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PANDEMIC-GIRL  作者: 斎田 芳人
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パンデミック・ガール

まつりは施設の奥地へと辿り着いた。

木造の建築物に見合わない鉄製の器具が並んでいる部屋だ。


「…リア」


その一角の、大きな水槽のようなものが並ぶ中の一つに、リアは入れられていた。

彼女の肩には噛み付かれた跡があった。その周囲の液体に血が混じっている。


「…そんな」


「…それはお前がやったんだ」


背後から声が聞こえた。振り向くとあの衝突が起きた日の男…科学者だった。


「…父さんなのか?」


「そのようだな。まぁ…覚えていないだろうが」


長身の男は薄汚れた白衣を身にまとい、冷静に答えた。


「いや…それはもう…いい。…わたしがやったってのは」


「事実だ」


科学者はそう言って部屋の右の方を指差した。

まつりがその方向を向くと、大きな鏡が掛けてあった。


「ッ!?」


鏡に映るその眼は赤黒く、『なにか』のそれであった。思わず開いた口からも、小さく牙のようなものが見える。


科学者はおもむろに煙草に火を付け、語りだす。


「10年前…私は過去に猛威を振るったと言われる感染症のウィルスを復活させることに成功した…それも凶悪な伝染方法を持つものに」


空気が揺らぐ。まつりは座り込んで口を手で押さえ、小刻みに震え出した。


「五箇条君の話は本当だ。私の目的は先の戦争をこのウィルスの力で乗り越えること。しかし敵地に放つ予定だった実験段階のウィルスが…ある組織に盗み出されてしまってね」


科学者は煙草の煙を肺へ送り、ため息をつく。

牙から血の味がした。彼女のものの味ではないことはすぐ分かった。


「私はすぐにロンドンから追手を放った。しかしその努力も儚く…注射器は誰かによって『使われて』しまった」


鼓動が速くなる。記憶が気持ち悪いほど蘇ってくる。


「もう分かるな?あの日の宴で…パンデミックを引き起こしたのは


「わたしだ…」


科学者の言葉を遮ってまつりが言った。認めたくなかった。ここまで自分達を苦しめたものは、自分の手で作り出したものだったと。リアと登ったあの丘で、一時的に自我を失った彼女は数人を噛んでいた。


「あ…ぅ…あぁ…」


俯いて、声にならない声を出す。自我は辛うじて保てていた。


もう、リアの笑顔を見ることはできないのか。

もう、ノアと笑い合うことはできないのか。


「もちろん解決策もある。この集落の『感染者』全員を生物兵器にしてしまえばいい。【PUNCH EYES】を手中に収めたのもその計画の一つ。…もちろんオリファントもね」


科学者は煙草の火を消して続ける。


「あぁ…お前ももう『感染者』同様になる。先程の部屋で新たなウィルスを打ち込んでおいた。まもなく自我は消えるだろう」


得意気に言ったその刹那。

ドン、と銃声が鳴り響いた。

設備達が細やかに揺れる。


「がっ…!?」


科学者は膝をついて崩れ落ちた。


「何故だ…何故銃が握れる?」


まつりは立って科学者に銃を向けていた。


「お前の…過ちだ」


科学者は心臓を抑えながら掠れ声を出す。


「まさか…実験段階のウィルスですでに抗体を…。


だが…お前達の負けだ…解毒する方法は…」


まつりは銃を仕舞い、静かに手記の端のページを見せつけた。


「…リアの入ったその液体がそうだ」


「!…それは」


「五箇条は死んでない。颯爽と去ったお前には分からなかっただろうが」


「…結託していたのか」


研究室に籠もっていた科学者には、外部の情報は衝突の日以来伝わっていなかった。


「リアを使って解毒液の実験をしていたな?…成功みたいだな」


水槽に目をやる。リアの方の噛み傷はほぼ完治していた。

科学者の呼吸が深くなる。死期が近い。


「…マニ」

「…!」


まつりは不意に古い名前を呼ばれ動揺するが、すぐに立て直した。


「…一緒に暮らそう…まだ…やり直せる」

「お前、なにを」


科学者は這いながら無造作に床に落ちている注射器を掴み、腕に差し込んだ。

途端に腕が痙攣し、肌が白くなっていく。


「マニ…ゲド…クエキヲ…」


科学者に正確な判断力はもう無かった。


「『感染者』になってから解毒することで復活を図った…どこまでも救えない奴だ」


しかし、当然人を捨ててしまったら自我を失い、解毒液を自分に使うことなど不可能である。科学者は悲しき怪物に成り果てた。同時に彼女はこのウィルスがいかに凶悪なものであるかを思い知った。


「ガ…グガ…」

「…二度も殺すことになるとはな」


まつりはすべての憎悪を凝縮したような赤い眼で、向かってくる『科学者だったもの』の胸に銃口を押し当てた。


「さよなら」


薄暗い研究室に、二度目の銃声が響き渡った。

赤黒い血と共に仰向けに倒れ込んだ屍は、もう動かなくなった。


「…リア!!」


まつりはリアのもとに駆け寄り、小銃の後部で水槽のガラスを叩き割った。粘性の薄い液体が床に広がると同時に、蒸発し始めた。

手記によると、この液体は他の水分に触れていない状態でと空気に晒すと即時に蒸発する特性を持つらしい。


まつりはリアの胸に手のひらを押し当てる。


「…生きてる…絶対に」


同時に、ハッと鏡を見た。

眼と牙は治っていない。頭痛も消えていない。まつり自身も、一刻も早く解毒する必要があった。


「!」


リアの口から一筋の液が垂れる。

まつりはそれを塞ぐように口をつけた。


「…」


身体が熱くなる。すぐさま人工呼吸に切り替える。

リアに残った解毒液を口にしたことで、まつりの眼と牙はまもなく治った。


「…ぷは」


間髪をいれずに胸部を圧迫する。


「死ぬなっ…死なないで…くれっ…」


生きた心地がしなかった。

自分の鼓動はこんなにも速いのに、それを目の前のリアに分けられない。


「頼む…頼むっ…!」

「…はっ…」


かすかにリアが息を吹き返した。

その小さな声が、まつりには天からの祝福に聞こえた。

まつりはその瞬間、大粒の涙をぼろぼろとこぼした。

生まれてはじめて流した涙だった。

かすかに開いた窓から吹き込む風が、ほんの少し暖かく感じた。

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