144話 小物の旅
クラウスから大事な相談があるとのことだったのだが、それはすぐに話せることではなかったらしい。
面倒なやつに絡まれたなぁと嘆いていたのだが、いやはや、そんなことはなく、むしろ会わぬうちに随分と話の分かる男になっていた。
なんと! 授けてくれるという領地を「さっそく見てきたらどうだ?」との提案を受けた。その間に正式な手続きをしておくからさ、と。ただの、しごでき男ですやん。ちゃんとあの優秀で知られる伯爵様の血を引いているらしい。
初めてクラウスがイケメンに見えた瞬間だった。実は将来有望だったりするのか?
これには俺も「さすクラ」連呼をさせて貰ったのだが、「ははっ」と軽く笑っただけで立ち去って行った。またもらしくない行動。いつもなら鼻高々に笑っているものを。
どうしたクラウス!? 本当にクラウス!?
お前の抱えている悩み、でかすぎてやっぱり怖いよ!
とは思いつつも、所詮は他人事。それもクラウス事だ。別れた瞬間、3秒くらいでこちらは元気を取り戻して、どうでもよくなった。まだ見ぬ我が領地への憧れの気持ちで心が一杯である。
ノエルとの二人きりの時間も確保でき、馬車で移動している間はまさしくバカンス気分そのものだ。
何事も気にすることなく、むしろ明るい未来に向けて気持ちが晴れ渡った中、馬車内で駄弁り、食べる手作りのサンドイッチは最高だ。
ノエルはずっと器量の良いお嬢様だったが、会わない間にまた一段と腕前を上げたらしい。小物の嫁として節約生活には耐えて貰わねばならないので、手料理が作れるのはポイントが高い。
「ハチ様、見てくださいな。何と素敵な土地でしょうか。ヘンダー伯爵領の中にこのような場所があったとは」
「うっ……うわぁ」
ウィンドウ越しに、キラキラ光るトランペットを眺める少年が如く、俺の目は輝いた。
谷間を抜けて辿り着いた土地は、広大な海が見える土地だったのだ。
三方をなだらかな山に囲まれた盆地気味の地形。一方向だけ海に開けており、船が行き交っているのを見るに、港もあるらしい。俺がしばらく働かせて貰っていたアサギリの街もかなり開放的だったのだが、この地は気候も良く更に快適に感じられる。
海から吹き付ける風が谷間を抜けて心地良い海の香りも運んでくれた。夜になったら気温が逆転し、今度は谷から海へと抜けていくのだろうと想像すると、早くこの地に滞在したい気持ちが募る。
風が常時あり、山の綺麗な水や恵みに守られ、豊かな海に育てられた領地。
なんと素晴らしき領地か。なんと素晴らしき俺たちの家!
クラウスの言っていたことは全部本当だった。こんな素晴らしい土地を見たことがないってくらい、既に心底気に入ってしまった。
実家は内地にあり、お世辞にも気候や環境の良い土地とは言えなかったからさ……。夏は暑くて、冬は寒かったなぁ。
特に冬は底冷えが酷くて、屋敷内が外より寒いなんてことはざらにあった。暖炉前に集まる使用人たちに紛れて、俺もよく暖を取っていたものだ。
不思議と姉さんたちは寒さを感じていなかったが……、多分表情に出ないだけなのかな? そんな姉さん達とも焚火をして寒さを凌いだものだ。その時に焼いた甘芋がまたうまくて、うまくて。魚や鶏肉なんてあった日にはもうパーティー騒ぎだ。辛かった寒さが、不思議と良い思い出のように感じるのだから、不思議だ。
美人の性なのか知らないが、カトレア姉さんもラン姉さんも食が細くて甘味のある芋を三本焼くと、いつも二人で一本食べて、俺が二本食べるという流れだった。ありがたや、ありがたや。思えばあの頃からずっと、俺は姉さん達のおこぼれに預かっていた気がする。なんと偉大なる姉上たちか。これからもお世話になります。小物は遠慮を知らないので。
二人は俺が食べる姿を見るのが好きらしく、思い出すその表情はとても穏やかなものだった。焚火越しにこちらを見つめる、当時はまだ幼さの残る二人の表情が頭の片隅に残っている。
「ねえ、ハチ。あなたは将来、どんなことをしたいの?」
「可愛いからなにしてもいいよ」
カトレア姉さんの問いかけと、ラン姉さんの全幅の許し。
その問いを投げかけられた俺は、熱々の焼き芋を頬張りながら、適当に答えた気がする。
「俺は特にしたいことなんてありません」
「なりたいものもないの?」
「うーん
どうせ俺は小物だ。頑張って背伸びして見せたところで、何か大きなことは成し遂げられない。ならばせめて、自分の周りの人くらいは幸せにしてみたい、となんとなくその時は思った。
それが素直な気持ちだったからだ。
「……そうだなぁ。こうして姉さんたちと焚火を囲んで芋を食べられる安らぎをとても幸せに感じています。貴族とは思えない程のぼろ屋敷で、外より寒いだなんて。なのに、不思議ととても幸せだ。これから出会うみんなに、俺の周りにいる人たち全員に、この気持ちを感じて貰えるように頑張る。そうして、実際に感じて貰えたのなら、俺の人生は大成功と言っていいでしょうね」
覚えていない気がしていたが、案外ハッキリと思い出せた。
そうだ、そんなことを言っていた。
カトレア姉さんは微笑ましく俺のことを見つめており、ラン姉さんは頭をなでなでしてくれた。芋まで貰えて、なでなでまでして貰える。なんという幸せボーイか。
なんでこんなこと、思い出したんだろうか? まあいいか。思い出して損なものでもない。
……随分と懐かしい思い出だ。あの日々に戻りたい気持ちもあるが、やはり過去よりも今だろう。俺はこんな素敵な領地と嫁さんをゲットしたんだ。今を楽しまないでどうするよ。
なんだか、小物がこんな物件を貰って良いのか? って罪悪感がちょっぴり。
いやいや!
小物こそこういう旨味を吸うべきだろ、とすぐに開き直る。
俺はこれを貰うために「さすクラ」を連呼していたんだから。そろそろ報われなければならない頃だったんだよ。
領地があんまりにも素敵だからさ、姉さんたちを招待したいのは当然として、せっかくならクラウスも来ればよかったのにって余計なことまで考えてしまった。
あいつ、随分と抱え込んでいる表情してたからね。元気になって、かつてのウザさが戻ってもあれだが……まあなんだかんだ元気になって欲しいとは思っている。
「風がきもちいー」
「おっと! ノエル、気を付けて!」
「大丈夫ですよ。ほら、ハチ様も馬車の外で風を感じてみて!」
馬車の窓から身を乗り出して、全身を伸ばすノエル。
彼女の体の細さとしなやかさが無いと出来ない芸当だ。こんな小さな窓から俺が身を乗り出せば、ガチガチにハマるか、バランスを崩して馬車から落ち、悪ければ車輪に轢かれてあの世行き。
あーあ、目の前に幸せがあったというのに。これだから小物は。自分の幸せもつかめないんだから、と揶揄される未来が待っているに違いない! 普通に考えすぎかもしれない!
「ノエルは品もあって、意外とお転婆なところもあるね。会う度会う度、新しい一面を見られてとても新鮮な気持ちだ」
「あら。それはハチ様も同じですよ。ねえ、ハチ様」
「ん?」
「私、ペットを飼ってみたいです。こんな素敵な土地なら、きっと動物だって喜ぶと思うもの」
「賛成」
どっからどう考えても賛成だ。
実家の領地は寒すぎて、領民の飼っている犬が逃げ出したという話を聞いたことがある。大金を出して犬を捜索し、ようやく見つけた時には暖かい土地で新しい家族といたっていう悲劇すぎる悲劇が繰り返されてはならない。絶対に!
「まるで以前に語っていた夢が叶っていくようですね」
「……そうだね」
そういえば、そんなことを言っていた気がするよ。
クラウスから素敵な領地を貰って、そこに俺たちの屋敷を立てる。屋敷は小さく、飼う犬も小型犬。なぜなら、小物には大きな屋敷を維持していくのも、大型犬を飼うのも大変だからだ。
「もっと沢山夢を作っておいて。ここで、二人で、その夢を全部叶えるんだ。ただし、あんまり大きすぎるものはダメだよ」
「ふふっ。はい、沢山考えて起きますね」
多いのは構わない。でも大きいものはダメだ。小物が欲張ると、大物に頭を叩かれると相場が決まっているのだから。
「ここならなんだってやれる気がするんだ。不思議だよね」
「私もです。なんだか、これから待っているのは全部幸せなことなんじゃないのかって、そんな予感がしてなりません」
「やっぱり俺たちは考えることが一緒だね」
「はい、そうですとも」
運命の相手っているらしい。俺は今それを確信している最中である。
隣で気持ち良さそうに風を浴びているノエルを見ると、あの日姉さんたちに語った夢へと近づけている気がした。
次第に見えて来る小さな街。この領地の中心地だ。
気候の良い割にはあまり発展していないこの領地は、やはり領地に入る際に狭い谷間の道を通らなければならないことが影響していることだろう。俺たちが知らされている限り、馬車で通って来た道以外、物流に使える道は無いはず。
地元民たちが使う獣道や、裏道なんてものもあるんだろうけど、馬車が通るには厳しいだろう。
領地の発展を願う日があれば、随分と苦労の多い茨野道となりそうだが、それもまた一興。陸路がダメなら、あの広き大海を使うまでよ。
むしろやりがいすら感じてしまう。
街に到着すると、クラウスから連絡が行っていたのだろう、俺たちを出迎えてくれる人たちがいた。
随分と慌ただしい様子で動き回っており、馬車の前に揃って並ぶ。
「すみません、新しい領主様。まだ屋敷の準備が出来ておりませんでして。なにぶんお貴族様がお越しになるのは数年ぶりで、それにまさか領主様がこんなにも早く来られるとは」
これまではヘンダー伯爵領の一部ではあったのだが、谷間を抜けて来なきゃならない立地ということもあり、最後に貴族がやって来たのは数年前のことらしい。伯爵の知り合いで、バカンスに来たと。
その時に使っていた屋敷を掃除しているが、広くて、人員も足りず、それに俺たちが来るという連絡が昨日だったこともあり、バタバタしっぱなしという訳だ。
同情するどころか、彼らに非はない。むしろこちらに非があると言っていいくらいだ。
「気にしないでよ。それに俺たちはまだ正式に領主になった訳じゃない。クラウス様より将来譲り受けると約束されたまでだ。そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ」
「しかし、お二人をどこに滞在させて良いものか。街の宿に止める訳にも行きませんし……」
それは確かに困る。
俺は全然かまわないのだが、ノエルを変なところには泊まらせたくはないし、貴族が来るとなれば宿屋の人たちも居心地が悪いだろう。
いつ頃になれば支度が出来るかと尋ねれば、日が暮れるころには間に合うとの返答を頂いた。
となると、少しばかり時間がある訳だ。
「釣り道具を一式、借りられないだろうか?」
「釣り道具ですか?」
「うん、魚を釣るのに必要なもの一式。みんなが準備している間、邪魔にならないように川か海にでも行っているよ。あっ、塩も少し分けて貰えるかな?」
「ええ、もちろんですとも! 釣り具は沢山ございますし、塩もこの地で生産したものがございます」
「是非、それを少しばかり分けてください」
話はまとまった。
両者にとって都合の良い提案だっただろう。
貴族が傍にいては彼らも仕事をしづらいだろうし、俺たちもただ待つのは退屈だ。
せっかくこんなに素敵な土地なのだ。忙しくなる前に、存分に大自然を楽しまなきゃ。
ノエルの意向こそ聞いていなかったのだが、振り返ってその表情をみれば尋ねるまでもない。なんなら俺よりもノリノリな表情で頬を赤らめていた。
用意してくれた釣り具と綺麗なお塩を乗せて、馬車は再度走り出す。
「ハチ様、釣りも嗜んでいるんですね」
「少しばかりね」
また昔の思い出になるんだけど、姉さん達と釣りも良くやっていたんだよ。
といっても、いつも俺だけ釣竿を持って行き、姉さんたちは手ぶらで俺のことを見守ってくれていた。
我が領地は土地がやせているだけでなく、魚も痩せているからさぞ簡単に餌に食いつくだろうと思っていたのだが、そうではない。
小賢しいやつらめ。器用に餌だけついばんでパクパク。食べ終わると「つぎの餌くれよ。はよっ」と言わんばかりに針を揺らす。俺が引っかかったと勘違いして嬉しそうに引き上げたそこには、餌の欠片も残っていない針だけが上がるのだった。
どうも釣りのセンスはない。
けれど、集中していると、決まって帰ろうかという頃に姉さんたちが魚を三匹獲ってくる。釣竿なんて持って来ていないのに、不思議なことだ。まあ、あの二人ならなんだってありだし、深く考えるだけ無意味だろう。
二人が釣ったのだから、焼くのは俺の仕事だ。姉さんたちに下手なものは食べさせられないと細心の注意を払い、魚を焼く。気づくと、魚釣りの方はさっぱりだが、焼く方は料理人顔負けの技術を手にしていた。
……まあ、その三匹も毎度二匹は俺の腹に入るんだけどね。
「素敵な思い出です。カトレア様とラン様のお話は、どれを聞いても新鮮で面白いです」
「そりゃそうさ。これはただの思い出話にあらず。いわば、英雄の過去。英雄譚そのものなのだから」
あの二人にかかれば、生きていることがただただ伝説。それを見てきた俺は、記憶を話すだけで伝説の語り部だ。いつかお金に困ったら、姉さんたちのことを本にでも買おう。結構なお金になるはずだ。
海か川か悩んだが、海は良い釣りポイントを見つけるのが大変な気がしたので、川にしておいた。幸い、山に囲われた水資源豊かな土地だ。綺麗で魚の住んでいる川はすぐに見つかった。
数年ぶりに挑むのだが、俺の腕はかつてよりも上がっており、魚はすぐに釣れた。……それとも、やはりワレンジャール領の魚が賢過ぎたのか、性格がひん曲がりすぎていたのか。正解を確かめるために、今度また挑戦してみよう。
二人が食べるには十分すぎる量が獲れたので、一部は持って帰ることにする。街に行く間、魚を干している農家も見かけた。おそらくこの地は保存食の知恵が結構広がっているはずなので、教わろうと思う。
今食べる分だけ捌き、焚火で火をおこし、串刺しにした魚を両面、丁寧に、丁寧に焼いていく。
姉さんたちに食べさせる時も丁寧にやったが、ノエルだって俺の大切な人だ。変わらないくらい細心の注意を払って魚を焼いた。
塩をかけてやれば、ほーら、極上の天然魚のあぶり焼きです。
新鮮な身と、程よい脂がジュウジュウと音を立てて食欲をそそる。今すぐに口に運んで咀嚼しろと脳が命令するが、火傷はごめんなので理性で抑え込んだ。
「ノエル、とても美味しい仕上がりだと思うよ。さあ、食べて」
「ありがとうございます。ねえ、ハチ様」
「どうしたの?」
真面目な表情且つ子猫のようにノエルが興味津々に訊ねて来る。
「いなくなっていた間のことを話して下さいな。ハチ様のことです。きっと偉大な旅だったのでしょう? ノエルも一緒に苦労を分かち合いたいです」
その件か。
なるほどね。
さて、どこから話したものか。
まだ日も暮れていない。随分と時間は沢山ありそうだ。
「なーに、ただの小物の旅だよ。砂漠で熱中症、帰り時は路銀がなくなって空腹で倒れただけ。小物っぽい旅だろう?」
「ふふっ。おもしろいですが、本当にそれだけですか?」
「もうちょっとあったかもな。じゃあ、まずは砂の一族でお世話になったところから行こうかな。俺が砂の一族全員の命を救った話から始めようか」
「ええ!? そんな壮大なことが!?」
まっ、救ったのは姉さんたちなんだけどね。
けれど、姉さんたちはこの場にいないので、手柄は俺が頂きます。
こうして盛りに盛られた小物の旅話は、夜が更けるまで続いたのだった。





