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第五話

 それからも、僕は歴史の授業がある度に、例の谷垣先生を訪ねた。

 すると先生は微笑んで、

「彼女は元気にしているかね?」

「はい。物知りで、色々なことを教えてくれます」

 ただし、昨日はワンカップをたしなみながらではあったけれど。

「そうか……」

 先生はそう言うと、一枚の封筒を僕にくれた。

「……これは?」

「……私から、かつての生徒、長嶋未花さんへの贈り物だ。その中には、私の知り合いを通じて就職できる企業が書かれた紙が入っている」

 先生は、静かに言った。

「え、でも未花さんは……」

「働いてないんだろう? 彼女」

「……気づいてたんですか」

「昼間から、学校の周りでぷらぷらしているのを見たよ。何だか、学校に居るだれかを気にしているかのようだった」

「え?」

「きっと波長が合うのかもしれないな、君と長嶋さんは。……それはともかく、むかし私が教師として長嶋さんにしてあげられなかったことを、せめて今からでもしてあげたいんだ。あれだけの素質を持った生徒なのだから……。だから君からも、この封筒を利用してくれるよう頼んで欲しい。規模は大きくはないが、やりがいのある企業を選んだつもりだ」



 僕は先生からもらった紙を、家に帰ってから未花さんに見せた。

「私が、社会に復帰……? うそだあ。こーやってふーらふーらしてる人間にそんな名誉……。私はコドモの無邪気な嘘には騙されないよ」

「本当ですよ」

 僕は出来る限りの真剣なまなざしで言った。

「やっぱり、このままじゃまずいと思うんです。……未花さんならきっとやれますよ。あんなに面白いことが言えるのだから……」

「……そう、かな……」

「ええ」

「……ありがとう」

 けれど、そうお礼を言った彼女の瞳には、どこか寂しげな空気が浮かんでいた。

 ……なぜだろう。


○○○○○


 ドンッ! ドンッ!

 休日の朝、ドアが乱暴に叩かれた。

「な、なんだ一体……?」

 僕が驚いてからドアを開けると、目の前に背広姿の男性が数人立っていた。

 彼らは、何かに焦っているように見えた。

「ここに、長嶋社長は居るか」

 男達は必死の形相で叫んだ。

「え、未花さんならどこかに遊びに行きましたけど……」

 すると、男達の表情がさらに焦りを帯びた。

「くそっ、一足遅かったか」

 彼らはそう言って、

「もし長嶋社長を見かけたら連絡してくれ」

 と、僕に一枚の名刺を寄こした。

「あなたたちは一体」

「それを話す義務はない」

 そして、彼らはあっという間に出て行った。

 ……長嶋、社長?

 間もなく入れ替わりに、未花さんが帰って来た。

 僕がついさっき現れた謎の背広の男たちについて聞くと、

「あー……ついに、会っちゃったか」

 未花さんは溜め息をついた。


「……私はさ、実は社長だったんだよ」

「社長!?」

「うん。実は大学在学中に、偶然美味しい野菜を作る農家のおじーちゃんと知り合いになってね。そのおじーちゃんが作る野菜をたまたま他の人にも安値でおすそわけしたらかなり売れちゃって、それがきっかけでちっちゃな商社みたいな会社を立ち上げることになったんだ」

 未花さんの表情は、暗かった。

「私はね、最初のうちは楽しかった。けれど、段々仕事そのものに嫌気がさしはじめたんだ。会社はどんどん成長したのだけれど、そのうちお金を稼ごうとすればするほど、人間として大切なものを失っていく気がして。会社の規模が広がれば広がるほど、私の想いとは関係なく会社というものが別方向に肥大化していった。まるで、得体の知れない怪物のように」

 未花さんは、天井を眺める。

「私は会社のために、何人もの社員を……のちに辞めさせることになった。お金を手に入れるため、会社を維持するため、仕方のないことだったんだ。そのうちに、心の中にあった罪悪感は高まっていった。そもそもお金なんて、私一人が食べていける分だけあればよかったんだ。……なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって……」

 未花さんは、僕を見た。

「だから私は、もう一度……この地球に生まれたばかりの時と同じように、名もない『未花』という存在として生きなおしてみたかったんだ。地位とか何も無い、ただ一人の、真っ白な自分として――。それで、社長の地位を投げ捨てて卒業後にもどこにも勤めないでNEETになってしばらくして、たまたま駅のホームを見たら君が居たから……思わず声をかけた。何だか私と同じで、寂しそうな表情をしていたから、つい」

 未花さんの声が、重く響いた。

「……これは、いままで私によくしてくれた分だよ。ありがとね」

そう言って、未花さんは小切手を取り出し、サラサラ……とサインをして、僕にくれた。

 一億円。

「青春ごっこも、もう終わりだ」

 彼女は、冷徹な口調で言った。

「会社に、戻らなきゃ。社長の私が居なくなって、彼らが困ってる」

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