136話 動物園は危ない
ふわぁー、と吞気なあくびをしてみせた。
港の天気が良いからというのはあるが、目の前に帝国を建国した偉大なる神が迫っている状態で取れる態度ではないだろう、と冷静に自分でも思う。
では、なぜか。
そこら辺で威張り散らかす大物すら恐れる俺が、遥か高みにいる、それこそ激情の神カナタ様レベルの敵出現にのんびりしていられる訳は。もちろん強力な味方がなぜか集まったのも理由ではあるのだが、そもそもが心配など不要だからというのが一番の理由になる。
この身が不思議と神や魔獣と縁があると気づいて以降、俺はその高みの存在たちについて調べまくった。
神とは何か。魔獣とは何か。権力とは何か。金とは何か。大物とは何か。……余計なものまで調べまくった。
しかしながら、魔獣に関する知識はあまり多く知られておらず、というか多分秘匿されているんだと思う。貴族たちにもいろいろ事情があるから。そちらの情報はあまり集まらなかった。
でも、神に関する資料は多かった。
特に、激情の神カナタ様に関しては、学園の重大図書から多くの知識を得られた。
クリマージュ一家を王家に据え、神の力と人の力を合わせて巨大な王国を作り上げてきた偉大なる建国の神、カナタ様。
その生誕の秘密こそ明らかにされていないが、クリマージュ初代国王との出会いはただの庶民的な飲み屋でのことだったらしい。……奢るので、俺にもそんな幸運が訪れて欲しいものだ。
国を作る使命を持った神と、国を育む精神を持った人物の運命の出会い。そうして数百年の繁栄が続くクリマージュ王国の基礎が立ち上がった。
王国は、大陸でも最も豊かな土地に建国されたことで、文化文明の発展も早かった。
俺たちは比較的平和な時代を生きているのだが、建国以来豊かな土地柄故に、多くのトラブルも当然あった。その中で、特に王国の繁栄を邪魔した出来事が……他国による侵略である。
国内の貴族同士のマウント取り合戦を落ち着かせるだけでも大変なのに、そこに魔獣騒動や、暴れる小物神騒ぎ、それに小物ギャングたちによるトラブルなどなど。自国の問題を解決するだけで一杯一杯であろうに、そこへ来て「こんちゃーす」と他国の神までやって来る。
これではたまったものじゃないと、カナタ様はあらゆる侵略への対策を取って来た。他国に贈り物をして「よっ、帝国様!」と小物も驚きのご機嫌を伺いムーヴを取ったり、王国の街道を迷路状にして侵略させないけれど自国民にもはた迷惑な計画を立てたり、少しでも侵略行為があればぶっ殺すとカナタ様激おこ時代もあったりといろいろ手を打って来た。
その中でも、もっとも上手くいっているのが今現在行っている対策である。
それが、大物貴族にだけ知らされている王国の聖なる盾『カナタの聖圏』である。俺は小物だし実家も田舎小物貴族なので、王立魔法学園に入るまで知らなかったんだけどね。
100年ほど前に出来たものだ。
時代の寵児、しかも筋肉隆々イケメンのグラン青年、その才能全盛期の頃の話。あっ、王立魔法学園のあのハゲた爺さんのことだよ。
結界を張るスキルを持つ彼の天才グラン青年は、カナタ様に目を付けられて「ちょ、こっち来いよ」と呼び出しを食らうことに。
出る杭は打たれるというのはどの世界も共通の出来事で、きっと昔のグラン青年も「調子に乗るなよ」と脅されると思って日和っていたに違いない。てか、日和れ。
しかし、カツアゲのために呼び出された訳ではなく、カナタ様はグラン青年の力が王国に役に立つと判断し、協力を願ったのだ。
『この国を守る偉大な結界を張る』
とんでもない発想である。
自分の家を守るための柵や塀を造るのでさえかなりの金額を請求される時代である。一国、その全体を守る結界を張るだなんて、流石神の思考規模は壮大だ。
グラン青年はその思想に共感し、二人で完成させたのが『カナタの聖圏』。国の遥か彼方まで覆う程巨大な結界を作ってみせた。魔力はカナタ様が供給し、結界はグラン青年のスキルによって、形となった。
その効果は絶大で、実に100年もの間、王国はまともな侵略行為に遭っていない実績がある。
まっ、そういうことですわ。
俺のバックにカナタ様がいる限り、帝国の、それも建国の神ですって?
(笑)。
カナタ様が最強の神ゆえに、大陸で最も繁栄した国がこの地に出来上がったのだ。
帝国は南の暖かい地域の、数百を超える島国を統治して出来上がった巨大他民族帝国である。様々な思想を持つ他民族を統率し、海を隔てたその立地にも関わらず、一国にまとめたその手腕や実力は認めるが、それでもカナタ様には適わない。無理、無理。
全然、力の規模が違いまっせ。
海が二つに割れたって? でも、あなたは指一本、王国の領地に触れられませんよ。カナタ様がいる限り、『カナタの聖圏』がある限り、絶対に俺の安全は保障されている! ドンッ!
動物や水族館に行く度、俺は強化ガラス越しにゴリラやライオン、シャチやサメを相手にイキリ散らかしてきた。
優位性が担保されているのでそういうことが出来る訳だ。今もそれと似た気分だ。まあ、実害が無いわけではない。職員さんたち、つまりは人間側に注意されて恥ずかしい思いをしたくらい。
「ハチ・ワレンジャール! 全く、神と相まみえることなど一生に一度あれば奇跡だというのに、二度目まであろうとは。しかも、その度に貴様がいる。一体、どこまで見えているのか……どわっははははは! 全く、真にぶっ飛んだ男よ!」
どこまで見えているか、か。
「もちろん、見えているよ。海の遥か彼方にある、勝利の盾を」
静かに不戦勝を確信している俺の背後で、相変わらず盾持ちの将軍ローデリヒは高らかに叫ぶ。初めて会ったときからもう5年くらいになるのかな? クルスカ変事の際に、偶然巻き込まれるように共闘したのが10歳。今の俺はたぶんもうじき15歳になろうかという年齢だ。随分と長く寝ていたものだと改めて思う。
その髪に白髪も増え、顔の皺も一段と増えた気がする。それでも、初めて会った日に感じた覇気は未だ健在。というか、増しているように感じられるのは気のせいか?
逞しい爺さんだよ。グラン学長と言い、王国にはレジェント的な存在が多い。そりゃ国も安泰な訳だ。
それにしても、なんでこんなに凄いメンツが勢ぞろいなんだ?
もしかして、帝国の神が侵略してくることを知らなかったのって俺だけ?
まあこういう重大情報は上の方で徹底管理されて、下に降りて来ることなんてないもんね。俺の耳に入った途端、マスコミに情報を流し、対価として金を貰うのは間違いないので、情報統制は大正解だ。小物の口を塞ぐことは不可能と知れ。
「ハチ君、随分と成長しましたね。気づくのに少し時間がかかりました」
「丸眼鏡兄さん」
「丸眼鏡兄さんではありません。伊達メガネ兄さんですよ。それに、アトスです」
当然副官のアトスさんのことも覚えている。
こちらは将軍とは違い、純粋に円熟した実力者の道を歩んで来た感じがする。共闘した時より、更に強くなっているんだろうね。アトスさんだけでなく、盾持ちという組織も。
「帝国の、それも建国の神襲来ですか。ハチ君、君がここにいる理由はなんとなくわかります。その野望は、随分と代償の多い道ですね」
俺の野望ってか、願望だ。早く給金くれって感じだ。
もうこんな事態だし、残りの4時間働かなくても良くない? ロベール監督官、その辺、どうなんですか!
労災を請求しますよ! まあ事故が起こりようはないんだけどね。
2週間も働いたんだ。今更、何も無しで逃げ出すわけに行くか。
「人生の危機でも、これ程のものはそう簡単には経験せぬの。修羅場をくぐって来た自覚は誰よりもあったにも関わらず、この歳にして心が高鳴るわい」
名将アルノーも口を開く。
そんなレベルの人でも帝国の神を前にしたら興奮するらしい。みんな、まだまだだね。動物園やサファリパークに行って、まじで怖がっている人は周りから馬鹿にされますよ。あれはそういう臨場感を味わうものだから。今のこれも、それと一緒。
「いろいろと思考が浮かんでは、更にそれを上回るほどの疑問と答えを求める声が出てくるのだが……それらはもう良い。小僧、最後に一つだけ問いたい」
「俺に?」
勝手に将軍格同士で話してくれれば良いのに、なんで俺にばかり話しかけるのよ。将軍同士付き合いが長すぎて逆に気まずいのか? 小物を弄って時間を潰すあの感じか?
「ここに来た理由を教えてくれ。お主と関わりのある土地とは思えぬが」
路銀を稼ぐためだ。どう見たってそうだろう。
いや、そういうことを聞かれているのではないのか。
メルメル領アサギリの街。ここに来たのは本当に偶然だが、目的はノエルの元に最速で辿り着くためだ。ここでまとまったお金を手にするのが、一番早く辿り着くと冷静に判断した結果。それに、そのお金で身支度も整えたい。汚い格好でノエルの元に戻りたくないからね。そっちの方を聞いているんだろう。
「愛する者の元に、自信を持って帰るため。別に土地なんて関係ないよ。俺はどこだろうと、焼き立てのパンが出る街なら大好きなんだ。この港町も、たった2週間で大好きで大切な街になった。それだけのことだよ」
「……そうか。お主の言葉を聞いておると、自分の正義がまるで……ただのわがままに思えて来る。王国の危機か……。くくっ、何という壮大な勘違い。王国の未来は、これより始まるのやもしれぬ」
その通りだよ。
この国のパンは世界一美味しいと俺は思っている。
パンの美味しい場所は最高だと相場が決まっている。
「本当に大した人物よ。元々、その場所と定めてはいたものの、この命を捧げる相手を変更しよう。“万象の神”貴様にこの命をくれてやる。しかし、我が王国には指一本触れさせはせぬ」
名将アルノーが高らかに笑う、将軍ローデリヒもまた高らかに笑う。笑うのは健康に良いと聞いたことがあるが、この爺さんたちが長い気なのは笑顔に秘訣があるのかもしれない。
「アルノー! 50年も前に、傭兵として戦場で貴様と初めて相まみえた日のことを思い出したぞ。そう、今の、その気持ちの良い表情をしておったわ!」
「何のことだ! ワシは貴様のような輩とは出が違うわい! 傭兵なんて過去はない!」
「何を言うか、小さな村の出が! ワシらみたいな碌な出自じゃない者が、変に頭を使うな。その小さな頭でちまちま考えることを辞め、ようやく死を受け入れる顔になった。それだけで良い。若き日のお主に戻った感じがするわい。お主に足りなかったのは、それだけじゃ」
「黙れ! 爺の説教など聞いておれんわ。お前さんはその口を閉じたら、もっと完璧になれるぞ」
「わっははははは! 違いない! お互い可愛い部下の多い身だ。口うるさい癖がつくのも無理からぬことよ!」
二人は古くからの知り合いらしい。
類は友を呼ぶってやつかな。小物の周りには小物が一杯。大物の周りにも自然と大物が引き寄せられるやーつね。
俺を挟まなくても会話できるじゃん。楽しそうにしちゃって。
「不思議と、まこと良い気分よ。……ローデリヒ、死ぬには良い日だのぉ」
「全くその通り。死ぬには良い日、良い場所なり」
だから、神は入れないっての。それを改めて伝えようとしたところ、高らかに声が鳴り響いた。
遥か遠く、海を二つに割った帝国の神が立ち止まり、片手を何もない場所へと伸ばし、透明な何かに触れている。
おそらく、その位置に『カナタの聖圏』がある。絶対に通れない壁が。
「やあ、やあ!!」
距離からすると、おおよそあり得ない声量が港にいる俺たちに届いた。
緊張感が体を襲うのは、まだ神という存在に慣れていないからなのか。はたまた……。
「我は帝国を造りあげし、万象の神ソリオン!! 王国民よ、これ以降聞き続ける名になる故、覚えておくと良い!!」
俺は相変わらず横になったまま、のんびりとその声を聞き続けた。
日に焼けた肌は、南の島諸国の人の特徴と同じ。鍛え抜かれた体躯は鎧を必要とせず、薄い麻生地の質素な衣類を身に纏っている。肩まで届く濃い金髪が、潮風にゆるやかに揺れる。その瞳は、二つに割った海よりも深い蒼。
これから王国に喧嘩を売ろうっていうのに、その目には一切の気負いを感じられない。ただ静かに、何かを見通すかのように穏やかな視線。それどころか、口元には笑みを浮かべているではないか。
……あれが、帝国をつくりし万象の神ソリオン。
偉大だねぇ。でかいねぇ。
でも俺は、ニチャーと笑った。
あんな偉大な神であろうと、俺には指一本触れることができないだなんて。なんという優越感か。
せっかくなので、神の前で鼻もほじる。人生で二度とできないことなので。
「小さき者よ。なぜ神を恐れないか!!」
あれ?
あり得ないことなのだが、偉大なる神の視線が俺の方を見ている気がした。いや、勘違いじゃない……。俺の態度も悪いが、まさかその意識がこんな小物に直接注がれるだなんて、想像すらしていなかったので驚きだ。
流石にドキリとする。
「恐れおののけ、逃げ出せ、それこそが我を前にして出る正しき反応ぞ」
神の声が相変わらず響く中、後ろの方で冷静にアトスさんが口を開く。
「万象の神が動いたとあれば、“あの方”も当然動くことでしょうね」
「女帝ユニア。三度の飯より戦場好きのあれが、動かぬ訳もあるまいよ」
将軍がアトスさんの言葉に続くように女帝と呼ばれる人物の名を口にした時、俺の視界にとんでもないものが入り込んだ。
割れた海の向こう側。最初に見えたのは、黒色の点だった。
水平線に並ぶ異様な数の影。最初はただの影に見えたそれが、ゆっくりと形を持ち、認識へと至る。
船だ。
それも、数えるのをやめたくなるほどの数。見慣れた商船じゃない。帝国の象徴、太陽の模様が描かれた白い帆が風をはらみ、一斉に膨らんでいる。その下に、重たくでかい船体が海をひた進む。
横に広く並び、後ろにも並び、さらにその向こうにもずっと続いている。
僅かに太鼓の音が鳴ったような気がした。その音が徐々に大きくなる
進軍のリズムを刻むように、規則正しく近づいて来る。
海上にて帝国軍に適う者無し、とは聞いたことがあったが、この光景を見ればその意見にも全力で「うんうん!」と同意できる。
「女帝ユニア。目ざとい女だ。……随分と本気らしい。万象の神まで引き連れて、どうやらカナタ様の状態を知ってのことだのぉ」
「カナタ様の噂は本当だったのか? アルノー」
「明言は出来ぬが、目の前の光景を見よ。他国にも知れ渡っているということは、そういうことだ」
カナタ様に何が!?
ちょっ、今になってそんな大事なことを!?
で、でも!
『カナタの聖圏』があるから大丈夫だよね? その証拠に、万象の神は何かに遮られたように、立ち止まったままだし。
「アルノー、どこまで知っておる? カナタの聖圏は持ちこたえられるのか?」
俺と同じ疑問を問う将軍ローデリヒ。そうそう、それそれ!
「さての。ワシにはわからぬ。けれど、女帝はどのみち我らが止めねばならぬよ」
なぜ? という俺の問いに将軍が答えてくれた。
「カナタの聖圏は神を防ぐ結界。人は防げぬもの……か。あの数を相手にするとは、今日は随分と騒がしい祭りになりそうじゃ。ぶっはははははは!」
え? えええええええええ!?
そっそれ、知らなかったんですけど!
カナタの聖圏って全部防ぐんじゃないんですか!?
女帝とあの艦隊は通れるんですか?
えええええええええ!?
今更、逃げ遅れたことに気づいて、俺は飛び上がった。
――キィン
直後、耳の奥を針で突き刺されたみたいな高い音が、突然、頭の中で鳴った。
「え?」
キィィィィィン……バギン!!
また鋭い音がした。歯の根まで痺れる感覚。
頭の奥で巨大な金属同士が衝突したような音だ。思わず耳を押さえる。
海の彼方に見える『カナタの聖圏』の表面が、良く見えた。なぜかって、細かい罅が表面に走って、その境を明確にしていたからだ。
「うそやん……」
はい、完全に逃げ遅れました。





