異世界の令嬢たち
「お姉さま、庭のバラが見ごろでしたので摘んできました。ここに飾っておきますね」
ふわりと揺れる朱色のツインテールが愛らしい猫のような印象の少女は、花瓶に活けられたピンク色のバラを暖炉の上に置く…と見せかけて床に叩きつけた。
がしゃあん!と音がして花瓶が砕け散り、花と水が散乱する。
「アニカ!大丈夫!?」
お姉さまと呼ばれた少女が、猫のような少女――アニカに駆け寄った。アニカがお姉さまと呼ばれた少女に対して背中を向けていたことと、少女自身は本に目を落としていたために彼女はアニカがわざと割ったと気づかなかったのだろう。
お姉さまと呼ばれた少女は、アメジストのような美しい瞳でアニカが怪我をしていないか確かめた後、専属のメイドを呼んで片づけるように指示した。
「道具を取ってきますから、割れた破片に触らないでくださいね。リリア様、アニカ様」
メイドはそう言って部屋を出て行った。
「ごめんなさいお姉さま…お部屋を汚してしまったわ」
「いいのよ。あなたに怪我がなくてよかったわ。せっかく摘んできてくれたバラがダメになってしまったのは悲しいけれど」
アメジストの瞳を持つ少女――リリアは妹のアニカに優しく微笑みかけた。アニカはその顔を見て、
(ああ、なんて馬鹿で頭の悪い女!)
と思った。
ここはフラウン王国の王都にあるオーリリー公爵家の屋敷だ。オーリリー公爵家は建国の功臣フランキスを祖とする家門で百合の花を家紋にあしらっている。花を家紋に取り入れることを許されているのは王家以外では四つの家門のみ。このことからも王国屈指の名家と言える。
リリアとアニカ、二人の少女はオーリリー公爵家のご令嬢だ。リリアは淑やかで上品、アニカは人懐っこく社交的とタイプは違うが、それぞれ身分に恥じない美貌に人格、教養を持っている。
…はずなのだが、オーリリー公爵家では今妹令嬢のアニカによる黒い陰謀が渦巻いていた。先ほどアニカは姉リリアの部屋でわざと花瓶を割った。今アニカがしくしく泣いているのは花瓶を割った失敗を悔いているからではない。
アニカはリリアの部屋から去った後、せっかく持って行った花瓶をリリアに割られたと使用人たちに吹き込む予定なのである。いじめられている可哀想な妹と同情させるために泣いているのだ。まったく器用なことである。
ここ一年程、アニカはそういう小さな嘘を繰り返し、周囲のリリアに対する印象を悪くすることに成功していた。最初はお優しいリリア様がそんな…という反応だった使用人たちだが、最近ではリリアが優しい仮面をかぶって陰でアニカをいじめていると信じている者もいる。
努力が実を結んできたので、アニカは愉快な気分だった。そうとは知らずに自分を一生懸命慰めるリリアが滑稽でたまらない。
(はぁ、こんな頭に花畑が広がっていそうな女が次期王妃だなんて。私の方が絶対にふさわしいわ!)
そう。アニカの目的は、リリアの婚約者であるイザーク王子を自分の婚約者にすることだ。
なぜそうなったのか。それにはオーリリー公爵家の家庭の事情が大いに関係する。アニカは後妻の子で、本来リリアの従妹にあたる。本当の父親は現オーリリー公爵の弟で、真面目な兄とは似ても似つかないろくでなしだった。そして八年前に賭け事にのめりこみ借金を作ったうえ妻と娘を捨てて平民の女と逃げてしまったのだ。
そこで弟の不始末を申し訳なく思った公爵がアニカの母を形だけ後妻に据えてくれたのだ。アニカの母は弁えた女性で、亡くなった妻一筋で堅実な公爵に夫としての役割や贅沢な暮らしを要求することはなかった。母を生まれてすぐに亡くしていたリリアも新しい母親と妹をとても喜んで迎えたので家族はうまくいくだろうと思われた。
リリアとアニカの婚約がそれぞれ調うまでは。
リリアは第一王子イザークの婚約者となった。リリアは傍系だが隣国の王家の血が入った高貴な血筋だし、オーリリー公爵家は派閥に属さない中立派なので政治的な配慮の面でも適任だった。何よりリリア自身が美しく賢い娘だったので、王家が気に入って是非にと打診してきたのである。
しかしオーリリー公爵の実子はリリアだけだ。リリアを王家へ嫁がせるならオーリリー公爵家は養女のアニカが継ぐことになる。フラウン王国では直系男子がいない場合女性が爵位を継ぐことが可能だが、公爵は失踪している弟、アニカの母の家門、アニカ本人の性格等を考慮してアニカに継がせるのは荷が重いと判断した。そこで公爵は実務能力に優れた王宮勤めの文官からアニカの相手を見繕い、選ばれたのはアニカより一回り年上の伯爵家の三男だった。
アニカは自分と姉の婚約者を比べて愕然とした。イザーク王子は白銀の髪に緑色の瞳をした彫刻のように美しい人物で、いずれこの国の王となるいわば国一番の良い男だ。だが一方自分の婚約者は義父の公爵が好みそうな堅実で実直であることだけがとりえの茶髪で眼鏡をかけた地味な男だ。悪人でなくても、至極まっとうで誠実な男であったとしても、大きな差がある。年頃の夢見る乙女であるアニカとしては悔しくてみじめになる現実だった。
だから、アニカはリリアを妬んだ。
(私が…私が王子の妻になりたかった!!!)
その思いがアニカを異世界ものによくある愚かで嫌な女にしたのだ。