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小物貴族が性に合うようです  作者: スパ郎


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101/124

101話 非国民馬券

 ハンティングゲーム前日、夜でも昼でもないような、灰色に滲んだ空の色の下。

 どんよりした日にはただでさえ寮には居たくないのに、俺は今一年生全員を敵に回しているため余計に一ヶ所には居られない。


 授業後、中央中庭にて草をむしっていた。よいしょっ。よいしょっ。こういう単純作業は心が落ち着く。草むしり検定を持っていてよかった。


 そんな折、グラン学長が作った天文塔と尖塔の間にある『結界中庭』に生徒たちがどっと押し寄せる。結界が貼られた神聖な場所。


 一年生たちもいれば、上級生たちもいる。中には教師の姿まで。


 何事!? 草むしってる場合じゃね!! 俺もすぐに飛んで行った。


 群衆に囲まれて中に佇む二人。対峙するようにその場に立っていたのは、見るからに陰気な雰囲気の老人だった。片眼だけレンズをかけた、鳥の骨みたいに細い手に、黒い杖。噂のディゴールだ。特任教師で外務大臣の職を兼任している生ける伝説。


 直接、この目で見るのは初めてだった。

 学園に来て以来やりたい放題。あらゆるルールを増やして生徒にも教師にも超不人気。おまけに、俺たち一年には退学不可避の選抜試験を押し付けた男。


 俺以上の嫌われ者がいるとしたら、このディゴールだけだろう。


 もう一方には、カイネル先生がいた。 


 いつものぽやっとした笑顔も、動物に鼻をこすりつけるような優しげな空気も、そこにはなかった。代わりにいたのは、魔力量で風をねじ伏せるような、獣の王みたいな気配をまとった男。


 えっ、誰……? 

 いや、カイネル先生なんだけど。なんだけど、こんな雰囲気、初めて見た。


 周りに集まった生徒たちは、もう完全に観客モードだった。黄色い声援、口笛、拍手──全部、カイネル先生へと向けられていた。


「カイネル先生、がんばってぇー!」

「ディゴールを潰せ!」

「追い出してくれ、そんなやつ!」

「カイネルさーん! あなたの使い魔にされたいでーす!」


 ……最後の何!?

 やはりモテるのか、カイネルはモテ男なのか!?


 場の空気に充てられて、俺の胸もじわじわと高鳴っていく。


 結界中庭はグラン学長が作った場所だ。ここに二人が対峙するってことは、つまりは決闘が始まる!


 この学園では決闘制度がある。使用する場所はこの結界中庭か、バトルコート。バトルコートは明日のハンティングゲームで押さえているため、今日は決闘専用のこちららしい。


 事前にルールを取り決め、勝った者は総取り、負けた者は全てを失う非情なルール。俺も一度決闘を挑まれたことがあったが、決闘に行かないという最強の手法を使用してスルーしている。


 けれど、この場にいる二人はやる気だ。どちらも引く気はない。


 カイネル先生には恩義もあるため、どうして決闘しているのか、そして勝ったとき、いいや、負けた時に何を失うのかがとても気になった。


 気になってい内容はすぐに判明した。

 ビラを配る上級生。


 そこにはカイネル先生対ディゴール、その決闘の報酬が記載されていた。


『負けた者は学園を去る』


 報酬なんてなかった。

 ただただ、どちらかが損するだけの戦い。


 ……うそっ。


 流石にこれを見て、もう他人事ではいられない。

 カイネル先生が負ければ……退学?


 ハンティングゲームで誰も退学者を出さないつもりでいたのに、なんでカイネル先生が事前にこんなリスクを!?


 ああっ、そうか。

 ディゴールを追い出せれば、試験は自然と中止。最高責任者がグラン学長の座に戻れば全て収まるからだ。


 ……カイネル先生、あんたやっぱり漢だよ!!


 けれど、こんなのないよ。一言くらい相談してよ。


「ダメだ! カイネル先生! ディゴールに関する知識を知っている。あの爺さんはグラン学長と肩を並べる程の伝説だ! 戦っちゃだめだ!」


 コネで外務大臣に登り詰めた訳じゃない。あの男は実力で今の立場にいる。そして、多くの逸話も噓か誠か俺の耳にも入っていた。


『城一つを一人で落とした』

『百人の尋問を十秒で終わらせた』

『戦場で一人だけ血を流さず帰って来た』


 など、やばそうなエピソードがここ数日でちらほらと聞こえて来る。……まっ、最後のは俺でも出来るけどね。敵前逃亡!


 けれど、この逸話が真実なら、絶対に戦っちゃダメな相手だ。

 少なくとも、“勝つ必要”がある戦いを挑んでは!


 その声に、カイネル先生が振り向く。

 ──にっこり。

 いつもの、あの、目じりに皺が寄った優しい笑顔。

 なんなら口角ちょっと上がってて、微笑みに余裕あるやつ。


「おう、ハチ。安心しろ。お前、何か企んでるんだろ? 大丈夫だ。もう、背負うな。こういうのは俺の仕事だ。試験は俺が中止にして見せる」


 俺が何かを計画しているのは知っているらしい。けれど、具体的には知らない。

 そんなの関係無しに、カイネル先生は代わりに全部背負う気なのだ。放っておいてもこの人には全く損が無いというのに。


 ありがとう、カイネル先生。あんた本当に、モテ男なんだね。

 ……見捨てられないよ。こんな格好良い人、俺、見捨てられないよ!


 でも、決闘を止める手立てなんて急には思い浮かばない。

 どうしようかと真剣に悩んでいると、ディゴールと目があった。


 ディゴールが、俺を見ていた。不気味な笑顔で、ただジッとこちらを伺う。

 何を考えている。

 あの人の本当のターゲットは俺のはず。

 なのに、カイネル先生に背負わせる訳には――


 突如、天地が息を呑んだみたいに、全体が静かになったかと思ったその時。


 ズンッ!


 一歩、二歩、三歩、それぞれ違う方向から、巨大な影と共に獣が現れた。五種。


 数百羽の鳥が空に舞い、目のような紋様のある蛇が地を這い、金属のように硬そうな毛並みをした狼が歯を鳴らし、狐のような見た目だが複数の尾を持った生物が鋭く吠え、最後に巨躯の熊のような存在がドスンと中庭を揺らした。


「……っうおおおおおお!? カイネル先生、本気だぞ!」


 誰かの歓声が聞こえるや否や、皆の応援がヒートアップする。

 そういえば、カイネル先生は獣を操る能力。


 事前にきびだんごを食べさせて、餌付けする桃太郎先生なのだ。

 索敵用の鳥しか戦いで見たことなかったが、5種類揃った今の姿は……神々しい。


 え? ちょっと待って? これ、勝てるんじゃ?

 俺が心配すべきなのって、もしやあの枯れ枝のようなディゴールだったり?


 いける。これは……いけるかも!


 希望が、俺の胸にぶわーって膨れ上がった。

 いつもの先生とは違う、“獣の王”なカイネル。

 その背に控える、五種の怪物。

 そして……こっちは観客席からの声援ボーナスあり!


 カイネル先生、万全を期す。これは勝ったやろ……!

 手を握りしめ、心の中でガッツポーズ。


 そんな俺の内心を打ち砕くように、ディゴールは、ただ黙って立っていた。

 微動だにしない。表情も変わらない。

 あれだけの獣が一斉に現れたのに、目を細めることすらしなかった。


 俺の中の勝利フラグが、ぐらりと揺れる。

 カイネル先生が強いのはわかってる。けれど、ディゴールの微動だにしない様子を見て、また心が揺らぎ始めた。


「あいあーい、みんな賭けも受け付けてるよー。そろそろ締め切るから、早めにねー」


 ……人の気も知らないで。

 俺はカイネル先生と仲が良いから遊んでいる場合じゃないが、賭けを請け負う先輩からしたらただの儲けるチャンスだ。みんなほんと賭け事好きね。まあ俺も好きなんだけど。


 実際、カイネル先生を応援している生徒ばかりだが、真剣に応援しようとしている勢力は半分くらいだろう。


 俺も止める方法が思い浮かばないので、一応賭けはしておく。

 真面目に応援はするが、金はまた別問題。小物は稼げるときに稼いでおかないと。


『カイネル1・3倍 ディゴール3.5倍』


 ここはカイネル先生を応援している生徒ばかりだ。俺も当然、カイネル先生を応援するため、カイネル先生側に賭ける予定でいた。……予定ではね。


 ちょっと待て。3.5倍?

 一万バル賭けると、三万五千バル?


 ちょいちょいちょい。

 え? ディゴール側、美味しくね?


 レジェンドだよ? この国のレジェンド。

 グラン学長と同級生で、俺が見て来た記憶では、あのグラン学長と肩を並べている感じだったよ?


 しかも外務大臣。今は臨時の学園最高責任者。聞こえて来る逸話は、どれも規格外のものばかり。生ける伝説ディゴールが3.5倍?


 ちょっと待ってよー。これは苦しい!

 本当に苦しい。


 思い出されるは、あの競馬の祭典での出来事。


 灼熱の夏を超え、秋の気配がパリを包む頃。

 ロンシャン競馬場には、威信と誇りを賭けた名馬たちが集う。

 貴族文化の粋を継ぐ、美と伝統の競演。

 世界が憧れる、競馬の舞踏会、フランス凱旋門賞。


 日本のホースマンも、この凱旋門賞を勝ち取ろうと毎年のように名馬を送り込むのだが、その高い壁に阻まれている。

 実力が無いわけじゃない。


 はるばる西欧の地まで移動し、全く違う芝の元走らされては名馬たちでも実力を発揮しきれないのだ。

 そんな苦い歴史が続いている凱旋門賞への挑戦。


 そんな中、前世の俺は馬券だけでも応援しようと、毎度応援馬券を買っていた。

 けれど、ある年オッズを見てみるとどうだろう。


 圧倒的ホームの現地有名馬。実力も適正もあるのに、日本のホースマンたちの熱が高すぎて、本来大本命である馬たちの倍率がとんでもなく高くなっていることがある。


 日本の名馬 2倍

 ホームの海外馬 6倍


 ……っ!!

 それを見て心が揺れる。


 倍率の低い日本馬を、応援の意味も込めて馬券を買うか。

 それとも、利を取って大本命の外国馬を買うか……。


 通称、非国民馬券!


 俺はふと、その非国民馬券のことを思い出していた。

 あの時、俺は結局非国民馬券を買ったんだっけ? それとも応援馬券を?


 ……よく覚えていないや。


 けれど、今度はカイネル先生側へと賭けておいた。

 頼むカイネル先生! 非学園馬券なんて買えるか!


 俺はあんたが好きだ。

 あんたのその教師としての愛情、男気、そして実力も。全部好きなんだ。

 俺の一万バルのために、絶対に勝ってくれ!!


 鐘の音が鳴った。

 これは決闘見届け人による開戦の合図。戦いは唐突に始まった。


「行け」

 カイネル先生のその一声とともに、大地が鳴った。

 風を切る羽音。牙をむく咆哮。操る魔力が四方八方に膨れ上がり─


 五獣が、一斉に駆けた。

 鳥が先導し、狐が疾風のように飛び、熊がドスドスと地面を砕きながら突進する。

 まるで狩りだ。完璧な連携。猛獣たちが、一人の男に襲いかかった。


「行けっ、イケイケイケイケ!」

 競馬場の最終直線みたいな応援が出てしまった。


 距離を詰めた獣たちが一斉に、ガブッ!!

 熊と蛇が、同時にディゴールを挟み込んだ。

 牙が食い込み、布が裂ける音。手応えのある衝撃。

 あの陰気ジジイ、やられた!


 あの細い体で耐えられるはずがない。


 けれど、獣たちが一瞬の硬直を見せる。

 その合間に、ディゴールの姿が消えた。


 は? 何、今の?


 中庭には、獣たちの唸り声と、引き裂かれた布だけが残っていた。

 ディゴールの体は、どこにもなかった。

 どこへ?


 俺だけじゃない。カイネル先生も、他の観客も全員ディゴールを見失っていた。


 その時だった。

 どこからともなく、声が響いた。

「良い使い手だ。動きに、迷いがない」

 低く、ねっとりとした声。冷たい水が耳の奥に流れ込むような感覚。


 誰もしゃべっていない。けど、聞こえた。俺の耳にも。カイネル先生にも。


「ふぇっふぇふぇ。こっちの“影”も見て行きなさい」

 風もないのに、背中を冷たいものが這った。

 何かが下の方で揺れた気がした。


 ズバッと音がしたかと思うと、斬撃が地面から現れる。


 獣の一体、蛇が悲鳴を上げうねり、尾を引いて後退した。


 地面!?


 そう。地面から斬撃が出てきたように見えた。

 突如音がして、蛇が斬られた。


 もしもあの斬撃がカイネル先生を狙っていたら、果たしてかわせていただろうか……。


「目を、鼻を借りるぞ!」


 切迫したカイネル先生の声。

 狼の目が赤く光る。あれは、カイネル先生リンク状態だ。


 先生は使い魔を育て操り、そしてその能力を、意識を通して借りることが出来る。

 目に見えないなら、鼻に頼ろうという訳だ。


 それぞれの獣が鼻を鳴らし、匂いを嗅ぎ、耳を立てる。


 何体とリンクしているのかはわらない。空飛ぶ鳥たちの目も借りているかもしれない。

 五体の獣が一斉に地面に鼻を近づける。風を読むように、空気を嗅ぎ、結界の中の微細な“におい”を探る。

 先生の目が、獣と同じ動きで動いていた。まるで、自分の五感を獣に分散してるみたいだった。


 でも……。


「いない」


 先生の眉がわずかに寄った。

 熊が唸り、鳥が旋回をやめた。

 狐が一歩、後ろに退いた。

 それが、何よりの答えだった。


「匂いの痕跡が消えている」

 カイネル先生がぽつりと呟いた。


 見えない。

 音もない。

 匂いもない。

 それでも、先ほどの斬撃で蛇がやれらた。

 ディゴールは、結界中庭のどこかにいる。

 いるはずなのに、いない。


 またズバッ! と空気が切れる音。

 その瞬間、狐の足が弾かれた。鳴き声も上げられず、地面を転がる。

 次に蛇が、首を跳ねられ吹き飛んだ。


 何もいない空間で、獣たちが斬られていく。

 攻撃の軌道すらわからない。ただ、“何か”が通った痕跡だけがある。

 地面が裂け、風が唸り、血が弧を描いて飛ぶ。

 カイネル先生はその中に立ったまま、眉ひとつ動かさない。


 獣が三体、四体とやられていく中──

 カンッ!! 

 金属がぶつかる高い音が鳴った。

 一瞬遅れて、俺の目はそれをとらえた。

 熊だ。

 あの巨体の熊の獣が、何かの刃に噛みついていた。


 ナイフのような、刃のような何かが、熊の牙の間でギリギリと音を立てていた。

 そこにあるはずのない、刃。俺たちのいる場所からは良く見えない。

 けれど確かに、あの熊は感触を得ていた。

 カイネル先生が、静かに言う。


「……影が、武器を通すための通路になってるみたいだ」


 影?

 そういえば、先ほどから確かに何かが動いている気がした。

 俺が記憶の図書館で見て来た若き日のディゴール。


 記憶から放り出される間際、闇のように巨大な影が覆いかぶさってきた。

 影。影か!


 ディゴールのスキルは魔力を影に変えるスキル!


 しかし、それでは説明のつかない部分もある、次元のスキルな気がする。


「おそらく斬撃は、武器の光の反射を影で奪い、不可視にさせている。しかし……」


 カイネル先生の予想は当たっている気がする。

 それでも、本人も疑問に思っているだろう。


 本体はどこだ? と。


 なぜディゴールが見えない。

 影のスキルだと?


 この感じ、前に味わった。

 そう、ロガン先生との戦いだ。


 あの人は室内で視界を奪い、独りだけ嗅覚で俺の位置を特定して戦っていた。


 かならずトリックがある。攻撃が来るのなら、ディゴールはいる。

 影がやつのスキルなら、そこにヒントがある。


 けれど、影なんて……。


 それで俺はふと空を見上げた。

 曇天。


 灰色だった。まるで、黒と白の絵具を水で溶いたみたいな空。

 雲が低く垂れこめて、太陽の場所すらわからない。

 ……そういえば、曇りの日って……影、どうなってたっけ?

 思考がふと、そこに落ちた。


 五獣が次々に倒され、先生も動かず、何かが見えないまま起きている。

 そんな時、頭の奥に引っかかる。


 晴れの日なら、くっきり見える影。足元の影とか、棒の影とか。けど今日は……。地面に視線を落とす。

 見えづらい。けれど、目を凝らすと、あった。

 確かに、地面には僅かにうっすらと、獣たちや先生の影が染みのように存在している。


 ――誰かの影だけ、揺れた。

 動いてないのに、風もないのに、ひとつの影だけ、手を動かした


 気のせいかと目をこすった。でも、確かに指先が蠢いた。

 いや、それどころか、地面の影が、何かを掴もうとするように動いた。


 見えない敵が、そこにいる。

 いや、違う。

 そこにしか、いない。


「カイネル先生! 目を凝らして影を見て! 見えづらいけど、動いている影がある! それがディゴール本体だ!」


 影のスキル。でもまさか、攻撃が本人ではなく、影を操っていたとは。

 スキルってそこまで可能なのか? とふと疑問が湧いた。

 けれど、間違いなく今影は意志を持って動いている。


 俺の声が届いた。

 先生が振り向く。目が、鋭く細められる。

 その視線の先、俺が指差した動く影。そこに、五獣が一斉に飛びかかった。

 ギャッ! という鳥の警告音とともに、蛇が影に巻きつき、狐が飛びかかり、熊がその場を踏み砕くように叩きつけた。

 次の瞬間。


「捕らえた」


 カイネル先生が静かに言って、右手を振った。

 ドォンッ!!

 狐が、爆ぜた。

 魔力が集中した一点に叩き込まれた、獣の一撃と先生の素早い判断。

 影が引き裂かれたようにゆがんだその瞬間、赤いものが飛び散る。


 血だ。恐らくディゴールの。


 多くはない。けれど、薄い曇天の結界中庭に、ようやく確かな手ごたえ。

 希望が、ぶわっと胸に上った。

 あの見えない敵を、ついに捕らえた。攻略の糸口が!


 けれど、また消えた。

 影が分からない。見えない。


 それもそうだ。先程は動いたからわかった。

 けれど、目を凝らしても薄い影は沢山ある。


 観客の影に紛れ込めば、まったくどれがディゴールのものかは分からない。


「ひょっひょひょ。痛いねー。右腕を痛めちまったよ。昔グランと喧嘩した時以来の大けがだ。見事だ、小さき観察者よ」


 ぞくり、と全身に悪寒が走る。

 まただ。傍で直接耳に語り掛けてくるような声。

 どこにいる!?


「まさか使い魔が爆発するとはねぇ。ひょっひょっ、意外と非情な男だ、カイネルよ」

「あんたを見くびったことは無い。伝説が相手だ。こちらも犠牲は覚悟の上で挑まなければ勝ち目がないことは知っている」


 ディゴールはカイネル先生の覚悟を見くびっていた。

 だから大怪我を負ってしまった。


 けれど、その口調に焦りはない。

 怪我も、秘密を見破られた状況も、自分にとっては別にピンチでも何でもないと言わんばかりに。


「敬意を持って挑んでくれていたのかい。ならば、こちらも敬意を表さないと。孫くらいの齢の子には悪いが、ここで散ってくれ給え」

「だれが孫だ」


 ディゴールみたいな爺ちゃんは嫌だよね。

 ……カイネル先生みたいな孫も嫌だけど。

 どっちもどっち!


 ハチみたいな孫はどうですか?

 お年玉もお小遣いも貰いますけど、肩とか揉みまっせ。


「攻略への第一歩だ。あんたは影から攻撃するらしい」


 先生が低くつぶやいて、地面を睨んだ。

 たしかに、攻撃の全部は下からだった。

 影が蠢いて、足元から斬りつけてきた。

 先生の目は、獣たちと同じように地を這っていた。見逃すまいと、集中している。


 けれど、ヒュッ。


 風を裂く、小さな音が聞こえた。


「正面だ!」

 音は先生の正面方向から聞こえた。


 カイネル先生もギリギリ感じた。

 身をひねって躱すと同時に、ザクリ。


 音とともに、カイネル先生の右腿に何かが突き刺さった。

 血がにじむ。けれど何も刺さっていない。


 また見えない武器かと思って腿辺りを探るが、何もない。


 ……今度は本当に何もなかった。


 獣たちが吠えた。鳥が急旋回し、熊が前に出て構える。


 そして、また来る。

 キィィィィン……!

 今度は耳をつんざくような音。空気の裂け目。

 音だけは、わかる。何かが、また飛んでくる!

 カイネル先生がもう一度、跳ねるように回避。


 けれど、腕に浅く斬撃が走った。

 すぐに確かめる動作をするが、やはり何も刺さっていない。


 先生の表情がわずかに歪んだ。けれど、怯みはない。


「躱しているはずだ……なのになぜか当たっている」


 分析するような呟き。先生の体感では躱しているらしい。音で攻撃の方向もわかっている。遠距離から投げられた武器。武器はおそらく影で光を閉じ込めて見えなくしている。けれども、なぜ斬られた後に武器が残っていない?


 先ほど反撃に成功したときは、熊がナイフをがっちりと噛んでいた。確かに武器はあるはずなんだ。


 どういうトリックだ。


 カイネル先生を信じれば、躱しているはず。

 それを前提に考えるとしたら、どうなる?


 ヒュッ。


 また音がした。

 カイネル先生を見ていても答えは出ない。

 全体をぼんやりと眺めるように観察した。五感を全部使え。


 ドスッ。

 地面に刺さった音だ。やはり武器は飛んできている。


 そして、次の瞬間。

「……っく!」

 カイネル先生の左肩が、ぱっと裂けた。

 まただ。避けたのに、当たってる。

 目には見えなかった。空中にも何もなかった。


 けど、俺は見た。

 見えない武器の行き着く先に、地面の影があった。


 影はカイネル先生のもの。刺さった場所は、立った今切り裂かれた肩の部分。

 同じ、位置。同じ、威力。


 地面に刺さった“影”が、本体に反映されてる。


「先生っ!!」

 俺は声を張った。

「地面っ! 地面の影と連動してる! そこに刺さったとこが、先生の体に来てる!!」


 カイネル先生が、はっと目を見開く。


「なるほどな……。一体どういうスキルだこりゃ。けれど、こちらもタダでやられていたわけじゃない。出てきやがれ、爺」


 円を作る生徒たちの背後にあった大木が、突如爆発した。カイネル先生の攻撃。

 一部生徒は爆風に巻き込まれたが、怪我するには至っていない。


 けれど、その中からゴホゴホと煙を吐き出しながら、炙り出される人物が一人。


「ごっほ! ……ひょっひょひょ、バレましたか。やれやれ、強引なやり方で」


 生徒たちが道を開ける。五獣がようやく姿を現したディゴールへと突進していく。

 けれど、ディゴールに到着する直前、獣たちの動きが止まった。


 一斉に襲い掛かっていた獣たちが振り返る。


「おやおや。主が倒れたらもうそこで終わりかい? 負けた時、相打ちに持って行けるように、ちゃんと決めごとをしておきなさい。カイネル、君の課題だよ……って聞いてないか」

 不気味な笑い方をしながら、腕を庇う仕草をするディゴール。

 爆発で怪我を負った箇所だ。


 カイネル先生は、なぜ攻撃を止めた!?

 見てみると、先生は前向きに倒れ込んでいた。


 意識がない。


「勝者、ディゴール。決闘の取り決めにより、カイネル……を退学とする」


 は?

 なんで。

 まだやれてたはずだ。そんな訳ない!


 駆け寄って、仰向けにする。

 ……息はしている。死んではいない!


「ひょっひょひょ、殺しちゃいないさ。未来のある男だもの」

 近づいて来るディゴールを睨みつけた。


「……怖いねぇ。私みたいな卑怯な人間が、武器に毒を仕込まないはずがないだろう? 麻痺毒だから命に別状はないよ。尖塔に連れて行って、治療しておやり」


 俺は、軽く泣いてしまった。

 こうなる可能性があることはわかっていたけど、実際にカイネル先生が負けると、とても悲しくなった。


「そしてお見事だよ、ワレンジャールの坊や。良く見えてるじゃない」


 黒衣のように影をまとうその男は、もう戦意はなかった。

 ただ、妙に静かで、妙に穏やかで、それが逆に、ぞっとした。


「選ぶ者が変われば、世界も変わる。君が、変えるのかね……“この結末”を。それとも変わらないのか。明日の試験で、また会おう」


 ディゴールはそう言い残し、影の中へと沈んだ。

 まるで最初から、そこにいなかったように。

 俺は、しばらくその場から動けなかった。


「カイネル先生……退学なんて……マダムに捨てられちゃいますよ!」

 給料無しの男なんて、いくらモテ男のあんたでも流石に捨てられますよ!

 うおおおおお。


 俺たちは選抜試験前に、ディゴールの圧倒的な実力を見せられたのだった。


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― 新着の感想 ―
前世ではめちゃくちゃ節約していたようでしたが競馬はしていたんですか?
カイネェエエエエル!!! ニックンはどうなってしまうんだ……
カイネル先生~(TДT) 惜しい人を無くしました(TДT) ↑死んではいない(笑)
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