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26.大豆さんのキスマーク

 マンションの廊下から見上げると、空には雲がかかり今朝は太陽が見えない。昨日の爽やかな初夏の青空は、すっかり消えてしまった。空全体を薄い雲の膜がどんよりと覆っていて、今にも雨が降り出しそうだ。


「大豆さん、忘れ物、ありませんか?」


「タマちゃんはなんだか、お母さんみたいね。大丈夫よ。持っていくものなんて、ユニフォームぐらいしかないわ」


 心配性の僕はもう一度扉を開けて部屋の中を確認する。電気を消した部屋は、薄暗くひどく所在なげで、寂しくみえる。


 誰も座っていないキッチンのダイニングテーブル。さっきまで大豆さんと僕はここに座って、朝ご飯を食べていた。

 鯖の照り焼き、納豆ご飯、大根と小松菜のお味噌汁、デザートにフルーツヨーグルトまで食べた。大豆さんはいつも通り何一つ残すことなくそれらを平らげ、普段もデザートをつけてくれるといいのに、とぶつぶつ言っていた。


 ほんの少し前のそんな会話が、なんだかずいぶん昔のことのように思えてしまう。気づけば家の中のいたるところで大豆さんと過ごした思い出ができていて、急にそれらが僕の中に湧き上がってきて、感傷的な気持ちにさせてくる。

 

 これから僕たちは会場に移動し、弐型Q號と闘わなければいけない。


 そう大豆さんは、まさに命を賭してこれから戦う。逆に僕は戦うと言っても、大豆さんを介して安全な場所からサポートをするだけだ。自分が前面に出て身体をはるわけではない。そんな自分が嫌になる。

 1回戦の試合、2型A号の姿をも思い出してしまう。彼女はやはり死んだのだろうか。弐型Q號は、まったく人を殺すことをためらっていなかった。当たり前のように殺戮していた。

 ラブ・ロボ社のコントローラーたちも、僕たちを良くは思っていないだろう。殺してやる、と彼らは間違いなく言っていた。


 大豆さんは帰ってこれないかもしれない・・


 考えたくない思いが繰り返し胸の中に湧き出してしまう。何度も何度も箱の中に押し込んだはずなのに、それは何度でも箱からあふれ出てきてしまう。

 

 大豆さんがいない、家の中の暗さが僕の心に闇を呼んでくる。

 大豆さんがいなくなることが、怖くてしょうがない。


 僕は、自分の瞳にうっすらと涙の膜ができていることに気づき、目の端を指でぬぐう。その膜はなぜか拭いても拭いても、同じ分だけ溢れ出てきてしまう。  

 こんな顔を見せるわけにはいかない。慌てて僕は何度も顔をゴシゴシとこすってしまう。


「いつまで部屋を見ているの?もう忘れ物はないでしょう」


 背中越しに大豆さんの声が聞こえる。いつもと同じ独特の張りのある声だ。 


「すみません。すぐに行きます」


 振り返ると目の前に大豆さんが立っていた。僕は大豆さんを見ることができず、顔をそらしながら脇を抜けて玄関に向かおうとする。

 大豆さんの左手が、通り過ぎようとする僕の腕を捕まえる。


「・・・タマちゃん」


 大豆さんの瞳は僕を離さず、しっかりと捉えている。僕のほうだけが視線を泳がせている。


「・・・今日の夕ご飯の予定は何かしら?」


 唐突な質問だった。

 もちろん、まだ何も考えていない。というかこの試合のことで頭がいっぱいで考えることができない。僕は、大豆さんの意図がわからず戸惑った視線で、伺うように彼女を見る。


「まだ何も考えていないの?私の勝利のお祝いをしないといけないのに残念ね。・・・まあ、いいわ。私からリクエストよ。今日の夕ご飯は、タマちゃん特製のカレーライスでお願いするわ。駅前のお肉屋さんで売っている粗びきメンチカツを添えてもらうといいわね」


「・・・」


「どうしたの、私はタマちゃんとふたりで、いつものように、夕ご飯を食べに戻ってくるわ。いい?必ずよ」


「・・・」


「私が嘘をついたことがあったかしら?」


 大豆さんの言葉に、僕は思わず噴き出してしまう。最初出会った時から、大豆さんは嘘ばっかりだった。


「あら、笑うとはタマちゃんのくせに失礼ね」


「いや、大豆さん、いつも嘘ばっかりじゃないですか」


 思わず、笑いが出てしまった僕の顔に、大豆さんの白い手が静かに伸びてくる。自信に満ちた微笑みをたたえ、目尻に残る涙の跡を親指でそっとなぞる。


「泣いていては、試合で舐められてしまうわよ・・・」


 大豆さんの身体が、ゆっくりと移動して、僕の身体に重なっていく。

 親指がなぞった涙の跡に、吐息がかかり、そのまま彼女の唇が右の目尻に触れる。

 触れられた場所がとても熱い。そのまま小鳥がついばむように、涙の跡に強くキスをしてくれる。

 大豆さんの香りが、ふわりと拡がる。きめの細かい肌が僕の視界を塞いでいる。柔らかな感触で、涙の跡が覆われていく。

 左の目尻にも同じキスをしてくれてから、またゆっくりと彼女の身体が離れる。


「・・・」


 顔を離した大豆さんを、呆然と見つめる。顔に血が上る感覚があり、たぶんいま僕は真っ赤になっているのだろう。


「これで涙の跡はなくなったわね。いま、残っているのは私のキスマークよ。自慢できるわね」


 


 






読んでいただきありがとうございます。物語は半分以上過ぎています。

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毎日1,2回の更新で最終回まで行きたいと思っています。

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