二十七、夕餉
「ねぇ、一寸、!」
紺色の跳ねた髪の少年は興奮して叫んだ。
手にはフォーク、斜めに分けられた前髪を留めるピンに、真鍮の光が交差する。
「其処のビート鹹煮と味噌椿、あと、小さめの豆檸檬ちょうだい、あ、勿論、乳塩蜜たっぷりかけてね、!」
「藍煌、専属魔術師ともあろう者が、みっともありません、さあ、静かに座って、少し、待ちなさい、」
「あ、五明、! 此方にもウツラギ草の茹麺と、山芋餡を、」
「、ネイン、一角獣の甘肉は食べられるかい、?」
「うん、多分、。でも僕、そっちの、真ッ平らの貝が、食べたい、」
「五明、ラグ貝紅酒蒸しと、ソーサー水、其れと、わたしに波布珈琲の御代りも、頼みますよ、」
好き勝手に飛び交う、和気藹藹とした会話に漂うのは、偽善でも違和感でも無く、純粋な、良い、香り、。
深い蒼の机を囲む全員が、意識する者しない者含め、穏やか過ぎる空気を生み出していた。
この舟には似つかわしくない、仄仄とした雰囲気を、さも、毒でも喰らったかの如く、しばらくの間、呆然と遠くから傍観していたヨルが、遂に耐え切れなくなって声を上げた。
「いい加減に、しろ、!
此処は月の舟だぞ、!!!!!!!」
真紅の瞳で睨みをきかせたヨルの叫び声に、一瞬、ざわめきが失せた。
「・・・・ラグ貝紅酒蒸しと、肉詰め蒟蒻、追加、」
「貴様は特に黙ってろ、!」
空気を読まず、さらりと発言した五明に向け、すかさずヨルが規制する。
五明が気に入らないヨルは、彼に対する態度の遠慮を已めたらしい。
料理を載せた大皿を両腕に抱えた五明は、肩を竦めると机に皿を置き、椅子に腰掛けた。
「ユイルアロウ殿、勝手な船内使用、どうかお許し下さい、」
湯気を点てる淹れたての波布珈琲を一口飲み、立ち上がった小蓮が、深々と一礼して、にこやかに云った。
「皆、空腹を弱っています、何時、天体団からの攻撃を受けるとも知れぬこの状況では、目的地迄、我々が貴方を、身が裂けてもお守り致す他有りません、我ら議会衛星専属魔術師、必ず、御恩をお返ししとう存じます、。
酷い蝕撃です、どうか、貴方は、御休息成されて下さいますよう、」
優しい笑みを浮かべた小蓮は、もう一度、お辞儀してみせた。
其の後ろで藍煌が、そろりそろりと、口に料理を運んでいる。
「・・・・、、御休息、、ね、」
藍煌に向け、息を吹き掛ける仕草で魔法を放ったヨルは、疲れた様子で口角を吊り上げた。
ヨルの魔法で顔面に豆檸檬を炸裂させた藍煌は眼を押さえ、水場を求めて部屋を駆け出て行く。
其の背中を、皆の哀れむ視線が追いかけた。
「本当にそう思っているのなら、何故、お前らは僕の寝室で晩餐会を催して居るんだ、?」
ヨルは苛立ちを極力押さえ、頬をひくつかせ乍ら、小蓮を見据えた。
そう、此処は、ヨルの、寝室だった、。
ヨルは寝台で、砲撃に因る痛みを孕んだ脇腹を摩り、真白に点滅する月の舟で、しばし、休憩するつもりだった。
カムカヌカを引っ掴んでからと云うもの、実に色々な事が起こり過ぎて、正直、疲れた。
医癒合へ着く迄、静かに、思考の海深く沈みたかった。純粋に体調も、悪い、。
其れが、何だ、気が付けば甲板に居た筈の全員が此の部屋に集合し、挙句の果てに、食事までしている、。
「レカ嬢の御希望です、ユイルアロウ殿のお傍でないと、如何しても、厭です、と、」
栗色の長い髪でよく見得ないが、ネインは顔を真っ赤にして俯けていた。
ネインはヨルの事が心配で堪らないのだろう。
其れを此処で云う小蓮を一瞥し、ヨルは困った様に誰にも聴こえない溜め息を吐いた。
そして起こしていた身を寝台に滑らせ、皆に背を向けて横になる。
「、もう、勝手にしろ・・・・、但し、静かにやれ、
僕が少しでも煩いと感じたら、即刻、心臓を喰ってやる、。」
小蓮は全く、という素振をして、椅子についた。
同時に皆も、料理の並ぶ蒼い机に向かい直す。
真白にゆっくりの点滅を繰り返す、決して明るいとは言えない、どちらかと云えば不気味なこの舟室での夕餉が始まった。
やがて藍煌も眼を擦り乍ら、戻ってきた。
議会衛星から持ち込まれた簡易食料品の良い香りと、フォークと皿の接触音が、異端にも月の舟に響き渡る。
「緑宝を、案じておいでですか、。」
正のオーラに叛く様に背を向けてふて寝しているヨルに、声が掛けられた。
その人物は議会衛星で頭布を脱ぐ事の無かった、専属魔術師。
ヨルより少し大きい位の背格好の彼は、大人しそうな顔立ちに、灰色の瞳をしていた。
端整に刈られた短髪は、白銀の大きな髪飾りで解りにくく成っているが、天体団に似た、薄い赤髪だった。
従順さを窺わせる物静かな彼の問いかけに、ヨルは仰向けに体勢を変え、天井を見詰めて応える。
「、、案じて、は、ない、」
ヨルは額に右腕を乗せ、銀の髪をなぞった。
「本陣に召還されたのならば、其の身を案じてやるべきなのは、天体団の方だろう、雷妖?
だが、団長は、別だ、あいつは、緑に、触れられる、。
カムカヌカは、奴に遭遇するべきで無い、蟲が憑いているから、予想以上に鼻は利くと思うけど、・・・」
寝台の傍で、陰に座る、雷妖、と、呼ばれた専属魔術師は、黙ったままヨルを見詰めた。
それが、また、ヨルには辛く感じられた。
「カムカヌカを喰ったから、僕は飢えずに存在している、承認も得ないままに、舟として、。
僕は、、嗚呼、中身とは、幾年月経て、怨を燃やしても、ちっとも変わりやしないのだ、」
「・・・貴方が悼む事ばかりでは有りません、彼が望んだから邂逅した、神のお導きです、
どうぞ、今はお休み下さい、医癒合も、労わるばかりではありますまい、」
雷妖はそう囁くと、一礼し、長上着を翻して、ヨルの傍を離れた。
仰向けのヨルは、そのまま点滅する天井を、ひたすら見詰めた。
咽に競り上がる謝罪の念。
苦しくて、涙が、溢れそうだった、。
必ず、連れてゆこう、ほんとうの天上へ、楽園へ、
そんな事でしか、償えない、、
僕は、緑に、なりたかった、。