十四、翌日
「、、小蓮、、」
静まった炎のまだ残る煙の中に立つ人影を見て、ヨルと藍煌から笑みが失せた。
コハクは自分に責任は無いと言わんばかりに、間良く、再びその姿を光に溶かして消える。
カムカヌカが初めて対面するその長身の青年は、煙が収まるのを待つと、にっこりと微笑んでみせた。まるで聖母の様な優しい笑顔。
その額に青筋が浮いているのを、その場の誰もが認識していた。
小蓮は煤けた服を軽く払い、ヨルに向けて深々と一礼した。
礼の意味を悟り、ヨルが歩を退きかけた瞬間、小蓮は滑るように近付くと、じんわりと血の滲むヨルの脇腹に思いっきり手刀を食い込ませた。
ヨルがその場にくずおれると同時に、彼は藍煌に向けて指を弾く。
困惑するカムカヌカを前に、藍煌はこの空間から音も無く消え失せた。
「手荒な真似を失礼しました、ユイルアロウ、全て貴方の身を案じての事、ご理解下さい」
蹲り悶絶するヨルに、小蓮が再び頭を垂れた。
そして笑顔のまま、硬直しているカムカヌカを向く。
びくりと身構えるカムカヌカを見て、小蓮は吹き出した。
「・・・緑、カムカヌカ、貴方も部屋へお戻り下さい、
天球法議会はユイルアロウ含め、遺証である貴方を歓迎してはおりません。
此の宮殿の至る所に、緑喰は潜んでいます、夜明けも宵も、その隅々まで緑刻を滅呑する事を夢見ているのです、」
訝しげに睨むカムカヌカに小蓮は優しい眼差しで笑いかけた。
では、と軽く会釈すると、彼はヨルを担ぎ上げて部屋を去って行った。
「魔術師は何を考えているか解らぬ、」
少し離れた壁に寄り掛かる体勢で再現出したコハクが、実に面倒そうにそう言った。
カムカヌカはその言葉に静かに頷くと、数滴、滴り落ちているヨルの血液を眺めた。
赤黒い其れは、しばらく自己の範囲で生き物のように小さく蠢き、やがて動を失った。
「カムカヌカ、と云ったな、お主に此れを与えよう、」
偉そうな物言いにカムカヌカが目を上げると、コハクがひとつの絵の具を差し出していた。
カムカヌカが疑いの視線を向けているのをお構い無しに、コハクはそれを強引に鼻先に押し付ける。
その白い手に握られている絵の具には、舟室に記されていた物に似た、カムカヌカには全く読めない文字が刻まれていた。
「ありがとう、ございます、、」
「其れは餞別だ、何時までも緑に恵まれますよう、夜蝶女仏のご加護と祝福を、」
コハクは絵の具を受け取ったカムカヌカにそう言うと、胸の前で手を合わせ、深く深く一礼した。
そのまま再び光に消えゆくコハクに、カムカヌカもそっと頭を下げた。
翌日の天球法議会はここ幾百年間で、一番出席率の良い日と成った。
暗く蒼い会議室は全十九席中、十六席が既に埋まり、着席した星団、機関、組織、帝国の代表による囁きが、宙を駆けていた。
議長の望飛は満足そうに顎をさすり乍ら、着席した皆を臨んでいた。
秘書が運んで来た淹れたての珈琲を飲み、整頓された書類に目を通すべく手を伸ばす。
書のてっぺんに記された文を一目見た途端、珈琲に舌鼓を打っていた彼の瞳から生気が失われた。
そうだ、この皆の集まりの良さには理由が在るのだ、あまりにも優秀な出席具合に盲目していたが、本日と云う日を拒めるのなら、わたしは石に成っても良い-------
「本日の議題・月の舟uwillArow」
望飛は深い溜め息をつき、今日も全力で頭を抱え込んだ。
其の時、今まで囁き合っていた帝達の声が一斉に止んだ。
望飛は、はっ、と顔を上げる。
来た・・・・・・・!
静寂に包まれた会議室。
十六人全員の神経は、巨大な蒼い扉の、其の向こうから姿を現した、月の舟の船長・ヨルに集中していた。
銀に燃ゆる髪は薄暗い会議室に光を齎し、刺す様に注がれた紅い瞳は其の視線の先を焼いた。
上品な臙脂色の軍服にきっかりと身を納め、きらきらと煌く右目の眼帯の金細工を揺らしたヨルは、誰よりも優雅に会議室へ歩み入った。
其の腕に点滴が繋がっているのを発見した望飛はじめ出席者達が、露骨に嫌そうな顔をした。
偉そうに進むヨルに次いで、出席を促されたネインとカムカヌカも続く。
それを見て、何人かがひそひそと囁き合う。
緑だ何だと話しているのだろう、カムカヌカは少々居心地の悪い体で、ヨルの右隣に用意された椅子へ腰掛けた。
ヨルを挟んで左側に座ったネインも、居辛そうに目を泳がせている。
三人が着席した後に、蒼い長上着を全身に纏った専属魔術師が五人、一礼と共に入室した。
五人はそれぞれ会議室に散らばると、壁に溶け、気配を絶った。
内、二人がヨルの背後に憑いていた。
見張り、といったところだろう、カムカヌカは眉根を寄せると、憂鬱そうにヨルを見た。
ヨルは自身たっぷりの笑みを浮かべ、会議室を眺めていた。
点滴を吊るした細い鉛棒が三人を冷たく映し込んでいた。
やがて扉が重々しく閉じられ、議員十七名による天球法議会が始まった。