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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

厠待ち 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 厠といえば、トイレの古い呼び名である。

 歴史をちょっとでも調べる人、あるいは時代物の作品を鑑賞していると、遅かれ早かれこの単語を知る機会が来るはずだ。

 むかしは川などの流れの上に、橋のような足場を設置。そのうえで腰を下ろし、用を足していたことから、川屋と呼ばれていたところを厠と変わってきたのだとか。


 汚物がその場にとどまっていては、どのような害毒をはぐくんでしまうか分からない。

 流れによって遠くへ追いやり、いずれは浄化させてしまう。健康を考えた手としては有効だろうねえ。

 しかし、そうなると用を足せる場所は決まっていることになる。

 どこで何をするかが読める……というのは、外部のものにとっても都合がよいことかもしれないな。

 私の聞いた話なんだが、耳へ入れてみないか?



 むかしむかし。

 とある村に菊之助という男が住んでいた。

 彼は生まれたときより、しばしば寝小便を垂れていたという。

 赤子のころであれば笑い話で済んでいたことだが、これがやがて子供になると笑いの種に。大人になっても続くと分かると、嫌悪と軽蔑の的となってしまった。

 菊之助自身にも、原因は分からない。

 この排せつの異常をのぞけば、自分は皆と変わらない生活を送ることができているのだから。ただ、この一点でもって、自分は盛大に立場を貶められているのは、うすうす感じていた。


 彼はすでに、自分が作った「おむつ」を着用している。

 ちなみにおむつとは、もともとは包み布を表す「むつき」に「お」をくっつけた言葉とされている。「おむつき」と呼び続けていたのが、そのうち「き」の部分が取れてしまい、おむつという呼び名が定着したのだとか。

 その「むつき」は、菊之助が寝るに際して、確実に外せないものとなっていた。

 自分ひとりで家を切り盛りする身としては、それが仮に掃除という、日々の外せない仕事のひとつとはいえ、余計な処理に神経を割きたいとは思えないんだ。

 いちおう、寝る前に用を足せば、確実ではないが漏らす確率は減る。ゆえに、菊之助は少し歩く川のたもとまで、毎晩足を運んでいたらしいのさ。


 その晩は、いやに冷えたものの、菊之助はいつもの習慣通りに川へ向かった。

 同村の者も、ここを使うことはある。一か所だけ用を足す足場が渡してあると、誰かが使った直後など、どこか気まずくなりがちだ。

 足場は間を開けて、いくつか用意されている。下を見なければ、上流から降りてくるものを目撃してしまうこともさけられた。

 菊之助は誰もいないのを確かめながら、足場のひとつへ腰を下ろす。以前は足場のへりまでいき、尻を突き出す作りだった。

 だけど、酔いやけがなどで態勢を保てない者による事故がいくどか報告されて、いまは足場を途中で二またに分け、その間の裂け目から用を足すようになっている。


 おむつを外す。

 日中でも念のために身に着けているが、お世話になることはほとんどない。

 やはり自分の寝覚め。厳密には寝ている間に、何かしら身体が持ちこたえることができず、決壊しているのだと思われるが。

 自分ひとりの身で、意識のない間の世話などできようはずがない。

 今日もこの排せつで、少しでも晩をおとなしく過ごせる率が上がるといいのだが……。

 菊之助は腰を下ろしつつも、空を見上げていた。

 雲も灯りも少ない夜で、星はそこかしこに浮かんでいる。ぐっと目を凝らすと、気持ち見える星が増えるあたり、目が衰えてきているのか。

 勘弁だなあ、と思いつつも便意の収まるまで、星数えとしゃれこんでいた。



 川の流れに混じる、ぽちゃんぽちゃんという水音。

 今日はみんなで酒盛りをしたついでに、結構な飯をいただいている。菊之助自身はけっこうなうわばみで、みんなが潰れたあとも、ひとりでちびちびやるというのもザラだ。

 そこへお腹もふくらむと来たものだから、皆が集まっている間も何度か席を立って、用を足している。

 これで寝小便を垂れるのであれば、もっともと言えないこともないが、情けないことにも違いはない。

 菊之助は、ひたすらに星を見続けている。元は我が身に入っていたものといっても、進んで見たくもない手合いだ。

 とっとと済ませたいのに、下腹も尻もいまだおとなしくなる気配を見せない。

 こうなったら、とことんまで付き合ってやろう……と思っていたのだけど。


 何度目かになる、水音の区切れぎわ。

 菊之助はにわかに、ぐぐんと尻を強く引っ張られた。

 横ではなく、下へだ。川めがけて引き落とそうとするその力は、双丘をなす尻の肉ではなく、中央の穴に引っかかっている。

 たまらず、どしんと足場へ尻もちをついてしまった。足場がなければ、完全に流れの中へ沈んでいただろう。

 自分に酔いはなく、足元もしっかりしていることは菊之助自身、よく分かっている。

 それでも腰をあげようとすると、こそばゆい感触が尻へ走ってしまい、ついつい変な顔になってしまうのだ。

 なんとかこらえ、しっかりと尻を持ち上げられたあたりで、菊之助はいまなお頑なに尻を引っ張る、足場の裂け目を見下ろしてみる。



 流れる水を枝分かれさせる、黒い突起が水面より突き出ていた。

 それはただの堆積にしては、妙に太さが安定したまま、彼の尻近くまで伸びている。

 何者かの腕を思わせたが、尻から数寸離れて広げられる手のひらには、それぞれの指の半ばほどまで伸びる、大きな水かきらしきものがついていたという。

 手のひらは真っすぐ菊之助の尻穴へかざされ、よくよく見ると、その尻穴からも普通の排泄物とは異なる、真っ白い卵のようなものが頭を出しているではないか。

 便通するときのような、感触はない。しかし、それがじょじょにせり出していくにつれ、自分の頭へピリリとした痛みが走り、ややもすれば意識を手放しそうな衝撃さえ感じてしまうんだ。


 ――尻子玉?


 菊之助は直感した。

 人の尻にあるとされる活力の源であり、河童はこれを引っこ抜くのだと。

 引っこ抜かれたものは命にかかわる重体へ陥るとされる、そしていま、自分に向かって掲げられる水かきつきの手は、言い伝えにある河童のものと、うり二つではないか。


 このまま居座っては、命が危ない。

 菊之助は、あえてかすかに引っ張られると、反動を生かして一気に起き上がった。

 糸でつながれていたようなくすぐったさも、立ちどころに消える。機を逃さずに菊之助はそのまま家へ戻ってしまったのだそうだ。

 中途半端な用足しだったものの、その日は寝小便のたぐいは味わわずに済んだらしい。



 自分の寝小便たちは、ひょっとすると河童のたぐいが、尻子玉を引っこ抜こうとして、失敗し続けたがゆえの結果だったのかもしれない。

 以来、菊之助は皆の使う厠ではなく、携帯用のトイレにあたる樋箱ひばこを用意して使うようになると、これらの現象はぴたりとおさまってしまったとか。


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