勝負前のアニカ
(やった。やってやったわ。これでリリアはイザーク殿下と婚約破棄よ!)
王城の廊下を車いすを押されて進みながら、アニカはご機嫌で内心そう叫びこっそりほくそ笑んだ。アニカが貴族学院の階段から落ちて足を怪我した2日後、オーリリー公爵、リリア、アニカは揃って王城に呼び出された。アニカの怪我について事情聴取をするとのことだ。
それもそうだろう、今貴族学院ではリリアがアニカを階段から突き落としてけがをさせたという噂でもちきりだ。もちろん事実無根でアニカはリリアに突き落とされてなどいない。2日前のあのときアニカはアリスと歩いていて、たまたまリリアが一人でいるのを見かけたので「お姉さまと少し話してくるわ」と言ってアリスを先に行かせ自分だけリリアの方へ向かった。そして階段でリリアを引き止め、人が見ていないタイミングを見計らい悲鳴を上げて自分からわざと落ちたのだ。
あっけにとられたリリアの顔ったらまぬけだったわね、とアニカは思い出し笑いをする。悲鳴をあげてしっかり受け身を取って階段から落ちた後、声を聞いて戻ってきたアリスが倒れたアニカと階段の上で立ち尽くすリリアを発見した。すかさずアニカが「お姉さま…どうして…」と力なくつぶやいたためにアリスは見事にリリアがやったと勘違いし「リリア様!なんてことするんですか!!」と大声でリリアを責め立て、それを聞いて集まったギャラリーが一気に話に尾ひれをつけて噂を広めた。
落ちる瞬間を見ていた人間はいないのでリリアがやっていないと証言する者はいない。しかしアニカが確かに怪我をしたという事実があるし、日頃からリリアとアニカの間に亀裂があると見せるような工作をしてきた。リリアがやっていないと証明できないならたとえやった証拠がなくてもリリアは疑われ評判が落ちるだろう。
ついフフッと笑みをこぼすと背後に冷たい気配を感じた。アニカの乗った車椅子を押しているアンはリリアに昔から仕えている彼女の腹心だ。冷たくアニカを見下ろすアンを横目で見てアニカは陰気で感じの悪い女ね、と心の中で毒づいた。
アンはこれまでも屋敷でアニカがリリアにいじめられていると装うための工作に騙された使用人たちに事実を教え訂正して回るなどアニカの邪魔をした。アニカが嘘をついていることに気付き憎らしく思っているのだろう。しかしアンはアニカが階段から落ちた件に関してリリアの無実を証明できないし、メイドという身分ではアニカに危害を加えることもできない。
ふん、この程度の策にはめられるのが悪いのよ。婚約破棄されて当然よ。悔しさをかみしめていればいいわと思いながら目線を前にやると、廊下の先に豪奢な彫刻が施された大きくて立派な扉が見えてきた。今あの中ではアニカより先に呼ばれたオーリリー公爵とリリアが王や大臣と話をしているところだ。アニカはこれからあそこに乗り込んで事情聴取という名の勝負をしなければならない。なんとしてもここでリリアを追い落とさなくては。
「アニカ嬢。こちらです」
扉のすぐ前に来たとき、道案内として先導していた文官の制服を着た茶髪の男が振り向いた。
「あなたに名前で呼ぶことを許してはおりません。呼び方を改めてくださいますか」
アニカはむっとして男を睨みつける。城でただの文官として働かなければならない身分とすると、貴族だとしても家を継げない次男以下、それも爵位が低いか貧しいかで他家へ婿入りも望めないような家門なのだろう。そんなつまらない男に名前で呼ばれたくない。だって私はこれから王妃になる女なんだから。にっこり笑って見上げるアニカに対し男は驚いた表情で少し考えた後作り笑いを浮かべた。
「失礼いたしました、オーリリー公爵令嬢。それではご準備のほどを」
そう言うと男は扉をノックし中に向かって用件を告げた。ゆっくりと扉が開かれ、中の様子が目に飛び込んでくる。
部屋の中心には見事な刺繍があしらわれたクロスがかけられた大きな長机があり、一番奥に王と王妃が座っている。王の少し後ろに宰相が控えていて、王に向かって右側の列の真ん中あたりにオーリリー公爵とリリア、その向かい側にイザーク王子とアリスがいる。
(アリス?どうしてここに…?)
顔色を無くして口元をこわばらせているアリスを発見したアニカはその存在に疑問を持った。そして少し考えて自分側の証人として呼ばれているのかも、と思いたった。そうでなければ平民上がりのアリスは王子の隣に座ることができるような身分ではないはずだから。
アニカはアンに車いすを押され、王と向かい合う形で長机についた。足の負傷を考慮し車いすのままで話せるよう椅子はあらかじめどかしておいてくれたようだ。
「よく来たな、アニカ嬢」
ピリッと部屋に緊張が走った。王は微笑んでいるし敵意を感じるわけではない。しかし存在そのものに妙に威厳がある。これが国を統べる者のオーラなのか、とアニカは恐縮した。
「そなたに聞きたいことがある。嘘偽りなく答えよ」
王は顎の下で手を組みじっとアニカを見つめた。