二、蟲籠
「死んだ街へ、病んだ天宙へ」
その瞬間、カムカヌカは弾かれた様に身が倒れるのを感じた。
恐怖を覚え、途端、目を開くとそばにいたはずの二人がいない。
物凄い速さで背から落ちている事に気づいたカムカヌカは、何時下に叩き付けられるのかという事よりも、自らの後ろから遥か高みへ吸い込まれてゆくあの日あの時の記憶画像に心を奪われていた。
今までの人生の、自分の記憶。
それらが白い光の粒となって、幾つも筋を創っては、天へと消えてゆく。
懐かしい沢山の大切な過去達。
けれども二度とは還って来ない幻の様なあたたかい過去がカムカヌカは大嫌いだった。
物語の主役の様に記憶を失い、異次元を旅することを夢見た。
カムカヌカは再び眼を閉じると両腕を大きく広げ、祈った。
(僕の探す答えが、ある筈の明日が、もしもその手に凶器を持っていたとしても、
それらを待ち構える価値を、どうぞ月の舟に見出せます様、)
カムカヌカは気付かないままでいたかった。
再び開かれた自分の蒼の瞳が、もはや期待よりも後悔の色を映し始めていることに、。
間も無く、カムカヌカは背から柔らかな漆黒の宇宙に突っ込んでいった。
・・・どの位眠っていただろうか・・・・。
カムカヌカは甘い香りに咽返り、がばりと身を起こした。
眩暈を感じ、額を抑えたカムカヌカの視界が、一瞬黒い点で覆われる。
眉根を寄せたまま重たい眼球をめぐらせ辺りを見回したカムカヌカは、目を見張った。
一面の花畑だった。
花畑が美しいものとは知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。
というのも、カムカヌカの住む星、緑刻は汚染化が進み、自然の植物はほとんどが死に絶えていたからである。
しかし、先刻迄の経緯を考えると、状況が状況なだけにカムカヌカを冷たい不安がよぎる。
(、、まさか、黄泉世界?)
顔がひきつりかけたその時、反響する無邪気な笑い声が耳をついた。
カムカヌカは驚き、辺りを見回すと共に素早く立ち上がった。
何処にも人影はない・・・・。
花畑は一面、真っ赤に上揃い、満ち満ちる鮮血の海を淀わせた。
起立し、初めて天を仰いだカムカヌカは息を呑んだ。
例えるならばここは鳥籠だった。
美しく複雑な造形を成す籠目が遥か頭上迄閉じていた。
例えるならばというか、鳥籠でしか無い、カムカヌカは意味の無い訂正をしつつ、自分を囲う巨大な枠をひたすら見つめた。
どうやら今いるのは中心部らしく、前後左右、等しく6、7間はある。
非常識な鳥籠の上の方には、電線の様な黒紐が幾つも垂れており-------
・・・多分、良くは見えないが、恐らくの域を脱せぬ推測だが・・・
-------白骨が吊るされていた。
しかも如何考えても巨人だとしか思えない大きさであることが解ってしまい、如何にも背筋が寒くなった。
とりあえず目線を逸らし、枠の外を見た。
美しい青空。
入道雲が立ち昇り、自由な影をもたらしていた。
そんな青空には不釣合いな天体が、自分を、鳥籠を挟んで浮かんでいるのが見えた。
向かって左手に赤い天体、右手に黒い天体。
(惑星、?)
カムカヌカは裾に付いていた幾つかの花刺を払い落とし、赤い天体を見ようと籠の左端へ動いた。
遠い、遠い場所でそれは浮かんでいる様に見えた。
呼ばれている、そんな気がした。
「月を求むか、海の夜明けよ」
突然の二重声にカムカヌカは危うく内臓を吐き出す所だった。
180度、回転していそうな胃に傷みを覚えたがなんとか持ち応えたカムカヌカは更にぎょっとした。
先刻迄誰も居なかった花畑で、カムカヌカは両腕をそれぞれ捉まれていた。
濡れた様に黒い髪、金に光る悪戯っぽい瞳、身体はなんというか、実態無き者、とでも言うのだろうか、薄い青と緑に点滅しながら、中が透け、ゆらゆらしている。
人間ではないが、双子としか思えぬそっくりな姿形をした、幼い娘たちだった。
「其れは紅い月」
「あれは黒い太陽」
二人は左右を指差して重なる様に口々に云った。
「神が住むのは呼び声の優璃音、」
「巨大宇宙のゴシツプを頂戴、」
「連なって輪廻、連れてって廃都、」
「立つ事不可なら、歩む事腐敗説、」
二人はカムカヌカの腕をよりきつく絞め、にじり寄った。
何か言おうと思うカムカヌカであったが、全ての事柄において疑問が生じている為、言葉が見付からない。
「貴方が食されし魂か、」
「皇帝がお許しに成る筈も無い、」
「哀れ人よ、家路を失くす灯よ、」
「脳も脊髄も、二度とそこには還らない」
「そこ」で一斉にカムカヌカの身体を指した二人の言葉に何か真実味と恐怖を感じ、
渇いた喉から今に発声せんとした、その時だった。
「カムカヌカ!」
一面真紅だった花畑が突然黒く成り、空間を切り取ったかの様に鳥籠の真ん中に、ヨルとネインが降り立った。
ヨルは相も変わらず、嫌な感じの包帯人間を背負っていた。
ネインの手を引いてずんずん近付いてくるヨルが、カムカヌカには子守最中の兄に見えた。
「・・・・・何が可笑しいんだ」
「いや、何も、」
腕の自由無き直立不動のカムカヌカが笑みを押し殺しているのを見て、ヨルが不機嫌そうに尋ねた。
世勉の制服をきっちり着た小さなネインは、カムカヌカに纏わり付く双子からなるべく遠い位置で立ち止まり、不安そうな表情を浮かべている。
ヨルは、チラ、とカムカヌカを睨み、包帯人間を地に下ろして肩を払った。
そして無言で双子の首筋を乱暴に掴むと、そこいらに放り出した。
まるでただの物を扱うかの如き手荒さだった。
「見るから、こう成った!」
投げた双子には目もくれず、あっけにとられたカムカヌカに、凄い剣幕でヨルが言った。
「・・・・・・・・意味が解らない、」
「夢映像の記憶画像を見たろう!」
眼帯の金細工を揺らしてヨルが怒る。
カムカヌカは少し考え、ここへ来るまでの経緯をなぞって、背から落ちた時の事に思い当たった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・見た」
「如何して見たんだ、駄目だと言ったろう!
何故、僕がこんな場所へ来なくては成らないんだ!
薄気味悪くて最低な夜を刻む、血を濁したこいつらの巣なんかへ!」
ヨルはきっ、と後方の双子を睨んだ。
双子は目の色も変えずに黙って立ち上がった。
「見ては駄目、なんて聞いてないよ、」
「そんな訳はない、僕は、」
「・・言ってません、ヨル・・・」
ネインが割って入った。
突っ立っている双子の、そのもっと向こうで、小さな声で訴えるネインは涙目の様だ。
「もう、出ましょう、嘘罪夜は寒気がします、戻りましょう、嫌です・・・」
ネインは双子とこの鳥籠の世界に本当に具合が悪い様子だった。
そのさまを見て双子が互いに目配せをした。
「もう少し、居たら良い、」
「もてなしは脊髄を、」
「甘い香りに、酔舞踏を、」
「花弁を少しだけ、分けて頂戴、」
双子はじりじりネインに歩み寄ってゆく。
ネインは膝を震わせて、恐怖に叫んだ。
「蟲は嫌いですっ--------------------------!!!!!」
ついに背を向けて逆端へ逃げてゆくネインを見て、双子は愉快そうに笑った。
そんな双子をヨルは背後から容赦無く蹴り飛ばすと、包帯人間を背負い、カムカヌカを向いた。
「そうだな、出よう、・・・・来なよカムカヌカ、あんまり長居すると蟲臭さが伝染る、」
ヨルは少し疲れた顔をしていたが、素早く身を翻し、ネインの方へ向かった。
カムカヌカはまた黙ったまま立ち上がった双子を見てから、ヨルを追った。
「行っては駄目、喰われて啼くだけ、」
「血と成り、骨と成る、でも違う、」
「助けは来ない、」
「存在も、無い」
「五月蝿いな!」
再び振り返りヨルが怒鳴った。
ずり下がった包帯人間を背負いなおすヨルの後ろでネインが嫌悪感を丸出しにした顔をしている。
少し背間を歩みたカムカヌカもヨルのすぐそばまで到達したときだった。
「死体を戻せ、困る果てが見えよう、」
「証として持つならば許さぬ、戻せ」
双子は今度はヨルに詰め寄り出した。
だが、なんだろう、カムカヌカはこの双子の発言が、実は自分を守る為のものなのではないかと、うっすら思い始めていた。
少しずつ、距離を縮めてくる双子にヨルが仁王立ちでねめつける。
「近付くなよ、お前らは死神配下、幻想談の下僕、
天体団に追い詰められ、天球法議会に裁かれた者だ、
あんまり寄ると緑が伝染る」
ヨルはもう1度、包帯人間を背負いなおした。
「緑がまだ、怖いか」
「我令暖の森井戸にお前を引きずり堕としてやろうか、」
双子は淡々と言った。
ヨルは余裕と言わんばかりに邪悪な笑みを浮かべて応えた。
「・・・・・・夜葬の蝶の長に花束と祝福を、」
「栄光無き死の舟に償いと敗因を、」
双子の応えに更に気を害したヨルは無理矢理に笑顔を作り、再びずかずかとネインに向かった。
急に腕を引かれたネインは遠心力で大きく回され、ヨルにつづいた。
カムカヌカはヨルと双子の対話の中で、幾つか理解できそうなものが有った様な気がしていた。
考中、もう一度左右の赤と黒の天体を見つめ、双子の方に目をやった。
しかし、双子が今迄居た場所に、二人の姿は無かった。
(そういえば、ネインは二人のことを“蟲”、と言っていたっけ、、)
カムカヌカはじゃあ鳥籠じゃなくて蟲籠だな、などどまたもやあまり意味の無い訂正をしつつ、
ヨルとネインに向かって歩き出した。