19話 不正は得意です
思ったよりもペースが上がらない。
病弱の少年が重くて大変ってわけじゃない。無限身体強化のおかげで、重さも疲労もほとんど感じない。
どっちかというと、バランスを崩す方が問題だ。人を背負って早く走るのって結構難しい。体調不良を考慮するのも忘れちゃいけないし、余計にペースを上げるのは難しい。
こりゃ、アーケンには追いつけないな。すまんな、熱い勝負を演出してやれなくて。一位は鬼教官から何か貰えるんじゃないかと期待していたが、この分じゃそっちも諦める必要がありそうだ。
「うっ……ここは?」
「おっ、御目覚めですかい。乗り心地は良くないだろうけど、あと30キロくらいだ。そのまま我慢してくれ」
「君は……ハチ君」
「俺のこと知っているのか」
「合宿でいつも目立っているからね」
成績のことだろうか。それともやっかみを受けていることだろうか。それとも食べ放題の朝食をいつもがめつく食べていることだろうか。
「どうしてこんなことを」
「同じような立場だからかな。完走しなきゃ、まずいんだろ?」
実家に帰りづらいだろうし、実際になにか不利益があるのかもしれない。
「うちは大きな植物園があって、伯爵様がそこに生息する珍しい植物たちを気に入っているんだ。その縁でお誘いいただけた合宿から離脱することは許されない。今後も伯爵の贔屓を得るために、合宿をクリアして感謝を伝えねば……ごほっ!ごほっ!」
「おいおい、大丈夫か?」
痰が詰まったような咳じゃなかったぞ。血を吐いていそうな咳の音だった。俺の肩、べちょべちょになってない?
「この咳はいつものことだ。医者にもあんまり長生きできないだろうと言われている。せめて短い人生で、家族の役に立ちたいんだ」
「立派すぎんだろ。俺なんて自分のことしか考えてねーぞ」
助けた人がめっちゃ立派でワロタ。
「ハチ君は十分すぎるくらい家族に貢献してそうだけどな」
「俺の場合は姉上たちが優秀すぎるから、貢献なんてしなくても良い楽な立場だ」
「噂で聞いたんだけど、あのワレンジャール姉妹って本当に君のお姉さんなの?」
「嘘みたいだよな。あんな美人で天才な二人がこんな小物の姉だなんて」
「小物?」
やはり姉上たちは凄い。
いつも話題の中心になる人たちだ。人生でワレンジャール姉妹の弟となんど呼ばれてきたことか。姉上たちは、あの小物ハチの姉たちですか?なんて聞かれ方は一生涯ないんだろうな。
「ハチ君は凄いよ。いつも怖い貴族たちに囲まれているのに飄々としているし、成績も優秀。しかもあの恐ろしいゼニス教官とも打ち解けているし」
「そうかな? ペナルティ食らったり、裏でいやがらせされたり、あんまりうまくいってないんだけどなぁ」
俺が思うのと周りから見えてるのとでは結構違うのか? いやこれは世辞だな。背中に乗せて貰っている恩を感じているのだろう。
「そうだ、ハチ君。意識も戻ったしそろそろ降ろしてくれ」
「え? なんでまた」
「残りは自分で走らないと。これはスタミナと根性を鍛えるための訓練なんだから」
いやいや、その体じゃ無理だろ。
完走のために死んでしまっては、元も子もない。
「違う、違う。これは完走すればいいだけの試練。ゴールできればルールは無用って鬼教官も言ってたじゃないか。背中に乗ってゴールできるなら、それでもいいんだよ」
「しかし正々堂々と走らなければ。我々貴族がその様なずるをしては、民に示しがつかない」
あっ、これダメなやつだ。
潔癖系の貴族様だ。
貴族って両極端なやつが多いんだよな。とことん汚職するタイプと、とことん正義の道を行くタイプ。そりゃこっちの方が正しいよ? でも付き合い安いかと言われると微妙だったりする。
人好きするタイプって不思議と汚職する方なんだよな。
「いいんだよ」
「ダメだ!」
「いいの」
「ダメったらダメだ――あっ!」
地面に放りだしてやった。
「じゃあ一人で走りな。それと、お前を負ぶって20キロ走ったんだ。正々堂々というなら、残り30キロに加えて20キロも追加で走るんだな」
俺の突き放す言葉に、少年が顔を青ざめさせる。
振り返って走って来た長さを知ることに。
うなだれ、それでも何とか立ち上がったが、足元は生まれた小鹿のごとく頼りない。しかも、またあのやばそうな咳だ。
「……名前は?」
「シロウ。クルスカ男爵家嫡男シロウだ」
知らんな。つまりは、田舎小物貴族だ。
「シロウ、俺は行くが本当に一人で走るのか? あのな、俺らみたいな小物貴族にそんな美しい精神なんて必要ないんだよ。ゴールすりゃいいの、ゴールすりゃ」
「……しかし!」
「しかしもクソもあるか。お前、家族のこと思っているんじゃないのか?どーせ病弱な妹もセットでいるんじゃないのか?」
「なぜそのことを!」
定番だからね!
お前みたいな穢れなき心を持っているやつって、環境が不憫だったりするんだよな。
「ゴールできんのか? ゴールできなきゃ、大事な家族に迷惑がかかるんじゃないのか?もう伯爵様が大好きな植物を買いに来てくれないかもな。せーっかく招待したのに、途中で事態しちゃうんだもん。そりゃ伯爵だって嫌な気持ちになるってもんだ」
「ぐっ……」
押し黙ってしまう。自分の力ではどうしようもない事態に涙まで流す。
少し意地悪し過ぎたな。
「ほら、良いから乗れって。こんなのゴールすりゃいいのいいの。行くぞ」
早くしろと急かす。
やはり頭では自力でのゴールは難しいとわかっているのだろう。自分の体の状態は自分が一番詳しいからな。
「じゃあ行くぞ」
「……ずばない、ハチ君。君には大きな借りがでぎだ」
ボロボロと泣きながらそんな律儀なことを言わなくても。
「いいんだよ。小物貴族どうし助け合えるところは助け合わないと」
後ろでむせび泣き、鼻をすする音がする。しかもかんだ。ん、何で鼻かんだ?
「はー、すっきりした。……ハチ君、本当に君は凄い男だ。けれど、君の考えを全部肯定することはできない。この不正は僕の人生に刻む。やはり不正は不正だ。いつか報いを受けるつもりだ」
頭かったー。
「まあ、いいんじゃない?」
これ以上の議論は無駄なので、走ることに専念した。
でかい恩を売ったし、そのうち恩を返して貰おう。セール商品に並ばせて、反応を見てみたい。
「ダメだ!商品を正規の値段で買わねば!民に害を成すことになる!」とか言い出すに違いない。先々の楽しみが増えて何よりだ。
とっとこ、とっとこ走り、圧倒今に残りの30キロも走り切った。野生生物も驚きのスタミナだ。
「シロウ。後一キロくらいだと思う。ここらへんで降りて残りは自分で走れ。大丈夫だとは思うが、鬼教官に何か言われると面倒だからな」
「なっ!?そんな卑怯なことはできぬ!背負われていた事実をゼニス教官には知らせる」
「ばっかだなぁ。そんなことしても得がないだろ。それに俺まで罰を食らったらどうするつもりだ。お前、恩人にそんな不義理を働くのか?」
「うっ、しかし!しかし!」
ポイっと放り投げて、俺は走り出した。
「あと少しだ。きついだろうけど、死力を尽くせ。先に行って待ってるからな!」
後ろを振り向いて手を振ると、シロウはまたも泣いていた。なんて潔癖で涙脆いんだよ。
しばらく走ると本当にすぐにゴールが見えた。やはりというべきか、アーケンはとっくの前に到着していたようで、着替えも済ませていた。流石だな。俺は全体で5位か。意外と優秀なやつが他にもいたか。
「ふぃー、到着っと」
「ハチ、遅いっしょ! 何してたんだよ」
走り寄って詰めてくるアーケン。
「何って、疲れたんだよ。こんな地獄の合宿の最後に100キロマラソンって、考えた人の精神状態を疑いたいよ」
「俺だが?」
ニョキっと鬼教官が顔を覗かせる。無限身体強化のおかげでそんなに疲れてはいないが、100キロ走った後に間近でひげ面を拝むのは少しきつい。暑苦しいことこの上ない。
「それにしてもお前がこんなに遅れるとはな。アーケン同様、俺も予想外だった」
「おかしいっしょ!ハチ、何か隠してるべ」
「いいや、それがなんにもないんだよなぁ」
あんまり細かく聞かれるボロが出そうなので、疲れたふりをして座り込んでタオルで顔を拭った。
あー、風呂にでも浸かりたい気分だ。合宿場には大きな浴場があるので、この後絶対に入ると決めている。
少し待つと、足を引きずりながらシロウもやってきた。あの様子じゃ、相当苦労したみたい。もう少し手前で降ろしてやればよかったかな。
「おおっ、あいつが。病弱なあいつには酷な合宿だと思っていたのに、今日まで脱落しなかったばかりか、このマラソンを完走するとは。根性のあるやつだ」
鬼教官が凄く褒めていた。バレてなさそうなので良かった良かった。
なんとかゴールまでたどり着いたシロウは、やはり限界だったのだろう。その場でばたりと倒れた。結構危ない倒れ方だったが、大丈夫か?職員が駆け寄って治療しているみたいなので、あまり心配は知らないかもしれない。
それからしばらく待ったが、結局マラソンを完走したのはシロウが最後、6人だけだった。100人いて、最終の試練を乗り切ったのが6人か。伯爵も容赦ない人だよな。この合宿きつすぎるって。
ゴールした6人は集められて、鬼教官から説明を受ける。
「困ったな。まさかこんなにゴールする者がいようとは」
「え? 想定ではどのくらいだったんですか?」
「一人か二人だ」
やっぱりめちゃくちゃな合宿だ。
「実は私塾への編入だが、頑張っても4枠しか取れない。すまない!」
事前の説明不足だったと頭を下げる。
「ここは不満が出ないように、先着順から希望を聞いていこうと思うが、それでいいか?」
誰も文句を言えない。
遅く到着した者は自分に発言権があるとは思っていないみたいだし、先に到着した者が文句を言う理由はない。
「異論はないな。では、アーケンから。私塾への編入を希望するか?」
「興味ないっしょ。オラはローズマルの土地に戻る。家族が恋しいや」
一人目からのまさかの辞退。みんな戸惑っていた。
「では次順位の者」
希望を聞くまでもない。食いつくように、編入希望だと叫んだ。
その次も、その次も同じ反応だ。あっという間に3枠が埋まる。
「んじゃ、ハチ。お前は?」
既に一度返事はしているが、裏での取引はみんな知らないし、鬼教官も知られたくはないだろう。初耳のごとく聞いて、少し悩むふりをする。
その時、シロウと目があった。
動揺したその顔。眼球がゆらゆらと揺れていた。
「んー、俺はパスで。アーケンと一緒で、そろそろワレンジャールの地が恋しい」
「わかった。じゃあ最後にシロウ。お前はどうする?」
まさか自分に手番が回ってくるとは思っていなかったらしい。鬼教官を見ては、俺を見てを繰り返し、言葉が出てこない。
「どうなんだ?」
「いっいきます。行かせてください!」
「よし分かった。ふぃー、助かったわい。ちょうど4枠に収まってくれてラッキーラッキー」
手続きに行ってくるから解散と告げて、鬼教官は去っていった。
ようやく合宿が終わりだ。明日希望者は私塾生と対戦できるんだったかな?それが終われば本当に解放される。やっと終わってノエルに会いに行ける。
こっちにいた間ほとんど姉さんたちと交流できなかったから、つまんなかったんだよな。アーケンとは仲良くなれたけど、あいつ戦闘狂だからいまいち話があわないんだよな。
明日遊びに行こうぜ、がなぜか組手になったときは文化の違いを感じたものだ。
風呂風呂~と俺もその場を後にしようとしたとき、シロウが立ちふさがった。
「ハチ!……君は馬鹿だ」
「じゃあお前はあほだ!」
「そういうことじゃないくて……。君は人生を左右する選択を誤ったんだ。僕に同情したつもりだろうが、私塾への編入を蹴ったのは大きなミスだ。出世のチャンスを全て棒に振ったんだぞ!」
「シロウが入れたならそれでいいじゃないか」
誰も損はしてないはずだ。
「馬鹿を言うな! 僕はもうハチのことを友達だと思っている。友達の未来を奪ってしまったのに、喜べるはずがない!」
「いやいや、良いんだって。俺行きたくないし」
「そんな訳ないだろ!……ううっ。なんで君みたいな強くて優しい人が損して、僕みたいな弱くて愚かな人間が得をするのか。自分で自分が恥ずかしくなる。けれど……ありがとう。何も返せない。君には貰ってばかりだ」
「良いてことよ。俺ら友達になったんだし、風呂入ろうぜ。裸の付き合いってやつだ。ほら、行くぞ」
「……うん」
友達はアーケンだけだと思っていたが、意外な縁でもう一人で来たな。
私塾には入らないので一足先に帰ることになるが、少し寂しく感じる日が来るのだろうか?





