11・フードコートは気をつけて
日曜日の昼間だけあって、フードコートの座席は大半が埋まっていた。多くの家族連れが楽しそうに過ごし、テーブルの間の通路には彼らの小さな子供たちが走り回っていた。その喧騒を囲むようにして周りには20店舗ほどの様々な種類の飲食店が軒を連ね、それぞれの店の前に長かったり、短かったりの列を作っていた。
大豆さんはフードコートに来るのも初めてだと言っていた。一つ一つのお店の看板の前で立ち止まっては、メニューや調理している人たちをじろじろと眺めている。
「じゃあ後でこの席に集合しましょうか、僕はちょっとトイレも寄ってくるので遅くなるかもしれません」
「わかったわ」
僕と大豆さんはそれぞれ好きなものを買ってくることにした。
朝もしっかり食べたので、そこまでおなかはすいていなかった。どこにでもあるチェーン店のうどんと天ぷらをひとつ注文して戻ってみると、テーブルの上には、想像を大きく上回る量の食べ物が並んでいた。
ラーメン、海鮮丼、ドーナツ、クリームソーダ。すごい組み合わせと量の食べ物を前にして、大豆さんが嬉しそうな顔をして箸をにぎっている。
「す、すごい量を注文しましたね。た、食べられるんですか」
「ふふふ、大丈夫よ。タマちゃんと違って、私は運動もしているし、新陳代謝が活発だからね。タマちゃんみたいに細胞の72%が死んでいるおじさんとは違うわ。タマちゃんはそれしか食べないのね。ラーメンのメンマくらいなら分けてあげるわよ」
「いや、け、結構です・・・」
このスタイルのどこにそれだけの食べ物が入っていくのか、全くの謎だ。
けれど、大豆さんは30分足らずのあいだに、するするとそれらを胃の中に流し込み、平らげてしまった。気づけばテーブルの上に残っているのは、アイスの部分が半分以上溶けたクリームソーダと空になったお皿だけだ。
「おねーさん、それ全部食べちゃったねー!?すごーい!!」
ふと横を見ると5,6歳くらいの小さな女の子が大豆さんの横で驚いた顔をしている。さっきから大豆さんの食べっぷりをずっと見ていたようだ。確かにそばでこんなきれいな女性が、次々と料理を胃袋におさめていったら驚いて見入ってしまうだろう。
・・・あ、あれこの子・・・
「おねーさん、こんな食べているのにすごくきれいだね。ねえ、そっちにいっていい?」
「も、も、もちろんよ。い、いらっしゃい」
大豆さんは小さな子供にどんな対応をすればよいのかわからないのだろう。いつも自信満々で喋っている彼女が影を潜め、随分たどたどしい受け答えをしている。
そんな大豆さんを気にすることもなく、女の子はテーブルの下に潜ったかと思うと、ひょっこりと大豆さんの足元から顔を出した。ソフア席に座っている大豆さんの横には、先ほど買い物した荷物が山のように置かれていて、通れなかったのだろう。すぐテーブルの下に潜ってしまうあたりが、活発な女の子であることを伺わせる。
大豆さんのひざのうえに、ちょこんと女の子が腰掛ける。そのまま後ろを振り返り、大豆さんのTシャツの中に小さな手を潜り込ませる。
「ひゃっ!」
「お腹ぜんぜんペタンコだよー!おねーさん、ご飯どこに隠したの!?」
大豆さんが珍しく、慌てた声を出すと、女の子はさらに面白がって、今度はTシャツの中に両手を入れてしまった。
「お腹すべすべー!ペタンコスベスベで気持ちいー!こちょこちょこちょー!」
「きゃ!ちょ、ちょっと、だ、だめ!」
女の子は大豆さんのことが気に入ってしまったのか、小さな手でおなかをくすぐり始めた。大豆さんの白いおなかが見え隠れして、僕までどぎまでしてしまう。彼女が思わず身をよじって逃げようとすると、女の子は笑いながら更にくすぐろうとする。
思いもかけず広がったほのぼのとした場面に、微笑みが浮かんでしまう。
「あ!!!」
女の子の手が、唯一残っていたクリームソーダのグラスにぶつかる。
「うわあああ!!!!何しやがんだ!!!」
タイミングが悪かった。ちょうどグラスを倒した先の通路には、3人組の若者がだらだらと歩いていた。クリームソーダの残りは、彼らの先頭にいた黄色い髪の男に向かって飛び散った。
「ふざけんな!!このシャツ買ったばっかりだぞ!!どうしてくれんだ!?」
男は眉間にわざとらしいほどしわを寄せ、これでもかと大豆さんに顔を近づけてきて怒鳴り始めた。全員が10代後半から20代前半といったところだろう。後ろには赤い髪の男と、青い髪の男がいて、3人そろうと信号機のようだ。
・・・まずい
この男たちと大豆さんの戦闘力を比較すれば、大豆さんのほうが強いのは間違いない。3人がかりでも大豆さんに勝てないだろう。けれど身分を証明するものが何一つない彼女は、もめ事になると非常に困るはずだ。警察などを呼ばれてしまったら、彼女はガールズ・ファイトクラブの大会に出られなくなる可能性もある。できれば穏便に解決したい。
「おお、よく見たらおねーさん、めっちゃかわいいじゃん!こんなジジイおいて俺達とカラオケつきあってくれたら、許してやってもいいぜ!」
「お前、カラオケボックスでナニするつもりなんじゃねえの!?げへへ!」
「つきあってくれねーえんだったら、買いなおさねーといけねーから代金払えよ!10万だ、10万!!」
男たちが好き勝手なことを言い始めた。大豆さんの眉がぴくぴくと動いていて、怒りを堪えているのがわかる。女の子は恐怖で目が涙ぐんでいる。何とかしなくちゃいけない・・・。
そんなことを思っていたら、いつの間にか僕の身体は勝手に動き出していた。膝ががくがくと小鹿のように震えているくせに、気づけば僕は彼らと大豆さんたちの間に立ちふさがっていた。
「わ、わざとじゃないんだからしょうがないだろう・・。僕がクリーニング代は払うからこの場は、お、おしゃめてください」
相変わらず僕は情けない。こんな肝心な場面で、緊張して、噛んでしまってまともに話すこともできない。けれど大豆さんにとって、何よりも大切なガールズ・ファイトクラブの大会に、こんなつまらないことで出場できなくなってしまうことがあってはいけない。絶対に、それはだめだ。
「ああ!!なんだこのおっさん!!払うなら財布ごと払えや!!!」
黄色い髪の男が左手で僕の胸倉をつかみ、右の拳を振り上る。今にも殴ってきそうな状態だ。顔を大きくしかめ、すごい形相で僕のことをにらんでいる。僕ときたら、恐怖で相手の顔から視線をそらし、完全に固まってしまっていた。
・・・・あ!
視界の中に一縷の光が映った。僕はありったけの大声を上げる。
「みかちゃんのおとーさーん!!、みかちゃんこちらですよーーー!!!!」
大豆さんにずっと絡んでいた女の子は、同じマンションの同じフロアにいる子だ。マンションの廊下ですれ違うたびに挨拶をしてくれていたので、さっきからどこかで見た子だなと思っていた。
すぐにいろんなところに遊びにいってしまうだろう。お母さんがよく大声で名前を呼んでいたので、覚えていたのだ。
「みかーーーー!!どこ行ってた!!!」
みかちゃんのお父さんは運送会社の社長をしてる。
パンチパーマに日焼けして黒光りした顔。筋骨隆々とした大柄な身体にアロハシャツを羽織っている。はだけたアロハの胸元から、自慢の大胸筋がのぞいいる。ただでさえ昭和のやくざのような見た目なのに、今日は好都合にサングラスまでかけていて、もう完全にその筋の人にしか見えない。
突然登場した本職風の男に3人組の若者は完全に度肝を抜かれていた。僕だってはじめて見たときは、絶対にやばい人だと思ってびくびくしていたのだ。本当の彼は休日になるとみかちゃんを肩車して歩いている、人のいいおじさんのはずだ。多分だけど。
「おお、にいちゃん、悪いな。みかのこと見ててくれたんか?こいつはすぐにあっちこっち行ってしまうからな。わっはっはっは!」
豪快に笑っている彼の前で3人組の若者は急にしおらしくなってしまっている。
「おとーさん!!!あのね、あのね、みか怖かったの!!」
みかちゃんがお父さんにしがみつくと、3人組の顔は完全に真っ青になってしまった。彼らはこっそりと後ずさりを始め、1mほど離れると3人で顔をあわせ、本当に一目散に走りだした。
「ん、なんか、あったのか!?」
みかちゃんのお父さんは何も気づいていないようだった。
ショッピングモールからの帰り道。僕が運転する中古のコンパクトカーの助手席で、大豆さんは窓の外を流れていく景色を見つめている。
「・・・さっきはすみません。せっかく大豆さんや中芋さんに鍛えてもらっているのに、なんかたいして役に立てなくて・・・」
みかちゃんのお父さんが来てくれなければ、きっと僕は何も解決することができなかった。本当に自分が情けない。穴がなくても2mくらい掘って隠れてしまいたいくらいだ。
「・・・タマちゃん、・・・うれしかったわ。ありがとう・・・」
大豆さんのずいぶん小さな声が、僕の耳に響き渡る。
運転している僕は横を見ることができなかったけれど、大豆さんの強い視線を感じた。自分自身の情けなさと、大豆さんの視線が恥ずかしくて、僕はなぜかちょっとだけ涙がでそうになった。