある。先日決めていたのだ。もう何があっても逃げるのだと。
ジンとの戦いの傷も完全には癒えていないし、小物がちょろちょろすれば味方にも迷惑が掛かりかねない。
きっと後ろ指刺される行動ではあるが、俺は自分を許したい。小物には小物が活躍するときがある。俺はそういうときに頑張ればいいのだ。
今日は将軍がいて、盾持ちもいる。せいぜい楽をさせていただきますよっと。
「神だー!」
ようやく盾持ちたちがいる天幕まで到着した頃、誰かのそんな叫び声が聞こえて来た。
紙?……髪?
また髪の毛の話してる。
 




