2.私と一緒に戦いなさい
「何、突っ立っているの?入れば」
僕の家だったはずの場所に突然現れた彼女は、当たり前のような顔をして僕を家の中に誘っている。どっちが家の持ち主だかわからない感じだ。
彼女の表情は、僕を見ても驚きはないように見える。僕だけが激しく混乱している。
もしかして、僕の知っている人なのか?こんな若い女の子の親戚なんかいたっけ?いや、もしいたとしても来るんだったら、事前に連絡とかくれるよね?
「あ、あのもしかして家を間違えたりしてません?・・・・・ぼ、僕はあなたが誰かよくわからないんですが・・・・」
情けないことに、34歳にもなって僕はきれいな女の子と話すのが苦手だ。自分より一回り以上年下の女の子が相手だというのに、緊張してしまいしゃべり方たどたどしくなってしまう。僕のダメなところだ。
今度は彼女がぽかんとした顔をしている。まじまじとよく見ればすごく整った顔をしている。鼻筋はすっきりと細くのび、適度な高さで全体に理知的な印象を与えている。少し見開いた眼は長いまつげをたたえ、その瞳と眉のあいだが少し狭く、それがあどけなさも残る顔に気が強そうな一面を見せている。
「ええ・・・・、小麦タマ男さんだよね」
「は、はい」
「ああ、忘れちゃったかな?ほら、あのお母さんの腹違いのお姉さんの子供。大豆レイアよ。久しぶりね」
・・・・ああ、これはあれだ。
可愛らしく作りこまれた笑顔を振りまく少女。きれいな女の子が僕にそういった笑顔を見せるのは、何かを頼む時と、僕を騙そうとしている時だ。
母は間違いなく一人っ子だった。祖母や祖父も亡くなっているが、そんな話は聞いたことないし、相続の時に戸籍謄本でも確認している。だいたい腹違いのお姉さんの子供が、いきなりやってきてカレーを食べているのは、無理がある。
「え、それ、嘘ですよね・・・。母に腹違いの子はいませんよ・・・」
一瞬、彼女は眉をしかめた。ちょっと小さく舌打ちもしたように見えた。感情が正直に出てしまうタイプのようだ。
「あー、じゃあ、あれ。幼馴染で幼稚園のとき一緒だった。大豆レイアです!」
再び嘘臭い満面の微笑みを顔に張り付けて、彼女はあっさりとさきほどと関係性を変えてきた。きれいな顔に似合わず、かなりの厚顔だ。ここまで来てまだ騙せると思っているのだろうか・・・。
「え、いや、無理がありますよね。さっき腹違いの子供とか言ってたじゃないですか・・・。僕、幼稚園じゃなくて保育園ですよ。誰なんですか、あなた。え・・・け、警察呼びますよ」
これ以上僕をだまそうとする輩と付き合っているわけにはいかない。僕はポケットからスマホを取り出して耳に当てた。電話をいつでも掛けられる態勢にする。
「ちょっと待って!!焦らないで、動かないで、早まらないで。えー、わかった。ちょ、ちょっと説明するから・・・待って待って!!」
さすがに警察に通報されるのは困るらしく、両手を上げて降参のポーズをとる。軽く涙目になっている。僕はなんだかかわいそうになってしまった。
彼女は眉を八の字して、両手を上げたままゆっくりとこちらに近づいて来る。
「ごめんなさい・・・・。騙すつもりなんかなかったのよ・・・・」
少し艶のある声で彼女の唇が動き、僕は一瞬それに見惚れてしまう。
「ぎゃっ!!!!」
気が付くとビニールテープで椅子に縛り付けられた自分の両足が見えた。動かそうとしてみると椅子ごと動いてしまい、立ち上がることはできない。
彼女の唇に見惚れてしまった一瞬の隙をつかれて、僕は彼女に気絶させられたようだ。
固定されているのは足だけではなく、両手にもビニールテープが巻かれ、後ろ手でこちらも椅子に固定されていた。振り返ろうとして、首にもテープが巻かれていることに気づいた。こちらはさらに椅子の後ろ側を通して、さきほどの足のテープにつながっている。
要するに椅子を中心に僕の身体は身動きできないように完全に固定されているようだ。下手に立ち上がろうとすれば、間違いなく転倒しそうだ。
・・・やばい、殺されるのか
目を開き正面を見ると、目の前に蛍光灯の光を反射する白磁の太ももが見える。大豆レイアと名乗っていた少女の足だ。
「あ、起きたわね」
大豆さんの声が上から落ちてくる。顔を上げてみると、片腕を腰に当て、もう片方の手であごを触りながら、彼女はにっこりと口角をあげてほほ笑んだ。
「こ、殺すつもりですか・・・?び、貧乏なんで・・・、現金なんかありませんよ・・・」
「あら、そんな乱暴者に見えるの?心外ね」
気絶させて椅子に縛り付けておきながら、乱暴者であることを否定する大豆さんに、僕は軽く驚愕する。これを乱暴者と言わなければ誰が乱暴者なのか。
「えーと、小麦タマ男くん。タマちゃんね。タマちゃんが出世から縁遠い、残念なサラリーマンだってことは知っているわ。安心して。ここにお金があるなんて1㎜も思っていないわ」
「そ、そこまで言われると・・・」
椅子に縛り付けられている時点で、安心は全くできないが、言うのはやめておこう。
「タマちゃんは、そうね。新入社員の女の子にいいようにこき使われたり、お局OLに毎日人間椅子になるのを命じられたり、そういうのが似合う善良なおじさんだって褒めているのよ」
「これっぽちも誉め言葉じゃないです」
さすがに人間椅子にさせられたことはない。それじゃあ完全に社内いじめだ。
何やらひどい言われようだけど、強盗しに来たわけでもなさそうだ。
それに、なんだか妙に馴れ馴れしい。そして、どうやら僕のことを本当に知っているようだ。
「ぱんぽかぴーん」
急に彼女が珍妙な掛け声をかける。
頭がおかしくなってしまったのかと、ぽかんとその美しい顔を見上げる。
「そんな、ダメサラリーマン・タマちゃんに人生最大のチャンス到来よ!」
「ええ・・・・・」
彼女の顔が、僕の顔と触れ合うくらいに近ずく。
甘い石鹸の香りが、鼻孔をくすぐり、僕の心臓が激しく高鳴る。長い髪がわずかに僕の頬に触れている。なんだか体中の熱が顔に集まったように感じる。
「私と一緒に戦いなさい。ガールズ・ファイトクラブに参加するのよ」
大豆さんは腰をかがめ、目線が同じになるようにして、まっすぐ僕と向き合った。
強い意思の強さを感じさせる大きな瞳が、僕を見つめる。僕の瞳から少しもそれることなく、奥までのぞき込まれている。一瞬僕はその瞳に吸い込まれる錯覚すら覚えていた。