第三話 ノリーナの搦め手
ベッドに横たわる俺の目を覚ましたのは、東に昇る朝日だった。
仮想現実の世界とはいえ、やはり朝日というのは格別のものがある。
俺は枕元に転がる空の酒瓶をテーブルに置きなおした。
やれやれ、カンウターでもうひと瓶、買い足さなくちゃならないようだ。
どういう理屈なのかはわからないが、少しばかり酔いが残っているような気がする。
そして俺は、これまたどういう原理なのかわからないが、暖かい湯気を立てるシャワーで汗を流した。
―――――
「あら、おはよう、なんて時間でもないわね。昨日は早く寝たの?」
シャーリーンは、俺の体にしなだれかかった。
「誘ってくれるの待ってたのにさ」
「くだらない話はいい」
俺はどさりとカウンターのいすに腰掛けた。
「それよりも、リクルートの結果はまだか?」
「まったく、せっかちな男ね。ベッドでもそんなにせっかちなのかしら」
そう言うと、俺の前に一枚の書類を差し出した。
「まあ、履歴書のようなものだと思って」
俺はざっと、その経歴に目を通――おいおい、ふざけてるのか。
「俺は経験のある、男の冒険者を募集してるといったはずだ」
俺はその履歴書をつき返した。
「まだ十五・六の子どもじゃないか。俺に子どもをつれて冒険する趣味はない」
「あんな騒動を起こしたあなたとパーティーを組んでくれるだけでありがたいと思うべきだと思うけど」
そう言うと、またシャーリーンは履歴書を俺に指し示した。
「レベルは一六で、今のあなたのレベルから言えば適当な相手よ。それに、ジョブは白魔道士だから、これから“任務”を果たそうとするあなたにも、もってこいな人材だと思うけど」
そのこと事態に異論はない。
しかし、やはり俺には受け入れられない。
十五・六という年齢だけじゃない。
「俺に女のお守りをしながら“任務”を達成しろ、というのか――」
「――お守りだなんて、言ってくれるじゃないか」
背後から声が響く。
「これでも、君よりは経験があるんだ。それに、君だってそんなに年齢は変わらないじゃないか。訂正してもらいたいな」
振り向くとそこには、赤いウールのフードと大きく曲がったつえを持った少女がいた。
「ボクの名前は、ノリーナ。君、仲間がいないんだろ?」
身長は一六〇あるかないかの、真っ赤な羊飼いのようないでたちの少女は、俺の鼻先に杖を突きつけていた。
「だったらボクが仲間になってあげるよ」
やれやれ、本当にガキのお守りをさせられそうだ。
「悪いな、赤ずきんちゃん。子どもの遊びじゃないんだ。ほかをあたってくれ」
「悪いけど、ボクも君と一緒に行くって決めたんだ。決めたからには、そう簡単に引くつもりはないよ」
ふう、ため息がこぼれた。
「シャーリーン、昨日の酒をまた出してくれ」
「飲みすぎよ。少しは何か食べないと、いくらこの世界でも体に毒よ」
「ちょっと! ボクを無視しないでよ!」
甲高い声が耳に痛い。
だからガキは嫌いなんだ。
「シャーリーン、また新しい求人票を出しといてくれ」
「せっかくだから、連れて行ってあげればいいのに」
「そうだ! ボクは絶対足手まといになんかならないぞ!」
「悪いが、もう一泊させてもらう」
キイキイとうるさいノリーナとかいうガキを置き去りにして、俺は自分の部屋へと階段を上った。
―――――
やれやれ、これでは出撃を待っていたあの時と同じじゃないか、ベッドに寝転ぶと、苦々しい思いが俺の胸をいらだたせた。
こうしている間にも、敵は戦闘経験を積み強くなる。
しかし俺はこうして、任務を遂行しながらも腐っていく。
果たして、俺はこの任務を達成できるのだろうか。
恋しい、戦場が。
つくづく俺は、戦場でしか生きられない体になってしまったことを実感する。
物心ついたときから、銃声を子守唄に、レーションをミルク代わりに育ってきた俺が、しかし今、こうしてわけのわからん空間で体をもてあます。
やはり俺には戦場以外に居場所がない。
俺はベッドの横のテーブルの酒瓶を口につける。
なに、もう空か。
まあいい、もう一本、シャーリーンから購入するとするか。
コンコンコン――
なんだ?
アルコールが、ベッドから立ち上がった俺の脚をふらつかせる。
誰なんだ、一体――
「ボクだよ、ボク。さっきあったばかりだろ?」
やれやれ。
「ちょ、ちょっと! 何で閉めるのさ――って酒くさ!」
勝手に人の部屋に入ってきて、酒臭いも何もないだろう。
「何の用だ」
「シャーリーンから聞いたよ。君は、何か重要なミッションを成し遂げようとしているらしいじゃないか」
あの女……。
「悪いが、お前らみたいな子供の遊びとは違うんだ。わかったらとっとと出てってくれ」
「子どもの遊びじゃない!」
ノリーナとかいうガキは、手に持った杖で床を叩いた。
「ボクにも、やらなくちゃならないことがある。この『レヴィアタン・オンライン』で」
「それと俺の任務と、何の関係がある」
「わからない。けど、直感が教えてくれるんだ。君についていけば、きっとボクの願いもかなえることが出来るんじゃないかって」
荒唐無稽すぎる話だが、その視線の強さから、その言葉があながち嘘ではないということが俺にもわかった。
だが――
「悪いな」
俺には俺の事情がある。
「お前の望みを叶えたいってんなら、他を当たれ。子供のお守りをしている暇はないんだ」
「ボクが足手まといにならないとわかったら、つれてってくれるってこと?」
我が意を得たり、といわんばかりに、ノリーナはにやりと笑う。
「この間の戦い、見させてもらったよ。あれだけのレベル差があって、しかも聖騎士相手に勝つことが出来るなんて。君、普通じゃないよね」
聖騎士……ああ、あの騎士様のことか。
「だけど、ボクなら君に勝つことが出来る」
なめられたもんだな、この俺も。
「もしボクが君に勝つことが出来たら、ボクを一緒に連れて行ってくれる?」
「お前が俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「それに、今ならお酒のせいにすることが出来るけど?」
なんだと?
「確かに、君は強いのかもしれないね。けど、見たところ、君ははっきり言って初心者だ。今の君になら、ボクは確実に勝つことが出来るって断言できるよ」
このガキ、一丁前に挑発してるのか。
「わかった。俺に勝つことが出来たら、な」
さて、どうやってお引取り願おうか。
とりあえず軽く関節でも決めて、参ったといってもらえばそれが一番楽だ。
俺は、拳を構える。
ノリーナはにやりと笑い、杖を振り上げると、その先端が白く光りだす。
成程、この間のあの騎士様のように、魔法を使おうってことか。
まあこの宿屋の中じゃ、それほど派手な攻撃も――
「|クティミス・マルフルエ《停止》!」
なんだ?
俺の周りに、白い光のサークルが浮かび、俺の体を青白く照らす。
にやり、ノリーナは笑う。
「さあ、どこからでもかかってきて」
なんだかよくわからんが、さっさと終わらせて、酒を飲むとしよう。
一気に距離をつめて――な、なんだ?
「この魔法はね、相手の動きを一時的に遅くする呪文なんだ」
俺の体は、全身をワイヤーで縛り付けられたみたいに重くなった。
「君って不思議だよね。あれだけレベル差のある相手に冷静に戦って勝てちゃうんだもの。けどね、この世界には、こういう戦い方があるんだよ」
ハメられたのか?
一気に距離をつめるどころか、軍用ブーツを一歩引き上げるだけで全身の筋繊維が引きちぎられそうだ。
「いくよっ!」
やばい、あの硬そうな杖で殴られたら――何とか腕で――動かないっ――
ゴッ
「ぐっ」
もろにくらってしまった俺は、宿屋の壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちた。
「これでわかった? この世界にあるのはね、攻撃用の魔法ばかりじゃないんだ。こういう補助用の魔法もあるんだ。そして――」
体が動かない。
このまま口と鼻をふさがれるだけで、俺は――
「レアキロ」
なんだ?
首元に暖かい感触が。
少しずつ痛みが――
「――回復魔法を使いこなすのが、ボクみたいな白魔道士の役割。さ、これでいいかな。もう三〇秒たったから、クティミス・マルフルエの効果も切れてるはずだよ。ほら」
差し出された手に答える俺の手は、その言葉通りしっかりと俺の意識下にあった。
「約束だよ? それに、ボクが君の役に立てることも実証できたでしょ?」
やれやれ、断る余地はないらしい。
俺は、その右手に答えて言った。
「ミコガミ。ジン・ミコガミだ」