142話 月を贈ろう
ヘンダー伯爵家御嫡男クラウスの婚約式典には、領民も盛大に加わって、伯爵領は今現在賑わいに賑わいを見せている。
婚約者ポルカ・メルメルの故郷、港町アサギリが帝国からの侵略を受け、それを撃退した盾持ちたち活躍の報も入り、熱は更に増して勢いはとどまらない。終わりを見せない祭がこの地で巻き起こっていた。
クラウスの婚約がこれだけ祝われるのには、しっかりした地盤があった。
当代伯爵の活躍は華々しく、傾きかけていた領地の経営を立て直したばかりか、王国にとどまらず大陸に名を馳せる『盾持ち』部隊を作り上げた。
毎年多くの傑物を領地から排出したり、芸術作品、目新しい産業もこの地で生まれ、その活躍は多岐にわたる。
伯爵領の豊かで自由な風土が、それらを生み出した一因であることに疑いの余地はない。
外から見ても分かる伯爵領の恵まれた環境を、領民たちが自覚していないはずもなく、人柄が愛されているかどうか怪しいところはあるが、当代伯爵は領民に間違いなく慕われている貴族であった。
それ故に、次代当主のクラウスへの期待も大きい。
私財を投じて式典を盛り上げる者も多いのは、将来への投資の意味合いもあるのだろう。
当のクラウスの様子など知らず、今日も伯爵領は夜を知らないかのように夜な夜な盛り上がり続ける。
そんなクラウスといえば、ものの見事に呑まれていた。
式典が始まり2週間が経つというのに、未だに顔は青ざめ、足元の危うい老人のように両脚が震え、トイレに立つ際には補助を必要とする有様である。
厳しい王立魔法学園で4年間生き残り、偉大なる伯爵の息子の面影はそこには一切なかった。
「大丈夫なの?」
婚約者のポルカが彼を気遣うのは、これで何度目になるだろうか?
彼女はクラウスとは違い、飄々とした様子で、式典を誰よりも楽しんでいるかに見えた。
見た目の華奢さとは違い、精神面は随分と図太い。学園でもそうだった。どんな試練にもうろたえることなく、いつでも平常心で、むしろそれらを楽しんですらいた。
そんな姿と、不思議と性格面の相性の良さもあって、二人は結ばれるにいたる。あのクラウスが猛アプローチしたことも一因ではあるが、それは永遠に世間には公表されることが無いだろう。
「あっああ……大丈夫。全然、だっだだ大丈夫だ。この僕が、プレッシャーごときに屈するはずもないだろう?」
どう見ても大丈夫な顔色ではないし、言葉に自信や次代領主の力は一切籠っていない。
その辺時からは頼りなさしか感じられない。それでもポルカはあまり気にする様子が無く、クラウスのありのままを良しとしていた。
彼女にはわかっているのだ。どうせこの後全てが上手く回り出すことを。それが具体的には何を指すのかは知らない。けれど、なんとなくわかるし、それは確かな予感……確信に近いものと言える。
「今日はこの後に旅の一座が劇を披露してくれるのよ。素敵な悲劇の物語らしい。とても楽しみなのよね」
「劇ね。ぼ、僕も、とても楽しみだよ。う、うん。楽しみだぁ」
腑抜けた様子は心が弱っている故か、それとも本来の姿が出ているのか。
「それより、ノエル嬢はどうしている? 楽しんでいるかな?」
「大丈夫。彼女は誰よりも楽しんでいるわ」
「そ、そうか……」
それがクラウスには不思議で堪らなかった。
この式典にはローズマル家の者も当然来ている。ヘンダー伯爵領とローズマル子爵家は先々代から喧嘩をしたことがなく、隣接する領地同士協力して歩んで来た歴史がある。
美人三姉妹として知られるローズマル家の娘たちも、クラウスの婚約式典には当然参列しており、屋敷のバルコニーから式典を楽しんでいた。
解放された屋敷の広大な中庭は、テラス席のように沢山テーブルと椅子が用意され、来賓や領民のために解放されている。先ほどまでは中庭の中央にて有名な音楽団による演奏が行われていた。
音楽が気に入ったのか、ノエル嬢はご機嫌に両手を叩いている。その表情には一切の曇りが見えない。
……それが不思議でならない。
心の支えを失ったどころか、彼女は愛する者を失っている。
自分でさえ、“あの男”を失ってバランスを崩しているというのに、もっと密接な関係性だったノエル嬢が平然としているのに心底疑問を抱いていた。
なぜだろう?
彼女の心の中を覗いて見たいと願ったのも、これが初めてではない。
「ふふっ、一体どんな素敵な劇なのでしょうね。既に巷で評判にも関わらず、進化することを辞めないらしいわ。今回も新しいスター俳優を迎えての公演と聞いているし、本当に楽しみだわ」
横目で、嬉しそうなポルカを見る。彼女も不思議な存在だ。
故郷が帝国の侵略にあう報告書を受けとったとき、この世の終わりのように狼狽した自分とは違い、彼女は一切慌てることなく事実を受け止めた。
そして初めからうまくいくことを信じていたように日ごろと何一つ変わらなうルーティンをこなし、一食も欠かすことなく食事を楽しんで見せた。
その後に受けた報告は驚きのものだ。
激情の神カナタ様が出現し、帝国を神ごと追い返して見せた。建国の神がその力を発揮して戦ったことは、少なくとも自分たちが生まれて以降は一度もなかったはず。
ポルカはそれを知っていたのだろうか……?
いや、そんなはずはない。帝国すらつかめていなかった情報を、我々が知れる理由はないのだから。
「『灰冠の王子と花屋の娘』か」
「知っているの?」
「ああ、知っているとも」
これでも伯爵家の嫡男。
幼少より王国の文化に数多く触れ、観劇の類にも慣れ親しんだ。
今回の劇も有名なもので当然知っており、既に3回は見たことがあった。一座によってアレンジが有ったり、それぞれの温度差があるため飽きることは無い。けれど、結末を知っているだけに、ポルカ程楽しみにしていないのは確か。
『誰よりも国民を想っていた、心優しき王子は反逆者として処刑された。ただ一人信じてくれた少女に「またな」と笑い残して。
——数年後。
王国では奇妙なことが続いていた。
悪い貴族だけが失脚し、王国に綻びが静かに広がっていく。
まるで誰かが、舞台の裏で糸を引いているように。
少女は小さな舞台で、王子の物語を語り続ける。
忘れられないように。たった一人でも届くように。
やがて王国は歪みを止められず、崩壊へと向かう。新しき国が立ち、人々は春の訪れに似た幸せな日々を享受する。
少女は役目を終え、最後の語りを終える。
その帰り道、ふと、背後に人の気配がする。
振り返るが——誰もいない。
ただ、風が一つ。
少女の期待とは違い、王子は戻らなかった』
という結末。
なんど見ても切ない劇だ。
いかにも王子が戻って来そうな振りがふんだんにあるにも関わらず、王子は戻らない。しかも去り際の少女の背中が寂しくて、彼女の行く末にも寂しさを感じる結末。
悲劇としては完成されているのだが、見る側の心を揺さぶる冷たい物語だ。
「あまり好きじゃないが、今日は見ていくとしよう。なんとなく、久々に見たい気分だ」
「それが良いわ。なんだかとても良い予感がするの」
ん? と反応してしまった。
ポルカの予感ほどあてになるものはない。曇り空を見て雨が降るかもという予想以上に信頼できる。
一座が中庭へとやって来た。
ステージの準備から入り、人々が忙しなく動き回る。この劇の人気は凄まじく、屋敷の中庭には領民がごった返している。中に入り切れない者たちは塀によじ登ってまで見ていくつもりらしい。
伯爵家の屋敷内で許されざる無礼な行いだが、今日だけは誰も注意しない。それだけクラウスの婚約式典は目出度い事であるし、この観劇を見て行きたいという気持ちにも理解が及んだからだ。
ステージが用意された後は、劇団長の挨拶が簡潔にあり、すぐに開演時間となった。
『ああ、愛しの我が国のパンはやたらと美味い。こんな国に圧制は似つかわしくない! パンが美味しければ、喧嘩など必要がないというのに』
「おっ?」
「あら、素敵」
初めから少し違うな、と思わせるものが一座にはあった。
横目でチラリと見たが、傍に座っているノエル嬢も前のめりになって劇を見ているのが分かる。
何が目を引くかって、王子役の人物の存在感だ。
やたらと通る声に、人を活気づけるような雰囲気。自然と視線を集めるその人物は、深いフードを被り顔が見えない。
そうなのだ。
この劇は王子の存在をチラつかせて進むのだが、実は処刑の時以外には登場しない。顔も知らなければ、不快事情さえ知らない。ただ悲劇の死を遂げ、少女の想い人として残るだけの人物。
なのに、今回の王子役はやたらと語りが多い。けれど、王子役の存在感がそうさせるのか、劇の邪魔になっている気がしない。それどころか、この人物の語りをもっと聞き続けたいと思わせるものがある。
けれど、劇は進み、王子は処刑されることとなる。
処刑台に立った彼のセリフが続く。
『やだやだやだやだ!! 死にたくない!!』
観客たちに一斉に笑いが生じた。悲劇が一瞬にして喜劇だ。
本来、こんなセリフなど無い。けれど、この王子ならあり得そうだなと自然と受け入れられる。
劇の一部というか、この王子の存在に劇そのものが引っ張られてしまっている。それを不快に思う者はいない。その証拠に、観客全員が前のめりになって、顛末を見守っている。
けれど、運命には逆らえなかったらしい。
処刑人の剣は振り下ろされ、クビに似た何かが飛ぶ演出がなされた。
観客から悲鳴が飛ぶ。
少ない登場シーンで、王子がこれだけ共感を得たのは、この一座が初めてじゃないだろうか?
どの役者だろうか? 劇が終われば、その顔を拝みに行って、労いの言葉でもかけてやろうと考えていた。
不思議だ。先ほどまでの気負いがなくなっている。劇に夢中になっているからだろう。重たい荷物が背中から勝手に下りていくのを感じる。まさか自分の心が、観劇に救われようとは。
物語は予定通り進んで行く。
王子のいなくなったはずの世界で、次第に悪者貴族たちに罰が下る。腐った王国内部にも綻びが生じはじめ、まるで裏で王子が活躍しているかのような痛快な出来事ばかり起きていく。
本来、その活躍は王子のものとは明言されていない。そう示唆させて、ラストの切ないシーンに繋げていくのだが、この一座はやはり一味違った。
酒場の小さな舞台で王子の愛を語る少女。なんとその酒場の客にフードを被った王子が紛れ込んでいるのだ。それもひっそりとではなく、観客に存在をアピールするがごとく振舞う。
彼の登場に観客はまた沸き立った。悲劇はどこへやら。でも、やはり彼の登場は見ている者を嬉しくさせる何かがあった。
少女はその存在に気づいていないという演出だが、少し無理があるだろう。少女の語りを聞きながらコサックダンスを踊っているんだぞ? だが、そんな無茶な演出でさえ、彼の魅力が打ち消した。
暗躍する王子の活躍で、悪徳貴族は淘汰され、王国もついに滅んだ。本来はないはずの彼の活躍シーンにも毎度毎度観客が盛り上がる。子どもなんかは手を叩いてはしゃぐ始末だ。
そうして王子の悲願は叶い、この土地に新しい国が立ち、春が訪れた。人々が幸せに暮らして行ける幸せな国だ。
少女の語りは終わる。なぜなら、亡き王子の悲願が叶ったからだ。酒場にて、最後の語りをする。その姿は、当初の少女から成長し、美しい女性となった姿だった。
満足して最後の仕事を終えた彼女は、店から家路に着く。
その背後に人の気配を感じ、彼女は振り向いた。
なんと――そこにはフードを深々と被った王子が立っているではないか。
「あなたは――」
そう。王子は生きていたのだ。
この一座の結末は、ハッピーエンドだった。なんとも気持ちの良いラストである。特別に何か褒美でもやろうと考えていると、王子がセリフを発し始めた。その存在感は相変わらずで、余計な思考を止めるには充分すぎる、まるで引き込むような力がある。
『ずっと君を想っていた。君の存在が、ずっと俺を頑張らせてくれたんだ。けれど、残念ながら君に贈るもの何もない。路銀は全部飯代に消えてしまったからね』
当然、こんなセリフも初めてだ。
一言一句聞き逃すまいと、中庭は静まり返る。
『そうだ、良いことを思いついた。空に浮かぶ星々の一つを……いいや名も知らぬ星一つでは足らないな。あの一際美しく輝く真ん丸の月を君に贈ろう。それで、許してはくれないか?』
王子の指さす空を見て、ようやく今日が満月だということに気づく。
今夜が明るかったのは、そういう訳か。
『もしそのプレゼントで許してくれるというのなら――今すぐ君を抱きしめるために、迎えに行こう。我が愛しの……ノエルよ!!』
フードを掴み、パッと投げ捨てる。
なんとそこから出て来たのは、我が心の友、ハチ・ワレンジャールだったのだ。
ブワッと涙が溢れ、自分でも説明のつかない巨大な感情が湧いて止まらない。
ああっ、と狼狽している間に、誰かがバルコニーを飛び降りた。
迎えに行く必要すらなかったらしい。
二階席から飛び降りた女性は……二階から!? その人は言うまでもなくノエル嬢で、すぐさま駆け寄りステージの上にいるハチの胸へと飛び込んで行った。
ううっ。ううっ……。ううううううおおおおおおおおおお!!
自分もそうしたいが、流石に今日はノエル嬢に譲る他ないだろう。
観劇の最高のラストに相応しいシーンに、観客も、クラウス・ヘンダーも、その場にいた全てのものが盛大な拍手を送ったのだった。





