十九、衝突
「---------皇帝クタニス、」
そう呟いたのは、すっかり怒りの色の褪せたネインだった。
その声主に怯える様子は無く、真っ直ぐに彼を見詰めている。
それだけでカムカヌカはその人物が、この月の舟一行に敵対する者では無いと推し測る事が出来た。
一瞬、眉を顰めたヨルは容赦無く握り続けていたカムカヌカの頬から手を離すと、椅子から立ち上がるべく、その青い椅子の肘掛を押した。
しかし、首の不自由を解消されたカムカヌカが背後の人物を捉える間も無く、起立し損ねたヨルが盛大に床に膝をついた。
「ヨル、!」
カムカヌカが手を差し出すより早く、ネインがヨルへしゃがみ込んだ。
「余程、体液を欠いたと診える、貴方を議会の老人達が条例違反だと噂していたが、
将軍も舟に緑を放つ旨、裁かれるべきであろう、」
夜無空、と、先ほど口にした彼を、カムカヌカは初めて振り向いた。
影の様にしっとりと其処に佇む皇帝クタニスと呼ばれた男は、門番の様に三人を見下ろしていた。
良い身形なのはすぐに解った。
豪華な黒色の絹地で幾重にも重ねられた王着の彼は、その声から若者さを伺わせるが、立派な飾り帽子を被っている為、表情が見えない。
その手には自身の背丈をゆうに越える、美しい魔法杖が握られていた。
遥か頭上の杖の先できらきら光る垂飾りがぶつかり合う音が、やけにカムカヌカの耳に届いた。
「取引の行為過ぎだ、ユイルアロウ、何だかんだ反論して、闘討伐で水銀を被り、卑しい天舟に成り下がるも、今でも貴方がこの天で頂上の天体団なのだ、世界が、終わっても、永遠に、、。」
ぴかぴかに磨かれた青い床に映る自らに視線を落として呼吸を整えていたヨルは、淡々と話す皇帝クタニスのその言葉を受け、じわじわと眉根に深いしわを刻んでいた。
ヨルは浅く溜め息を吐くと、まだ重たい脳を押し上げ、ネインの助けを借りずに、ゆらりと起立した。
「有難う、クタニス、僕には勿体無い過大評価だよ、、、・・・心底、虫唾が走る、」
言い終え乍ら椅子へ雪崩れ込むヨルの顔色が悪いのをみて、カムカヌカは何故だか、ほら見ろ、無駄な牽制をするからだ、と心で呟いていた。
ネインと自分を不安にさせ続けた罰だ、怪我人のくせに、何故大人しくしない、結局、ヨルも、馬鹿だ、。
カムカヌカが口には出せないヨルへの罵倒で心を充満させていた其の時、何の前触れも無く、皇帝クタニスがカムカヌカを向いた。
「、緑は素直だな、何の濁りも無くて、美しい、
わたしも貴方と同意見、ユイルアロウは馬鹿だ、もう少し、大人しくする事を学んだ方が良い、」
「っ、!、?」
カムカヌカは驚きで反射的に、急に空気を飲み込んでしまった。
胸元を激しく殴りつけ動揺するカムカヌカに、ヨルとネインが揃って白い目を向けている。
心を、読まれた、?、、
「あっそう、・・・・そんな事考えていたんだ、カムカヌカ、そんなの直接、僕に云えば良いぢゃないか、!今更、水臭いなあ、」
ヨルはこれ以上無いくらい、愛嬌のある笑顔で微笑んだ。後ろに薔薇が咲く効果すら見え隠れしている。
カムカヌカはヨルの造り笑いに充分な知識があった為、一歩後退しかけた、が、
そんな隙を許す訳も無く、カムカヌカの胸元はヨルによって乱暴に掴まれていた。
「緑喰の巣窟へ旅行してみようか、はたまた囚惑星の監獄へ緑ですという看板を首から下げ---------、、」
ゴ、「だっ、!」
皇帝クタニスの長い長い魔法杖がヨルの脳天に降打された。
ヨルは頭と脇腹を押さえ、椅子に丸くなり、悶絶している。
心配して寄り添うネインの顎に、今度は痛みで暴れるヨルの肘が殴打した。
「・・・・・」
「お気楽な連中だな、」
呆然とするカムカヌカに、皇帝クタニスは二人を視界に入れる事もせず、淡々と続けた。
「読心をして済まなかった、この腐った議会衛星では、緑の貴方の声が、最も良く聴こえるのだ、。
緑刻から来られたのだろう、?精神が在る限り、やり方ひとつで何者も貴方の優位に立つ事は出来ない、ユイルアロウを心配するその心優しさ、如何か可能な限り、彼の傍に憑いてやってくれ、」
そう言って皇帝クタニスは、カムカヌカに丁寧な挨拶をしてくれた。
(ああ、この人は、味方なのだ、)
舟に乗ってからというもの、ヨルを庇うのはあの小さなネインだけだった。
専属魔術師の小蓮も、ヨルを大切に扱っていたけれど、それは議員だから、というのがあってこそなのかもしれない、だが、この人は、・・・
「皇帝クタニス、貴方は、」
少し遅れて一礼し返したカムカヌカの小さな質問は、痛みから復活したヨルの怒号によって、無残にも掻き消された。
「クタニス、!傷口が開くところだったろう、三途園へ到達しかけた、!
いま再び弱ると、本気で舟を保てなく成るぢゃないか、っ!」
吼え乍ら、やはり今殴られた頭部よりも抉られた脇腹が痛むのか、しきりに腹を摩るヨルが、皇帝クタニスに詰め寄った。
恍ける様に適当にヨルを交わすと、彼は声を低くして囁いた。
「そんな事より、ユイルアロウ、天体団の現・団長がここ十数年、全く出席してこないそうだが、何か知らないか、?」
ぴく、とヨルとネインが反応した。
ネインは唾を飲み込んで、急に不安を瞳に映しだす。
その空気に、カムカヌカは交互にヨルと皇帝クタニスを見やった。
やがてヨルは鼻を鳴らすと、再び椅子に沈み込んだ。
「・・・・・・知らないね、」
ヨルは暴れた所為で遠くへ離れてしまっていた点滴吊るしを引っ張ると、片側の肘掛に
凭れ、長い溜め息を吐いた。
冷えた手で額を押さえ、睫毛を伏せる。
「僕はあの日以来、あの男には会っていないし、天体団の誰ともまともな接触をしていない、」
ヨルはそう言って、議長席の左隣の空席に視線をやった。
カムカヌカは、全十九名のこの天球法議会で、本日、欠席をしている二名が密かに気になっていた。
(そうか、一人は、天体団、)
議長席の左隣、あそこにかつて、天体団の皇帝だった頃のヨルが、鎮座していたのだろう、。
じゃあ、あとのもう一人は、?
「・・・・・などと云いつつ、クタニス、君も久しく出席していなかったよね、」
「・・・え、」
ヨルは得意げに、皇帝クタニスを見上げた。
「確か僕が舟に成る以前から来ていなかっただろう、そう、ちょうど、天在軍の医師の肺を取引してやった暦だ、此れは馴染むのにとても苦労したよ、毎日息も吸えぬ程に痛むからラブフカラの元に半分、棲んでいたっけ、その時の会議以来、君は出席していないだろう、他人を気にするより、自らを律したら如何なんだ、」
「僕は、!」
誰も何も言っていないのに、ヨルは皆を制止する体言をしてみせると、続けた。
「僕も出席率が悪いとか云われているけれど、舟に成ってから今日が三度目の出席だ、
クタニス帝国はそんなにお忙しいのかい、?」
ヨルはふー、と肩を落とし、勝ち誇った目で笑ってみせた。
カムカヌカの知らない世界が、またひとつ、垣間見えた気がした。
だが、それ以前に、ヨルの発言はいちいち、鬱陶しい、、。
皇帝クタニスはしばらく沈黙した後、くす、と身体で笑うと、静かに立派な飾り帽に手をかけた。
優雅に髪の毛を振り払い乍ら帽子を脱ぎ、眼前に露に成った彼の素顔は、賢者の様な、強かな顔立ちだった。
昼間の明るい日差しを思わせる、活発な蜜柑色に輝く髪は、ばらばらの長さでところどころ結われ、ちらほら真珠が散っていた。
今までに見た事の無い髪の色に、カムカヌカは目が釘付けだった。
「・・・ああ、我が帝国は盟天塔直下の由緒正しき、太陽の守、
貴方みたいに他所様の魂を引っつかむ様な卑しい乞食とは違い、
常に正規の勤めで、忙しいのだ、」
まさに南国を連想させる褐色の肌の皇帝クタニスは、ヨルに負けずとも劣らぬ、毒々しい笑みでそう言った。
額に青筋を浮かべたヨルが、悔しそうに引き攣った微笑で、対抗する。
不自然に笑い合う二人に、ネインは涙を零し始め、カムカヌカは呆れ返っていた。
二人の過去が見える気がした・・、。
しばしそうして睨み合った後に、皇帝クタニスが仕切りなおすように両手を鳴らした。
「・・・・・・と、まあ、天体団のお嬢さんがまた爆発する前に、本題に入ろう、」
「本題、?」
少し顔を赤らめたネインを宥めて、ヨルが訝しげに尋ねる。
皇帝クタニスは、身を低くして真剣な眼差しで言った。
「盟天塔の女神・ソラ・ソレイユについてだ、、、」
ヨルが顔色を変えて、クタニスを見上げる。
「まさか、天体団、・・・!」
クタニスは静かにに頷いた。
「本日は、貴方が出席為さるから団長も来られると踏んだが・・・・、
此の儘では真意が解らない、」
「しかし、あの日確かにソレイユは---------」
ド、ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!
「、、!!!??」
突然、物凄い衝撃が会議室を襲った。
地響きの様な爆音が身体を貫き、激しい風が吹き荒ぶ。
建物の破片が風と砂煙に混じって、議員達を襲った。
伸ばした手の先すら見せない砂埃が、周りに居たヨルやネインを遮り、カムカヌカを孤立させた。
それでもカムカヌカは強風に押され、引っくり返りながらも必死に視界を確保しようと、腕を眼に翳して視線を巡らせていた。
だが煙や飛んでくる瓦礫に、全く太刀打ち出来ない。
奇跡的に一瞬晴れた室内のその隙間に、カムカヌカは、僅かに状況を悟る手掛かりを垣間見る事に成功した。
議長席の後ろの扉の向こうから、建物を食い破って、巨大な建造物の先端が存在していた。
(舟、)
議会衛星の宮殿に、巨大な舟が衝突したのだ、。
この、会議室を狙って---------