25話 攻めの謝罪
「すんませんでした! うおおおおおん、ごめんさい。本当に反省しています。この通りです。うおおおおおん。お尻でもなんでも出してください。レロレロして舐めますんで!」
「ハチ!やめないか、やめてくれ!君がそんなことをする必要なんてない!」
「なっなんだこいつ。わかった。わかったから、もうやめてくれ!」
格好良さもプライドも1バルの役にも立ちやしない。
大事なのは、相手が引くレベルの謝罪だ。土下座し、号泣し、お尻まで舐めちゃう宣言。
逃げるように走り去っていく大物商人を見て、俺は勝ちを確信して立ち上がる。
シロウは隣でまだ混乱したようにこちらを見ていた。
「ふう、余裕だぜ」
この混乱の事の始まりは、シロウに実家へ来ないかと誘われたところから始まる。
伯爵の私塾への編入が決まったのでシロウは実家を離れて伯爵領に滞在していた。そこで鬼教官から日々しごかれていたのだが、ようやく休暇が与えられる。姉さんたちもたまに実家に戻って来ていたが、それは休暇を利用してのことだ。
私塾側ももちろん休みなく鍛え上げたいだろうが、生徒はみんな10歳前後の少年少女だ。ホームシックになる者もいれば、私塾が嫌になる子もいる。定期的な休暇は良い息抜きとなる。
シロウも例に漏れず休暇を与えられて実家に戻った。そんな折、俺に手紙が来たのだ。
シロウからで是非恩人の君を我が家に招きたいと。辺鄙な場所なら断ろうと思っていたのだが、シロウの実家はそう遠くなかった。そう遠くないのにクルスカ家なんて聞いたこともない。向こうもワレンジャール姉妹がいなければワレンジャール家なんて知らなかっただろうな。
全く、俺もシロウも有象無象が過ぎる。貴族がそもそも多すぎるんだ。無力で、無名で、権力も小さい。なのに態度だけが大きいんだから厄介この上ない。これだから小物は!
「ってなわけで、友達の家に行ってきます」
「あらお友達ですか?そんな方聞いていませんよ」
母親代わりのクロンが急な話に驚いていた。いつも世話をして貰っているのに、こういうことを急に言い出すので困らせてしまっている。本当に申し訳ないと思ってはいるが、急に行きたくなったのだから仕方ない。
「合宿でできた友達だよ。クロンの言う通り同級生たちを思いやっていたら出来たんだ」
「あらあら。それは良いことです。ふふっ、ハチ様は変わったお方ですからね。友達が増えるのは喜ばしい限りです。ちょっと待っててくださいな。陶器がいくつかありますので、持って行って下さい」
身支度も整えて貰い、荷物も詰めて貰った。
最後に身なりを確認して、また母親のごとく気にかけてくれる。
「友達の家でも行儀よくするんですよ。食事マナーもしっかりね」
「わかってるよ、クロン」
「困ったことがあったらお友達を助けてあげて下さい。ハチ様は器用なんですから、友達のために頑張るんですよ」
「はいはい。約束するよ」
髪形を整えて貰って、馬車が走り去るまで見送ってくれた。
「お腹を出して眠っちゃダメですよ~」
「クロンこそ、俺がいない間さぼってていいからね~」
「給料泥棒はやめておきます~」
絶対にもっと貰っていいのに。でも安心して。姉さんたちのおかげで我が家は発展することが確定しているので、将来の給料アップは約束されている。そんなことにならなくても、クロンのことは俺が生涯養うと決めているので、さぼってくれてるくらいがちょうど良い。
長旅はもうずいぶんと慣れており、馬車での尻激痛拷問も覚悟の上だったのだが、クルスカ家は本当に近かった。ローズマル家の半分もない。伯爵家の遠さに比べると、本当に近所くらいに感じられた。我が尻もほっと一安心の息を漏らしていることだろう。放屁やないかーい。
我が家と同等に小さな都市の統治を任されており、伯爵がこの地の植物を気に入っていると言っていた通り、珍しい植生があちらこちらに見て取れる。
街中にも植物を扱う商店が多く、お土産に買って帰るものがさっそく決まって嬉しい限りだ。
お高めの観葉植物を買って帰るような気分に近い。是非とも部屋に飾って、空気を浄化して欲しいものだ。
伯爵がこの地の植物を気に入っている理由をなんとなく理解した頃、シロウが出迎えてくれる屋敷まで辿りついた。
相変わらず体調がすぐれないみたいで、ハンカチで口元を抑えてせき込んでいた。
「シロウ!おいおい、出迎えなんていいのに。そんな体調じゃ逆に申し訳なくなってくる」
「何を言っているんだ。今日は体調が凄くいいんだ。ハチと会えるのが嬉しくて、朝から調子が良い」
これで?
頬がこけて、合宿の時より更に痩せた感じもあるのに。吐血していなければ元気ってのは、健康のハードルが低すぎやしないか?
「嬉しいよ。こんなに早く再開できて」
「それはこっちも同じだ。シロウが合宿でいじめられていないか心配だったから」
「ははっ、それはちょっとね」
合宿でのことだ。
シロウは地獄の合宿を乗り切っただけでなく、最終日にあろうことかあの伯爵の跡取り息子であるクラウスに挑んだ。それだけでも俺を含めた全員に驚きを与えたにもかかわらず、その親善試合で大金星を挙げてしまった。
なんて恐れ多いことを……!小物の自覚はないのか!?
あの後の顛末を知らないが、今の反応を見ても良いことにはなっていなさそうだ。
「クラウス様には随分と嫌味を言われたよ。それに取り巻きの人達からもちょっとね……。でも幸いなことに、そんなに酷いことにはなっていないよ。状況はどんどん良くなっている」
「ふう、それは良かった。相手があのクラウスだと、俺クラスじゃどうしようもない」
吹けば飛ぶような小物だ。せいぜい大物の怒りが静まるのをじっと待っているのが関の山。
「それは何よりだ。これお土産。俺が一番お世話になってる人の手作りだ」
クロンが持たせてくれた陶器を渡し、作りの良さをアピールしておく。
「嬉しいよ。ハチも帰りに我が家の植物を持って行ってくれ。きっと外じゃ見られない珍しいものばかりだから」
「ありがたい。来るときに少し見かけて、欲しかったんだよ」
これで我が家の空気清浄は保証されたも同然だ。調湿効果もあって、快眠間違いないだろう。
領内に大きな植物園があると聞いて、さっそくそこに向かうこととなった。
道中クルスカ家の領地を見せて貰ったが、のどかでいい土地だ。人がゆったり過ごせているのが分かる。
植物園に到着すると、そこには車いすに乗った儚気な少女が植物たちの手入れをしていた。
「ミリア、今日は調子が良さそうだね」
「兄さま!兄さまも今日は調子が良さそうです」
今にも散ってしまいそうな長い髪の毛が美しい少女は車椅子に乗ったまま笑顔で俺たちを出迎えた。
片方はハンカチで口を覆い頻繁にせき込み、もう片方は今にも散ってしまいそうな花びらのごとく儚げで車いすに乗っている。二人はこれで調子が良いらしい。
自分は小物だ、スキルタイプ豊饒だのと嘆いていた過去が恥ずかしい。健康。それさえ、それだけあることがなんと幸運なことかと気づかせてくれる兄妹だ。
「そちらの方はもしや……ハチ様ではなくて?」
「その通りだよ、ミリア。良く分かったね」
「ええ、兄さまの手紙に書かれていた通り、高潔なお姿の殿方ですわ」
高潔?
悪いが、それは俺と真反対のところにある言葉だ。
卑怯、矮小、節約、それこそが小物貴族の俺に相応しい。
「ありがとう、お嬢さん。シロウはなかなか君のことを紹介してくれなかった理由がわかった。こんなに美人な女性だったら兄としては心配だろうな」
近くまで寄って、膝をついてあいさつした。
片手を取って貴族らしく振舞う。小物でもお行儀良くはできます。クロン、ハチはちゃんと約束を守っていますよ。
「ふふっ、お口が上手なんですね」
「ええ、口先だけで生きてきましたし、これからも口先だけで大物たちに媚びを売って上手に生きて行くつもりです。それにしてもなんと美しい人か。俺に最愛の女性がいなければ、ワレンジャールの土地に連れて帰るところだった」
「あらあら、そんなに褒めてはその最愛の方に怒られてしまいますよ。あっははは。おかしな人ね。兄の友達とは思えないタイプだわ」
堅物のシロウと俺は確かに性格が違う。
合宿であんな追い込まれた立場のシロウじゃなければ、打ち解けるのに相当苦労しただろうなと思う。
それにしても、なんだろうこのミリアという女性は。改めて顔を見つめる。
ただの田舎小物貴族の娘。跡取りのシロウと比べると、更に小物だと言ってもいい。それなのに、俺の小物センサーがビンビンに反応している。こいつは将来大物になると。
「……以降、お見知りおきを。ミリア殿」
「ええ、こちらこそ。ハチ様」
青田買いならぬ、小物貴族買い。将来大物になったミリアと、事前に知り合えていて良かったと思う日が来るように、丁寧にあいさつができて良かった。
「兄の僕を放っておいて二人でイチャイチャしないでくれ。ごほっ、少し体調が」
「すまんすまん。血を吐かないでくれよ」
「それもそうだ。植物たちに良くない」
植物園は生い茂る程珍しい植物たちが育っている。血くらいじゃ大した影響はなさそうだが、それだけ大切にしているってことだ。
「それにしてもここらは少し暖かいな」
「ああ、魔石をそこらへんに配置して、温度と湿度を調節している。ここの植物たちはどれも熱帯気候が好きな植物たちだからね。クルスカ領に自生しているものだけじゃなく、輸入して改良した品種も混ざっているんだ」
それでか、全く見たことがない植物たちが並んでいるのは。
魔石ってのは存在こそ知っているが、使ったことはない。結構高値だから、うちみたいな小物貴族家には無い。父上に頼んでも絶対に買ってくれないだろう。
ここはビニールハウスみたいな設備もないというのに、辺り一帯が温暖なのは全部魔石のおかげという訳だ。その影響力を考えると、高価なのも仕方ない。得てして良いものは高いのだ。俺にはあんまり縁の無さそうなものだな。
「妹は植物の手入れが好きでね。運動にもなるし、ここの暖かさも体に良い。だからこうして毎日のように来ているんだ」
「趣味と実益を兼ねているのか。素敵な場所だ」
そんな素敵でのどかな時間はあまり続かなかった。
素敵な場所に無粋な輩が押し入って現れるのも小物貴族界の世の常だったりする。
大勢を引き連れて男たちが大量に植物園へと流れ込んできた。
「ん?」
どの植物を貰おうかと考えていたのに、一気に思考が現実に引き戻される。
「なんですか!?あなた方は。ここはクルスカ家の管理する植物園ですよ」
ミリアの声が聞こえた。
シロウも続けて抗議しに行こうとしたが、そこで立ち止まる。
「あなたは……」
どうやら顔見知りではあるらしい。
にやけ顔の肥えた大男。口元のちょび髭がより一層いやらしさを醸し出している。俺にはわかる。俺と同じ匂いだ。小物の匂い。
「シロウ坊ちゃんでしたか。いやいや、ただの下見ですよ。下見」
「下見だと。この植物園は売らないと先日話したばかりだ」
「そうは言われましてもねー。お金、返せないんでしょう?」
「……ぐっ」
苦虫を嚙み潰したよう、苦しい表情を見せるシロウ。
なんとなく話の内容が分かって来た。
この見た目からしていやらしい小物は、どうやら金貸しだ。
悲しいかな、我ら小物貴族はこういう金貸しから金を借りたりする。実家の統治だけで立ち行かなくなったり、新しい事業を開始しようとするときに元手がないのだ。
そういう時、街の大物商人から借りたりする。そして起こる逆転現象。大物商人が小物貴族より権力を握るってのは、日常茶飯事すぎて驚きすらない。どうやらクルスカ家も相当まずい状況に陥っているらしい。
「利子はかさむばかりですよ?うちが貸したお金で購入した採掘機器もまだ直っていないんでしょう?返す当てなんてないでしょうに」
「それは……しかし、まだ待って欲しい。僕は今伯爵様の元で学ばせて貰っている。将来、必ず借りた以上にお返しすると約束する」
「そんな先の話をされましてもねー?」
「それに、植物園は伯爵様も気に入っておられる。下手には手出しできないはずだ」
「それができるんですよ。誰が管理していようと関係ない。伯爵様はここの植物が好きなだけですので。へへっ。始めろ」
始めろというのは、植物園の測量とかみたいだ。
この植物園ごとクルスカ家から奪い取って、誰かに売りつけるつもりなのだろうか。
「やめろ、やめてくれ!」
無粋な連中だ。植物のことなど考えてもいない足取りで、土を汚し、まだ幼い芽を雑草のごとく踏みつける。
……キレちまったぜ。おれぁ、久々にキレちまったぜ。
「やめろ?それじゃあ、この可愛い妹さんでも売ったらどうだ?くくくっ、綺麗な顔だ。こりゃ王都の金持ちに売りつけりゃ、貸した金を返済してもおつりがくらぁ」
車いすに乗って抵抗できないミリアに向かって、首に手を回して持ち上げる。息ができずミリアが苦しそうに抵抗するが、非力な彼女にはどうしようもない。
「このっ。妹を放せ!」
「おっはえ?」
俺も助けに入ろうとしたのだが、シロウが先に駆け寄ってやってしまった。
あろうことか、身体強化をして殴りつけたのである。
吹き飛ぶ商人。その醜い顔が更に歪んで、歯が数本吹き飛んでいた。あまりに爽快な光景に喜びたくもなるが、ただでは済まないだろう。
「いだいいだいいだいだい!!ああああ、死ぬ!」
「……すっすまない。しかし、妹に手を出すからだ」
「許ざない!この小僧許さない。俺のバックに誰がついてんのか知っての行いか?絶対に後悔させてやる。死んでも死にきれないような目にあわせる!皆の者武器を手に持て!」
やはりそうなるよな。
貴族に武器を向けるなんて本来あってはならないことだ。ただし、それは権力を持っている者に限られる。
権力も金も後ろ盾もない俺たちは、金持ち商人にすら舐められて当然ってわけだ。
事態が大きくなったことで、シロウも慌てた。
妹を後ろにかばうが、相手の数が圧倒的に多い。
俺はシロウに後ろに下がるように言って、前へと進み出た。
金貸しのボスの傍に行くと、その目を人にらみする。
「ひっ。なっなんだこいつは!?お前には関係のないことだ。どこかへいけ」
まだ相当痛むのだろう。シロウに殴られた顔を抑えて、なんとか言葉をひねり出していた。
俺はブチギレぎれてしまっているんだ。
素敵な時間を邪魔されたこと。ミリアに手を出したこと。そして俺たち小物貴族を侮ったことをな。
すーーーーー。
「すんませんでした!! うおおおおおん、ごめんさい。本当に反省しています。この通りです。うおおおおおん。お尻でもなんでも出してください。レロレロして舐めますんで!」
「なっ、なんだこいつ!?」
ひるんだな。ならば攻勢を続けさせていただく。
「尻を、尻を早く!脱がないんですか?じゃあ俺が脱ぎます!うおおおおおん、俺の尻を見て、謝罪の誠意を感じて下さい」
「ハチ!やめないか、やめてくれ!君がそんなことをする必要なんてない!」
「なっなんだこいつ。わかった。わかったから、もうやめてくれ!」
やめない。絶対にやめない。
「どうかお許しを!わかりました。俺の尻をレロレロレロレロしていいので、どうか許してください!どうかお怒りを!」
「なんなんだこいつは!?気味がわりー!誰か、誰か起こせ。行くぞ!さっさと行くぞ!」
植物園にやってきた男たちが逃げるように去っていく。
完勝だ。
血なまぐさいことにもならず、一旦怒りの矛先も逸らしてくれた。
クルスカ兄妹はドン引きしているが、ダメージはそれくらい。
「ふう、余裕だぜ」
久々にブチギレた俺の本気を見たか。良い仕事ができて満足の汗が額を流れた。





