113話 マグ・ノワールの1割は小物が原因かも
「長く辺境調査隊にいるが、こんな兆候は見たことがない」
普段から黒い魔力を調べているウィルバート隊長は、例の村に近づくにつれて起き始めた異変に目を見張っていた。
足元では小さな花が音もなく萎れ、蕾のまま固く閉ざされていく。
幹はきしみを上げながらねじれ、地中から伸びた根が土を割って顔を出す。
耳を澄ませば、かすかに空洞を渡るようなひゅうひゅうという響きが混じる。
それは博士が聞かせてくれた村の古い言い伝えを思い起こさせる──かつて神を作った村だと……。もしや、魔獣も作ってしまったのか? 恐ろしや。作っていいのは、へそくりとうまい料理だけという小物界のルールを知らんのか。
息を潜めるほどの静寂の中、植物の軋む音だけが不気味に続いていた。
「本当に魔獣でもおっかなびっくり現れそうな雰囲気ですね。魔獣出現時に現れる自然現象とも似通った点が多い。ふむ、考え込むと背筋がゾクゾクしますね」
皆の感想が段々と魔獣が本当に出現しているという意見に収束していく。俺は背筋がゾクゾク程度ではない。サウナに入っているくらい冷や汗が止まらない。
「ハチ、ビビんなよ。言ってるだろ。俺がいるんだ。魔獣にビビる必要なんてないさ」
イレイザー先生の声が少しだけ励みになるが、魔獣の強さを知らないんだよなぁこの人。本物を見た時に一番ギャップを受けて役に立たないポジションでしょ、これ。
「魔獣の魔の字も知らないあまちゃんが!」
「誰が甘ちゃんだ。お前だって魔獣を知らないだろうが。言っとくがな、相手を恐れすぎていると、実力の半分も力が出せないぞ。お前は才能があるが、実戦経験は遥かに俺に劣る。素直にアドバイスに従いな」
「へいへい」
不貞腐れる。
実際、実戦経験でいうとイレイザー先生には大きく劣るだろう。
この人、王立魔法学園に来る前は神殺しとして最前線で戦っていた人だ。そんな人と実戦経験の差を比べても勝ち目はない。
しかし、俺は魔獣……知ってんだよなぁ。殺されかけたんだよなぁ。
「どちらの態度も正しいように思えますね。ハチ君の怯えようも自然。イレイザー先生の言葉にも一理ある。なにせ、我々は誰も魔獣を知らないのだから。この国でその存在を正確に語れるのは、先年魔獣を討ったリュミエール王子だけだろうね」
博士の言葉にウィルバート隊長が強い興味を示す。
「やはりリュミエール王子は凄いですよね。あの人の功績を聞く度、私は強い忠誠心を覚える。子供の頃から麒麟児ともてはやされ、それに甘んじることなく正しく成長し魔獣を討った。貴族、いいや王族の義務を果たした正義のお方。あのような勇敢な方が国王になるなら、この国の先100年は安泰だ」
魔獣を討伐したから尊敬しているらしい。
それだけ、魔獣討伐の功績は大きいものだ。
どれだけその存在がこの世界に脅威を齎し、人々の恐怖の記憶に根付いているかのか、ウィルバート隊長の態度から伺える。
「あんまりリュミエール先輩のことばかりちやほやしないでくれ。俺、あの人のこと苦手なんだから」
先輩?
おっ? なんだ、なんだ?
「昔、いびられてたんですか?」
「まあそんなところだ。団長……ゼル様とリュミエール先輩が同学年で、俺はその2個下。学園のアイドルで、絶対的な存在感を持つ二人。俺は、名目上は可愛がられてる後輩の体だったけど、いつもあの二人に使いっぱしりにされてたんだよなぁ。なんど焼きそばパン買いに行かされたことか。ったく、憎たらしい2人だよ、ほんと」
イレイザー先生にそんな過去が!
憎たらしいとか言いつつ、なんだかんだ二人を思い出すときのイレイザー先生の表情は穏やかだ。
自分で言う程嫌な関係性ではなかったのだろう。
「イレイザー殿がリュミエール様の後輩だったとは。こう言ってはあれですが、私はその立場を羨ましく思います。あの方のためなら、進んで焼きそばパンを買いに行きたい」
「ウィルバート隊長みたいな人は沢山いたよ。リュウ様とゼル様の使いっぱしりが嫌なら変わりなさい! と何度言われたことか。でも、あの二人、決まって俺を使いっぱしりに指名するんだよ。あー、ほんと憎たらしい」
やっぱり気に入られてたんじゃん。可愛い後輩ってなんだか意地悪したくなるんだよね。わかります。
「おい焼きそばパン買って来いよ、イレイザー先生」
「あってめー!」
馬上からヘッドロックを決められて、拳で頭蓋骨をぐりぐりされた。いだだっ。
「ごめんなさい。いだいっ!」
「許さん!」
ごめんて! ごめんて!
「2人とも呑気なものですね。この二人がいるなら、魔獣が出現しても大丈夫な気がしてきました」
「私もです」
ははっと愉快そうに笑ってばかりで、ヘーゼルナッツ博士もウィルバート隊長も助けてくれなかった。
10円ハゲが出来そうなくらい頭をぐりぐりされた後、やっと解放される。
他人の過去はあまりいじるべきじゃないとこの時学ばされた。
少し落ち着いた頃、博士から真面目な話があった。
「ハチ君、ところで黒い魔力についてまだあまり教えてしませんでしたね」
「イレイザー先生が邪魔してくるから大事な話を全然聞けていませんでした」
「むっ」
睨みつけて来ても無駄だ。俺はもうヘーゼルナッツ博士と真面目な話し合いモードに入っている。
「黒い魔力、我々研究者はマグ・ノワールなんて呼んだりしています。精神を狂わせる魔力として知られていますが、正確には少し違います。人の奥底には必ず裏切りや欲望、殺意や恐怖の種が眠っている。その種を強引に表層へ押し出す力だと判明しています。単純に強力な魔力でもあるのですが」
「……なるほど」
根源的な恐怖心を煽られていると思っていたが、あの感情は俺の中に眠っていたものが表に出てきただけだったのか……。俺の中には恐怖心ばかり眠っていることが判明した。小物は臆病なので仕方ない。
「マグ・ノワールは人の世界ではなく、精霊の世界で作られます」
「界境で?」
精霊王を初め、精霊たちの住処。
「ほう。その存在を知っていましたか」
「尖塔地下で偶然にもそちらに足を踏み入れました」
「先日の学長が負傷した件ですね。あれは学園の秘密の中でもトップシークレットに分類されるものです。くれぐれも他言無用で」
「はい」
言いたくても、あんな世界のことどう形容していいのやら。
みんな興味すら持ってくれない気がする。
美女が沢山いたよ! と大声をあげれば何名かは話を聞いてくれそうだが、わざわざ言いふらすようなことじゃないことは俺にだってわかる。
「界境には他にも入り口があるのですが、まあそれは、今は良いでしょう。精霊は大昔から人と繋がる存在でした。しかし、繋がりが深くなるにつれて、問題が生じた。精霊の世界において、人間同士の裏切り、欲望、負の感情が積み重なれば、目に見えぬ澱が沈殿する。それが黒い魔力の正体。黒い魔力とは、人が生み出した“集合的な悪の残滓”にほかならない」
繋がり?
ちょっと待て、人と精霊の繋がりって……。
「我々と精霊の繋がりって……『紋章』しか思い浮かばないのですが」
「その通りだよ。紋章のおかげで精霊と人は強く結びつき、我々は力を得て互いを強め合えるようになった。けれど、紋章の繋がりこそが界境にてマグ・ノワールの栄養供給源となってしまっている」
本来、精霊と人のためになるはずの紋章の力が、魔獣を生み出すパイプの役割になっていたなんて……。
「なんとも皮肉な話だよな。俺もヘーゼルナッツ博士からこの話を聞いたときは、上手く消化しきれなかったものだ」
イレイザー先生も自身の感想を口にする。
魔獣やマグ・ノワールを生み出していたのは我々人間だった。
原因が我々人間にあったってコト!?
魔獣騒動をまるで被害者意識で受けていたのだが、本来は、清算すべきことを清算していただけにすぎなかったとは……。。
流石に言葉が出てこない。
「ハチ君、魔獣と魔物になる者、彼らがもともとどんな存在だったか想像つきますか?」
これは以前から答えを持っていた気がする。
残酷だよ。あまりにも残酷だ。
「精霊様……。魔獣はマグ・ノワールを一身に背負い込んだ精霊王ということですか……。人の負債を精霊たちが肩代わりしてくれていたんですね」
ずっと世界の敵のように感じていた魔獣。しかし、その存在はもともと人を愛した精霊たちだったのだ。
「その通り。精霊王はマグ・ノワールを吸い魔獣となってこの世界に姿を現す。その後討伐され死に、代替わりする。そうしてマグ・ノワールをずっと消化してくれているのだ」
魔獣騒動のことが、急に他人事には感じられなくなってしまった。
もともと地震や台風のように偶発的な災害のように考えていた。
そんなもの、小物のワイには関係ないですやーん、みたいな。けれど、縁あって精霊王たちに遭遇した今、彼らの抱える宿命を簡単に無視はしづらくなってしまっている。豊饒の精霊王ミトリア様が凄い美人だから同情しているとかではない。決してそういうことではない!
「その循環……なんとか、出来ないですか?」
「さて、私はまだその答えを持ち合わせていません。答えを持っているかもしれない一族なら知っていますが、彼らは簡単に接触を許してくれないですし……」
そんな進んだ知識を有している一族がいるのか。俺が田舎で修理スキルを使用して小銭稼ぎをしていた間、世界ではこんなに重要なことをしていた人たちがいただなんて。ありがとうすぎて、泣いちゃいそうです。
「神の中にもこの問題のために奮闘した方がいると聞きますが、古代の神々の戦いで伝承が途絶えて正確なことがわかっていませんし、手詰まりですね。まあ今回はその話をしたい訳ではないのです」
それもそうだった。根本的な解決策を知っているなら、もっと国を挙げて対処するべきことだろうし。
博士の言いたいことは別にあるらしい。
「紋章は、マグ・ノワールに対抗できる唯一の力。だが逆に言えば、マグ・ノワールも紋章に唯一干渉できる力でもある。私から見れば、紋章と黒い魔力は表裏一体の関係にある」
「まさか……」
博士の言いたいことがわかって来た。今回の魔獣騒動がこの話と結びつく。
そんなことって。
「私の言いたいことが分かって来たようですね」
「博士の生まれ故郷では、マグ・ノワールを使用していた。紋章を消し去って、人工的に『神』を作り上げていたと……。本当にそんなことが可能なのですか!?」
神は自然に生まれるもの。紋章は自然に与えられるもの。
それが俺の常識だった。人工的に紋章を傷つけたり、神を作ろうなんて想像すらしたことがなかった。
なんだかとんでもない禁忌に振れている気がして、体の震えが止まらない。
「あくまで仮説ですが、ハチ君が見たもの、幼少の頃母から聞いた話、そして今のこの異変。全ての情報をまとめると、私はどうしてその結論が見当外れではない気がします」
「おいおい……魔獣だけじゃなく、この先には神までいる可能性があるのか?」
イレイザー先生の声が少し震えていた。
魔獣の話を聞いても一切怯む様子がなく、一対一でボコしたるわ! みたいな気合の入った人だったのに、神の存在を意識した途端、俺以上に顔を青ざめ始めた。
イレイザー先生はもともと天壊旅団に所属していた。そこで序列5位という座にいて、実力も信頼もあったはず。彼らと直接戦ったことがあるからこそ、余計にその強さを知っているからなのか。
イレイザー先生も間違いなく化け物級の強さ。なのに、なんで急にビビりだした?
「イレイザー先生、まさか神が怖いんですか?」
「ばっばか言え! 俺はもともと神殺しだぞ。こっ怖くなんかないわ!」
……図星やん。オワタ。
最大戦力だと思っていた人が、急に腰が引けだした。
超絶死亡フラグを持っているウィルバート隊長もいるし、村に因縁のあるヘーゼルナッツ博士もいる。神に怯える元神殺しとただの小物。おいおい、俺たち、間違いなく死んだわ。もう死ぬ要素しかない。
いよいよ村に着いたとき、目にした光景は更に異常なものだった。
ガッチガチに村を守っていた外壁、それが強大な力によって粉砕されている姿をみたのだ。
外からじゃない。村内部から、爆発でも起きたかのように瓦解している。
「ただ事じゃないですね、これは」
ヘーゼルナッツ博士の落ちついた声がなければ、俺は叫んでいたことだろう。
これ何!? やばいんですけど!? もう何か起きてますやん!! 的な感じで。
心の中では相変わらず狼狽しきっているが。
「お出迎えですね。此度の騒動について、詳しく聞けると良いのですが」
瓦解した塀の隙間から姿を現した村長。
前回、嫌な態度で俺たちを出迎えたあの人だ。嫌な印象が強かったので、顔をよく覚えている。
必死にこちらに駆け寄って来る姿は、前回と少しだけ印象が変わっていた。
「ウィルバート隊長! 辺境調査隊のウィルバート隊長ですね!」
息を切らせながら、隊長の元にて膝をつく村長。目には涙を貯めて、白目を赤く染めていた。
「先日の失礼をお詫びいたします。だから、どうかあの子を、あの子を助けて欲しい!」
頭を地面にこすりつけながら、村長が頼み込んでくる。
あの子、とは誰かすぐに判明した。
俺にウマシビ茸と、それに合う香辛料を下さった羽振りの良い娘。
頭の中に声がするといい、ずっと姉の身を案じていた。
「落ち着いて何があったかを話をして貰えますか? 我々は魔獣出現の可能性があり、こちらに参りました。情報が欲しいのです」
冷静に話すウィルバート隊長の隣で、馬を下りて、村長の前で膝を折るヘーゼルナッツ博士。
「村長殿。その子を助けるためには、我々はこの村の歴史を知る必要がある。私はエルネスト・ヘーゼルナッツ。この村の出身です。家名に聞き覚えは?」
「ヘーゼルナッツ家の……エルネスト!?」
振るえた声と、その表情から、博士のことを知っているのは明白だった。
観念したのか、村長はそこに項垂れたように座り、村の歴史を全て語ってくれた。
かつて、この村には神がいた。
しかし、その人は元々神ではなかった。紋章を持ち、村人の一員として暮らしていた。
けれど、ある日魔物との戦闘後、酷い高熱に体を蝕まれた。生死を彷徨いながらも、辛うじて命を拾った彼はすぐに自分の異変に気付いた。
精霊から与えられたスキルを失い、腕にあった紋章も同時に消えていた。
代わりに、溢れんばかりの膨大な魔力を得て、頭の中に絶えず声が響き渡る。『村を繫栄させよ』と。
その声に従い、彼は村の発展のために働いた。神は眠らない。病気にならない。村を愛していた彼はひたすらに村のために働き、外敵を排除し、村人を養った。
しかし、村が王都からも知られる程発展したころ、突如神は死んだ。役目を果たした彼は、満足した表情で眠りについたのだ。
その出来事以来、この村では再び神の恩恵に預かろうと、神作りの研究が進んだ。
黒い魔力、マグ・ノワールが紋章に影響を与えることが判明している。ならば、それを利用してまた神が作れるはずだと。
しかし、数十年が経っても成果は出ず、研究費が嵩み発展していた村はすっかり廃れてしまった。
そして、次に選ばれた実験対象が才能あるヘーゼルナッツ家のエルネスト少年。息子を実験に巻き込ませたくない彼の両親は故郷を捨てて、王都にて新しい生活拠点を探すこととなる。
才能を失った手も、そこからも研究は止まらない。
何人もの失敗作を出し、いよいよ姉妹へと手が伸びた。
そうして、まさかまさか、数十年のブランクを経て、いよいよ彼らは人工の神を作り上げてしまったのだ。実験は成功した。姉妹を最後に……。
「すまない……愚かなことだとはわかっている。村人ももうやめようと言っていたんだ。しかし、先代はそれでも止まらなかった。そうして、“神”と“あれ”が誕生してしまった。まるで報いを受けるかのように、先代は“あれ”に殺された。我々はもうこの件から足を洗ったんだ。本当なんだ! だから、どうか、どうかあの子だけでも助けて欲しい。どうか……」
人工の神を作ることに執着していた先代はもう死んだ。
今地面に、惨めに頭をこすりつけて頼み込んでくる村長は、罪の意識に苛まれた人。彼も手を染めていたかもしれない。けれど、今ばかりはあまり責める気にはなれない。
涙ながらに、村の子を助けてくれと懇願する人を責める気にはなれなかった。
「なるほど。両親が逃げ出さなければ、私は人工の神にされかけていたと。全く、酷い話ですね。村長殿、この件については王都に戻り次第報告させて頂きます。いかなる処罰が下るかはわかりませんが、先代を止められなかったあなたにはそれを受ける義務があるように思います」
「……甘んじて受け入れます」
「その気持ちがあるのなら、もう一つ我々に話すべきことがあるはずです。妹は成功して神になった。おそらく村の塀を破壊したのは彼女ですね?」
「はい、突如力が暴走し、まるで催眠状態にかかったように林へと消えて行きました」
神になった少女。
彼女はずっと脳内に声がすると言っていた。まさかとは思っていたが、あれは神が持つという使命そのものだったのだ。
良くない予想が当たっても、気分は良くない。
「“あれ”について話してください。姉妹の姉、失敗した方はどうなったか、分かっていることを全て」
「……あれは、あれは」
声が振るえる。
その存在への恐怖か。それとも罪の意識から来る苦しみか。この短期間で顔が酷くやつれたように見えた。
「姉の方は、紋章が消えるどころか、むしろ紋章の力が強くなり過ぎた。マグ・ノワールの干渉によって姉は精霊との繋がりが強くなり過ぎた。あの子が自ら言っていたんです。『精霊世界の黒い魔力が紋章を伝って私に流れる』と。その言葉を最後に、あの子は正気を失い先代を……」
精霊王がずっと背負っていたマグ・ノワールを、姉が背負ってしまった。
これじゃあ、魔獣が誕生する理屈と全く同じじゃないか。ただ器が精霊か人かって違いだけで。
「言及を避けているようですが、彼女は魔獣になったということです。姉は魔獣に。妹は神に。人のエゴと言うのは恐ろしいものです。……自分の故郷がこんな恐ろしいことをしているとは。流石にこれ程の事態となると、私も共に償うつもりです」
償い。
ヘーゼルナッツ博士にはその責はないように思うが、黒い手袋を嵌めるその様子を見るに、彼は本気らしい。
まずは目の前に迫っている魔獣の危機を止めること、それがヘーゼルナッツ博士の責任の果たし方らしかった。
「魔獣の存在が確定しましたね。イレイザー先生、あなたは私と共に来てください。死ぬかもしれませんが、あなたの力は必要です。お礼は、来世があればそこで果たします」
「へいへい。お礼なんて結構。俺ははじめから魔獣とやりあうつもりだ」
シルクハットを抑えて、深々と被りなおす。神の名に怯えていたのに、口元は好戦的な笑みを浮かべている。
なんだよ、格好良いなぁ。
「我々で……魔獣を討つ。ウィルバート隊長、ハチ君、魔獣がいることが確実となりました。調査はここまで。君たちは村人と共に避難を。あなたたちが死ぬ必要はない。急ぎこの場を去るように」
馬から飛び降りて、ウィルバート隊長がヘーゼルナッツ博士の前に立つ。
強い眼差しで見つめられて、博士が少し戸惑う。
「悪いが、俺もここを死に場所と定めている。父は魔獣戦を戦った英雄だ。俺も英雄として死なせて欲しい」
あんた生きて帰るって言ってたやん。
テミアさん、あんたのこと待ってんですけど。
「……よろしい。あなたの命、私が預かります。ではハチ君だけ、避難を」
はーい!
と気持ちの良い返事をしたい。
けれど、そうは問屋が卸さないんだよな。
だって、マグ・ノワールの秘密を聞いちゃったから。まさか、あの恐ろしい魔力を生み出していたのが人間だったとは。
俺は日ごろからせこいことばかりを考えている。
自分だけ得しようとみみっちいことを考え、自分だけ安全に生き延びようとする。
俺のそんな小物染みた感情がマグ・ノワールを生み出していないと、誰が保証できようか? 博士の話にはそんなこと言及していなかったけど、少量すぎて言及しなかっただけかも。
俺は自分の尻くらい自分で拭きたい。自分のお尻を精霊様にも、幼気な姉妹に拭かせる気も無い。流石に恥ずかしいからね。
なんとなく、自分の運命が分かって来た。
いつも望んでいないのに、俺は大きな事件に巻き込まれてしまう。間違いなく俺は小物だ。なのに、いつだって大きな事件に。
俺は定食に必ずいる漬物みたいなポジションの運命らしい。望まれていないが、いないとなんかちょい……なんか足りなくね? となるような存在。
はー、漬物がいなくちゃ定食じゃないよな。
それに。
「妹ちゃんには借りがあるんです。俺は飯と金を貰った恩だけは絶対に忘れないと決めているんです。ハチ・ワレンジャール。お供します。我がワレンジャール家には天才の姉上たちがいます。小物が一人死んでも大した被害ではありません。よって、4人で魔獣討伐に向かいます」
「ふふっ。違いねえ」
イレイザー先生が笑っていた。違いねえ、とはどの部分のことか。恩は返さないといけない、の部分? それとも小物が一人死んでも大した被害ではない、の部分? 後者の場合、生き残ったらあんたを消す必要が出て来る。
「イレイザー先生、ウィルバート隊長、ハチ君、感謝します。今回の情報で魔獣問題の解決に一歩近づいた気がしたが……まあ良いでしょう。根本的な解決は後輩たちに託しまます。この魔獣を止めて多くの人が救われるなら安い代償だ。命を懸ける理由は、それだけで十分」
ヘーゼルナッツ博士の格好良すぎる言葉が、やけに耳に残った。