十、議会衛星
本日の天球法議会は欠員が目立っていた。
全宇宙でこの最高議会に名を連ねるは十九名。
普段から全員が揃う事はまず無いのだが、この日は何時に無く会議室が広い。
天球法議会議長・望飛は、何時もの様に腕組みをして議員を待っていた。
天在軍で軍人をしていた事のある彼はがたいも良く、頭も切れる男だ。
彼の耳に、先刻入ってきた情報・・・其れは月の舟に関する事だった。
今こちらへ舟が向かっているという。
その事を思い出し、議長・望飛は堂々と頭を抱えた。
縦42間、横17間の巨大で頑丈な扉は開け放たれ、開始予定時刻を待っていた。
顔が映る程に磨き上げられた窓の無い薄暗い蒼色の部屋で、既に着席している帝達は声を潜めて噂する。
「聴かれたか、ユイルアロウの中継、」
「嗚呼、勿論。将軍と対峙したと」
「しかしあの舟は位球すら欺くそうだな、条例違反では無いのかね?」
「・・・呪われた運命の元に自ら鎮座する旨、奴も馬鹿ぢゃ有りませんよ、」
「!、之は、皇帝クタニス、本日は欠席では、?」
ユイルアロウ・・・・・ヨルを若干擁護する発言をした若い声。
皇帝クタニスと呼ばれた彼は、闇に紛れ、空席だったはずの椅子に影の様に現れた。
「急な報せで明日、ユイルアロウが出席為さると聴きつけ、飛んで来たのです。
そしたら意外に早く着いてしまいましてね、」
立派な帽子の深い陰りによって顔は見得ないが、非常に若い声の皇帝クタニスは淡々とそう言って王着の装飾品を揺らした。
社交辞令の挨拶もそこそこ、先に着席していた議員らが噂話に戻っていく中で、皇帝クタニスは数年前に別れたきりのヨルの事を考えていた。
(堕帝ユイルアロウ、盟天塔はあの日から濁崩して居る・・・、)
それから数人が駆け込み、やがて扉が重々しく閉め切らると欠員の多い会議は開始された。
カムカヌカは清潔な部屋に居た。
窓からは爽やかな空気が流れ込み、暖かい風が頬を撫でた。
出窓の外には庭師に整備された美しい花壇が広がっており、空は蒼かった。
そして、部屋も、蒼かった。
椅子も、寝台も、天井も、容器も、何もかも、蒼かった。
カムカヌカは部屋を見回し、溜め息を吐いた。
首には(ちゃんと)白い包帯が巻かれている。
痛みが無いので包帯をほどいてみたカムカヌカは、再び肩を落とした。
ヨルに刺され、おぞましい量の緑が溢れていた傷口は、もうすっかり塞がっていた。
カムカヌカは嫌でも、今の自己が魂魄である事を思い知るしかない。
得体の知れない喪失感に苛まれるカムカヌカは鏡から目を逸らし、横を見やった。
隣の寝台ではネインが眠っていた。
疲れきって寝息をたてる幼子の顔は、時を経てはいないが初めて会った時より少し痩身してみえた。
蒼い布団に栗色の髪は目立ち、改めてネインが少女だった事にはっとする。
そしてその、色を失った頬に貼られた療布が目に留まった。
彼女の傷口からも零れた花弁・・・。
ネインの中身は、あの、将軍アランと同じ、なの、か、、?
カムカヌカは窓の外を向き、別室に連れて行かれたヨルの事を考えた。
月の舟は一瞬でこの天球法議会の本陣、議会衛星へ到着した。
議会衛星港へ舟を着け、カムカヌカ一行は緑刻を発てから初めて降舟した。
傷が酷いから集中治療室へ、と魔術師たちに引っ張られ、文句を言い乍らも抵抗する力も失っているヨルは、緑色と血の赤でぐちゃぐちゃのまま、人形みたいに抱えられて遠くへ運ばれて行った。
確かに凄い大怪我だった。
人間が腹の抉れ居る様は、見ているこちらも痛みを感じる。
って、俺も首、刺されたけど、。
だがカムカヌカは恨んだりしていない。
ヨルを責める気持ちは全く無かった。
ただ何故、こんな事に成っているのか、正しい真実だけが欲しかった。
理解出来ぬ儘、先刻の戦闘の様な目には、もう出会いたく無い。
カムカヌカには解らない事が多過ぎるのだ。
だいたいヨルがあんなにずたずたにした自分の肉体は何処に行ったのか。
カムカヌカは窓の外の明るい世界を覗いた。
もう肉体は諦めよう・・などと考え乍らぼんやり飛翔する蜜蜂を眺めていた。
(、、!)
ふいにカムカヌカは油の匂いを感じ、目を上げた。
絵を描く為の油の匂い。
リンシイド?
・・いや、シッカチイフ?
油絵を嗜むカムカヌカにとってそれはとてつもなく懐かしく、心地良い香りだった。
やがてカムカヌカは蜜に誘われる蜂の如く、匂いの先を求めて、ネインの眠る蒼い部屋を後にした。