侭
小屋の外。
心地良い風にのって、血の匂いが薫る。
まつりはリアの手を強く握り直す。
「いいか。ひとまず家に戻る。大きな声は出すなよ」
「うん」
先程いたベンチ辺りまで降り、広場を見下ろす。
同時に、彼女らの瞳孔が開ききった。
人が、人を喰らっている。
いや…噛み付いているのか。
笑い声は悲鳴に変わり、すでに半数以上の人間が先程リアを襲ったような『なにか』に変異していた。
『なにか』が人に噛み付くと、噛みつかれた者が『なにか』になる。
眼球がまぶたの中で震える。
地獄絵図、だ。
「20…いや、30いるな」
危機が迫ったときこそ冷静を保つこと。
これで、いくつもの修羅場を乗り越えてきた。
相手が何だろうが同じだ。
自分の命もリアの命も、守り抜く。
集落に降り、路地裏を通って家路に向かう。
何度も『なにか』の影を見たが、姿勢を低くして切り抜ける。
「まつりちゃん!後ろ!」
彼女の後方から、人影が飛びついてくる。
武器を持たないまつりは、とっさに転がっているレンガを拾い上げて振りかざす。
「伏せろリア!うおおおおおッ!!」
鈍い音が響き渡る。
『なにか』は力を失って崩れ落ちた。
「ふぅ」
まつりはリアの手を取り、死体から離れる。
「もうここまで来てるのか…急ぐぞ」
「う…うん!」
リアは平然を保とうとするが、リア自身、なぜ足が動くのか解らなかった。
普段は臆病で、なにか特技があるわけでもない。
ただ、前にまつりの姿があるだけで、進むことが出来た。
それは、まつりも一緒だった。
幸い、それから『なにか』に出会うことはなく、まつりの家にたどり着いた。
鍵を閉め、机などを倒してバリケードを作り、二階へ登った。
「…よし。ここまでこれば大丈夫か」
自室に戻り、リアを座らせる。
まつりは棚の上に置いてあった小銃を手に取り、収納されている銃剣を突き出した。
彼女に闘志が舞い戻る。殺気を纏う。明らかに目の色が変わったのが、自分でも分かるほどだった。
「…いける」
途端、また誰かが扉を叩く音が聞こえた。
「ひッ!」
リアに、山小屋での出来事がフラッシュバックする。
まつりは銃剣を握りしめ、俊敏に階段を降りると、勢いよくドアを開けた。
予想通り『なにか』は両手を広げて襲いかかってきた。まつりは屈んで股下をくぐり抜け、背後から心臓を突き刺した。
『なにか』は反撃の余地もなく、胸から突き出る刃を眺めた。
「ッ!」
まつりは一気に銃剣を抜くと、それは大量の血と共に倒れた。
一瞬の内に、あたりに血の匂いが漂った。
なにかに気づいた彼女は、思わず目を見張った。
「こいつ…さっきの奴だ」
部屋に戻ってきたまつりは、目を塞ぐリアを喚起する。
「電気消して、奥の部屋に行こう。なるべく匂いを消すんだ」
「うん…。まつりちゃん、目大丈夫?」
「目…?」
机の上の割れた手鏡で確認するが、特に変わったところはない。
でも今はそれどころではなかった。
「大丈夫だと思う。…いくぞ」
広場の混沌は収まりつつあった。
なぜなら、叫ぶ者がいなくなったからだ。
そんな集落のはなれの一軒家から、一つの光が消えた。