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Kanの短編集

ピジョラの襲来

作者: Kan

夢学無岳様主催

「しろうと絵師による 「なろう小説」挿絵 製作日記 』

 の「美少女さしあげます」企画、参加作品になります。

 人気のない山の中に少女がいた。その手には、鳩の入った鳥籠があった。少女は、籠を開いて、ペットの鳩を大空に放した。


 挿絵(By みてみん)


「はっちゃあん。あんまり遠くに行っちゃ駄目よ!」

 その鳩は、飼い主の声が聞こえているのかいないのか、さも心地よさそうに大空を飛びまわっている。

 ところが、その遥か頭上より一匹の鷲が迫ってきた。その鷲は、鳩を見つけるや否や、悪意の塊としか思われない、危険な急降下をしてきて、鳩に襲いかかった。

 鳩は突然の敵の来襲に慌てふためき、一心不乱に山の中へと逃げた。

 それを追いかけて、鷲は再び、鳩を襲った。そのまま、二羽は霧深い森の奥へと消えてしまった。

「大変!」

 少女は悲痛な声で叫んだ。


            *


 その頃、生物学者の香川博士は、茶畑の広がる中で茶摘みをしていた。


 顎から白い髭を垂れ下げ、よれよれの白髪を横分けにして、丸眼鏡をかけた香川博士の容姿は、まるで痩せ細った汚いサンタクロースだった。

「博士」

「なんだね。今崎君」

 助手の今崎は、どこか冷たい目をしているが、なかなか整った顔をしているイケメンだった。彼も博士と一緒にこの茶摘みに参加していた。

「生物学の研究も良いですが、たまにこうして茶摘みをしに静岡まで遊びに来るのも良いものですねぇ」

 と、今崎は、さも愉快そうに笑った。

「確かにそうだねぇ。生物学なんか研究していると、どうしても頭が硬くなる。そうした頭を揉みほぐすという効果も、茶摘みにはあるのだよ」

「そうなのですか。それは良かった」

 香川博士と今崎は、お互いに顔を見合わせて笑うと、再び茶摘みを再開して、心の底から夢中になった。

「良い気分だ。これが真実の平和というものなのだな」

 香川博士は満足げに、心地よいほどに晴れ渡った空を見上げた。その時……。


「なんだ、あれは……。龍が月を食らっておる……」

 香川博士がそんなおかしなことを呟いたので、今崎は間に受けて空を見上げた。

 太陽が煌々(こうこう)と輝く青空に、うっすらと白い月が浮かんでいる。その小さな月を、大きな口を広げて今にも飲み込もうとしている龍の姿があった。しかし、それは、雲だった。


「博士……雲じゃないですか。馬鹿馬鹿しい」

 なんだ、とばかりに今崎は呟いた。

「そんなことは分かっておるわい。わしが驚いたのはそんなことではないわ。月を食らおうとする龍の雲……これはな、とても不吉なものなのだ。わしの生まれ育った山梨の村では、この雲が出た次の日に、本当に龍が飛翔してきて、村を焼き尽くしてしまったという古い言い伝えがあるのだ」

 博士があまりにも大真面目に語るので、今崎は笑い出しそうになった。

「博士……落ち着いてください。それは言い伝えでしょう?」

「言い伝えだから何なのだ」

「信じるなんて……」

 今崎は可笑しさをこらえようとするが、どうしても笑ってしまう。

「馬鹿にするな!」

 博士は、今崎を怒鳴った。

 今崎はあまりに真剣な博士の様子に、ちょっと驚いて黙ったが、すぐに、

「怒鳴ることはないじゃないですか」

 と言った。

「うるさい、今は笑っている時ではないのだ。大変なことになるぞ。もうヤケだ。今すぐ、国外に退避するんだ!」

「何を言っているんですか、博士」

 今崎は慌てて止めようとしたが、香川博士は、今崎の手を振り払って、何事か喚きながら、茶畑の中を走って行った。


            *


 今崎は、香川博士が異常な行動を起こしたと思って、家族に連絡した。しかし、家族はほっておいてください、と言っただけだった。それでも今崎は、こんな博士と旅行を続けるのは勘弁だと思って、予定していた旅行を途中で取りやめ、新幹線に乗り、東京で家族に博士を引き渡した。そして、今崎は自宅のマンションに帰った。

「まったく、言い伝えだって? 馬鹿馬鹿しい……」

 と、今崎は部屋に入ってから、ソファーに座って、独り言を言った。そして、農家からもらってきた茶葉を手の上に乗せて、匂いを嗅いだ。

「最高のフレグランスだ……」



 今崎はそれから、風呂に入って、非常にさっぱりした気持ちで、真っ白なシーツが敷かれたベッドに飛び込んだ。そして、大きな枕を抱き抱えると、枕元に置かれた茶葉の入った小瓶を手にとって、鼻に近づけた。

「さあ、明日も頑張ろう……」

 今崎は、そう呟き、小瓶を置いて、スタンドライトを消灯した。


 夜中、電話のベルが鳴り響いた。今崎はしぶしぶ起きて、受話器を取った。

「誰です。こんな時間に……」

『私だ。今崎くん……』

 それは香川博士の声だった。

「博士……?」

『ああ、私だ。香川だ。お願いだ。電話を切らないで話を聞いてくれ』

「別れた恋人みたいな言い方しないでください」


『いいから聞きたまえ。あの雲を見ただろう。龍の雲だ。あれはな、本当に恐ろしいものなんだ。私の生まれ育った山梨の村では、あれが出た次の日には、龍が飛来して……』

 今崎は、またその話か、と思って腹立たしげにため息をついた。

「博士……もう、やめましょう、その話は。言い伝えなんて信じる方が馬鹿ですよ」

『信じてくれ……決して、決して、デタラメじゃないんだ。お願いだ。妻も子供も信用してくれない。君だけが頼りなんだ……』

「いい加減にしてください。これで、電話を切ります。そして、僕は寝ます。それも受話器を上げっぱなしでね。すべては今夜熟睡して、明日の朝、さっぱりした気持ちで、大学の先生たちにお土産の茶葉を届けるためです」

『お土産だって……そんなことにこだわる必要はないだろう……!』

「こだわっているのは、博士の方でしょう。言い伝え、言い伝えって……先生は曲がりなりにも科学者でしょう?」

『君……ちょっと言い過ぎじゃないか……』

「また、明日!」

 今崎は、受話器を一旦置くと、また、上にあげて、さも言ってやったとばかりに、すっきりしたような面持ちで、白いベッドに飛び込んだ。

 ……狂気は静寂の中に消えて、とても穏やかな夜が訪れた。


           *


 しかし、香川博士の怖れていたことは現実に起こってしまった。


 翌朝、東京のお台場を観光している人々は、海岸沿いで休んでいた。ところが、眩しい光に満ちた水平線の彼方から、なにか、黒い影がこちらに向かって飛行してくるところを人々は目撃した。


「なんだ、あれ……」

「鳥じゃない?」

 と、若いカップルらしい二人は呟いた。


 鳥……確かにその通りだった。それは、翼を広げた鳥だった。しかし、それにしては、あまりにも巨大だった。黒い影は、とてつもない轟音と一体となって、人々の目前まで迫って来た。そして、それが海岸をすれすれに飛び越えると、一足遅れて、何もかも吹き飛ばしてしまうほどの強風が人々に襲いかかり、巻き込んでしまった。叫び声も、何もかも、風に包まれて舞い上がり、人々は紙吹雪のように空に散ってしまった。


           *


 今崎は、テレビを見つめたまま、驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。

 テレビの画面の中では、黒い影が東京上空を飛びまわり、強風で民家が倒壊するところなどが映っていた。また、黒い影は、時々、青白い火の玉を地上に向かって吐いた。それがビルに当たると、外壁が砕け散り、たちまち青い炎が建物を包み込んでしまった。

「そんな馬鹿な……違うんだ。まさか、本当だとは思っていなくて……。は、博士……!」

 今崎は、無我夢中で電話に駆け寄ると、受話器を手にとって、ボタンを押した。

「は、博士……」

 なかなか、香川博士は出なかった。しばらくコール音が鳴り響いた後、あのひどくのったりした声が聞こえてきた。

『ああ、今崎君か』

「博士!」

『ああ、わかってる。わかってる。昨日はすまなかった』

「えっ?」

『ちょっと都市伝説の調べすぎで、言い伝えに敏感になっていたよ。よく考えたら、そんな馬鹿な話はないと思ったよ。わっはっは……』

「何を言ってるんですか。テレビをつけてください!」

『え?』

 香川博士の声はしばらく途絶えて、その後、怯えきった声が聞こえてきた。

『こ、これは……何が起こっているのだね』

「先日、博士の仰った通りのことが起こったのです。あの言い伝えが現実となったのです。あの青白い火の玉を吐く黒い影は、よく見ると、鳥の形をしています。これもあの言い伝えの龍の一種なのでしょう……」

『そんな……馬鹿な……』


            *


 その翼竜は「クルックークルックー」と呟きながら、首をリズミカルに動かして、池袋駅から王子駅に向かって明治通りを歩いていた。翼竜は、どういうわけか、王子の飛鳥山に向かっているようだった。ここは江戸時代から桜の名所である。

 その時、戦闘機が四機、こちらに飛んできた。間違いなく、攻撃を開始しようとしている。翼竜は、それに気付くと、この世のものとは思えない凄まじいさけび声をあげて、空中に飛び上がり、瞬く間に戦闘機に接近した。

 パイロットはあっとさけび声を上げた。慌てて、旋回し、逃れようとするが、翼竜はもの凄い速度で目前に迫ってきていた。パイロットは舵をめちゃくちゃにきって、どうにか巻こうとした。パイロットの目には、大空が何回転もしたように見えた。間一髪のところで振り切ったように思ったが、もう駄目だった。顔の前で燃え上がる炎が見えると、その直後に暗闇の中に突っ込んだ。

 次々と戦闘機は地上に落とされていった。


 翼竜は、こうして敵を粉砕すると、明治通りに舞い降りて、さらに進み、ついに飛鳥山の小高い丘の上に立って、左右の巨大な翼を大きく広げて、こう叫んだ。

「クルックー!」


           *


「やつは、鳩の突然変異かもしれません……」

 と、香川博士は震える口で、そう語った。ここはテレビ局だった。生物学者がテレビのスタジオに集められて、政治家や小説家を交えて、討論をしていたのだった。香川博士はホワイトボードの前に立って、周囲の人間の顔を見まわして、また説明を開始した。

「この翼竜は、一言で言えば、巨大な鳩です。原始的な羽毛に覆われた始祖鳥のようなグロテスクな姿をしていますが、どうも鳩らしいです。平和の象徴である鳩が、巨大化して、東京上空を飛びまわり、青い火の玉を吐き散らしているとは、ちょっと信じたくない話ですが、どうも鳩の突然変異らしいです。実際に、東京タワーの展望台に引っかかっていた羽毛を調べたら、間違いなく、鳩のものでした。そこで、この怪獣を、(ピジョン)の怪獣ということで、ピジョラと名付けたいと思います」

「そんなことより、どう対処するのだね、香川博士……」

 と、政治学者が腹立たしげに言うので、香川博士は恥ずかしそうな顔をした。

「実は何も思いついておらんのです。ただ、ひとつ頭の中にありますのは、ある言い伝えです。昨日、私は月を食らおうとしている龍の形をした雲を見たのです。そして、私の生まれ育った村では、このような雲を見ると、翌日、本当の龍が現れて、町を焼き尽くしてしまうという言い伝えがあったのです。そして、これは現実になりました」

「何を言い出すのだね。ちょっと落ち着きなさい」

 と、気難しい小説家が腕組みをしながら言った。

「いいえ、落ち着きません。皆さん。いくら日頃、馬鹿にしていることでも、いざという時には馬鹿にしてはいけないことがままあるのです。言い伝えのようなことはことにそうです。そして、この言い伝えには続きがあるのです……」

「私はそんな馬鹿な話は聞かんぞ」

 と、ブルドッグみたいな政治家が眉をひそめて言った。それでも、香川博士は話を続ける。

「その村にはとても美しい巫女がおりました。彼女は、とても(まじな)いの力が強く、村でも祈祷などの際に重宝がられていたのでした。さて、巫女は、龍が現れた日、神社におりました。村人は巫女に助けを求めました。彼女は、事態を把握するや、一生懸命に呪いの儀式をして、ついに龍は空中で苦しみだして、地上に落下したのだそうです」

「そうか。それは良かった。それで、そのお伽話がどうしたというのだね」

「どこかにこの龍の魂を鎮めることができる、巫女さんがいるはずです」

「いないだろ、そんなもの……」

「必ずどこかにいます」

「いないよ……」

 司会者は、そこでこの話を広げても無駄だと思って、話題を変えてしまった。


           *


 しかし、巫女はいた。静岡県のとある神社にその伊奈という名の少女がいた。ちなみに、あだ名は「いなちゃん」だった。

 彼女はその日の朝、風呂に入り、瑞々しい体を泡だらけにして、丹念な手つきで、すみずみまで清めた後、シャワーを浴びて、穢れを洗い流した。その後、光り輝く湯の中で、うっとりと物思いにふけり、やわらかな白い湯気を体から立ち昇らせながら、湯から上がった。

 彼女は、巨大な翼竜が、東京を襲っているということは、朝からテレビでよく知っていた。しかし、伊奈はあまり関心を示さずに沈黙を守っていた。東京は遠いし、それよりも身近に気になっていることがあった。

「うちの鳩のはっちゃん、どこ行っちゃったんだろう……」

 バスタオルで、体についた水滴を拭いながら、火照った頬を赤らめて、伊奈は呟いた。

 そこに、まだ小学生の弟が走ってきた。

「お姉ちゃん。何しているんだよ。テレビの中がすごいんだよ。鳩の怪獣が、東京のビルを破壊しているよ……」

「鳩が……?」

 まさか、伊奈は慌てて、巫女の装束を着ると、テレビの前へ走った。見ると、確かに飛んでいるのは鳩である。ちょっとグロテスクな見た目をしているが、よく見ると、ただの鳩である。ちょっと始祖鳥っぽくなっているが、灰色と白のグラデーションの羽毛といい、ちょっとふくれっ面なところも、よく見れば鳩である。姿を変えても、所詮、鳩は鳩なのである。

「まさか、はっちゃん?」

「まさか……お姉ちゃん、それはないよ……」

「分からないじゃない! はっちゃんなんだわ。すぐに元の姿に戻さないと、戦車や戦闘機にいじめられちゃうわ!」

 伊奈は、そう叫んで、その巫女の姿のまま、外に走り出した。

「はっちゃん!」

 伊奈は、山に向かって叫んだ。声はどこまでも遠くまで響いて消えた。


 挿絵(By みてみん)


            *


 ピジョラは、飛鳥山の頂きに丸々と座って、首をくるりと後ろにまわすと、羽根の裏あたりをちょいちょいと嘴でいじっていた。

「クルックークルックー」

 たまにそう声を上げると、とても喉の調子が良いらしく、のびやかな高音が、渋く味わいのある低音をともなって、どこまでも深く響いて聞こえた。ウグイスやカナリヤにも負けないだろうという気が、鳩の分際ながらもしてきた。

 空を仰げば、そこには月があった。

 それにしても、とピジョラは思う。昨日、あの鷲に襲われて、傷だらけとなって、命からがら山の中へと逃れてきた自分は憐れだった。力尽き果て、山の中に転がって、もう死ぬのだと覚悟して、ふと、空を仰げば、そこに月を食らおうとしている龍の姿があった。あの月が自分かと思った。鷲に襲われている、あの小さな小さな月は自分なのかもしれない。でも、ピジョラはそうであってはいけないと思った。

 自分は、あの猛々しい龍にならなければならないんだ。襲われる側ではなく、襲う側にならなければ。いじめられる側でなく、いじめる側にならなければ。そう願って、強くなろうと思った。その月を眺めているうちに自分は、こんなにも醜い怪物となってしまったのだな、と悲しく思った。そうして、人間からも愛されずに、戦車や戦闘機に出迎えられる。そんな存在となり果てた自分に、もはや生きながらえる価値などあるのだろうか。

 と、ピジョラは月を見ながら、しみじみ思うのである。


           *


 香川博士は、言い伝えの巫女を探していた。はじめは神社めぐりをしていたが、不審者と間違えられるので、だんだん判断力が鈍ってきた。巫女さんカフェというものを見つけて、しばらく、ゆっくりしていたが、それどころではない気がして、また神社めぐりを開始した。

 ところが、香川博士がせっかく巫女を探していても、東京からは人が離れて行くばかりだった。ピジョラが飛鳥山に居座っている以上は、東京になど住んでいられないと人々は疎開を続けた。店という店が閉まり、神社には誰もいなかった。それで、香川博士は、もう駄目だと半ば諦めかけていた。

 香川博士は、がっくりと肩を落として、夜の繁華街を歩いた。灯りだけはついていても、酒を飲んでいる人影はなかった。そのネオンの灯りからも離れて、薄暗いシャッター街に辿り着いた時、博士は、おやと顔をしかめた。

 シャッターの前にしゃがみ込んでいる一人の巫女さんがいた。

「あの、君……」

 はっとして、その巫女は顔を上げた。その顔はとても美しく輝いて見えた。

「なんでこんなところに……お家に帰りなさい」

「お金がないんです。お財布の中身を見ずに、静岡からここまで電車に乗って来たんです。そしたら、この有様です……」

 と困ったように呟いた。

「なんで、そんな衝動を……こんな時に家出かね」

「家出じゃありません。はっちゃんに会いに来たんです」

「誰だね。はっつぁんと言うのは……」

「はっちゃんです。ペットの鳩なんです」

「逃したのかね。悪いことは言わんが、東京のどこにいるか分からんし、鳥のように飛びまわるものでは、とても見つからんだろう」

「いいえ、はっちゃんは飛鳥山の頂きにいますわ」

 その言葉を聞いて、香川博士は衝撃を受けた。喩えるならば、ドラム缶が宇宙から降ってきて、頭に直撃したような感覚だった。目を丸くして、その巫女を見つめた。

「はっちゃんと言うのは、あのピジョラのことかね」

「世間ではそう言っているようですけど……」

 香川博士は深く頷いた。

「君を探していたよ……私が探し求めていた巫女は君だったんだ……」


 香川博士はすぐさま、助手の今崎を呼び、三人は車で飛鳥山へと向かった。

「君に会えば、はっちゃんは元に戻るというのかね」

「そうです。はっちゃんは、自分を怪獣だと思い込んでいるんです。だから、あんな姿になってしまっているんです。自分が、そんな汚らわしい化け物ではないと気づけば、つまり、はっちゃんだと思い出せば、元に戻れると思うんです……」

 香川博士は、なんとも言い難いらしく、顔をしかめた。

「これは何ともやってみないことは分からんが、生物学の立場からは、何も保証できないよ?」

「わかっています」


           *


 ピジョラは、ホーホケキョと鳴いた。なんだ、できるじゃないか、ウグイスなんて日頃偉そうなことばかり言っているが、今の自分はウグイスやカナリヤよりも美しい声で鳴けるのだ、と思った。次は、オウムのように人間の言葉を真似てみようと、ピジョラは喉をころころと転がした。

「イィ……イィ……」

 お、出そうだ、と思った。

「イィ……ナァチャァン……」

 なんだ、簡単だ。もう一度出してみよう。

「イナァチャァン」

 上手くいった。ところで、自分は一体全体なんと言っているのだろう。イナチャン、なんのことだろう。ひどく懐かしい気がする。イナチャン、イナチャン。

「イナチャン……イナチャン……」

 ピジョラは、何度もそう呟いているうちに涙がこみ上げてきた。しかし、それが自分にとって何を意味する言葉なのか、ピジョラは思い出せなかった。


「イナチャン……?」

 ピジョラはふと、産まれた時に初めて見た少女のことを思い出した。その優しげな笑顔。それからずっと一緒だった。お母さんみたいな人だった。そうだ。あの人がイナチャンなんだ。そう思った時、ピジョラは寂しくなった。ずっと胸につかえていたものがとれたようだった。イナチャンは、今どこにいるのだろう。イナチャンにまた会いたいと、ピジョラは思った。


「はっちゃん!」

 聞き覚えのある声がした。ピジョラははっとした。目の前に、自分の飼い主のイナチャンが居たのだ。

「ココッ?」

 ピジョラは立ち上がった。人も車もいなくなった、静かすぎる明治通りの真ん中を一人で歩いてくる巫女の姿、あれは自分の飼い主、イナチャンに違いない。

「コココッ?」

 イナチャンは、両手を口に添えると、大きな声で、

「はっちゃあん! 戻ってきなさーい!」

 と叫んでいる。


 挿絵(By みてみん)


 その時、ピジョラは、そうだ、自分は化け物でも龍でもない、はっちゃんだったのだと思った。


 ピジョラは、イナチャンと叫ぼうとした。しかし、その声はもう出なかった。そこにいたのは、クルックーという声しか出ない元の自分だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] はちゃめちゃなお話でありながら、同時にとても『映像的』な作品であるように思いました。 人物描写はもちろん、起こる出来事のひとつひとつが独特の表現で描写され、読んでいて目に浮かんでくるようで…
[良い点] ∀・)いやぁ、こういう作品まで書けちゃうなんて、凄いですね。Kanさま半端ないって。 ∀・)怪獣化しても「“はっちゃん”は“はっちゃん”だ」という巫女さんのメッセージ性がボクは特に好きだ…
[良い点] Kan様、いつも執筆お疲れ様です(^-^) 『ピジョラの襲来』拝読させていただきました。 平和の象徴である鳩が怪獣化してしまうという点が、なんだか好きです。 はっちゃんが人々から恐れられ…
2018/06/26 10:11 退会済み
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