第一章 性産業はここから始まった?アグネス・ラムについて
日本初のグラビアアイドルとして、アグネス・ラムが挙げられる。
アグネス・ラムから日本国の退廃が始まったのである。
エロからエロが生まれるというのは、産業の基本である。
事実、アグネス・ラムからグラビアアイドルが生まれ、アダルトゲームからアダルトゲームが生まれた。アダルトゲームというのは、いかに、現実から隔絶されている所から更に現実を無視する事で生まれるものである。
ゲームならある程度、現実を見はするが、融和等とんでもない。実際、現実のエロス動画からはアダルトゲームは生まれないが、アダルトゲームからは現実のエロス動画は生まれるかもしれない。
しかしながら、これに触れておかなければならないだろう。
ハーフと言われるアグネス・ラムからアダルトゲームは生まれたかもしれない。
もしも、志向するなら、くびれがあり、胸も大きく、顔も端正な方がいいだろう。
ハーフならその条件に当てはまる事もあろう。
日本人が堕落していった理由として、非現実的な世界への憧れであろう。
アグネス・ラムはその案内人で実に、その時から日本人は妥協する事をやめたのである。
日本人は他人を下に見る事によって、その自尊心を保ったのである。
オタクというだけで、蔑まれる事もあったのだから、正当防衛的で同情の余地もある。私もそっち側なのだが、そういう考え方をもうやめてしまった。
はっきり言おう。日本人は基本、不細工だと。しかし、それはほとんどがグレムリンという種だからである。これは世界共通の種である。
本人のせいではないのだから、蔑むのはやめておいた方がいい。
私が言うからに、尊敬する心こそ、日本人の心である。たとえば、信仰を通じての尊敬。先輩や先生への尊敬。親や兄弟への尊敬。有名人や歴史上の人物への尊敬。尊敬こそが尊厳を守り、人を生かす訳である。
この社会を見てみれば分かる通り、尊敬の心等全く見えない状態になっている。しかしながら、天皇等への尊敬は見えるだろう。実は日本人というのは、尊敬するのが当たり前の形なのである。尊敬するしないは、元々個人の選択肢であったが、戦中、戦前の日本人というものは尊敬の心だけで、万歳を出来たというのである。
最大限、尊敬の心を現すという事は中身がなければ出来ない事である。
画面の中の性欲の対象すら、蔑んで見ているのではないか?そうなのだとすれば、尊敬する日本人からは程遠い。
一回自分を見直してみるといい。
私がただしい事を言っている事が良く分かるだろうから。