117話 大物たちが頑張っていたことをハチは知らない
――イレイザー視点
なんでこんなことになっちまったかなぁ、と命の危機に瀕している中でのんびりと考えている。
全身が酷く痛むし、鳴りやまない耳鳴りがうるさくて機嫌も悪い。
目の前では団長と新しく天壊旅団に加入したジンさんが化け物みたいな戦闘を開始している。ゼルヴァン先輩の風神が空を割り、ジンの炎鬼が地を焦がす。熱風が頬を撫でる。何かが垂れて来るので舐めてみたら、血の味がした。本当に嫌になりそうだ。
大罪の紋章同士の激突か。出来ればただの一観客としてポップコーン片手に眺めていたかった。惜しい機会を逃したものだ。
ジンさん……そっちはそっちで地獄だろうけど、こっちは残りの神殺したちを止めなきゃならない。
嫌なんだよなぁ、天才ってやつは。
元同僚だからこそ、嫌でも知っている。こいつらの化け物染みた強さを。
ジンさんがまさかこっちサイドについてくれたが、状況としては9対4。不利なことに変わりなし。
ジンさんは団長の足止めで精一杯だろうし、後ろをちらりと見ると……。
満身創痍で、特に下半身のダメージが酷く、脚の骨が折れちまっているウィルバート隊長。それにマグ・ノワールの浸食が止まらないヘーゼルナッツ博士。あの人無理したら死ぬぞ。……二人ともまともに戦える訳もない。
同人数でもきついってのに、相手の方が大人数だし、こちらは既に俺も含めて瀕死。
……まっ、それでもどう考えても俺が耐えるしかないよなぁ。今回もハズレくじ引いちまった。天才たち相手にどうしたものか。
思えば、生まれた時からハズレくじばっかり引いている気がする。
スラム街で生まれ落ち、両親の顔すら知らない。同じ孤児たちと群れてなんとか生き延びて来た。
たまに見かける貴族が被るシルクハットに強い憧れを持っていた気がする。……そうか、俺がこんな帽子を肌身離さず被っているのはあの頃の憧れゆえだったか。こんな時に、そんな理由が判明したってなぁ。
なんとか生き延びる生活の中、希望が出てきたのは8歳の頃。自分にとんでもない魔臓才能値が秘められ、希少なスキルが発現したことが分かってからだった。
そこから生活は驚くほど良くなった。やっぱり強いってのは正義だ。子供の俺たちにも仕事を任せてくれる連中はいて、戦闘ばかりの日々だったけど金にはなった。
けれど、俺は自分が天才だとは思えなかった。
だって、同じスラム育ち、同い年に自分より強いやつがいたから。
スキルも使用しないし、変なやつだった。けれど、俺たち二人は飛びぬけて強かったから、次第に仲が良くなった。
「こんな生活はいつまでも続かない。俺は王立魔法学園ってとこに行こうと思う。そこを卒業したら、貴族も驚くような良い生活が出来るらしい。お前もいかねーか?」
「……俺は、いいや」
「そうか」
なんでか、わからなかった。けれど、あの時はそんなに深く考えることはしなかった。毎日が精一杯で、自分のことに必死だったから。
んで、王立魔法学園ってとこに入ってからもまたハズレくじを引かされちまった。
天才として扱われるはずだったイレイザー・ディサイド少年。教師たちには数十年に一度の逸材だと持て囃されたのに、一個上にリュミエール・クリマージュっていう全部持ちのやつがいた。
顔も格好良くて、魔力もスキルも天才的。スタイルなんて信じられない程均衡が取れていて美しさすら感じられる。しかも王族なんだってさ。初めて一緒に飯を食った時には、自分が野蛮人なんじゃないかと思わされて恥ずかしかったぜ。
しかも、もう一個上に更なる化け物がいた。後の上司になり、地獄の日々をプレゼントしてくれたゼルヴァン先輩。後の天壊旅団団長様だ。
この人たちがいなければ、チヤホヤされるのは俺だったはずなのに……。なんだかなぁ。真の天才ってやつは嫌いだ。
んで、卒業してゼルヴァン先輩に誘われたのが天壊旅団。そこでも同僚たちが馬鹿みたいに強くて、自分のことを特別な存在だと思えた瞬間なんてない。
それでも待遇は良かったし、なんだか世の中に役立つことが出来ている気がして満たされた日々ではあった。結構モテたしね。
けれど、ここでもハズレくじを引いちまった。
神の身でありながら、国家転覆を狙って革命軍を組織した神がいると聞いてそれを止める任務を託された。
補佐を数名つけてくれはしたものの、神との戦いは毎度命懸けの厳しい戦いになる。そんで、この時は特にきつかった。
だって……。
「なんでお前がこんなとこに」
「それはこちらのセリフだよ」
スラムで育った、親友とも呼べる存在が革命軍のトップだった。
なんでこんなことを、と酷く戸惑った。
この時だったんだよな。親友が神だと知ったのは。
神の『使命』で人に害を成す類のものはない。つまり、俺の親友は『使命』を無視して私欲で動いちまったらしい。
本人の志を聞いた。高い理想も聞いた。
けれど、やっぱり俺たちは同じ道を歩むことは出来なかった。
神との戦いには勝った。その戦いで目は失っちまったけど、仲間は守り抜いた。
そいつはさ、なんだかんだ申し訳なかったんだろうな。使命に背いている罪悪感もあったと思う。死に際に、俺に神の目を託した。
「俺が仕事さぼっちまった分、その目でお前が頑張ってくんねーか?」
だってよ。
けれど、その日以来、俺は神殺しとして機能しなくなった。
神を見ると体が震えてしまって、身体強化すらまともに出来なくなる。
あんまり自覚は無かったけど、結構……メンタルに来てたんだな。
俺は天才なんかじゃない。それどころか、本当の役立たずになっちまった。それでゼルヴァン先輩に言って、天壊旅団を辞めさせて貰った。
学園在籍時にはグラン学長に教えを請う機会がなかった。だって、グラン学長はゼルヴァン先輩とリュミエール先輩の師匠だったから。あの二人から離れるためだったら、グラン学長のありがたい教えからも余裕で逃げるね。
まさか卒業してからまた学園でしっかり学ぶことになろうとは。天壊旅団を辞めた俺を、グラン学長が拾ってくれたのだ。もしかしたら、団長が働きかけてくれのかもしれない。意地悪な先輩だが、意外と面倒見は良いところもあるお人だ。
学園に戻ってからの期間は非常に有意義だった。
この時代に剣一本でのし上がろうとするヒナコと出会ったり、ゼルヴァン先輩とリュミエール先輩以上の器かもしれないワレンジャール姉妹と出会ったり……。いい刺激になったぜ。何年かぶりに死ぬ気で自分のスキルを磨いてみたりもした。貴重な時間だった。
でもやっぱり、あいつだよなぁ。俺にとって、もっとも異質で特別な出会いは。
ハチ・ワレンジャール。
学長に命じられて天才姉妹を偵察しに行った田舎で出会った不思議な少年。俺と違って、本当に才能なんてない平凡な男。魔力も少なく、スキルタイプに至っては豊饒。自分のことをハズレくじを引く男だと嘆いていたが、ハチはその比じゃない。
天才の双子姉妹を姉に持ち、自身は恵まれない境遇。
なのに、ハチはいっつも楽しそうなんだよな。
俺の人生にはいつだって目の上のたんこぶがいた。
スラムにいた頃も、学園にいた頃も、天壊旅団、そしてまた学園に戻ってからも俺以上の天才は常にいた。
俺はずっとそんなつまらない悩みを抱えて、“上ばかり見て”苦しんで生きてきた。
ハチはそんな悩みを抱えているようには見えなかった。
もっとも近い存在であるワレンジャール姉妹があんな天才だというのに、なんでだろうか。
一度、学園で聞いたことがある。
「おい、ハチ。お前なんでいつもそんなに楽しそうにしていられる?」
脈絡のない問いかけ。ハチも困惑したと思う。
んで、帰って来た答えがこれ。
「だって、毎日パンが食べられるだけで奇跡じゃん。おかげさまで俺は日々が幸せだよ」
馬鹿げた答えだった。
スラムで生き延びてた頃、三日ぶりに仲間がパンを見つけて来てくれた時でさえ、俺はそんなことを考えれていなかった気がする。
食料調達係が失態を冒して二日食べられなかったことをずっと根に持って怒っていた。
なんで俺は二日食べられなかったことばかり怒って、三日ぶりに食べられたことに感謝しなかったんだろうか?
そりゃ戦闘担当の俺たちの方がきつかっただろうけど、食料調達だってあのスラムじゃきついはずなのに。
俺はいつだってここに無いものを見続けていた気がする。
ハチは、いつだって今有るものを見ている気がする。
憎たらしい生徒だが、俺はなんだかんだこいつが好きなんだと思う。こいつの生き方が……。
人生の敗北者が、人生の自由人に惚れ込んだ瞬間。
ハチよぉ、お前死んでないんだろう? 少しばかり時間を稼いでやるから、とっとと目を覚ませよな。
目の前に迫るは神殺し。リアルな死の感覚。
なのに、無意識に笑ってしまう。
なんでだろうな。ハチ、お前を守ることが出来ることを俺は嬉しく思っちまうよ。
「才能がないのに、なぜか輝いて見える。それは、俺がずっと欲しかった光だ」
『共魔・全域支配!!』
学長、あんたから授けて貰った可能性、今ここで試してみます。
スキルを発動した瞬間、ぶつかり合っていた大罪の風と炎が止んだ。
流れる空気まで完全に止まる。
今からイレイザー目掛けて攻撃しようとしていた神殺しの面々も異様なスキルに足を止める。
イレイザーの足元から、白い光の筋が放射状に伸びていった。
それは稲妻のようであり、同時に、大地の神経のように地を這って進んでいる。
辺り一帯、まるで世界中の魔力が彼の指先へと繋がっていくかのような錯覚。
魔力が“ひとつ”になる。
九人の神殺したちの魔力が一斉に脈打ち、しかし次の瞬間、それはすべて同じ波長に飲まれる。
神をも飲み込む使い手たちの魔力が、一人の男の前に息を潜める。
魔力の回路そのものが、イレイザーの中に繋がり、制御される。
天壊旅団の面々が、動きを止める。
ゼルヴァンの刃に宿っていた風の神が、呻くように消えた。
「……イレイザー?」
「これは一体……!」
誰もスキルを発動できない。
身体を強化する魔力の供給すら出来ず、戦場とは思えない程無防備になる。
魔力が使えないのは、武器も防具も持たずに戦場にいるのとさほど変わらない事だ。
団員たちがかつての仲間を恐怖の目で見据えた。その空間の中心で、イレイザーの痛んだ衣が、ゆっくりと揺れる。
彼の瞳だけが、静かな黄金色を帯びて、場を冷静に見つめていた。
「覚醒したな、イレイザー」
尊敬する先輩であり、元上司であるゼルヴァンの称賛にも似た言葉だったが、イレイザーはそれにも反応しない。
今はただ、スキルに集中し、目の前の化け物たちを止めることしか脳内にない。
全員を止め、ハチを逃がす。脳内にはただ、それだけがある。
圧倒的な支配の中で、誰もが悟る。
この男は魔力そのものを支配したのだと。
9人の神殺しが立ちすくむ。
沈黙が続く。神殺しでさえ、魔力を制御された今、どうしていいかわからないでいた。
そんな中、ゼルヴァンが、ゆっくりと口を開く。
嵐を呼ぶ前兆のように、穏やかな声色で。
「……悪くない。学長の元で更に強くなったな、イレイザー。空間ごと支配するとはお前の膨大な魔力量と得意なスキルあってこそだ。だが――完全ではない」
イレイザーの眼が、わずかに揺れた。
ゼルヴァンの瞳が、より一層深い青みを増す。
彼は確信している。自身の才覚こそ、どんな事態でも勝利を齎すと。
「お前の支配は、“魔力”の流れに限定されている。しかも制御は完璧ではなく、味方であるジンのスキルも消えてしまっている。この通り、体は自由に動くし、害も無い。このままお前の魔力が尽きるのを待ってやるのも良いが……魔獣を前に悠長にするつもりはない」
淡々とした声だった。
論理だけを紡ぐように。
彼は、イレイザーのスキルを完璧に解析していた。
その口調が、まるで観測者の思考を鏡写しにしているようでイレイザーの背筋に、ひやりとした感覚が走る。
ゼルヴァンが片足を踏み出す。
その動作だけで、仲間への指示となった。
残りの神殺し八人が同時に散開する。
ゼルヴァンの一歩だけで指令となった。
影が一斉に動いた。
魔力の支援もないはずなのに、身体強化をしたかと錯覚する鋭い動き出し。
「ここまで正確に読んで来るんですか、先輩……!」
イレイザーは眉をひそめた。
思ったよりも時間が稼げていない。
大技がまだ完ぺきではない。ジンの魔力まで制御していなければ、事態は逆転していた。
スキルの使えるジンと、魔力を使えない神殺しでは、流石の神殺したちでもどうしようもない。
「十分だ。ありがとうな、神の目を持つ男。これで勝機が出て来たってもんよ。
臨戦態勢を崩さず、ジンが低く笑う。
彼にとって魔力なしの戦闘、純戦は最も得意とする領域だった。
八人の神殺しが距離を詰める。
金属の軋み、靴底が砂を裂く音。
そのどれもが、刃の合図に聞こえる。
ジンが逆に一歩、踏み込んだ。
空気が弾けた。
次の瞬間、正面にいた神殺しの胸当てが外套ごと音もなく砕ける。胸から血が飛び散り、斬撃も見えぬまま貰ったダメージに驚愕する。
彼の動きは、まるで呼吸するように自然で、それでいて、研ぎ澄まされた刃だった。 誰も魔力を使えない。だからこそ純粋な戦闘経験だけが、命を分ける。
ジンの刀が、二の太刀、三の太刀を刻む。
踏み込みは最小、軌道は最短。
その一振りごとに、敵の身体がずれるように崩れる。
打ち下ろされる槍。かわす。
背後からの斬撃。受け流す。
すぐさま腰をひねり、返す刀で逆に叩き落とす。
音もなく、ただ風だけが動く。
イレイザーは遠くでそれを見ていた。
スキルを維持している間、体中が熱く、魔力を大量に消耗し意識が飛びそうだった。それでも、目の前の光景に視線を外せない。
自分の後釜を引き継いだ男だと聞いていたが、思わずその強さに笑ってしまった。
「なんて男だよ……ははっ」
続く攻撃にも、肩を裂く、脚を払う。
致命には届かない。だが確実に戦意を削ぐ。
八人の神殺しが後退し、呼吸を整える間に、ジンはもう次の敵へ踏み込んでいた。
息が合っていた。今日会ったばかりだというのに。
イレイザーの魔力支配が空間を制し、ジンはその中で最小の動きで最大の結果を出していく。
「勝てる……」
イレイザーの唇が、かすかに笑みを作った。
悪あがきで始めた戦いだが、今初めて。
本当に勝てるかもしれない、と思っていた。
だが、その一瞬。
風が鳴った。
ゼルヴァンの姿が、視界から消えていた。あいつはどこへ? もっとも警戒すべき男を見失ったことに、ようやく気付いたのだ。
いや、見失ったというのは正しくないかもしれない。ただ、速すぎたのだ。
気づけば、
ゼルヴァンの細身のレイピアが、ジンの脇腹を突き抜けていた。
魔力が使えずとも、この男は純戦においても桁が違っていた。
使えないはずの魔力。なのに、なぜか風神の加護を受けたような一撃。
「躍進はここまでだ」
ゼルヴァンの声は冷たい。
まるで一つの章を閉じるように、静かに。
ジンの体がぐらりと揺れ、地面に落ちた刀が、硬い音を立てた。
イレイザーは息を呑む。
支配の魔力が揺らぐ。
守ってくれていた盾がなくなり、物理的にも精神的にも同時に脆くなってしまった。
ゼルヴァンの視線が、彼に向く。
反射的に防御を構築しようとした。
だが、もう魔力が回らない。
レイピアの一撃が白い閃光に見えた。
空を貫く衝撃。
世界が傾き、視界の端で、蒼き瞳を持った男がこちらを気遣うように口を開いたのが分かった。
「すまないな、ジン、イレイザー。魔獣を前に妥協は許されない」
優しい先輩の面影と、神殺し団長としての責任。その両方を見た気がした。
意識は、静かに闇に沈んだ。
イレイザーの支配が途切れた瞬間、神殺したちの魔力が一斉に脈打った。
押し込められていた力が解放され、辺り一帯に、ゼルヴァンの意気込みを感じる颶風が走る。
吹き荒れる風が地面を抉り、岩を砕き、空気そのものが刃のように鋭くなる。
宙に――ハチが浮かんでいた。
動かない。
ただ、漂うように静止している。
「……魔獣が大人しくしているうちに、終わらせる」
ゼルヴァンが低く呟く。
レイピアを構え、風の衣をまとい直す。
その意志にためらいはなく、宣告だけがある。
「神も魔獣も、人に仇をなす者は許さん」
風が更なるうなりを上げる。
その風に異物が混じる。気づくのに遅れが、ゼルヴァンは魔獣に飛び掛かる直前に違和感を覚える。
ざらり。
細かい粒子が頬を打った。
砂、だった。
「……砂?」
神殺し達の中でも、ゼルヴァンだけしか気づけていない。
数秒も経たぬうちに、
その“砂”は風に乗って、世界を塗り替えていく。
颶風と砂嵐が混ざり合い、風が砂を巻き上げ、砂が躍動する。
視界が白茶け、視界が、音が遠のく。
「何が……!」
自身のものであるはずの風が制御できない。
自らの生み出した暴風が、逆に自分を呑み込んでいく。
腕をかざしても、手の先が見えない程砂が濃い。
その中で――ふと、影が立った。
砂を割るように、一人の男が現れた。
顔を覆う紋様の描かれた鉄の仮面。
砂を纏い、風の中に溶け込むような姿。
誰も、その接近を察知できなかった。
「……砂の一族!?」
「ハチを預かる」
その声は風に溶けるように、淡々としていた。
「なぜ、貴様らが魔獣に関わる」
「魔獣ではない。ハチ・ワレンジャールだ」
仮面越しに目が合う。相手は相当な猛者。
砂の一族は得体の知れない存在だ。しかし、譲る気はない。
「我らに勝てるか?」
「戦うつもりはない。天壊旅団団長ゼルヴァン、お前と戦うには、少し準備が不足している」
「では、逃げるか?」
「そのつもりだ」
ゼルヴァンの目が定まる。
相手の真意を探すよりも早く、砂の男は一歩退き、砂に溶けた。
「砂の中では、我らを追えない」
既に顔は見えない。存在も感じられない。
「逃げられはしないさ。もうじきリュミエールも到着する。王都周辺は全域が封鎖されるだろう。魔獣を抱えている限り、それこそ砂一粒も通過させない」
そう告げた瞬間、姿は見えなかったが、吹き荒れる砂の中から返事があった。
「リュミエール殿は動けない。我らは当初そちらの予定で来た。まさかハチがこんなことになっていようとは」
「……どういうことだ?」
「王都で聖女様が出産なさった。予言の通り、エル・ラッコーン様の意志を継ぐ神が誕生したのだ。彼女、激情のカナタ様が軍を動かすことを許さないだろう」
最後の言葉と共に、その存在が完全に感じ取れなくなった。
風が、止まった。
砂嵐が嘘のように静まり、
風の音も、砂の粒も、世界から消えた。
ゼルヴァンが目を開ける。
そこにはもう、何もいなかった。
魔獣化したハチも、仮面の男も、一切の痕跡すらない。まるで何かに化かされたような感覚が残るが、ジンやイレイザーたちが倒れているのを見てやはり幻ではなかったと実感できる。
聖女様の出産。これが事実なら、神が減ったこの時代に、ただ事ではない重大事項だ。
魔獣を追うか、それとも聖女様の元へ戻るか……。
こういうときは風に耳を傾けると良い。昔から、ずっとそうしてきた。
風はとっくに王都の方角を指していた。
「魔獣を逃した。城へ戻ろう」




