第二話 『レヴィアタン・オンライン』
「すごいじゃない」
カウンターに肘をついた俺に、酒場の女主人がひゅう、と一つ小さな口笛を鳴らした。
「やっぱり、経験の違いってやつかしら。電脳空間で安全な殺戮しか楽しんだことのない連中とくらべたら、ね」
「いいから、さっさと酒をよこせ」
「あら失礼」
にやり、と不敵な笑みを浮かべる。
俺の身分を知っているからこそ、あえてこの言葉を選んだ、と言うことか。
いやな女だ。
「ごめんなさい、あなたがかわいい顔をしているものだから、ついからかってみたくなっちゃって。そうね、あなたも軍人だから、自分の意思で行った殺人は、一件も存在しない、って言いたいのよね」
酒場の女主人、と言えば聞こえがいいが、この女はこのコメンカスの街、この世界を訪れた全てのプレイヤーたちが降り立つ地の管理者、“エージェント”でもある。
この世界を維持・管理するは、この世界を運営するインペリアル・プログラム社だ。
しかし企業からの依頼を受けて、危機管理のプロである軍人たちがその管理者を務めることになっている。
故にこの女も、俺と同じ軍務に服している、ということになるのだろう。
「ほら、これで気を取り直して」
酒場の女主人は、皮肉とともにカットグラスを差し出した。
「氷は、いらないんだったわね?」
「ああ」
俺は、琥珀色の液体の注がれたグラスを一気に干す。
強いな。
味も風味も悪くない、高級なアイリッシュのようだ。
とてもこれが《《電子信号による神経の刺激で構成されたもの》》とは思えない。
「おーい、こっちのも酒だ!」
「まったく、せっかく久しぶりに生身のいい男と話ができるって言うのにさ」
ふう、女主人は面倒くさそうにため息をついた。
「ま、これがあたしの仕事、あたしにとっての軍務だものね。“エージェント”も楽じゃないわ」
そう言うと女主人は、男心を擽るために周到にプログラムされた微笑を浮かべた。
「はぁい。いまお持ちしますわぁ」
先ほどまでのしゃべり方とは打って変わった、十五・六歳の少女のような舌っ足らずな声が響いた。
卑猥な言葉を吐くプレイヤーを書割のような言葉であしらいながら、女主人は戻ってきた。
「尻でも食え」
清楚な外見に似合わない下卑た言葉を吐き、カウンターの影で中指を立てた。
「けど、あなたも気をつけた方がいいわ。あなたがさっき叩きのめしたのは聖騎士団、ホーリーオーダーの十人隊長よ。各都市に派遣されて、街をモンスターから守ることが指名なんだから」
ホーリーオーダー、いかにも仰々しい名前だ。
「本来なら、あなたのレベルで勝てるはずのない相手なんだから。それに、場合によってはあなたに対する手配書だって回りかねないわよ。あまり無茶はしないことね」
ばかばかしいが、およそ世界人口の三分の一近くがこの世界と何らかのつながりを持っているというのならば、俺はこの現実を現実として受け入れるほかあるまい。
「それより、俺のリクルートに引っかかったやつはいないのか」
「なしのつぶてね」
注文もしていないのに、女は俺のグラスに指三本分の酒を注いだ。
「ま、求人票を出した直後のあの大立ち回りだもの。協調性のなさそうなプレイヤーとパーティーを組みたいやつなんて、そうはいないわ」
やれやれ、やはりやりすぎてしまったということか。
この地に降り立ったらまず同行者を雇え、それが第一の指令だったんだがな。
「まあ、仕方ないわね。私の見立てだと、あなたはどちらかというと、単独での任務を今まで主に遂行してきた。違うかしら?」
俺はまたグラスを仰いだ。
「いい飲みっぷりじゃない。見た目は二〇そこそこ位なのに。本当にあなた、かわいい顔をしているわ。もしかして、外見はまったくいじっていないの?」
「……」
とぷん、とろりとした液体がグラスの中でゆれた。
「なるほど、ね。これも任務、って訳か。で、その任務って何なの?」
俺は、さらにグラスをあおった。
「エージェントにまで内緒、か。よほど重要な任務って訳ね。けど、少しはごまかす口実とかも考えたほうがいいわ。あなたがこう質問されて、寡黙になればなるほど、事の重要性が浮かび上がっちゃうわ。あたしたちエージェントは、この世界に出向して入るけれど、軍人なんだから」
余計なお世話だ、心の中で俺は毒づいた。
俺の任務遂行のためには、これが一番適したスタイルなんだ。
いやむしろ、そうでなければこなせないのが俺の任務なんだ。
「外見だって、少しくらいいじったってよかったんじゃない? 軍用ブーツに迷彩服なんて、あまりにも現実味がありすぎちゃうわ。あたしなんて、ほら」
女主人は、くるりと俺の前で体を回す。
「こんなサービス満点の姿に作り変えちゃってるのに」
豊満な胸元、くびれた腰つきにブロンドの髪。
それとはやや不釣合いではあるが、全体的にそそるつくりの幼さの残る顔。
その言葉通り、女主人の姿、はこの世のありとあらゆる性的指向を最大公約数的に達成するために作られていた。
「みてほら。ここ」
髪の毛を書き上げると、底からややとがった耳たぶがのぞく。
「知ってる? 妖精とかエルフとかいうんだけど、ファンタジーの住人はこういう風に耳がとがっているものなんだって。こういう物に興奮を覚えるプレイヤーが多いのよ。任務を遂行しようって言うのなら、それくらいは知っておいたほうがいいわ」
「興味はない」
俺は懐からにび色の銅貨を数枚取り出した。
「部屋を用意してくれていると聞いたが。番号を教えてくれないか。それと、その酒瓶。それをくれ」
「あら、食事はいいの? 飲むにしても、一人で飲んでもつまらないわよ」
女主人は髪の毛をかき上げる。
「もうしばらく待ってくれるんなら、存分に堪能させてあげるわ。あたしごと、ね」
そこから、全身をくすぐるような甘い香りがただよう。
「寂しいんだったら、他をあたるんだな」
俺は酒瓶と部屋のキーを女主人からひったくった。
「俺はそんなに、安くはない」
「シャーリーンよ。あたしの名前。明日からは、そう呼んでね」
きしむ階段を上がる俺の背中を、シャーリーンの売り物ではない声が追いかけた。
―――――
俺はベッドに寝転んだまま、ボトルに直に口をつけて酒をあおる。
癖になるうまさだ。
本当にこれが、単なる神経への電子刺激なのか。
いや、《《今の俺にとっては、本物の味覚であることには間違いない》》。
「訳のわからん世界になったもんだ」
今俺がいる世界は、インターネット上に作られた仮想現実の世界。
『レヴィアタン・オンライン』。
世界を恐怖に陥れる魔王が君臨し、各地に化け物どもが跳梁跋扈する、と言う設定の世界だ。
そしてそこには、さっきの騎士様のような連中が電子情報として姿を作り替えられ、一人の独立した人格を持ったプレイヤーとして生活をしている。
戦場の空気しか知らない俺には、やはりこの平和な雰囲気はケツのすわりが悪い。
たとえここが、電脳世界であろうとも。
今俺に出来ることといえば酒をあおることだけか。
「はっ」
俺という人間も、どこへ行こうがどこまでも変わるものではないらしい。
しかし電子情報は驚くべきことに、上質な酔いまでも俺の脳髄に与えはじめた。
「まいったな」
任務の初日から面倒くさいことに巻き込まれてしまったせいで、気づかぬうちに疲労していたのだろう。
外はようやく暗くなりつつある。
天井には、どういう原理かは知らないが大きな扇風機が無機質な音を立てまわる。
電気などというものが存在しないはずの、この仮装現実の空間の中で。
思いだす、あの日の光景を。
現実の世界で、出撃命令を待ち焦がれていたあの日のことを。