二十一、舵
三人の頭上を、何の起動音もさせぬ、月の舟が差し掛かった。
すっかり闇が覆う夜空に、舟の舳先からこちらを見下ろしている人影が幾つか確認出来る。
身を乗り出して手を振るネインの隣で、左眼帯の金の飾りを風に揺らしたヨルは、助けに来てやったぞ、という顔をして、ふんぞり返っていた。
その横で、静かに眼差しを落としていた蒼い長上着の男が、地上のカムカヌカ達三名に向けて、手を翳す。
すると、カムカヌカと、まだ跪いたままの五明の足下に、蒼白い光が湧き起こった。
光は線と成って二人を囲み、簡単な魔方陣を描く。
舟から魔法を使った男が、その翳した片手で空中を掴み上げる仕草をすると、カムカヌカと五明の身体がふわり、と宙に浮いた。
そのまま舟に吸い寄せられてゆく二人を追って、コハクも地を蹴った。
「咄嗟の事で、ネインの手しか取れず、悪かった、しかし生還出来るとは強運だね、カムカヌカ、
どちらかと云うと、其れは緑と対峙して無事だった、天体団の台詞だと思うけど、」
甲板にゆっくり着地したカムカヌカに、ヨルは愉快そうに笑った。
ヨルの傍にはネインと、頭布を目深に被った専属魔術師が二人。
一人はその身長からして、少年魔術師、藍煌。
もう一人はたった今、魔法を使ってくれた、恐らく初対面の魔術師だった。
カムカヌカと五明より、数間遅れて甲板に降り立ったコハクを見て、ネインが一歩、爪先を退く。
「蟲と仲良くなるとは、やっぱり趣味、悪いね、カムカヌカ、」
「仕舞いに燃すぞ、舟ごと、」
恐い恐い、と言い乍らネインを大袈裟に庇う体言をして見せるヨルに、コハクががなった。
カムカヌカは慌てて声を出す。
「コハクは助けてくれたんだ、来てくれなければ、撃たれていた、。」
カムカヌカの発言に、コハクは云々《うんうん》と、首を縦に振った。
ヨルは露骨に嫌そうな表情をしてみせて、向き直した。
「、。で、そいつは、?」
ヨルの豪く冷ややかな瞳孔が、カムカヌカと共に甲板にやって来た専属魔術師は五明に注がれた。
ヨルは好き嫌いがはっきりしている、カムカヌカにも徐々に解り始めたその態度の片鱗が、今まさに発揮されていた。
「この人も、助けてくれた、」
カムカヌカは位置的に自分側に居る二人を庇う様に、気持ち少し両手を広げた。
縁に背中を預けたまま、ヨルは片眉を吊り上げて不審がる。
「、何で、」
「、・・・え・・・・・・何で、??」
短いヨルの問いに、カムカヌカも五明を振り向き、同じ言葉を口にした。
その場に居る全員の視線が無表情の五明に集中したその時、
ダアアアアアン、!!
近距離で起こる轟音と共に、舟が右に大きく傾いだ。
瞬間、宙に浮いたカムカヌカの身体を五明が受け止める。
ヨルは同じ様に転がりかけたネインを抱き止めると、素早く藍煌達に預け、身を起こした。
空へ避難したコハクが鋭い声を上げる。
「被弾しているぞ、ユイルアロウ!!」
ヨルはその声を聴くか聴かないかの間で斜めに傾く縁を掴み、舟の側面を覗いた。
そのまま光弾が飛んで来た方向へ視線を滑らせたヨルは、紅い瞳に怒りを灯す。
「議会衛星の対戦闘主砲だ、正気か、」
そこかしこで黒い煙を上げる宮殿。
その向こうに聳える巨大な砲台が隠れもせず、月の舟を狙っていた。
直線に蛇睨む重厚な黒筒に、再び光源力が集束する。
「もう一撃来るぞ、ボロ舟を廻せ、ユイルアロウ、!!!」
「喧しい、!、」
天から叫ぶ蝶々に怒号を浴びせつつ、ヨルは宙に素早く魔方陣を展開させた。
その円は描き終えると同時に、真白に輝く、天舟の舵に形を変える。
それを握ると、ヨルは乱暴に舵をきった。
間も無く砲撃が放たれた音が、鈍く空気を震わせる。
ズドオオオオオ
凄まじい爆音が、甲板の、カムカヌカ達の頭上を駆け抜けた。
激しい光と熱が行き過ぎるのを見ていたカムカヌカは、同時に甲板を守るべく展開された、青白い三つの光盾を目撃した。
三名の専属魔術師が瞬時に施してくれたものと理解して、カムカヌカは少し、胸を撫で下ろす。
間一髪、舟は二回目の対戦闘主砲を避ける事に成功した。
舟を越えた砲撃は彼方まで飛び、議会衛星を宇宙と隔てている透明な壁を、見事に貫いた。
爆発音が鳴り響き、炎が鮮やかにうねった。
遥か向こうへぽっかりと開いた穴は、宇宙へと、容赦無く全てを吸い出し始める。
やがて風穴はこの舟にも牙を剥くだろう、。
ようやく均衡を取り戻した舟は、側面から灰色の煙を上げていた。
舵を手にしたまま肩で息をするヨルの銀の髪を、柔らかな雫が滑り落ちる。
「・・・・・・・・・雨、」
静かに降りだした雨が、甲板を湿らせてゆく。
「、天候制御装置が壊れたのでしょう、」
「・・・・議会衛星も沈むんだね、死海惑星のように、」
ネインを優しく包む魔術師に、藍煌が呟いた。
頭布の下でどんな顔をしているのだろう、。
五明が親切にもカムカヌカの頭に、長上着を翳してくれた。
軽く会釈を返したカムカヌカの目に、対戦闘主砲を睨むヨルが映った。
脇腹から出血している。
「その怪我で舟を発されるとは、一体いつ、貴方は自殺願望者まで堕ちたのだ、?」