パンチラ転校生と保健室の従姉と大和撫子な図書委員
ふと目が覚めた。
いや、勝手に目が覚めたわけではない。もちろん、目が覚めるには理由があった。
「……あと5分……」
騒がしくなる叫ぶ目覚まし時計から逃げるように、布団を被る。
被ったところで、気付く。今、時計は何時を指していた⁉
「やべえ!遅刻だ!」
普段起きる時間よりも、30分も遅い。急いで制服に着替え、リビングへ向かった。
「あら、起きたのね。おはよう。朝ごはんはトーストでいいかしら」
「なんで起こしてくれなかったんだ!これじゃあ遅刻だよ!」
呑気に朝食を作る母親に文句をぶつける。
「起こしたわよ~。でもあなたがあと5分って言うんだもの」
「~!!」
これ以上の争いは、逆に時間ロスになってしまう。俺は用意されたトーストをくわえて、家を飛び出した。
俺の名前は、佐藤蓮。ごく普通の高校1年生だ。
「ギリ間に合うか……?」
スマホの時計を確認する。このまま走れば、間に合うはずだ。俺は速度を早めた。
その瞬間、目の前に星が流れた。
「ってえ……」
「いったーい」
女の声が聞こえた。視界の暗転が収まると、今度は美少女が現れた。美少女と、白パン。
「いや、すま……」
「っ何見てんのよ!」
左頬に電撃が走った。同時に、再びの暗転。
「サイテーっ!」
そう言うと、美少女は走り出していった。
●
「ということが今朝方あってだな」
「それは災難でやんすね~」
「んで、パンツは見えたのか?」
「ああ、白だった」
「くあ~白か!清純!」
ギリギリ遅刻を免れた俺は、先の出来事を友人の高橋と佐々木に話していた。
「朝からラッキースケベなんてついているでやんすね、蓮殿。拙者も明日パンをくわえて走ってみるでやんす」
「まさか、白パン美少女が転校してきたりして」
「そんなベタな……」
駄弁っていると、教室のドアが開いた。
「はいはいちゅうもーく!」
担任が手を叩きながら入ってくる。みんな席に着き、俺も担任に注目した。
「今日からこのクラスに転校生がやってきました」
まさか。そんなベタな展開が……。
しかし、俺の予想を裏切り、いや、ある意味予想通りに、その女はやって来た。
「城崎真雪と言います。よろしくお願いしま……あーっ!」
城崎真雪と名乗ったそいつと、目が合った。俺は軽く頭を下げようとした時……。
「変態パンツ覗き魔!」
俺を指さし、教室に響き渡る声で言い放った。クラスの視線が、城崎から俺に移される。
「誰が変態パンツ覗き魔だ!」
反射で、俺は席を立ち反論した。
「なんだ、二人知り合いだったのか。ちょうどいい。佐藤の隣の席開いてるから、城崎、席そこな」
この担任は会話の流れは汲まないのか。
「いやですっ!変態の隣なんか座りたくありませんっ!」
「俺だってそんなうるさい奴、隣に座られたら授業に集中できません!」
「何ですって⁉」
「何だと⁉」
俺と城崎は睨み合う。
「はいはいしゅうりょーう。仲良しじゃないか、二人とも。城崎、早く席着けー。佐藤も座れー」
決定。この教師は無能である。
こうして、お騒がせ白パン美少女転校生との学校生活が始まった。
●
「放課後、城崎さんを校舎案内してね」
そう担任に言われ、俺は城崎をいやいや案内していた。なぜ隣の席に座っただけで、そんなイベントが発生する。女子の案内は女子にさせろ。こいつに女友達ができなかったら担任、アンタのせいだぞ。
「なんで変態に案内されないといけないわけ?女の子に案内して欲しかったんだけど」
「それはもう俺のモノローグで済ませた」
「何言ってるの?」
本当にな。
「案内って言っても、どこ案内すればいいのやら」
結局、図書室、化学実験室、生徒会室、体育館など、よく使うであろう場所を案内して、城崎の校舎案内は終了した。もちろん、それ以上のことはなかった。
●
家に帰って俺を出迎えたのは、家の中を忙しく駆け回る母の姿だった。
「何やってるんだ」
「あら蓮、おかえりなさい。ちょっと夕飯作れそうにないから、スーパーにお弁当買ってきてもらえる?あ、お母さんは夕飯前には出ちゃうから自分のだけでいいわよ」
どっか出掛けるのか。だからこの慌てよう。
「父さんの分は?」
「お父さんも一緒だから!」
「あ、そう」
俺は着の身着のまま、つまりは学生服のままスーパーへと向かっていった。
「なんでアンタがここにいるの……⁉」
もはやここまでべタな展開が続くと、笑うしかない。城崎真雪が、そこにいた。
「こっちのセリフだ。ここは俺の生活圏内のスーパーだ」
「知らないわよっそんなのっ」
言ってないからな。
「ついてこないでよねっ!」
言われんでもそうするわ。
「」
同じ半額弁当に手を出したのは、言うまでもない。
「先にあたしが触ったわ」
「じゃあ俺が先にカゴに入れる」
俺は半額となったデミグラスハンバーグ弁当をカゴに入れた。
「卑怯よ!返しなさい!」
すでに俺のカゴに収まっている弁当を取り出し、自分のカゴに入れる。
「いやいやいや。そもそもお前、なんで弁当なんだよ。親が飯作ってくれないのか?」
城崎の顔が曇った。やべ、地雷踏んだか……。
「あ母さん、仕事で忙しいから……。お父さんは忙しいし……」
「…………」
ガチな地雷じゃねえか。
「弁当、やるよ」
「いいの⁉」
「俺はこっちの幕の内弁当も好きだから」
「ふーん。意外にいいトコあるのね」
チョロくないか、コイツ。ぬるいギャルゲーかよ。
「じゃあな。俺は腹が減ってるから、帰る」
俺は城崎に背を向け、レジへと歩を進めた。
「佐藤!」
背中に、城崎の声が掛かる。
「……ありがと。また明日」
俺は左手をひらひらと振った。後ろは振り返らなかった。
右手にスーパーの袋を提げて家に戻ると、ちょうど母と父が家を出るところだった。
「……どこか旅行にでも行くのか?」
どう考えても、今夜だけ息子を置いて二人で楽しんできますという荷物ではなかった。夫婦揃って積載限界のスーツケースを持って、どこへ行く気だ。
「おかえり、蓮!急で悪いんだけど、お父さんの海外長期出張が明日から1年間あるのよ。ちょっとイギリスまで行ってくるわ」
どこからツッコんでいいのか分からなかった。
「お土産は買ってきてやるよ。耳くそ味のキャンディーでいいか?」
能天気かこの親父は。魔法学校にでも転勤すんのかよ。
「おかしいだろ。息子おいて海外出張って、俺が言うのもなんだが、正気か?」
「そうは言っても、向こうの学校の手続きしてないし、こっちの学校の学費は払ってるし……。蓮もお友達と離れるのは嫌でしょ?」
そう言われるとそうだが……。
「相談なしに決めるか、フツー?」
「急に決まったことなのよ。大目に見て。ごめんね、飛行機の時間あるから」
スーツケースを脇に、両親は俺の元から離れていった。
「そうそう、保護者代わりとして、お姉ちゃん呼んどいたから。いい子にしてるのよー」
遠巻きにそう聞こえた。俺に姉なんていない。
「生活費はちゃんと振り込むからねー」
諦め十割のため息を吐いて、俺はすでに冷え切った幕の内弁当を温めるのであった。
幕の内弁当を食べ終え、一人テレビを見ていると、チャイムが鳴った。ここまでくると、出るのも面倒である。
「蓮くーん?いないのー?」
どうやら俺の保護者代わりの姉が来たようだ。しかし、俺には姉はいない。生き別れだとしたら、そんな大事なことを海外出張に紛れて告白する両親の頭が心配だ。
「勝手に入っちゃうよー」
やれるもんならやってみろ。俺は無視してテレビを見続けた。
ガチャリ。
「え……?」
俺は思わず、驚きを声に出してしまった。鍵は、閉めていたはずなのに……?足音は、廊下を通り、こちらへと向かってくる。俺の目は、廊下とリビングを隔てるドアに釘付けだった。
ドアが、開く。
「いるじゃなーい、蓮くん。久しぶり~」
そこにいたのは、黒髪ロングな眼鏡のお姉さんだった。
「と、透子……なのか⁉」
姉とはいっても、そこにいたのは、従姉の佐藤透子だった。確かに、年齢は7つも離れているし、昔はお姉ちゃんと呼んでいたかもしれない。しかし、会うのはかれこれ6年振りくらい。母さんもお姉ちゃんじゃなく従姉が来るとそう言え。
「透子、じゃなくて透子姉でしょ。なーんか大人っぽくなって、つまんないな。昔はあーんなにちっこくて可愛かったのに」
お互い様だ。そっちこそ実りのある大人になりやがって。
「というか、まさか、透子姉が俺の親の代わり……なのか?」
「そうだよー。叔父さんも叔母さんも急に大変だね。でもいいなあ、イギリス。私も行きたい」
「急に大変なのは透子姉もだろ⁉仕事は⁉」
俺の7つ上。つまり、今年24歳。社会人も2年目である。
「ちょうどこっちで働くことになったのよ。アパートがどこも埋まってて。私としても、家賃も浮くし助かるわ~」
アパートが埋まってて?家賃が浮く?
「どういうこと?」
「あれ?叔母さんから聞いてない?私が蓮くんの親代わりとして、ここに住んでお世話するのよ?」
ベタすぎるけど、2人目の候補が従姉の社会人姉さん枠って、飛ばしすぎだろおおお!
「長旅で疲れちゃった。お風呂借りるねーって、蓮くんもまだ入ってないよね?一緒に入る?昔みたいにさ」
胸元をチラつかせながら透子は言う。
「ばっバッカじゃねーの!」
俺は自室へと駆け込んだ。顔が赤いのは、ツッコみ疲れたせいだ。
●
「蓮くん……起きて……」
その声に、俺は、俺たちは目覚めた。
「おはようっ!蓮くん」
目の前には、透子姉がいた。
「ばっ…勝手に部屋に入ってくんなよっ!」
俺は布団にくるまり、追い払う。
「思春期ねー。朝ごはんできてるから、着替えて下りてきてねー」
今日は帰り道で南京錠を買って来よう。
リビングへ行くと、テーブルの上にはご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、納豆、ほうれん草のおひたしが並んでいた。
「朝から和食のフルコース!」
昨日の食パン一枚をくわえていた生活から、一気に貴族階級に成り上がりだ。
「料理に自信がないんだけど……」
しかし俺は気付いていた。おそらく、自信がないという人ほど、めちゃくちゃうまいものを作ると……。
卵焼きを一口、口に入れた。
「この絶妙なあまじょっぱさに、口の中でとろける半熟具合……それでいて、濃厚な卵の味わいも残る……はっきり言って、美味です!」
「良かった~。口に合わなかったらどうしようかと」
うまいものを食べると、食レポもうまくなる。
「じゃ、私は先行くね。あ、お皿は流しに置いておくだけでいいけど、できれば洗っておいてほしいなっ!」
「さー!いえっさー!」
こんな朝食を食べたら、従順になるのも仕方がない。俺は皿を洗ってから、学校を目指した。
学校に着くと、隣にはすでに城崎が座っていた。その周りにもう使ったのか、友人の姿もいる。俺は昨夜のこともあり、なんか言われるかなとも思ったが、城崎は俺に一瞥をくれるだけだった。チョロいと思っていた自分が恥ずかしい。
「おはようでやんす。蓮殿」
「おう高橋。ってなんだ、その目は」
じろじろと俺の顔を覗き込んでくる。近い近い。
「メスの匂いがするでやんす」
その声に反応したのは、俺を無視した城崎だった。しかし今度も、俺を見て嫌な顔をしただけだった。なんで嫌な顔をされなければならん。
「なんだよメスの匂いって。お前は嗅いだことあんのかよ」
「プールで女子とすれ違ったときにする匂いがしたでやんす」
「はっきり言ってキモイぞ、お前」
「やんす……」
俺は自分の匂いを嗅いでみた。もちろん、そんな匂いはしない。
「おいっす、蓮、高橋。なあ聞いたか?」
佐々木がやってきた。
「何をだ?」
「今日、新しい保健室の先生がやってくるらしいぞ。なんでも、前までの先生が寿退職したとかで」
俺は背筋に冷たいものを感じた。
「昨日は転校生が来て、今日は先生がやってくるでやんすか。珍しいこともあるでやんすね」
この事態を珍しいで終わらせていいのか?いや、まあそんなこともあるのか……。俺は自分に言い聞かせた。
「というわけで、全校集会だってよ。体育館行こうぜ」
俺たちは体育館へと向かった。
「新しく保健室の先生になりました。佐藤透子と申します。みなさん、保健室はケガをしていなくても来てもいい所なんですよ?待ってますっ!」
やっぱりそうなるのか!
「おいおい、あのルックスでそのセリフはやばいんじゃない?期待しちゃうぜ、俺」
「めっちゃ美人でやんすね。あれ?蓮殿顔が引きつってるでやんすよ?普通は鼻の下が伸びるじゃないでやんすか?」
俺はこういう時に言うセリフを用意していた。両手を宙でひらひらさせ、
「やれやれだぜ」
校舎内で鉢合わせないことだけ祈っておこう。
●
もちろん、そんな俺の祈りが届くほど、神様は近くにいなかった。
体育の時間のサッカーで、見事俺は顔面ブロック。ゴールは守れたものの、その代償は下の顔半分が血にまみれる事態だった。
「おい、保健委員。保健室連れてってやれ」
「いえ、一人で大丈夫です」
透子姉との関係がバレるのが一番まずい。鼻を抑えながら俺は保健室に入った。
「失礼しまーす」
「あ、蓮くーん」
しかし透子姉の姿より先に俺の目に入ってくる逆三角形の白景色がそこにあった。
俺は鼻以外に、左頬の痛みも増えた。昨日に続き、今日も左頬殴打。なんなら今日も白かよ。
「ごめんね~。城崎さんが、テニスでふとももにボールが当たっちゃったみたいで。湿布貼ってたところだったんだよ」
そう優しく微笑む透子姉とは対照的に、もう一発入れてきそうな城崎がいた。
「さいっっっってい!!!ノックくらいしなさいよバカ!」
「悪かったな。あ、先生すみません。鼻血止めるやつと頬の腫れが引く薬ってないですか」
俺は騒ぐ女よりも自分の回復を優先した。
「別に先生じゃなくて、いつも通り透子姉って呼んでいいのに。はい、氷で鼻を冷やして、ほっぺも氷で冷やして」
顔面冬模様。
「え、佐藤先生って、佐藤と知り合いなんですか?」
城崎が訊ねた。まあそうなるわな。
「ああ。俺と透子姉はい――」
「一緒に住んでるんだよねー。あれ?これって言っちゃダメなやつだっけ?」
この人はバカなのだろうか。ほらやっぱり。城崎が屋内に侵入したダンゴムシを見る目で俺を見ている。
「保護者なんだよ、俺の。今両親が海外に出張行ってるから。行っとくが従姉だからな?見ず知らずの知り合いってわけじゃあないからな?」
念を押しておく。城崎はとりあえず納得したようだった。そういえば城崎んところも父親がいなくて母親も夜遅いんだったな。
と話しているうちに、授業を終えるチャイムが鳴った。
「はいはい、若者は次の授業に急げ―。保健室は健康な人間が来る場所じゃないぞー」
透子姉が俺らを追い払うような仕草をする。
「保健室はケガをしていなくても来ていい場所じゃなかった?」
「それはそれ。これはこれ。さあ帰った帰った」
追い出されるように俺らは保健室を後にした。
「せっかくならもう一時間サボらせてほしかったぜ……」
短いため息を吐いた俺の横で、城崎は足を引きずって教室へ戻ろうとしていた。
「なんだ、まだ足痛むのか」
「そんなすぐ引く痛みなら保健室に来ないわよっ」
それもそうだな。
「しゃーねーな」
俺は城崎の肩に腕を回した。
「ちょっと!何すんのよっ!」
「転校生が二日目から足引きずってんのは具合悪いだろ。あっちの階段から行けば人気も少ないし、ほかの人に見られる心配はない」
そう言って、俺は城崎を教室まで引っ張っていった。その間、城崎は一言も喋らなかった。
教室の手前、人の声が聞こえるようになって、俺は城崎の肩から離れた。
「あとは一人で頑張ってくれ」
背中越しに何か聞こえた気がした。昨夜からの連続ボーナスだった。
「よ!鼻血の大将。保健室の佐藤先生の治療はどうだった?やっぱエロいのか?」
「んなアホな。氷渡されて終了だったよ」
「またまた~。顔が赤いでやんすよ。これはやらしいことした顔に決まってるでやんす」
「そんなわけねーだろっ!それよりさ……」
顔が赤いのは、平手打ちされたからだよ。そう答えるわけにもいかず、俺は話を逸らすことしかできなかった。
●
放課後になると、高橋が俺をめがけてやって来た。
「どうした、そんな慌てて」
聞くや否や、俺に何かを渡してきた。いや、そんな生易しい描写じゃないな。押し付けてきたというのが適切だ。
「借りてたの忘れてたでやんす。まだ読み切ってないけど返すでやんす。じゃあ拙者はこれで!」
高橋は去り、俺の手元には、一冊の本が残っていた。本の見返しを覗く。学校の図書であることが分かった。借りている人の名前は……俺だ。日付は……一か月前⁉
その瞬間、記憶が蘇った――
『何読んでるでやんすか?蓮殿』
『最近話題の小説さ。続きが気になって』
『貸してほしいでやんす』
『えー、でも、これ図書室で借りたやつだし……』
『拙者から返しておくでやんす』
『仕方ないなあ。もう少しで読み終わるから、そのあとで』
『サンキューでやんす』
――全て、思い、出した!
「たかはしぃぃぃぃぃ!」
そう叫んだのも、後の祭り。すでに高橋の姿は彼方へと消えていた。
これ、俺が返さなきゃいけないのかなあ。
渋々、歩みを図書室へ向かわせた。
図書室。この世の知性を集めた宝庫であり、同時に汗水流すスポーツの青春とはかけ離れた場所。グラウンドを陽とするなら、ここは陰。決して交わることのない、線引きがここに存在する――と言ったら、方々から怒られそうである。
しかし俺は躊躇なく扉を開ける。陽でも陰でもどっちでもいいからな。
ドアを開ける音に、図書委員が顔を向けてきた。しかし、すぐに目線を手元の本に落とす。本屋ではないからな。「いらっしゃいませー」なんて期待していない。
顔を背けた図書委員の元へ向かう。
「すみません、これ、返したいんですけど……」
顔を上げた図書委員は、ザ・図書委員という風貌だった。分厚い眼鏡に三つ編みのおさげが左右に二つ。俺の声に肩を震わせ、持っていた本を落として慌てふためいていた。いや、テンプレすぎるだろ。
「あっえっと、返却ですね!!」
物静かな奴は咄嗟の時、声が上ずってなおかつ大きくなるのはどうしてだろう。世界の真理か。図書室に解説本は置いていないのか。
「あれ……この本……」
気付いてしまったのか。返却日がもうとっくに過ぎていることを……。
「その、申しわ――」
「面白いですよね!私もすごい好きなんです!」
ずこーっ!心の中でズッコケた。もう古いか、この表現。
「主人公が魔法少女で探偵という今までになかった組み合わせ!さらに二転三転する事件!意外な犯人はもちろんのこと、まさかの恋人にも重大な秘密が――ってすみません!喋りすぎました!おかしいですよね変ですよね私いつもこうなんですうわー恥ずかしいなー」
凄まじいマシンガントークに俺は穴だらけであった。つけ入る隙も与えやしない。
「その、それ、二週間も延滞しちゃって……」
俺の言葉でようやく戻ったのか、本来の業務を思い出したようだ。
「確かに、二週間の延滞ですが、ペナルティなんでないですよ。延滞する人が出てこないするようにするための抑止力なだけです」
そうだったのか。俺の気遣いは無駄だったのか。
「そもそも、延滞する人はあまり図書室に来ない人です。あまり図書室に来ない人に本を借りれなくするなどのペナルティを与えても、痛くもかゆくもありません。逆に、図書室によく来てくれる人が延滞してしまった場合、借りれなくなるペナルティを課してしまうと、図書室に来てくれることがなくなり、図書室の存在意義に関わります。だからそのようなペナルティはないのです」
なるほど。確かに、図書室の本を延滞するのは、グラウンドで汗を流す青春に費やすような奴が夏休みの読書感想文用として借りる場合くらいだしな。
「じゃあ、俺は確かに返したからな」
俺は図書委員にそう言って、図書室を後にしようとした。その時。
「待ってください!」
その声に、振り返る。図書室であまりい大きな声を出すもんじゃないぞ。
「さっきの本の続編出たの、知ってます?」
俺は再び彼女の元へ戻っていた。
「いや、初耳だ」
「それもそのはずです。今日が発売日なのですから」
そういうことか。高橋はなんらかの手段で、今日がこの本の最新刊が出ると知った。そこで、俺から借りているということ思い出し、突如として俺に返してきた。ふむ、これは俺も探偵になれるかもしれない推理だな。
「ぜひ、本屋に行って買ってきてくださいね」
「なんだ、図書室には入荷しないのか」
「するとしても来週以降ですね。申請は今日出したんですけど」
「ふーん。じゃあこの後本屋にでも行ってみるか……」
今度こそ、俺は図書室を後にした。
さあ、本屋にでも行って帰るか――。
「キミ!なんだその制服は!」
背中の方で、女性の声がした。俺は背中越しに声を掛けられることが多いな。しかし振り返っても、そこには誰もいなかった。
「仕方ないじゃない!転校してきたばっかで制服が間に合わなかったのよ!」
一瞬で状況を理解できた。どうやら、あの角を曲がったところで、転校生・城崎が誰かと言い合いをしているのだ。敵を作りそうな城崎のことだ。正直に言っているつもりでも、状況が悪化しかねない。
やれやれだぜ。心の中でそうぼやき、俺は角を曲がりに行った。
「制服が間に合っていないからって、そこまでスカートを短くしたらダメだろう!」
「これがこの制服の普通なんですう!あなたこそ、下級生を目の敵にして、校則守る前に社会のルール守った方がよくないですかあ?」
「なんだと……!」
ほら、言わんこっちゃない。
「生徒会室へ来い!その性根、叩き直してやるっ!」
どうやら、城崎が相手にしていたのは、我が校の生徒会長様だったようである。成績優秀、運動神経抜群、品行方正であり、眉目秀麗のおまけつきだ。名前は――何だったっけな。
「放しなさいよっ!アンタに何の権限があるのよっ!」
「権限ならあるとも。なぜなら、私がこの学校の生徒会長、古條飛鳥だからだ!」
そうだ。古條飛鳥。それが彼女の名前だった。
「いいから来いっ!」
古條会長が城崎の腕を思いっきり引っ張ったところで、俺は止めに入った。
「ちょっと待ってください、生徒会長」
古條会長の手をつかむ。城崎と古條会長の間で、一瞬時間が止まった。
「佐藤……」
「なんだね、君は」
古條会長にギロリと睨まれた。
「コイツのクラスメイトです。昨日転校してきたばかりで、まだこの学校についてよく知らないんですよ。今日くらい、大目に見てもらえませんかね?」
「断る」
一蹴された。
「服装はともかく、先輩に対する言葉遣いがなっておらん。これを校外で出してみろ。我が校の品が落ちたらどう責任を取るつもりだ?」
「だったら俺も一緒にお叱りを受けますよ。なんせ俺も、この学校に誇りに思ってもなければ、品が落ちたところで気になりませんからね」
古條会長の形相が一層険しくなった。煽りすぎたか。
「よかろう。二人まとめて調教してやる。今日は帰れないと思え」
そう言って、俺の腕もつかみ上げた。いてぇ。この人、力も相当強い……。
「はいはい、そこまで~」
この場の空気を壊すべく、手を叩いてやってきたのは、透子姉だった。
「佐藤先生……。先生も本日この学校に着任されたばかりだ。学校のことは私の方が詳しい。この件は、私に預けてくれ」
教師が出てきても怯まない古條会長。ここまでくると、流石としか言いようがない。
「う~ん。確かに、先生としてこの場に来るのは初めてだけど」
透子姉は古條会長に詰め寄った。
「生徒としては三年間いたこともあるんだよ。ところで、生徒会則第二十五条二項って覚えてる?」
古條会長は透子姉を睨みながらも答える。
「当たり前だ。私は全ての校則と生徒会則を頭に入れている。生徒会則第二十五条二項は『歴代の生徒会長を重んじるべき』……まさか⁉」
「生徒会則は覚えていても、歴代の会長の名前までは覚えきれていなかったようね」
なるほど。確かに、透子姉はこの学校を卒業して、生徒会長をやっていたとも聞いたことがあった。だがしかし、俺は生徒会則の方を全くもって知らなかった。
「私の顔に免じて今日は見逃してくれないかしら?それに、城崎さんもこっちの佐藤くんも、今日の体育でケガをして、精神的にもちょっと不安定なの。ね?」
「佐藤先生に言われては仕方がない。ただし!城崎、君は明日までにスカート丈を膝上五センチまでに整えてこい。それと佐藤と言ったか?君も上級生に無意味に突っかかるのは今日限りとしろ。それと……私もやりすぎた。すまない」
古條会長は、腰を支点に九十度頭を下げた。
「あ、いや、俺も、その、突っかかってすみませんでした」
「あ、あたしも……」
二人して、同じように九十度頭を下げた。
数秒して、頭を上げた。古條会長は少し微笑んで、その場を後にした。
「やれやれ。困ったコンビさんですな」
透子姉が呆れ顔で言う。
「いやいや、俺は止めに入っただけだから。一緒にしないでくれ」
「あたしだって別に……それより先生!体育でケガして精神的にも不安定って、酷くないですか⁉」
「そのお陰で切り抜けたじゃないか~。感謝はされても、怒られる覚えはないよ。じゃ、私はこれで」
そう言って、透子姉は保健室へ戻っていった。
「いいお姉さんね」
「従姉だけどな……って、このこと、誰かに言うなよ」
「このことって、佐藤先生と従姉だってこと?それとも、一緒に住んでいること?」
「どっちもだ」
「まあいいわ。あなたには借りを作ってばかりだし、これを秘密にするでチャラね」
どうやら秘密は守られたようだ。
「ねえ、もしよかったらさ――」
話の続きの部分は、ちょうど走ってきた生徒によって閉ざされてしまった。
「ん?なんだ?」
「ううん。なんでもない。じゃ、アタシはこれで」
城崎もまたどこかへと駆けて行った。
一人残された俺は、どこへ行こうかと悩む。
そうだ。本を買いに行くところだったんだ。
イベントを消化した俺は、本来の目的を思い出し、本屋へと向かうのであった。
●
さて。目的の本は。
今日発売と図書委員の子は言っていた。だとしたら、新刊コーナーに売っているはずだ。俺の足は新刊コーナーへと向かっていった。
あった。ちょうど、最後の一冊だ。
俺は、その一冊に手を伸ばし――その本には触れることができなかった。
「あっ」
「あっ」
声が重なる。そして、指も。
俺は触れた指の先、相手の指が伸びているところを目で追った。視線は左側へと移り、その全容を映し出した。
そこには黒い大きな瞳に、さらっとした長い髪がなびく、大和撫子の姿があった。俺の目は本ではなくその女の子に釘付けとなった。
「すみません……って、あれ?」
「ん?」
むこうは、俺を見て何か思うことがあったようだ。俺も、彼女の声には聞き覚えがあった。
「やっぱ先輩も買いに来てたんですね、新刊」
その話題で彼女の正体が分かった。
「図書委員の!えっと、名前は……」
「秋風美世です。先輩の名前は?」
やっぱり図書委員の子だったか。眼鏡を外して三つ編みを解くと美少女って、ベタすぎないか。
「俺は佐藤蓮だ。よく俺が先輩だって分かったな」
「図書室で靴紐の色が赤色だったからです。赤色は2年生の色ですよね」
なかなか鋭い観察眼だ。
「探偵にでもなれるんじゃないか?」
「いえいえ、私は読むだけで満足です」
そう言って、秋風は視線を俺から本の方へと移した。
「一冊しかないですねー」
「一冊しかないな」
「先輩、先読んでいいですよ」
秋風は本を手に取り、俺押し付けてきた。本を押し付けられる行為、本日二回目。
「いや、秋風こそ、先に読めよ」
俺は押し付けられた本を秋風に突っ返す。
「いやいや、先輩がお先に。先輩ですし」
本はまたも俺の元へやってくる。しかし、俺も譲らない。
「いやいやいや。それを言ったら秋風こそ、図書委員だろ。先に読むべきだ」
「いやいやいやいや。それは論理的に欠けますよ。図書委員イコール本を読む人であって、先に読む人にはなりません。それに対して、先輩はイコールで優先権が結ばれ、すなわち先に読む権利を得るのです」
「それはな、論理じゃなくて屁理屈って言うんだよ」
押し問答の末(本を押し付け合っていたので、まさしく『押し』問答だった)、秋風が先に読み、俺が後から借りるというようことで収まった。
「読み終わったら、先輩の教室に届けに行きますね。何組ですか?」
嬉しそうに本を抱く秋風。この姿を見ると、先に渡してよかったと思える。
「いや、俺が取りに行くよ。上級生の教室来るの怖いだろ?」
「それを言ったら、先輩が下級生の教室に来るの恥ずかしくないですか?」
確かに。俺は次の言葉を紡ぐのに時間を要した。
「それなら」
そして俺は言うのだった。
「また図書室に行くから、そのときに貸してくれ」
じゃあ今日すぐ読むので、明日の放課後来てください。そう言って、秋風はまっすぐ走っていった。
そして俺は、考える。今の自分の状況を。
流石に、ベタな展開が続きすぎではないか?
食パンくわえてパンチラやっほい、からのパンチラは転校生。家に帰ると両親は海外出張で従姉が保護者代わりとしてやってくる。さらにはその従姉は学校の先生で。でもって転校生には俺と従姉の関係がバレるし。図書室の女の子は眼鏡を外したら超絶美少女で、本を取ろうとしてお互いの指が触れ合う。
いくらなんでも、この二日間に凝縮しすぎじゃないか?
もしかしたら、あの生徒会長とも今後何かあるかもしれない。いや、絶対にある。
俺は今、盛大なドッキリにでも嵌っているのか?どこかにカメラでも用意されているのか?
辺りを見回すも、それらしきものはない。気にしすぎか……?
俺の疑問は、翌日にも謎を深めるばかりとなるのだった。