18話 小物の本気
タイム更新の褒美は帰るとき貰えるらしいので、今はそれが楽しみで仕方がない。この合宿に進んで来たかったわけではないが、今は褒美が出るので、来て良かったと思っている。貰える物はもろとけもろとけ!
今日もご機嫌に朝の掃除だぞっと。
罰でやらされていることだが、早起きして朝日を浴びながら掃除するのは悪い気分じゃない。修理スキルを使って、設備の劣化したところを直せば、社会貢献している気持ちにもなれてウィンウィンではないか。
ルンルンと鼻歌を歌いながら、ノエルへの手紙の内容を考えていると、複数の足音が近づいてくる。そんなに足音を立てちゃ、暗殺者にはなれないなと俺の中二病心が忠告する。
「おい、ハチとやら」
「ん?」
声をかけてきたが、朝の挨拶をしたいという訳では無さそうだ。
顔や雰囲気から物騒さが伝わってくる。
「ん?じゃねーんだよ」
「……ああん?」
凄んでみた。こうか?
「てめー、やっぱ舐めてんだろ」
相手は6人。徐々に距離を詰めてくる。
「随分と教官に気に入られたな。みんなからもチヤホヤされてさぞ気持ちよかろう。教官のあれでもしゃぶって特別なコースでも教えて貰ったのか?」
「下品なやつだ」
昨日の崖登りのタイムのことを言っているのだろう。
こういう陰湿な行動は女性の専売特許ではない。意外と男社会でもある。
「お前、俺のこと覚えているか?」
「……金借りてたっけ?」
「舐めたことを言っていると、ぶち殺すぞ。先日、街中で世話になったな。ガンデュールの者と名乗れば思い出すか?」
……え? 誰?
「あっ、あのナンパ男か!」
なんとか思い出せた。やっぱり合宿生だったのか。
街中で悪質なナンパをしていた男だ。クラウスの名を使って撃退したが、まさか再開しようとは。いや、そもそも100人しかいないんだ。こうして会うことは高確率であり得る話だった。
「ようやく思い出したか。ゼニスのやつがやたらと街の件を探っているようだが、なぜだかわかるか?」
「わからない」
そもそも表向きになんて言っているんだ? まさか俺がいない掃除の時間とかに話してないよな?
「本当の魂胆は、クラウス様の名を無断で使用した者への罰を与えるためだ。いろいろと言っているが、あれは嘘。本命は間違いなくこっちだと見ている」
「ふっ、ふーん」
動揺していませんよっと。
「そこで、俺は思った。お前さぁ、本当はクラウス様と仲良くねーだろ。バックについているとか嘘つきやがって」
ぎくっ。
名前を使って良いとは言われたが、確かに仲良くなんてない。あの場は相手を動揺させて話を盛ったのだが、冷静になって気づかれたか。
俺みたいな田舎貴族がクラウスみたいな高級マグロと知り合いな訳ないよな。
「ゼニスのやつにチクってやってもいいんだが、俺はそれよりももっと面白いアイデアが浮かんだ。そう、例えば俺たちが直々にお前を痛めつけて罰を与える、とかな」
そう来たか。性格最悪だな、ほんと。
「おいおい、お前ら本気で言ってんのか?」
俺はひるむことなく、凄んでみせた。こんだけの相手を前に、逆に一歩進み出る。その迫力にやられて、数人が後ずさりした。
「こっ、この人数を相手にやる気か!?」
「当たり前だ。仕掛けてきたのはそっちだからな。見せてやんよ、俺の本気ってやつをな」
スーと息を大きく吸い込んで、俺は大きく口を開いた。
「きゃああああああああああああああああああああああ!!!」
突如鳴り響いた叫び声に、6人は大きくひるんだ。
俺の猛攻は止まらない。
「だれかあああああああああああ!!だれか助けてくださあああああああああああいいい!!人殺しですううううううううううう!!!」
「なっ!?誰が人殺しだ!」
早朝に鳴り響く圧倒的な叫び声。
誰かが気づくのに、そう時間はかからなかった。
「こらっ、何してる!」
と大人の怒鳴り声が聞こえると、6人は散り散りに逃げていく。
「てめー、ハチ! 覚えてろよ!」
「ふん、雑魚が」
俺に本気を出させるからこうなる。
意地も矜持もない小物貴族なんだ。使える手はなんだって使うさ。馬鹿どもめ、俺を相手にしたいなら、このステージまでやってきな。“下”で待ってるぜ。
いろいろとトラブルは続くが、合宿はまだ長い。
朝食後、朝の騒ぎはなんだったのかとゼニスに尋ねられたので、ありのままを伝えておいた。
「はあ……お前、情けなくはないのか。男なら自身の腕前でそういう場を納めるべきだろ」
「そういうのは上級貴族様にお譲りします」
「上級貴族って……。お前、もしかして初日のも巻き込まれたのか?」
「そうだって言ったのに、鬼教官が聞き入れてくれないから」
「うっ。そりゃすまんかった。つい、決めつけてしまい、色眼鏡で見ていた」
やれやれ。
まあ許す。だって褒美をくれる人だから。
何かをくれる人が、俺は大好きだ。
「あ、そういえばお前に伝えておくべきことが。俺の師匠だが……いやまあこの話はいいか」
「なんかくれるんですか?」
「いや、そういうことでは……」
「じゃあ良いです」
興味ないです。私忙しいので。
「なんだかなぁ。ああ、でもこっちは興味あるかもな。お前、伯爵様の私塾に入る気はないか?合宿の短期追い込みとは違う、時間をかけて本格的に育成することを考えたプログラムだ。自信を持って勧められる内容となっている」
「……ただ?」
「え? ああ、もちろん体一つで来たらいい。いや来るべきだ! ハチ、お前は今のままでいるべきじゃない。もっと大きな存在に、それこそお前の姉たちを超える存在になれる男な気がする!」
悪い話じゃない。
鬼教官の熱意も伝わるし、俺のことを思ってくれているのもわかる。
「うーん、やっぱりやめておきます」
「どうしてだ!」
「多分ですけど、俺には合わないと思うんですよね。そこまで情熱的になれない気もするし、スキルタイプ豊饒の俺にはもっと違う路線がいい気がしていて」
これは言い訳ってわけじゃない。
魔力線を伸ばす段階でも感じたのだが、俺にはもっとオリジナルの路線が必要なんじゃないかと思っている。
「お前……スキルタイプ豊饒だったのか」
そこ!? いや、確かに言ってなかったけど。
「俺には俺の道がある、気がしている」
「……お前にはお前の道か。やはり先生が気に入りそうだ。魔法学園には通うんだよな?」
「もちろんです。まあ、落ちる可能性は大いにありますが」
「ははっ、史上最速のワレンジャール姉妹……じゃなくて、伯爵様の記録を破っておいて何を言っている」
「あれに関しては、適性があっただけですよ」
伯爵様ってほんとすげーよな。俺は持久力特化だけど、伯爵様の魔力量を考えるといろんなことに応用できるんだろうな。それでいて、持久力測定であのタイムだ。世の中は本当に広いと思い知らされる。記録こそ更新したが、あんな大物と比べたら、俺はやはり小物だな。
「お前は不思議なやつだ、ハチ。でも俺はお前の将来を楽しみに思っている」
「節約上手な大人になっていますよ、多分」
「そうか。それでもいいさ。さて、会話はこのくらいにして、地獄の特訓の続きと行こうか」
悪い顔をして、鬼教官がそう告げる。
そうだった、地獄の合宿は終わっちゃいないんだった。
それから数日、地獄らしい特訓が続いた。なぜらしいかというと、俺には無限身体強化があるので、至って軽い運動程度にしか感じられない。
しかし、ここで思わぬ特訓成果を得る。プログラムが秀一で良かったというよりは、ただひたすらに追い込むことだけを考えられたメニューがよかった。
目に見えて、体が逞しくなっていったのだ。
メニュー内容は相当ハード組まれており、きっちりとメニューを消化しているのは100人いて、10人くらい。そのうち100%消化しきっているのは俺とアーケンくらいだ。今回の合宿の収穫はアーケンだろうな。まあ彼が伯爵の提案する話に乗るとは思えないが。
鬼教官のメニューを消化した後も、結構暇な時間に自己鍛錬をしていた。もちろんポイント稼ぎである。追加で何かを貰えないかという現金な思考で、俺だけ200%くらい消化してしまっている。
疲労や体へのダメージこそないが、きっちりと訓練の効果は出ていた。思えば、この体でこんだけ追い込んだことなんて今までになかったのだ。そして知ることとなる。
無限身体強化はただ便利な魔力の循環にとどまらず、真価を発揮するのは継続による自身の強化であることに。
「……これってまさか」
俺は気づいてしまった。異世界転生した俺の真の運命に。
「筋肉ムキムキになってノエルにモテるかも!!うっひょー!!」
実家に帰ったら毎日ゆで卵を食べることを誓います。
着実に成長を感じられた一か月は、あっという間に過ぎ去った。その間にもガンデュールたちによる嫌がらせはあったのだが、全部を上手にいなして来た。クロンにはみんなと仲良くするように言われているので、手を出したことはない。平和主義者の俺偉い!
「みんなよく頑張ったな! まあと言っても半分は既に逃げ出しているんだがな。例年より悪くない数字だ」
「例年ってどんな感じですか」
「ひどい年は8割が逃げ出す。伯爵様に顔向けでないと家に引きこもるならいいものの、俺への苦情がこの後どっと押し寄せるのが常だ。がっはははは!」
わろてる場合か。
毎年大量に貴族を敵に回しているってことじゃないか。恐れ知らずも良いところだ。
「では、いよいよ毎年恒例、最終日の100キロマラソンと行く!身体強化はもちろん、スキルも使用して良いからとにかく完走するように。完走者の中から、今回の合宿を通して成績優秀者だった者には伯爵の私塾への編入を認める!」
この言葉には残ったメンバーからウオオオオオオオオと感嘆の声が湧きあ上がる。伯爵の私塾というのは、それだけ俺ら小物貴族にとっては魅力的な誘いなのだ。まあ、俺はハナホジー程度の気持ちで聞いている。既にこの話は断っているからな。
しかし、本気で喜んでいるのは優秀なやつらだけ。なんとか合宿にしがみついている連中からしたら編入もないし、最後の最後で100キロマラソンとかいう地獄。大の大人でもきついというのに、俺たちはまだ10歳かそこらだ。
最後の高すぎるハードルに跪いてしまい、嘔吐する人まで大量に出始めた。大繫盛の居酒屋、新宿駅前よりも大量の吐しゃ物が溢れかえってしまっている。
可愛そうに。一か月もともに過ごしたからな、みんなの顔も結構覚えてきていた。正直嫌なやつが多い小物貴族界隈だが、当然良いやつもいる。アーケンくらいしか仲良くはなれなかったが、無事完走して後ろめたさ無しに実家に戻って欲しいなと思っている人も数人いた。
俺が助けてやれることでもないので、ただただ無事を祈るばかりだ。
「長丁場になるかな。飯を用意している。携帯してもいいし、先に食べてもいい。先に食べる者は消化の良いものを選ぶんだぞ」
鬼教官の言葉で運ばれてくる大量の食べ物。
携帯しやすいように小分けに、そしてサンドされたものが多かった。
みんな必要そうな食料と水を手に取り、鬼教官の合図を受けて走り出した。
「なーにやってんだよ、ハチ!走る勝負っしょ!」
みんなと一緒に走り出したアーケンが振り向いて、俺に呼びかけた。
「大事なようがあるから、先行ってて」
「まあハチ相手ならハンデを貰ってちょうどいいかもな。スタミナお化けに追いつかれる前に、絶望的な差をつけてやるっしょ!」
「おう、絶対に追いつくから!」
手を振ってアーケンを見送った。といっても、俺はそれほど勝負に熱い思いはない。俺の興味は、ここ。そう、残された大量の食糧に向いていた。
生産者、調理者、いいやすべてのものに感謝しよう。そして言う。
「いただきます」と。
「お前、何をしている……みんな走り出したぞ」
鬼教官が戸惑ったように、俺の行動の真意を問いただす。
何をしているって、出されたものを食べるだけなんだが?
「こんなにたくさんおいしそうな食べ物が残っているのに、走っている場合じゃないでしょうが。俺が責任を持って食べます」
「いやいや、変なところで正義感出すな。そういう趣旨のイベントじゃないからな」
「完走はしますよ。けど、こいつらをおいてはいけない!」
もう誰も俺を止めることは不可能だ。
……うっぷ。
3割ほど残して、俺の腹は限界が来た。走り終わった後ならまだ食べられるだろうが、今ももう無理。出されたものは全部食うというモットーがあるというのに、なんと情けない結果か。
「おい、大丈夫か?走れる腹には見えないんだが」
「うっぷ。ダイジョブですぅ」
「フラフラしてんぞ」
「待ってくれてアリガトゴザイマス。うっぷ。残りは完走後にタベマス。うっぷ」
「食うのかよ……」
身重の体を引きずって走り出した。体感もう6か月は来ている感じだ。
アーケンはもう10キロは走っているかもしれない。素の身体能力と魔力量を考えるとそこらへんが妥当だろう。俺と張り合う気満々なのでもっと飛ばしている可能性すらある。
なんとかペースを上げないと追いつけないかもなと思って、身体強化をしてなんとかペースを上げた。
スタミナ勝負は俺の十八番なので、10キロ地点で既に最後尾を捕らえた。既にバテバテの顔をしているが、大丈夫だろうか。時間制限こそ設けられていないが、そのペースだと日を跨ぎそうだなと見送る。すまんが先を行く。お前は2週間目の昼食に俺のスープに大量に塩を入れた恨みを覚えている。小物はそういうのを執念深く覚えているからな!
それからも軽快にペースをあげていき、何人も抜き去った。
「最終日になんであんなペースで……化け物かよ。俺ってまさか、才能なかったのか……」
数人に絶望を与えたのは申し訳なく思っているが、小物貴族の世界は弱肉強食なので仕方ない。
およそ半分くらいの50キロ地点まで来たとき、俺の体にはほとんど疲労らしい疲労はなかった。むしろ満腹が解消されて最も調子がいいまである。そろそろアーケンを捉える頃かと思ったら、道端にうつぶせに倒れている合宿生が居た。
見覚えのある人で、いつも一人で食事を摂っていた病弱そうな人だった。小物貴族界隈に似つかわしくない優しそうな人で、病弱な割にこの最終日まで耐え抜いた頑強な精神の持ち主だ。
彼のことは気に入っていたので、放ってはおかない。
「おい、大丈夫か」
仰向けにしてやると、半分意識のない状態だった。完走できないどころか、体がボロボロじゃないか。
「脱水の症状も出ている。なんでこんな無茶を」
「……完走しなきゃ。……完走しないと、我が家程度の小物は伯爵様……それとクラウス様の目に留まって貰わないと……」
なんとか言葉をひねり出して話す。俺に向けて話すというより、自己暗示が口をついて出てきているようだった。
おいおい、小物貴族の人生きつすぎんだろ。
俺も同じ立場だから、言いたいことはわかるよ。けれど、それってここまで自分を追い込んでまでやらなきゃいけないのことなのか?
流石に同情した俺は、水を飲ませてやり、背中に負ぶった。安定しないのでシャツを破ってひも状にし、体をギュッと縛り付けて固定した。これで落ちないだろう。
シャツは勿体ないが、彼に後で弁償して貰おうとせこいことを考える。シャツ代を出して完走できるならプラマイ大きくプラスだろうとせこい損得勘定を押し付ける。
「よっと。少し揺れるけど、そんくらいは我慢してくれよ」