アリスと王子の疑念
イザークはアニカと特別親しいわけではないが、オーリリー公爵家を訪ねた際やパーティーなどで会話を交わしたことが何度もある。感情を制御して一歩引いているリリアに対し、アニカは王子であるイザークにも物おじせず明るく人懐っこいので好印象だった。そう。感情豊かな女性が好きなイザーク。たとえそれが演技だったとしても彼を惚れさせるという意味ではアニカはワンチャンあったのである。
しかしアニカはアリスと違って生まれながらの上流貴族。妾でも良いなんて思わないしそもそもリリアがイザークの妃になることも面白くないので、自分がリリアに代わって妃になるためまずリリアとの婚約を白紙にしなければという頭だった。そのためにあれこれしている間にアリスはアニカのあずかり知らないところでイザークと絆を育みまんまと好感度を抜かれていたのである。
ヒロインのアリスは現王の駆け落ちした妹姫の娘だが、このことはゲームのシナリオ終盤にならないと明らかにならない。ゆえに今の段階ではアニカはアリスのことをある男爵が平民に手をつけて生ませた卑しい娘だと思っている。いくら美しくとも男爵家、それも平民を母に持つ女が身分差をものともせず正妃となることはあり得ない。もしイザークがアリスに興味を持ったとしても火遊びで終わるか妾とするかだろう。そんな認識だったのでアニカはアリスがイザークをめぐるライバルだと思っていなかった。なんならそのうち捨て駒にしてやろうと思って親切にしてやっていたのである。
「あの、アニカ様のことでイザーク殿下に相談があるんです」
しかし当のアリスはアニカの演技に騙されそんなこと知る由もなく、アニカのことを健気でかわいく親切な人間だと思っていた。
「何かな?」
「実は…アニカ様がリリア様にいじめられているみたいなんです」
イザークは「えっ」と思わず声に出した。イザークはリリアとラブラブではないが別に仲が悪いわけでもなく、長年一緒に過ごした時間の中でリリアが慎ましく優しい女性だと分かっている。いくら想いを寄せるアリスの言葉といえどもすぐに信じることはできなかった。
「最近アニカ様のご自宅に侵入者が出たそうなんです。侵入者はリリア様とアニカ様お二人の前に突然現れて迷うことなくアニカ様を狙ったんですって」
「侵入者?」
そんな話リリアからは聞いていないのでイザークは驚いた。リリアとは今朝も会ったが挨拶を交わしただけだ。怪我をしている様子はなかったから無事のようだが…大丈夫なのか?屋敷の警備はどうなっているのだ。侵入者に直接会うという怖い思いをしたのなら少しは頼ったり甘えたりしてくれてもいいのに。イザークは心配しつつも残念に思った。
「おかしくないですか?わざわざ公爵家に侵入してアニカ様を狙ったんですよ。王妃になる予定のリリア様じゃなくて。リリア様が雇った、なんてことはありませんか?」
「アリス」
イザークはアリスを咎め、他の人にそんなことを言ってはならないと注意した。証拠もない今の段階でこんなことを言ってはリリアに対するひどい侮辱だ。男爵家の庶子とされている今のアリスではリリアと身分差がありすぎる。リリアの評判を落とすようなことを言っているとリリアやオーリリー公爵の耳に入ったらアリスが貴族学院にいられなくなる可能性すらある。平民育ちのアリスはまだそういう危機感が薄く危なっかしい。
アリスがリリアに強い不信感を持っているのは理由がある。みちるがリリアとアニカの前に現れてアニカにカンチョーをかました後、学院に登校したアニカはアリスにみちるのことを自分に都合が良いように脚色して話した。そしてその後「もしかしてお姉さまが…」なんてつぶやいたうえこれまでにもアリスに対しリリアからいじめられていると解釈できる内容の話をたくさんしていたので、アリスの頭の中ではリリアが犯人なのではという疑惑がほぼ確信になっていた。
物を捨てられただの破かれただのそういう程度のことであれば、アリスももっと様子を見ただろうしイザークに相談するより先にリリア本人に文句を言っただろう。しかしリリアが人を雇いアニカを襲わせアニカがケガをしたとなればそうはいかない。事の重大さが違いすぎるしリリア本人に詰め寄るリスクが大きすぎる。そう、みちるの登場はとてもえらいこっちゃな事件なのである。
イザークとしてもリリアの身の危険、黒幕ではないかという疑惑を耳にしては調査しないわけにはいかない。
「……父上とも相談して調べるよ」
アニカが用意した嘘の証拠をアリスとイザークが協力して集めリリアを断罪する。そうなるはずだったシナリオが、ここでも変わろうとしていた。