船外、船内
大阪府の県境、ちょうど京都と奈良が接する位置に存在する海凪市。1990年の西日本大震災の復興時に造られたその都市こそが俺達が暮らす場所だ。
近年にイチから造られたこともあり、学校・住宅街・ショッピングセンター・駅・ゲームセンター・映画館など、多くの物が揃う場所となっている。
そんな都会とも言える町の中、綺麗に整備された道路を、俺と未月さんを乗せたバスが静かに進む。
休日の朝早くということもあり、バス内外どちらも人が少ない。
静かすぎる早朝の風景の中、一人用のバスの席に前後に別れて座る俺たちの間に会話は一切ない。それはもう、赤の他人並みにないのだ。はっきり言って気まずい。
俺と未月さんは今までろくに接点など無いに等しかったのだから、こんな無理矢理な関わり方ではそりゃこうなる。でも、いくら期待しないと言ったって、こんな気まずさは欲しくもない。俺だって人並みにこういう空気は耐えられないのだ。
外の景色を眺めていても、ただ自然の少ない町並みが見えるだけで、なんの気分も晴れない。どうしてこうなったのだろう、なんてくだらないことを考える。
小さくため息をつきながら、チラリと後ろを見てみる。
未月さんはバスに乗ってからずっとスマホを見ていた。
「何見てるの?」と、一度聞いてみようかとも思ったが、友達でもない相手から急にそんなことを言われたら気持ち悪いだろうと、さすがに声に出しては言わなかった。まぁ、未月さんが”話したならもう友達!“みたいな人間だったら別かもしれないが、生憎彼女はそういうタイプの人じゃない。
結局、俺は自分のステータスにコミュ力をプラスしたいと思いながら、ぼーっと窓の外を眺めているしかなかった。
そんな俺に、後ろから酷く無感情な声が掛かった。
「ねぇ、君…」
「…へ?あ、なに?」
急に”君“なんて呼び掛けられて一瞬反応が遅れた。酷く非合理に「誰のことだ?」なんて思ってしまっのだ。分かりきった答えだというのに。
しかし、未月さんの方から声を掛けてくるなんて。失礼極まりないが、以外だ。
「バス、もう降りるよ…」
ああ、そういうこと…。知らせてくれてどうもと、心の中で答えておく。
どうして直接言わないのかって?そりゃ、誘った側が誘った相手に先導されたことが少し恥ずかしかったからだよ。別に俺は人に感謝する気持ちがないろくでなしではない。
「ふぅ〜ん…」
すごいな…。そんな幼稚な感想を心の中で呟きながら、俺は目の前にあるその存在に圧倒されていた。
全体が白く染め上げられた巨体。側面には三日月のようなロゴがあり。そして何より、船体の上にホテルを乗せたようなその姿。まさに豪華客船だ。
見ていてもう凄まじいの一言だ。福引を当てた数日前の俺に感謝を述べたい。実際にそんなことをしたら変人扱いされること間違いないが、それ程までにおかしなテンションになっているのだ。
旅先の宿泊施設には何か不思議な魔力でもあるんだろう。人を惑わす何かが。逆に…
「ねぇ…早く行くよ…」
「あ、うん」
船の外観など全く気にせず、スタスタと船に乗り込もうとする未月さんは無関心といった様子だ。彼女、ずっと真顔なんだが…。
「ん…?」
そこでふと、船の上からこちらを見ている男の姿が見えた。
見た感じこの船の乗組員っぽい格好だが、ずっとニコニコと笑顔を浮かべている姿は少し気味が悪い。
なんとなく、俺はその場をそそくさと急ぎ足で立ち去った。
隠し切れない興奮を胸に乗り込んだクルーズ船。その中は紛れもない高級ホテルのそれだった。
入ってすぐの大広間。輝かしい光の粒を乗せたシャンデリアが天井から吊るされ、花柄の絨毯がこの空間を温かく包んでいる。
受付嬢と接客員が洗練された動きで迎え入れてくるのに気圧されながら、自分たちの部屋の鍵を貰うと、未月さんはすぐに行ってしまった。
それがまた早い。彼女、景色とか全く見ないんだ。何なら、後ろにいる俺のことも見ない。
景色なんて後で見ればいいとはいえ、もう少しゆっくりして欲しいとひっそり思う。あと、鍵持っているの俺なんだが…。
未月さんに付いて行くように早歩きで船内を進むと、同じ旅行客たちにぶつかりそうになる。
カップルだったり親子連れだったり、色々な人が楽しそうにしている姿を横目に、俺と未月さんはずっと無言。
薄々気づいていたけど、未月さんは必要最低限しか喋ってくれないタイプの人だ。
何かしら理由がなければ話しかけないし、話さない。だから、楽しく会話しようという考えもないんだろう。
これ、もしかしなくても一人で来るのとそんな変わらないんじゃ?
「鍵…」
どんどん暗い方へ思考が沈んでいっているといつの間にか自分たちの客室の前についていた。
聞き間違いでなければ今「鍵…」と言われた。最早、命令口調。丁寧な言葉に必要性を感じないのかな?
流石にそんなことを口に出して言ったりはしないので、俺の心の中など知らず、扉を開けることを急いてくる未月さん。
それに急かされるような急かされていないような気分で俺は手に持っていた鍵で扉を開けた。
「おお…」
部屋に入ってみると、とても穏やかで美しい景色が広がっていた。
最初に見えるのは窓から覗く海。その手前には広間とはまた違った静かで、それでいて落ち着くことのできる空間。中には二台の真っ白なベッドに木製の棚にクローゼット。壁につけられた大型テレビ。部屋の中にはさらに二つの部屋がある。一方はトイレ、もう一方は洗面所兼お風呂だ。
もはやいいホテル並みにものが揃っている。クルーズ船など初めてだがこれが標準なんのだろうか?
ベッドはふかふかだし、テレビなんて映画気分を味わえてしまう大きさだ。これは船内がどうなっているかも気になってくる。
「あ、そうだ。一緒に船内を見て回らな…」
荷物を整理していたところで、未月さんに散策を提案しようと顔を上げると、彼女はもう部屋にはいなかった。ちゃんと探したが、どこにもいない。なら、いるのは部屋の外だと簡単に結論づけられる。
何をしに外に出たのかは分からないが一人で行ってしまったことは確かだ。俺に一言も告げずに。
ここで俺が部屋から出るなら、もちろん鍵を閉めなくてはならなくなる。それでもし、未月さんが先に帰って来てしまったなら部屋の前で待たせることとなり、迷惑をかけられた側であるはずの俺が迷惑をかけた側となってしまう。
つまり俺は今、外に出たいのを我慢して未月さんが帰って来るのを待つしかない。
「……」
一人の部屋は静かでとても薄暗い。この部屋は海が見えても太陽は見えない位置にあるのだ。
椅子に勢いよく座りながら俺はこめかみをぐりぐりと親指で押して思った。現実の美少女にイラッとしたのは初めてだな、と。