30.ダイズ・メディカルセンター
ダイズ・メディカルセンターは都心から少し離れた郊外にあり、電車に乗ることも困難な僕たちは、中芋さんに車で送ってもらうこととなった。
車の中から見る景色は、葉物野菜を作っている田畑や、木漏れ日が美しい森が広がっている。鳥のさえずりが聞こえてきそうな牧歌的な雰囲気が漂う町だ。明らかに農業に携わっているおじいさんやおばあさんが通り沿いにたまにいるくらいで人通りはほとんどない。
ダイズ・メディカルセンターはその町の中で特殊な違和感を放っていた。のどかな交差点を曲がると急にこの町に似つかわしくない大通りがあり、その後ろに近代的で無機質なビル群が建っている。かなり広いその一角全てが、ダイズ・メディカルセンターのようだ。
中芋さんの車は、一番高いビルの前に横付けされた。中芋さんも、大豆さんも何回も来たことがあるようだ。
「じゃあ、頑張ってきてな。俺は夕方また迎えに来るよ。Dr.アズキによろしく」
そそくさと中芋さんが帰ってしまうと、僕たちはとりあえず、巨大なビルの裏手にある従業員用らしい入り口から入り、第1研究室に向かった。
建屋の中は複雑な作りになっていて、僕は大豆さんがいなければ100%迷子になってしまいそうだ。
「Dr.アズキさんは、どんな方なんですか?」
研究室に向かうガラス張りのエレベーターの中からは、ビルの外の景色がよく見えた。田畑と森以外、何もない平野が広大に広がっていて、世界と隔離されているような気がしてしまう。
僕の質問に大豆さんは少し言い淀んでいるようだ。珍しく一度は視線をそらして、そのあとまたしっかりと僕を見据えはっきりと言った。
「Dr.アズキは私を作った人よ。彼女が15歳のときに私は培養され、製造されたらしいわ。私のことを私以上に知っている人物ね。ダイズ・コーポレーションの会長の娘で、会長の暗殺を防げなかった私のことをよく思っていないわ。当時私は会長の警備を担当していたにもかかわらず、守れなかったことは事実だから恨まれても仕方ないわね・・・」
僕は思いがけず、大豆さんの過去について知らされ、動揺した。言い淀むようなことを、深く考えずに聞いてしまった自分の浅はかさを悔やんだし、一方で大豆さんが正直に答えてくれたことを、嬉しくも思った。
エレベーターが開くと、白い壁と天井、グレーの絨毯が敷かれた廊下があり、目の前にある扉に“アズキ第1研究室”と書かれた看板が取り付けられている。ここが目的地のようだ。
大豆さんが扉をノックする。
「レイアちゃんね、入って!」
鋭い声が中から聞こえ、大豆さんが扉を開ける。僕も恐る恐る後ろにくっついて部屋の中に入っていく。
部屋はモダンなインテリアで飾られ、中央に大きく高価そうなガラステーブルが置かれ、本革と思われる同じく高価そうな来客用のソファがその周りに配置されている。それらの応接セットの奥に扉が見え、きっとそこから先が本当の研究室なのだろう。
Dr.アズキは明るい茶色のショートカットの髪と、同じ色であわせた眼鏡が特徴的な女性だった。計算すると34、5歳のはずだが、かなり若く見える。応接ソファに身体を沈め足を組んだその身体は、白衣に包まれているがかなり小柄なようだ。パッと見は子供のような印象を受けてしまう。
「Dr.アズキ、中芋さんから聞いているかと思いますが、お願いがあって伺いました」
「ふーん、レイアちゃんはお願いがあるときは立ったままするんだっけ?そういう礼儀知らずなお願いはちょっと聞けないかもなー」
子供のようなかわいらしい見た目だが、性格はかなりキツそうだ。
大豆さんは唇をグッと噛み締め、床にしゃがみこんだ。僕もその横であわせてしゃがみこみ、並んで頭を下げた。いわゆる土下座という日本の伝統的なお願い方法だ。
「お願い致します。私もこちらの小麦さんも弐型Q號との試合でかなりの怪我を負っています。明日の大会で弐型X號と戦えるようDr.アズキの治療を受けさせてください」
「ふーん、まあ、いいわよ。いくつか条件があるけどね」
「あ、ありがとうございます!」
「まだ、条件を伝えていないわよ。はい、これにサインしてもらえる?」
床に座っている僕たちの前に、Dr.アズキがそれぞれ一枚の紙をサラリと置いていく。立ち上がらせたり、椅子に座らせる気はないようだ。
[奴隷☆契約書]
今どきヤクザの世界でも見かけない紙が目の前に置かれ、僕は思わず大豆さんのほうを見てしまう。
これはいくらなんでもありえない。中身を見てみると「絶対に服従する」だとか「一切の反論をしないこと」など、おおよそ近年見たことがない、重大なコンプライアンス違反の内容が羅列されている。
大豆さんもまさかこんな契約には同意しないだろう。僕の目を見てしっかりとうなずいてくれている。
「・・・わかりました。よろしくお願いします!」
「ちょ、ちょっと、ちょっと、大豆さん!!違いますよ!!!」
大豆さんのまさかの回答に僕は盛大に転びそうになった。ホントにこの人はちゃんと中身を呼んだのかな
「・・・え?」
大豆さんがきょとんとした顔をしているので、全く読んでいないことは即座に理解できた。考えてみれば砂糖を1袋カレーにに入れてしまうような雑な人なのだ。こういうことは明らかに苦手そうだ。
「ど、どう見てもこれやばい契約ですよ!こんなの受けちゃダメですよ!!」
僕たちのやり取りを聞いていたDr.アズキは、明らかに気分を損ねた顔で舌打ちを一回すると、すたすたと僕の前にやってきた。正座をした状態の僕の前に立ち、眉間にしわを寄せ僕を見下ろしている。
「ねえ、レイアちゃん、まさかこのスットコドッコイがパートナーなの?アズキちゃんの役に立ちたくないなんてずいぶんむかつくわね」
Dr.アズキは僕の髪の毛をわしづかみにすると、自分の顔のそばまでぐいっと持ってくる。やっていることは昔のドラマに出てくるチンピラのようだ。本当にこの人がすごいドクターなのだろうか・・。
「で、でも、ど、奴隷なんて・・・そんなできませんよ。僕はともかく大豆さんは人権をとったとたんに奴隷なんて・・・」
「ん・・・?ドレイ?」
Dr.アズキは急に何かを思い出したように上を見上げたかと思うと、僕たちの前に置いた奴隷☆契約書を見返している。
しばらく契約書を見た後、唇に指をあてると、こちらを振り返り満面の笑みを浮かべる。
「ごめん、契約書間違えちった。趣味のほうの奴をおいちゃったわ。こっちが本物。契約するなら治療してあげる。契約しないなら2分以内に帰って。アズキちゃんは優しいから意思決定には3分あげるわ。二人で仲良く話し合って決めてね」
契約書には「雇用☆契約書」と書いてあった。☆は必ずあるらしい。
読んでいただきありがとうございます。物語は半分以上過ぎています。毎日1、2回更新予定です。
少しでも面白いと感じていただけた際は、ぜひブックマーク、評価をお願いいたします。
あなたがぽちっ押してくれたことが、たぶんとても大きな励みになります。