33.同じ屋根の下
中芋さんの車から降り、マンションの部屋に入るなり、大豆さんの怒りが爆発した。
車の中でも全く喋らなかったので、怒っているのだろうとは思ったが、僕も何と話しかけていいのかわからなかった。
「タマちゃん!!いったいどこからどこまで聞いていたの!?」
「あ、いえ、あの、全然聞いていたわけじゃなくて、あの、僕も聞こえちゃっただけで。あの、そんなはっきりとは何も・・・」
「聞こえちゃったじゃないわよ!あの、その、・・・私の、あの声とか聞いてたの!?」
「あ、あの声とは?」
「あの声は、その・・・そんなこと言わせないの!じゃ、じゃあ、私がその、・・・しょ、しょ、しょじょ・・・」
途中まで言って大豆さんは黙りこみ、じろっと僕の方を恨めしそうに睨んでいる。僕も正直に言った方がいいのか悩んでいた。とはいえ言ったら怒られそうな気がする。仕方なくよくわからないふりで、困った顔だけしている。実際、どうすれば良いのだろう?どう言っても怒られることは避けられない気がする。
「もう、いいわ!」
大豆さんは踵をかえすと、大きな音をさせてドアを力強くしめて、自分の部屋に行ってしまった。
思えば大豆さんがこんなに怒るのは初めてのことだ。今までなんだかんだで僕たちは一度も喧嘩をしたことがなかった。そんなことにいまさら気づいてしまった。
大豆さんが部屋に籠ると家の中は、1人で暮らしていた時と変わらず静かだ。何もない。誰の声もしない。
つい最近までこんなふうにずっと暮らしていたことがなんだか信じられない。家の中がこんなに寂しく感じるなんて、わからなかった。
僕は冷蔵庫にあるありあわせのもので、簡単な煮物と、煮物には合わないと思いつつ、それしかなかったのでパスタを作った。
夕食は辛うじて一緒に食べたけれど、大豆さんはまだ怒っているようで、ほとんど会話らしい会話はなかった。これじゃいけない、と思いながらどうしていいのかわからず、部屋にはただ食器の音だけが空虚にに響き渡っていた。
大豆さんは珍しく煮物もパスタも少し残して、すぐに部屋に戻ってしまった。
僕はキッチンの後片付けをしながら、残った煮物とパスタを見つめ、悲しみが込み上げてきた。その組み合わせはなんだかすごくアンバランスで、今の僕と大豆さんのようだった。
早めに部屋のベッドに横になった。
何もかも忘れて眠りたい気もしたけれど、頭の中がずっとモヤモヤして眠ることはできなそうだ。
明日、試合なんだよな・・・。
今日は何ひとつ対策を打ち合わせることさえ出来なかった。いつもふたりで一歩でも勝利に近づくための方法を考えてきたのに。
大豆さんは勝てるだろうか・・・。もし、負けてしまったら・・・。
何度も何度も想像しないようにしているのに、想像してしまう。明日の試合で大豆さんは死んでしまうかもしれない。仮に死ななくても大きな身体の欠損をしてしまうかもしれない。2試合で見た弐型X號の対戦相手は無事だったのだろうか?そんなふうには見えない。
大豆さんの笑顔が胸に浮かぶ。自信満々の大豆さん、寝ぼけた顔の大豆さん、ごはんを食べる大豆さん、大豆さんに今の僕は何をしてあげられるだろう
大豆さん、大豆さん、大豆さん、
胸の中で何度も話しかけてみる。
僕はベッドの上に座り、暗い天井に眼をやる。
まだ、大豆さんはここにいる。
同じ屋根の下に大豆さんがいるのに、僕は何をしているんだろう?
考える必要はない。
起き上がり、何も考えず、大豆さんの部屋の前に行く。余計なことを考えても仕方がない。
僕はどうなりたくて、大豆さんをどうしたいのか、そのために何をするのか、それだけだ。
「大豆さん」
部屋の中からは何も返事はない。だけど、きっと大豆さんは聞いてくれている。確信に近い思いが僕にはある。
「大豆さん、・・・少しだけ聞いて欲しいんだ」
部屋は静かなままだけど、何か息をひそめているような空気を感じる。大豆さんは間違いなく聞いてくれている。
「あの、昼間はごめん。声は聞こえてたけど、大豆さんにそれを伝えていいのかわからなくて・・・」
少しだけ中から物音がする。暗闇の中で話を聞いてくれている大豆さんの姿を思い浮かべる。
「大豆さん、・・・大豆さんとこんなふうに終わりたくないんだ。・・・僕は、大豆さんが人権を手にするために、すごく頑張っていたことを知っているし、大豆さんに幸せになってもらいたいと思っている。・・・そうなるためにガールズ・ファイトクラブで優勝することが、とても大変なこともわかっている」
「・・・」
「何が言いたいのか、自分でもうまく言葉にできないけど・・・。僕は、大豆さんに幸せになってもらうために、最後まで、勝つまで、もがきながらでも、一緒に歩きたいんだ。・・・ふたりで一歩でも前に進みたいんだ。・・・同じ場所にふたりで手を伸ばしたい。もし大豆さんの手が届かない場所なら、僕は喜んで踏み台でもなる。・・・だからこんな、こんなの・・・」
「・・・」
「大豆さん、大豆さん・・・、僕は、僕は大豆さんと・・・。一緒に戦って、勝って、・・・大豆さん・・・」
自分でも、何を喋っているのか全く分からない。でも、こんな、こんなふうに明日を迎えたくない。大豆さんと同じ向きで明日を迎えたい。
僕は返事のない部屋の前で、また自分が泣いていることに気づく。
大豆さん、大豆さん、大豆さん・・・
動かない扉の前から離れて、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を手の甲で何度も拭う。僕の声が届いたのかはわからない。ただただ僕は何度も何度も胸の中で大豆さんを呼び続けた。