憎悪
まつりはリアの手を握り、丘の土の上を進んだ。
あたりはすっかり暗くなり、気を抜くと足を取られるほど暗かった。
「まつりちゃん、治った?」
「なんとかな…。ほら、あそこだ」
指が示す先には、古びた馬小屋のようなこぢんまりとした建物があった。
木造で、あらっぽい手作りなので木材の間に隙間がある。
「人はいないな…」
錆びた丁番の悲鳴をくぐり抜け、中へ入って鍵を閉める。
床にカーペットが敷いてある、6畳くらいの空間だ。
中央にはガスランタンが数個、無造作に置かれていた。
「初めて入った…猟師の拠点か…?」
「くらい…」
リアの不安そうな声を聞いて、まつりは手慣れた手付きでガスランタンのマントルを空焼きし始めた。
グローブを装着しバルブを開くと、焦るように火が灯った。
「よし」
ランタンを囲んで二人は床に座った。
「リア…まだ ”予感” はするか?」
「うん。まだ降りちゃだめ。」
まつりは、ここで夜を越すと決めた。
「ごめんな、リア。勝手にお前を連れ出したのはわたしだ。両親が心配してるな…」
「ううん、そんなことないよ。あたしは帰れなくても、まつりちゃんがいるから!」
その一言に胸を刺され、まつりは視線を灯火に移し、じっとみつめる。
心拍数があがりはじめたので、気を晴らそうと立ち上がる。
「ちょっと周りを見てくる。大丈夫だ、離れたりしない」
「うん、わかった」
火のないもうひとつのランタンを持ち、鍵を開けて小屋の外に出る。
彼女の姿が見えなくなったリアは、快く見送ったものの、一抹の不安を隠しきれずにいた。
数分立った。まつりは帰ってこない。
縮こまっているリアのもとに、ノックの音が響いた。
「…まつりちゃん?開いてるよ」
返事はない。ノックの音はさらに大きくなる。
小さな小屋なので、音と共に部屋全体が揺れる。
「誰…?誰なの?」
震えるリアの願いとは裏腹に、鍵のかかっていない扉は無残にも開け放たれた。
やせ細った男が唸り声を上げながら、彼女に近づいてきた。
「ゔぅ…があ゛ぁぁぁ」
「やめてっ、こないでこないで!」
腰が抜けてしまったリアは、後ずさりすらままならなかった。
男が飛びかかろうとした次の瞬間。
「はあああああッッ!!!」
耳を聾するような音で、ランタンの破片が飛び散った。
男は頭を殴られ、体勢を崩して地面に倒れ込んだ。
「この野郎ッ、くそッ、くそッ!」
まつりは男に馬乗りになり、割れてガラスの尖ったランタンで顔面を刺した。
何度も、顔が無くなるまで刺し続けた。
男の動きが止まると、まつりは死体を小屋の外に放り投げ、急いで扉を閉め、鍵を閉めた。
「はーッはーッはーッ」
座り込む。
あまりにも突然の出来事に、まつりは呼吸が非常に荒くなっていた。
赤く染まった掌をカーペットにこすりつけ、リアの方に目をやった。
リアは体育座りに顔を埋め、嗚咽していた。
「リア…」
「ひっく、まつりちゃん、こわいよ…ひっく」
まつりの中で思想が展開される。
【思い出した。
わたしはずっとスラムで生きてきて、時には人を殺めることもあった。
しかし、この娘は普通の少女である。
温かい家庭で、愛情をたくさん注がれて、生きてきたのだろう。
血を見るとしたら、こけて擦りむいた時くらいであろうか。
そんな人間が突然鮮血を目にする。
これがどれだけ深刻なことか、気づいてしまった。】
「…ごめん。怖かったよな。気持ち悪いよな、わたし。最低だ」
自分を責めるしかなかった。
不甲斐ないこの感情に、憎悪を抱いた。
「でも今は…やらないと」
脈が落ち着いていたので、立ち上がる。
リアに優しく問いかける。これ以上怯えさせてはいけない。壊してはいけない。
「状況を見てくる。リアはそこにいてていい」
そう言ってドアノブに手をかけると、リアが後ろから抱きついてきた。
「気持ちわるくないよ。さいていじゃないよ…」
宴の前、コンテナ通りでの温かさが蘇る。
抑えられた手が、服についた返り血を染み渡らせる。
「ついていく。ずっと一緒だよ、まつりちゃん」
「リア…」