覇獣狩りと職人
覇獣という獣がいる。
それはこの世界における生態系の頂点である。遠くからも良く見える鮮やかな青の体毛がそのことを示している。その風貌は獅子を思わせる体躯に立派な翼が付いておりあらゆるものを凌ぐ大きさをしている、とされる。実際に覇獣を見かけた者は逃げかえる以外の選択肢がなく、生きている覇獣に遭遇したものはこの世には少ない。
半面、覇獣は生活に大きく影響を与える。その体から得られる素材の耐久性はどんなものにも優り、ありとあらゆる物に利用される。覇獣の死骸から作成された革鎧などはそれだけで館が一軒建つとまで言われていた。その覇獣の通り道を追いかけ、抜け落ちた毛や死骸を利用する事を生業とする者たちがいる。
「親方! 今日は良質な抜覇毛がありますぜ」
覇獣の素材を扱える職人の数はそう多くない。そのほとんどが王都と呼ばれる人間の王国の中心地に集まっていた。城下町の一角の職人が集まる地区のさらに奥にその工場はある。その工房の一つに覇獣が通った道をくまなく調べ、抜け落ちた毛を集めた者が出入りしていた。
東方は海に囲まれ、西方はフロンティアと呼ばれる未開拓の新天地が続いており、誰も世界の全てを知らないこの時代、かつては大小様々な王国が乱立していたのが統合されてすでに数百年。人類は未踏のフロンティアへ幾度となく挑戦をしたが、その都度何かしらの災害や障害に阻まれて生息地を拡大するには至っていない。その理由の中でも最も多いのが覇獣の生息域である。
「抜け毛じゃなくて死骸から引っこ抜いたやつはねえのか?」
「親方、抜け毛じゃなくて抜覇毛ですよ。それに覇獣の死骸なんか見つけてたら死骸ごと持ってきますわ」
「ふん、今回の遠征もろくな収穫じゃなかったようじゃな」
「世知辛いっす」
彼らは覇追い屋と呼ばれ、覇獣の生息域に入り命をかけて覇獣の素材を集めてくる事を生活の糧にしている。そしてその素材はここ王都に運び込まれ、上流階級を中心として人気を誇る超一流の道具へと作りかえられるのだ。その多くは世代を超えて利用し続けられる。
「はっはっは、誰か覇獣を狩れる奴がいれば楽なんだがのう」
「親方ぁ、それは無茶ってもんですよ。なまの覇獣みたらそんな事言えなくなりますよ、きっと」
「お前は何回見たんだ?」
「2回です。2回も生き残ってるなんて、これでも凄腕で通ってますからね」
覇追い屋の寿命は短い。その分、覇獣の素材は大変高額で取引される。一攫千金を狙って、多くの若者が覇追い屋となって命を散らした。だが、その覇追い屋がもたらした素材が王国の要所を支えているといっても過言ではない。東方の島へ唯一たどり着くことが可能な船の骨組みに、覇獣の骨が使われていることなど良い例である。
「次もちゃんと帰って来いよ」
「そんな事言ってくれるのは親方だけですよ」
覇追い屋の若者は安くない代金を受け取ると、そのまま町へ繰り出した。彼にとってこの瞬間が生きている意味を示していると言っても過言ではない。そして次、無事に帰ってこられるとは限らないのだ。その後ろ姿を見て、工房の職人見習いの少年はなんとも言えない感情に支配されていた。彼に無事に帰ってきてほしいという感情と、もっと覇獣の事が聞きたいという感情と、それとは別の何かである。
「おい、サイト! 抜け毛の処理しとけ!」
「はい、ただいま」
サイトと呼ばれた少年は覇追い屋から買い取った抜覇毛の汚れを取り除く作業にかかった。状態の良い抜覇毛である。これならば一級品の弓ができる、とサイトは思った。他にも用途は様々であったが、サイトは少年らしく覇獣の素材が武器防具になるのが好きだった。だが、今のところは弓の作製依頼はなかったはずである。
「加工は明日やるぞ、それ終わったら今日は帰っていい」
「ありがとうございます、親方」
夕日が傾く前に帰らなければならない。夜道を歩くにはランプが必要で、サイトの家は裕福とは言えないからそんな余裕はなかった。親方はいつもぶっきらぼうであるが、こんな時に優しさが垣間見える人物である。
「珍しい事に双角馬の馬車が通ったんだよ」
サイトの父親は王都をぐるりと囲む城壁の西門の門番兵であった。この日も勤務を終えて帰ってくるまでに多くの通行人の取り締まりを行っていた。王都に入る者の中に犯罪歴などがないかを厳しく調べる必要がある。王侯貴族の多く住んでいる王都はどの城塞都市よりも細かく取り調べが行われ、反乱分子のあぶり出しなどまで行われていた。王国が統一されてすでに数百年が経っている。かつては多くの若者が戦争で命を散らす世の中であったが、戦争がなくなっても人は人同士で殺し合いをしなければならない生き物らしい。その世界を少しでも知っているサイトの父親は息子に兵士になることを望まなかった。それ故に工房の職人見習いとして少年のころから修行をつけてもらっている。まさか運よく覇獣の素材を扱う工房に雇われるとは思っていなかったのだが。
「父さん、双角馬って何?」
「双角馬ってのはな、普通の馬と違って二本の角が生えてるんだ。それに首が少し長い。彼らは非常に強くて普通の馬では行けないような場所でも進むことができるんだよ。普通は馬車には使わないし、気性が荒いから手懐けるのも難しいと聞いてたんだがな」
「へえ、どこかの貴族の人かな?」
「いや、馬車自体はそんな貴族の方々が使うように豪華ではなかったな。そのかわりだいぶ頑丈そうだった」
「へえ…」
サイトの頭の中では妄想が膨らむ。きっとその双角馬の馬車に乗っている人物はフロンティアから帰ってきたに違いない。あちらには舗装された道なんて存在しない。そのための頑丈な馬と馬車なのである。もしかしたら覇追い屋かもしれない。覇追い屋が素材を持ち込む工房は多くないから、明日にサイトの工房に新しい覇追い屋が来るかもしれない。覇獣の素材が貴重であるだけあって、道具が作製される機会も少なかった。特に素材の加工だけではなく完成品まで手掛けるのはサイトの親方くらいのものである。親方の作品はそれこそ立派な一軒家が買えるほどの値段で取引される。それほどの職人になるのがサイトの夢でもある。
翌日、朝早く工房へ行くとすでに親方が来ていた。いつもはサイトが来てからだいぶ後になって顏を出すのである。
「おはようございます、親方」
「おう、この抜覇毛の処理工程を説明してみろ」
挨拶もなしに親方に言われた事でサイトは震えた。もしかしたら作業の順番を間違ってしまったのかもしれない。親方が抜覇毛を抜け毛と言わずに正式名称で呼ぶときは本気の時だった。足が震えるのを必死に隠しながらサイトは抜覇毛の処理の順序を言っていく。
「よし合格だ。次の段階もやってみろ」
聞き間違いではなかったのだろうか。サイトは自分の耳が信じられなかった。自分が抜覇毛を加工する? そんな夢のような出来事が現実となろうとしている。
「どうした? やらねえのか?」
「いえ! やります! やらせてください!」
あまりに放心しすぎて返事がおろそかになっていたようだ。
託された抜覇毛を見る。透き通るような青色の毛はどの生物のものと比べても太い。まずはその束の中で長さを揃えることと、毛先が痛んでないものをより分けることだった。
「毛先が切れてるものを選んで好きなモン作れ」
その作業中に親方が後ろから声をかけた。毛先を使わないで作る物でサイトの好きな「モノ」などと言えば弓しかない。いつのまにこの最年少の弟子の好みを調べていたのだろうか。それとも弓を作製している最中に親方を見る眼差しで思う所があったのかもしれない。いずれにしても弟子入りしてから5年の間に作業の方法は目で覚えている。後は実践し、頭の中との差異を修正していくだけであった。
「こことここ、あとここに歪みが出ている。分かるな?」
「はい」
サイトは弓を作り上げた。他に使った素材はしなやかさを誇る木材である。抜覇毛はより合わせて弦とした。木材はあまりにも強いしなりであり、力が足りなかったために最終的に弦を張ったのは親方だった。
「ふむ」
考え込んだ親方は修正の仕方を簡潔にサイトに伝えた。すぐに直せという事なのだろう。そしてそれはすぐに直せる程度の歪みであったようだ。最後に印を刻み込ませた。サイトはかねてから考えていた自分だけの印を刻んだ。
「よし、じゃあここに置いておけ」
「え、ここは……」
そこは商品が並べられている棚であった。素材が貴重であるこの工房の商品はあまり多くを店先には置いていない。法外と言われても納得しかねない値段の代物の中に、サイトの弓が置かれることとなった。
「終わったんなら雑用をさっさとやれ!」
それでもサイトにとってははじめて認められた作品であった。そしてその弓はその日のうちに売れることとなる。
「もし、ここは覇獣の素材の引き取りをやっておりますかな」
昼過ぎに工房へとやってきたのは一人の老人とフードで顏を隠した人物だった。主に老人が交渉をするつもりらしい。
「やってるぜ」
基本的に昼にいる職人は親方とサイトのみである。職人街の一番奥まった場所にある工房まで来る人間は工房関係者と覇追い屋くらいのものである。一応はここにも商品を置いてはあるが、ほとんどは貴族街に近い場所にある店へと卸していた。そのため親方自らが客の応対をすることがほとんどである。
「こちらの方が依頼人なのですが、諸事情があって顏をお見せできません。ご了承下さい。代わりに私が話をさせていただきます」
「あん?」
職人気質の親方の機嫌が悪くなる。せっかく今日はいい一日だったのにとサイトは思った。親方の機嫌が悪い時はいいことがあったためしがない。覇追い屋本人が来ているのに代理人に交渉をさせるなどとは親方の嫌いな行為の一つである。だが、親方の機嫌が悪くなる事はなかった。
「覇獣の死骸を、買い取っていただけませんか?」
「死骸をか!?」
覇獣は巨大である。死骸は様々な素材が獲れ、その量があれば当分は素材に困ることがない。
「買い取り額はこの程度で……」
「おいおい、死骸はたしかに欲しいがよ。これじゃ他の工房の倍はする……」
「状態がとても良いのです」
親方の言葉を遮り老人が言った。
「他言無用ですよ」
そして親方に耳打ちする。親方から驚愕の表情を消せないうちに老人がたたみかけた。
「どうです?」
「…買った」
サイトはその耳打ちされた内容が分からなかったが、倍の値段をかけてでも欲しい何かがあるのは明らかだった。慌てて奥の金庫から金をとってくる親方を待ちつつ、老人と後ろの依頼人は表情一つ崩していない。
その時、フードで顏を隠した依頼人が商品棚からサイトの作製した弓を取った。
「試しに引いても?」
「ええ、どうぞ」
意外と若い声だとサイトは思った。その返答を聞いて依頼人が弓を引く。事も無げにしなやかに曲がる弓とそれを支える弦。引くためにはかなりの力が必要なはずである。弦を張ったのはサイトではなく親方であり、サイトではまだ力が足りなかったのだ。
「悪くない、もらおう」
「では、先程の金額から引いていただきましょう」
親方が帰ってきてから老人がサイトの作った弓を購入したいと申し出た。覇獣の死骸の取引は城壁の外で行われるという。城壁の中に入れるには問題があるという話であり、親方はそれに納得していた。この問題がなんなのかは親方は口にしなかった。
「サイトか? 親方さんもどうしたんだ?」
西の城壁には今日もサイトの父親がいた。一向が外に出るというのが珍しいらしい。
「城壁の外での取引が必要なもんでな」
「取引……、まさか覇獣の素材ですか?」
「死骸を一頭ほど、あまり騒がんでくだされ」
「分かりました。素材は高価でしょうから場内に引き入れる際には部下をつけましょう」
覇獣の素材は持っているだけで強盗などに襲われる事がある。そのためにサイトの父は衛兵を数人つけることとした。
「こちらです」
城壁の外に出て数十分ほど歩くと、一頭の馬車が樹々に隠れるように停まっていた。後ろにかなり大きな荷台が付いており、布で全体を包まれている。
「遅かったな」
「申し訳ございません。ですが、取引は成功です」
老人が待機していた仲間と話す。こちらもフードで顏を隠していた。
「明らかに怪しいんだが、顏を隠している理由を聞いてもよいか?」
ついてきた衛兵が言った。
「数日間は内密にお願いします。騒ぎになりますので。こちらを見ればご納得いただけるでしょう」
老人はそういうと荷台を指差した。
「さあ、これが衰弱死していない覇獣の死骸だ。首が刎ねてあるのは勘弁しろよ」
依頼人はそう言うと布を払った。
そこには巨大な獣が横たわっていた。全身を覆う鮮やかな青の体毛に獅子獣類を上回る太さの四肢、さらには両翼は今にも飛び立ちそうである。サイトは覇獣の完全な死骸を見るのははじめてである。親方も衰弱ししていないものは見た事がないはずだった。その圧倒的な存在感に圧迫される。だが、頭部は切り離されその本来の威容が霞んで見えた。
それでも覇獣は圧倒的だった。単純に巨体であるというだけではない威容を感じる。
「覇獣を狩った。騒ぎを起こしたいってんなら仕方ないが、そうでなければ顏を見ないでくれるとありがたい」
数名の衛兵は声が出なかった。事前に聞かされていたはずの親方ですら何も言えない。それほどに……。
「美しいっていうような……」
サイトの口から自然と声がでた。美しい。それ以外に形容する言葉が見つからない。
「ボウズ、見所があるな。その通りだ。ボウズが言うように美しい。その表現がふさわしい。こいつが生きていた時はさらにな」
依頼人は少し興奮しているのか、サイトの髪をくしゃくしゃしながら言った。すでに12歳であるサイトはボウズと呼ばれることに抵抗感を感じる。
もう一人は、そのくらいにしておけと言うような態度でいた。個人を特定されると必ず王侯貴族からの接触がある。それを嫌っているのだろう。それくらいサイトでも分かる。
「もういいだろう。親方さん、これでこいつが嘘をついてなかったと証明できたな? 金を受け取りたい」
「ああ、ここにある」
衛兵も見ている前で受け渡しが行われた。金額を2人で数えている。老人はそれには加わらないようだった。
「よし、じゃあ俺たちは行く。こいつはこの町で雇った奴で俺たちとは何の関わりもない。馬車もこいつに借りてきてもらったものだ。ないとは思うが跡をつけるなんてことはしないでくれ。この金で覇追い屋を引退して平和に暮らすんだ」
そう言うと二人は速足で消えていった。取り残された老人はため息をついている。
「ふー、さっきの二人の言ったことは本当だぜ。俺はたんなる飲んだくれだ。服を買ってもらった小綺麗にしただけの浮浪者だよ。言葉遣いは昔ちょっと貴族につかえてた時代もあったもんでな」
いきなり態度の変わった老人は煙草を取り出して吸い始めた。サイトを初めとして誰一人事態の変わりようについていけていない。
「あの二人の気持ちも分かるんだよ。もちろんそれなりに報酬はもらったさ。覇獣を狩れるやつが存在するとなると王侯貴族が黙ってるわけがねえ。これまで命をかけて覇獣を追ってきたからこれから先は平和に暮らしたいってな。お、さっさとこいつを運んじまってくれ。この馬車を返さにゃならんもんでな」
結局覇獣を狩った二人の事は何も分からず、もう一度覇獣の死骸を隠したサイトたちは馬車を工房へと引き入れたのだった。
***
数日後、覇獣を狩った人間がいるという噂が回った。親方の工房には貴族からの問い合わせが途切れなく続いたが、素性を探らないという条件で買い取ったという説明しかできなかったためにそれ以上追求されることはなかった。だが、その応対のせいで覇獣の素材の加工は遅れた。
「これだけの素材を扱うなんて一生に一度きりだろう」
鮮やかな青。今まで抜け落ちた毛や衰弱死した死骸から引き抜いたものしか見てこなかったのである。全盛期の活力に満ちた体毛は全くの別物に見えた。
「これは抜覇毛じゃねえ。純粋な覇毛、純覇毛とでも呼ぶか」
数日間、親方は興奮気味であった。その他にも噂を聞きつけて工房には貴族からの道具の作成依頼が続いた。忙しさの中でサイトもこの二度とないであろう経験を楽しんだ。
ある時、親方が何かを思い出したように言った。
「忘れてたが、今夜お前の家に行ってもいいか?」
「え? いいですがどうしたんでしょうか」
「何、親御さんに用があるんだ」
「分かりました、先に帰って伝えておきます」
その用とはなんだろうか。サイトには特に思い当たることはない。この数日は忙しい反面、親方の機嫌は非常に良かった。さっきの話し方からも悪い話ではなさそうだとサイトは思った。
「へえ、親方さんがねえ。どんな用事なのかしら」
「サイト、お前なんかやらかしたのか?」
帰宅すると両親は冗談めかしてそんな事を言っていた。狩られた覇獣が工房に運び込まれ、その噂が回り仕事が忙しいという事はすでに知っている。王都の外でも有名な話になっているようで、中にはフロンティア付近の村々に「覇獣狩り」の情報を求めて人を派遣した貴族もいるという。
食事を終える頃、親方はやってきた。
「どうぞおあがりください」
「ありがとうございます」
手には小包があるようだった。テーブルをはさんで両親の対面に座り、サイトが親方の横に座る形になった。ポリポリと頬をかきながら親方は小包を差し出した。
「サイトの作ったものが売れましてな。俺も昔に親方にやってもらった事があるんですが、職人の初めての道具が売れたときに祝いとして売り上げを親御さんに渡すって伝統がうちの流れにはありまして」
「ほう、サイトが作ったものが?」
見習いとして今までのサイトは賃金はもらっていない。基本的に親方の許可が出るまでは無給である。つまり、これはサイトがある程度認められたという事だった。サイトが何も言えずにいると母親が言った。
「良かったわね」
それでぶわっと喜びを実感した。人に認められるという事は喜び以外になんと言えばいいんだろうかとサイトは思う。
「ただしですな、伝統的に最初はちょっとした物を作らせてというのが普通で、俺も売れるとは思ってなかったもんで……」
親方の歯切れが悪い。親方に頬を掻く癖があったのをサイトははじめて知った。
「作らせたもんが抜覇毛弓ってもんでしてな、その売り上げが……」
そう言うと親方は小包を広げた。
「あんまり良い事じゃねえんですが、あなた方なら大丈夫だと、思ってます。こいつのために使ってやって下さい」
工房では製作料はそれほど足しているわけではない。その道具の価値はほとんどが覇獣の素材代であった。だが、それだけでもかなりの高価なものになる。その素材代は工房が祝いとして出すのが伝統なのだろう。親方はそのことを忘れていたために覇獣の素材を使っていいと言ってしまったのである。
つまり、抜覇毛で作り上げた弓の値段はサイトの家ではどうしても稼ぎ出すことができないほどの額であった。テーブルの上に広げられた布から見える大量の金貨にサイトの両親は気圧されるが、それでもなんとか父親が声を出した。
「あ、ありがとうございます。大切に、使わせてもらいます。これからもサイトのことをよろしくお願いします」
「こちらこそ」
親方は頭を下げるとすぐに帰っていった。残されたお金を見て両親とともにサイトは心の底から喜んだ。そして翌日から親方はサイトに道具の作り方を少しずつ教えていったのである。
「本来はもう少し後なんだがな……」
数人いる兄弟子たちはすでに独立してそれぞれの工房を開いている。しかし覇獣の素材を扱う職人は一人もいなかった。親方は覇獣の素材を扱う後継者としてサイトの事に期待したのだろう。サイトもそれによく応えた。
***
こうしてサイトは16になる頃には親方の技術のほとんどを受け継ぐことができていた。それでも自分はまだ半人前だと思い、調子になるようなことがなかったのは両親の教育だろうと周囲の人は思っていたのである。その父親であるが、あれから数年しても全く出世せずにいまだに王都西門の門番をしている。高級な一級品を作り出すサイトの方が給料としては上を言っていたが、親方は給料をサイトには渡さずに両親へと渡すようにしていた。両親も一部を生活費の足しにはしたが、それ以外はサイトの将来のために貯金してあるのである。サイトの家には一番奥の部屋に金庫があった。
「16で成人だ。そうしたら給料もそのままもらえるんだろう?」
「俺にたかろうとするなよ」
ずっと工房で働いていたサイトには知り合いが少ない。それでも休みの日などにつるむ仲間がいた。もちろんすべて平民であり、職人の見習いであることが多い。
「サイトの所は超高級品だからなぁ、この前商品下ろしに店に行った時にちらっと見たけどありゃすげえわ」
この青年もサイトと同じようにある工房で見習いとして働いている。名前はロウといった。知り合って数年になるが悪友とでもいう関係である。主に扱うのは金属類で、サイトの工房とは競合しないために付き合いやすい。同じ道具職人であれば工房ごとに門外不出の技術があるのでうっかりと仕事の話をするわけにもいかないのだ。
「飲みに行こうぜ」
まだ昼過ぎだというのに、未成年だというのにこういう事を言う。サイトも年頃である。次の日に影響しない程度であれば付き合うことが多い。ロウはたまに二日酔いで親方に怒られることがあるらしいが。
「ジェーンの所にいこうぜ」
「酒じゃなくてジェーンが目的なんだろう?」
大衆酒場の看板娘のジェーンはサイトたちと同年代である。何かと理由をつけてロウはその酒場に通いたがる。
「見習いは相手にもされないだろうよ」
「お前はすでに見習いじゃねえもんな、いいよな。ちくしょー」
はは、と笑ってサイトはロウの肩をポンポンと叩いた。だが職人扱いされているサイトももてるわけではない。それに結婚を考える歳でもなかった。
酒場ではロウがジェーンに見栄を張って高いものを注文しようとしていたのを阻止し、サイトは安酒を頼んだ。ここは金を払えば肉などの高級品を出してくれるが、ロウは金がないしサイトも自由に使うことができる金は少なかった。だが、この蒸かした芋も悪くないと思う。塩気がちょうど良く美味いとサイトはいつも思う。
なんてことのない世間話をしながらもロウはジェーンの事が気になるらしい。話が途切れてしまい、サイトは安酒を飲みながら周りの客たちの会話を聞いた。その中で気になるものがあった。
「おい、覇獣狩りが出たらしいぞ」
「またかよ、どうせ出まかせだ。4年前に王都に来たやつは引退するって言ってたんだろ?」
「違う奴じゃねえのか?」
「どちらにせよ討伐された覇獣が王都に運び込まれてねえんなら偽物だ」
4年前に覇獣狩りがやってから一度も覇獣は討伐されていなかった。覇獣の素材を扱う工房は多くないために覇獣が討伐されたとしたらすぐにサイトの耳に入ってくるはずである。純覇毛を使った道具はほぼ全て貴族が買い占めた。革鎧は王へと献上されたらしい。以来、それ以上の素材には巡り合っていない。技術が追い付いてきた今、あのような素材を使うことができればとウズウズする。
これ以上聞いてても無駄だとサイトは酒のおかわりを注文しようとした。その手がちょうど隣のテーブルにつこうとしていた客に当たってしまった。
「あ、すみません」
「いや、大丈夫だ」
ペコリと頭を下げる。知らない男だった。黒髪に無精ひげ、覇追い屋に同じような雰囲気のやつがいたなとサイトは思う。もう一人とテーブルへと座るが、どこかで聞いたことのある声だった。どうしても思い出せない。酒の追加を注文しながら思い出そうとしても無理だった。
「それで、復帰を考えてるのか? 死ぬぞ?」
「復帰も何も、あのあとフロンティアに戻った。貧困からフロンティアにしか居場所のない奴らが沢山いるのは知っているだろう? そんな人たちの作った村にいたんだ」
もう一人はかなり裕福そうな身なりの男だった。平民ではあるだろうが羽振りがよさそうである。
「こいつがあれば時間くらいは稼げるからな」
その男はぽんと自身の弓を叩いた。その弓を見て、サイトは時が止まったかと思った。
「そ、その弓……あんた、もしかして覇獣狩りか?」
人を指差してはいけないと両親に教わったサイトであるが、気が動転していてその教えを守ることができていない。その男が持っていたのはサイトが初めて作り上げた抜覇毛弓だった。サイトの作品であることが分かるように職人はそれぞれの道具に印を刻む。初めて刻んだ印を忘れるはずもない。であるならばこの男は4年前に抜覇毛弓を買っていった覇獣狩りである。
「誰だお前って、……もしかしてあの時のボウズか?」
ばっと男に頭を抑えられた。とっさの事で身動きがとれなかったが、おそらく前兆が分かっていたとしても避けられないほどに速かった。
「ボウス、その名で呼ぶな、分かってるな?」
いきなり隣の客ともめだしたことでロウがようやく気付いた。覇獣狩りという単語は他の誰にも聞かれてなかったようである。もう一人の男が周囲を警戒しているが、大丈夫そうで安心して大きく息をついたのが分かった。
「何だよ、あんたら!」
ロウが大きな声を出した。
「昔の知り合いだ、悪いがちょっとこいつを借りるぞ。こい、ボウズ」
有無を言わせずサイトを立ち上がらせた男はサイトを酒場の裏に連れて行った。ロウが騒ぐがもう一人の男に抑えられている。
「ボウズ、なんで分かったんだ?」
「その弓は俺が作ったんだ。あとボウズはやめろ。俺の名前はサイトだ」
「そうか、ボウズ。ちょうどいい……お前をこのまま家に帰すわけには行かなくなったな。俺が覇獣狩りだと知っている奴を野放しにするわけにはいかない」
「はぁ!? ふざけんなよ!」
「まあ、話を聞け。お前も職人なんだろう? 狩った覇獣の死骸が欲しくはないか?」
「う……、そりゃ欲しいけどよ」
覇獣狩りは笑みを浮かべて言った。
「手伝ってくれるんなら無料でくれてやる。契約をしようじゃないか」
***
覇獣狩りはゼクスと名乗った。急にフードとマスクで顔を隠すと拉致同然にサイトを工房へ連れて行き、たまたま工房へ出ていた親方へ直接交渉したのである。
「ひゃっはっは、対価が覇獣の死骸となるとお前も見捨てられるんだな」
そしてそのまま双角馬の馬車へサイトを乗せると西の城門から王都の外へと出てしまった。乗せるというよりも、詰め込んだというのが正しい表現なのかもしれない。親方も覇獣狩りの勢いに負けただけといったのが正しいかもしれない。誰一人状況を完璧に理解していない状況でサイトは王都を出た。
「なんなんだよ、あんた!?」
猿轡を外されたサイトが最初に言った言葉はそれである。城門の取り締まりもこんな日に限ってサイトの父親はおらず、そもそも王都に入る者の取り締まりは厳しいが出ていく者に関してはかなり緩い。城門を出た双角馬は速度を上げた。
「どこに連れてく気だ!?」
「そりゃあフロンティアさ」
「フロンティア?」
一瞬、サイトは馬車から飛び降りようかと考えるがそんな勇気もなければこの速度で飛び降りられるほどの身体能力を持っているわけでもない事に気づく。職人として生きてきたサイトの足腰はそれほど強くない。仕方ない、と考えたサイトは情報収集をすることとした。
「フロンティアに何しに行くんだよ?」
「そりゃあ、覇獣を狩りに行くんだ」
我ながら馬鹿な質問をしたと思った。聞き方を変えなければならない。
「あんたの相棒はついてこないのかよ」
「ファロか? あいつはもう4年前に引退してるからな。身体が鈍ってしまって使い物にならんだろう」
やはりもう一人は引退生活を送っていたようである。裕福な身なりから、覇獣の死骸を売った金で平和に暮らしていたのだろうとサイトは思った。であるならばゼクスはなぜまた覇獣を狩りに行くのか。そして相棒の名前はファロというのかとサイトは覚えておくことにした。将来、このネタでゼクスをゆすってやるのである。
「死骸を無料でくれるってことは目的は金じゃないんだな? なんだ?」
「おっ、いきなり核心をついて来るねえ。興味持ってもらって嬉しいよ」
ゼクスはその軽い調子とは裏腹にフロンティアの深刻な現状を語った。4年前にゼクスたちが狩った覇獣の個体名はプレブと名付けられていた。プレブの生息域は非常に広く、その両翼で広大な範囲を縄張りとして持っていたのである。無論、そこは覇獣にとっては住みやすい環境であり、餌となる動物は多く、さらには人間としても使える資源が豊富に埋まっていた。
この王国は統一されたことで大きな戦争を行うことがなくなった。そのため戦争で多くの命が散っていたが、要は若者が死ななくなったのである。それに追従するのは貧富の格差であった。貴族の多くは奴隷を使役し富を独占し、貧しい平民の生活が改善することはなかった。生きていくために犯罪に身をやつす者もいたが、多くは生きていける場所を求めて新天地を目指した。少しずつ森を開拓することで、なんとか貧しいながらも食いつないでいくのである。ただ、そこには多くの危険が伴った。
「プレブはもういくつもの村を襲った。どの村も殺しつくされた。覇獣は本能的に人間が敵であるということが分かっているらしい。餌にするやつ以外も殺していく……」
手綱を握るゼクスの腕が震えているのは馬車の振動のせいではなかった。貧困に関してはサイトもよく理解している。父親だけの収入ではやっていけない年も多かったのだ。運良く、サイトが職人として認められ給金をもらうことができたが、本来であればまだ見習いであって収入はないはずなのである。恵まれていると感じたことは多かった。若いうちに一攫千金を求めてフロンティアを目指す者もいたが、そうではなくて仕方なく家族をつれて王都を出ていく者も多かったのである。
「それでな、まあ俺以外で覇獣を狩れる奴はいないと思うんだが、フロンティアでは装備の調達が上手くいかないからたまに王都まで出るんだ」
「それで俺を連れて行く理由は……」
「ん? 素材があれば現地で道具が作れるだろ? それに俺が覇獣狩りだって王都の貴族どもにばらされるわけにもいかんしな」
一見、サイトとしても合理的に思えた。そこまでの過程が酷かったのは別としてだ。それに貴族のお飾りとして買われるよりも実用として売る方がサイトとしては好きである。だが、この仕打ちを許せるかというと話は別であるが。
「俺に何を作って欲しいんだよ、それに覇獣の素材だけでは道具は作れねえぞ」
「まあとりあえずは鎧だな。薄くて軽くて丈夫なやつ」
「覇獣の革鎧なんて屋敷が立つほどに高いぞ」
「必要なものは揃えてやるよ、それに対価は死骸だといっただろう」
「もしかしてフロンティアに死骸があるのか?」
「ねえよ、これから狩るんだ。だけどよ、鎧に使える程度の皮なら持ってる」
二頭立ての双角馬の馬車は速度を緩め始めた。そうでなければ喋っているだけで舌を噛んでいたかもしれない。それでも普通の馬車よりはかなり速度が速いようである。さらには体力も強靭であり長時間走ることができるようであった。
「フロンティアまで1週間てところだな」
「早すぎるだろう」
「速度は何事にも重要だ」
1日で思った以上の距離が離れてしまった。サイトは街に入り宿を取る際に逃げ出そうかと思ったがここがどこかが分からない。王都の外に出たことなどほとんどないのだ。更には旅費もない。こんな所に一人放り出されてものたれ死ぬという事が分かるだけである。自分が職人の技量以外になにもないということはサイトにはよく分かっている。
そしてゼクスは途中の町で必ず宿をとって十分に食事をし、よく眠った。休息が大切であるということはサイトも親方からよく教え込まれていたが、旅の最中にここまでするという事が意外であった。普段摂る以上の食事量を前にサイトの腹は正直であった。十分な食事をすれば眠くなるのが健全な16歳である。結局、1日1日と脱走の機会は失われていき、気づくともう取り返しのつかない距離が離れていたためにサイトは諦めるようになった。
西へ西へと馬車は進む。慣れているのかゼクスが道に迷うことはない。さらには双角馬の荷車には旅に必要な十分な準備がしてあったために道中で何かに困ると言うことはほとんどなかった。意外にも繊細で緻密な計画をしてきていたのであろう。さらには覇獣の死骸を売って手に入れた豊富な資金が元にあるからかもしれない。
二人はゼクスの言ったとおりに1週間の速さでフロンティアと呼ばれる地域にたどり着いた。
***
「ここは一応はフロンティアってことになっているが、覇獣の生息域ではないんだよ」
フロンティアでもっとも大きいとされる王国最西端の都市イペルギアへと着くと、ゼクスははじめて宿以外の場所へと立ち寄った。
「まさか本当に職人を連れてこられるとは思わんかったからなあ、道具も用意してやらなきゃならん」
市場である。さらに生活雑貨もほとんどが揃うと言われているほどに活気に満ちていた。王都の整理された職人街などとは違って全ての物がここで買うことができるという仕組みである。
「最終的な目的地はここからさらに西へ1日行ったところだ。そこでは必要なものはそろわねえからよ。簡単な鍛冶場はあるがな」
「おい、本気でやるなら結構な額になるぞ?」
「構わん、それよりも俺だけじゃなくて他の覇追い屋なんかの道具も作ってくれよ」
「仕方ねえな」
基本的に必要なものは、と工房にあったものを思い出して購入していく。支払いはゼクスがやることになったが、額は気にしていないようだった。鍛冶場があると言っていた。であるならば金属の加工もできるだろう。素材中心の職人であるが金属の加工も一通りはできた。必要な物を買う。そして製作に必要な素材も手に入った。
「意外となんでもあるんだな、質は別としても」
「王都はむしろ取り締まりがきつくて流通が悪いんだよ」
商人の商魂というのはどこにいっても逞しいものである。サイトは職人であるためにその辺りは理解できない事も多いが、店を担当していた者などと話をすると、ただ良い物を作ればよいと考えていたサイトと違って利益を重要視していることがよく分かった。
宿に戻るとこれから行く先の話をした。
「もともとはプレブの生息域だったところだ。今はまだ覇獣はいない」
「まだ?」
「そうだ、最近になって奥地で若い覇獣が目撃されている。大きさはプレブ以上と言っていたな。俺たちはそれにゼフという個体名をつけた」
ゼフを見つけたのは覇追い屋である。フロンティアのさらに奥地は覇追い屋が多い。これから行く村にも何名かの覇追い屋がいるという。まだゼフに潰された村はない。だが、これから先どうなるかは分からなかった。生態が不明な覇獣がどのような行動に出るかを予測できる者はいない。
「だから、俺たちが狩るんだ」
「俺たち? あんたが一人でじゃないのか?」
「向こうに数人の覇追い屋の仲間がいる」
ゼクスは道具の他にも大量の酒や食料を買い込んでいた。それらは村へと移送し、仲間に配るのだという。いくら商人がどんな危険な地域にも儲けを求めて行くとはいえ、フロンティア最西端に好き好んで行く者は少なかった。そのために行商人だけでは流通が足らず、村の者がイペルギアまで出てくることが多いという。少しでも負担を減らしてやるんだと、ゼクスは言った。
買い物を終えたあとの馬車の中はかなり狭くなった。そしてその重量からさすがの双角馬も速度が落ちた。さらにはフロンティアに舗装された道はない。交通量も多くないために獣道ではないかというような悪路をも進んだ。この馬車がやたらと頑丈にできている理由はこれかとサイトは納得した。
「特注品の馬車だ。覇獣を追うってのは並大抵の事じゃできねえからな」
「なあ、あんたは元々覇追い屋だったのか?」
「いや、俺は猟師だ」
いつもはこういう話を始めるとゼクスは止まらなくなるほど話たがる。しかし、今回はその言葉で終わりだった。自分の事についてはあまり話さないのだなとサイトは感じていた。それは過去に何かがあった可能性が高いが、16歳のサイトにはその辺りの深い人間関係は理解しがたい。
「フロンティアではたいていの事は自分でやらなくちゃならねえ。この馬車の修理だって俺たちは自分でやっている。さすがに職人ほどの完璧なものはできないから困ってるんだけどな」
そこにサイトがやってくるのだ。さすがに馬車の修理なんかできないなと思っているが、それを見透かしたかのように素人よりは随分とマシだろうとゼクスは笑った。
フロンティア最西端の村は一つではない。やはりすでに人口が飽和しているとされる王国からあぶれてくる人々というのは多い。そして人は一人では生きていけないのである。家族を連れてなんとか西へやってきた者たちが選ぶのはそのような村の一つであり、その村も移民を歓迎した。人手は多い方が良いだけではなく、その村のほとんどがもともとそういう移民であるからだ。知り合いの伝手を頼って逃れてくる人たちも多い。だが、その村も様々な状況で壊滅する危険性が高い。
一般的なのは餓死であるが、これは場所による。西へ、具体的に言うと覇獣の生息域に近ければ資源が豊富であることが多く食うには困らない。対して覇獣の生息域から離れた場所に村を作ろうとすると痩せた土地で食べる物が少ないという砂漠に近い地帯もある。作物が実りにくいこの土地では移民を受け入れがたい。
その他の要因は疫病である。これは集団で罹患した場合に村ごと全滅することもあった。昔からある村であれば周辺の薬となり草木を知っている者がいる。しかし新天地に慣れていない者たちが必死に作り上げた村ではそのような知識を持っているものは皆無であった。
そして覇獣の襲撃である。執拗に人間を狙う覇獣が村を発見した場合には必ずと言ってよいほどに襲われた。原因が何なのかは分からない。覇獣と接触した者は覇獣に人間並みの知性がある可能性に関しては否定している。
かなりの数の人間が新天地の村を目指して旅をするとされている。その半数が覇獣の被害にあうとまで言われているのに、フロンティアを目指すのはそこにしか生きていける場所がないからだろう。覇獣はごくまれに生息域を越えて移動する。その際に視界に入った村というのがもっとも危険であり、やはり生息域に近いほどい襲われる可能性は高かった。
富裕層が貧困層の一部を追い出しているというのが世間の一般的な見方である。王都などではスラム街とされる部分の一斉立ち退きが定期的に行われているほどであり、その都度行き場をなくした貧民が西を目指す。
ゼクスが滞在しているという村もできてからまだ3年という新しい村だった。もともとは覇獣の生息域だったのである。この辺りに古くから住んでいる者たちはいなかったが、周囲の豊富な資源は非常に村づくりには適していた。自然と移民の数も多く、さらには覇追い屋の重要な拠点となるのも早かったのである。
「ゼクス!」
双角馬の馬車を一目見た村の若者が走り寄ってくるのが見えた。遠目にはそこまで大きな村には見えない。今まで立ち寄ってきたフロンティアの村の中でも一般的と言ったところだろう。少しだけ、人口が多いかもしれない。建物の数はたしかに多かった。村の近くは森に囲まれ、すぐそばには湖まである。ここが覇獣が現れる可能性さえなければ誰もが住みたいと思うに違いなかった。
畑はそこまで大きくない。せいぜいが村人を食わせるのが精いっぱいといった規模である。ゼクスも猟師と言っていたし、狩りや漁業などもしているのだろう。ゼクスが買った食料品はこの村では手に入らないものだけのようだった。
「帰ったぞ!」
手を振るゼクスに笑顔で答える若者がいた。そのまま馬車に伴走して村へと入るとゼクスが帰ってきたことを村中に聞こえる声で叫ぶ。すると、何人かが家から出てきた。
意外と早かったなという声や、何を買って来たんだという声が多かった。村人のほとんどは若い。それはこのフロンティアまで老年であるとたどり着けないという事が理由であるだろう。貧困層の老人がどうなるかは火を見るより明らかである。
一通りの挨拶が終わるとゼクスはサイトを紹介した。紹介の内容が「連れてきた」だったのを「誘拐された」と訂正した途端に、数名に謝られた。ゼクスはいつも強引なんだと頭を下げてくれたのは覇追い屋の仲間という男性だった。
「この辺りじゃ、覇獣の素材はあっても覇獣の道具ってのは滅多に見ない。高額であるというのもあるけど、手入れが難しいからな」
その男性がどれほどサイトが来てくれて嬉しいかという話を聞き、少しだけサイトは体の芯が熱くなるのを感じた。
必要とされることが嬉しくないはずがない。そしてこの人たちは心の底からサイトの存在を有難がってくれていた。
「鍛冶場はこっちだ」
一通りの挨拶が終わるとゼクスは荷下ろしを他の人間に任せてサイトを鍛冶場へと誘導した。
そこには昔ながらの小さな炉があった。作業場としての広さは悪くない。道具が少ないが、それはイペルギアで買って来たものでなんとかなりそうだった。
「できるか?」
「誰に口を聞いてるんだ、半人前とはいえ親方の工房で仕事をしていたんだ」
仕事の内容に関して親方以外からけちを付けられるのは嫌いだった。一級品を作り上げてきたという自負は今まで隠してきたが、ゼクス相手にそれを抑える必要性はこれっぽっちも感じなかった。
「ボウスのくせに、言うようになったな」
「ボウズって言うな」
村人がイペルギアで買った道具を運んできてくれた。作業場の台にそれを広げたサイトはゼクスを睨みつけて言った。
「とりあえずその弓をかせよ、手入れがなっちゃいない」
鍛冶場の柱に身を預けていたゼクスは一瞬だけキョトンとし、それから苦笑いして弓を渡したのであった。
***
村にはまだ名前がなかった。行商人がたまにやってくる程度の村に鍛冶職人がいるはずもなく、村人は自分たちで自分たちの道具を修理して使っていたのである。村人共同の小屋に最低限の設備が揃っているのはそのためであり、汎用性を重視した作業場はサイトにとっては逆にありがたかった。自然とサイトの家はそこになった。
「サイト君、頼んでいた農具は……」
「できてます、修理だけじゃなくて補強もしてあるからもう同じ箇所で折れることはないですよ」
「おおっ、これは凄い」
持ち手が補強された鍬をもって村人が畑に向かう。覇獣の素材を中心に扱っていたサイトにとってはなんて事のない加工である。さらには工房では親方の仕事であり、なかなかさせてもらえなかった金属類の加工も全て自分でやるために意外にもサイトは作業を楽しんでいた。
「俺の鎧はまだなんかね……」
この毎日のように言ってくるゼクスの催促さえなければである。
「うるさいな、覇獣の革鎧がそんな簡単にできてたまるかよ」
もらった覇獣の皮は全く加工もされておらず、まずは革にする作業からであった。覇獣の素材は他の動物と違って非常に硬い。さらには浸ける薬品などの作製にもかからなければならなかった。周辺に欲しかった薬草があったのと、イペルギアである程度揃えられたためになんとかなるが、時間がかかる。
「道具も普通じゃだめなんだ。特に加工に使うナイフなんかは一般的なものよりも太くて切れ味が鋭くないと耐えられない」
そのために工房では道具も自作するのである。サイトはまずはその作業を行っていた。農具を修理したのはその片手間である。今も作成しているのは専用の工具である。
「うへぇ、それじゃあ本当にかなり時間がかかるじゃねえかよ」
「最初からそう言ってるだろ」
自分を誘拐してこんなフロンティアにまで連れてきたゼクスには恨みが少しある。だが、覇獣の死骸というのはそれを上回る魅力があった。さらに村人から必要とされるというのも気分がいい。そして……。
「あ、サイト君。今日のお弁当持ってきたよ」
この村には家族単位で王国から逃れている者たちが多かった。自然とその中には娘もいるわけで、ちょうどサイトと同年代の女の子もいる。
自炊ができないサイトの食事をどうするのかという問題をゼクスは全く考えてなかった。
ゼクスは数人の覇追い屋たちと同じ家で住んでいたが、彼らは覇獣を追って出かけて一人もいない日も多かった。
そのために村の何人かが持ち回りで担当しようという事になったのであるが、年頃の娘を抱える家族が名乗り出た。もちろんサイトと恋仲にでもなろうものなら少なくとも娘だけでもフロンティアから連れ出してくれるのではという希望を込めてである。一級品を扱う職人というのは王都でも人気であるはずなのであり、フロンティアには基本的に手に職を持たない者たちか一攫千金を狙う者ばかりである。そんな中でサイトが優良物件だと思われないはずがなかった。
「あ、ありがとう」
「なんだよ、鼻伸ばしやがって」
そのため親たちはこぞって娘にサイトへと弁当なり食事への誘いを行うのだ。生活が裕福というわけでもなかったが、サイトの食事代をゼクスが負担すると言ったために年頃の娘のいる3家族が競争のようにサイトへ食事を作っては娘に持たせて来る。今日は、セリアという子の番だった。
「ごめんね、もう行かなきゃ」
と言ってもセリアがここにサイトの弁当を持って来ても話をする時間があるわけではない。農作業を中心としてやることはいくらでもあるのだ。それぞれが必死に生きている。
フロンティアの現状があまり良くないというのは聞いていた。それでも心のどこかではここまでとは思っていなかった。明日、生きていけるかどうかもわからない人たちなのである。
この村は比較的資源に恵まれている。それはプレブと呼ばれる覇獣を討伐してその生息域に村を作ったからだった。だが、余裕があるわけではない。サイトは今までの自分の生活がどれだけ豊かであったのかを痛感する。
「まあ、ゼフはまだ動いてないみたいだしな」
あまりにも進まない作業を見ていたゼクスは飽きたようだった。その背には常にサイトの作り上げた抜覇毛弓と矢筒がある。猟師だからと言えばそうなのかもしれないが、村の中でまで武装をするというのはフロンティアならではだった。村の他の男も全て武装をして農作業などをしている。サイトがそれを指摘した時に悲しそうに、覇獣が出るかもしれないからな、と言ったセリアの父親の顏は忘れないだろう。
「今夜、俺たちの狩りについて説明したいから来いよ」
ゼクスが言った。言われて気づいたのがどうやってゼクスが覇獣を狩るかという事だった。サイトは純粋な好奇心から了解の意志を伝えた。
「待ってるぞ」
それだけ言うとゼクスは消えた。いつも本当に伝えたい事は最後に言うのだなとサイトは思う。
ゼクスはこの村の誰にも自分が「覇獣狩り」だと伝えていないようだった。ここの村からすればゼクスは英雄である。だが、そんな素振りはゼクスも村人もしない。
唯一、おそらくであるがゼクスが「覇獣狩り」であることを知っているというよりも同じ「覇獣狩り」だったと思われる覇追い屋が数人いる。彼らはおそらくであるがファロとは違ってゼクスの支援のみをしていたのだろう。いつもゼクスに敬語を使って接しているし、覇獣の死骸の代金をもらっているようには見えない。
覇追い屋はもちろん覇獣を追いかけて西へと向かう。今はゼフという個体名を追いかけているのだと思う。覇獣の視界に入らないように、ただ痕跡は回収するようにとその神経をすり減らしているに違いない。そしてその情報をゼクスへともたらしていた。彼らにとっても覇獣を狩ることのできる猟師というのはものすごい価値のある存在なのだろう。
ゼクスの現状を鑑みても死骸で受け取った代金はある程度彼らに分配されたに違いなかった。
「覇獣狩りか…」
王国で二つ名を付けられる平民なんて存在はほぼいないだろう。そういう意味ではゼクスは貴族になってもいいくらいの功績をあげているはずである。男に生まれておきながら名を上げないというのもサイトには理解できなかったが、貴族に振り回される苦労もなんとなく分かる。それ以上にゼクスはこの村の人々の事を思っているのかもしれないと思って、サイトはゼクスに共感しようとしたことを慌ててやめた。なんだかんだ言ってもゼクスはサイトを誘拐した人物なのである。
フロンティアの開拓村の家は基本的に地下室がある。覇獣の襲撃があった場合にその地下室に数日間は籠るためだ。この地下室を用意できなかった村はそのうち覇獣によって滅ぼされてしまう。それでも地下室を掘り起こされたと思われる村もあった。その場合は諦めるしかない。
建物ごと全てを吹き飛ばすと言われている怒り狂う覇獣を止められるものはいない。その外皮はレンガなどは容易く打ち砕き、木材であろうが石材であろうが跡形もない。当然、生半可な武器では傷つけることすらできない。
「そんな外皮を貫くことのできる武器なんだよ」
ゼクスの家の地下室に放り込まれていたのは台車がついた大きな弓だった。普通は覇獣が侵入してこれないように地下室の入り口は小さく作る。だが、ゼクスの家は馬車が通ることのできるほどの大きさだった。
「据置型大型弩砲と呼ぶそうだ。ファロと二人で作った」
台車につけられた巨大な弓は圧倒的迫力であった。だが、壊れている。ゼクスはその設計図をサイトに渡した。
「試射を1回、本番で2回。それでぶっ壊れた。最後は俺とファロが斧を担いでプレブの首を刎ねたんだ。あんなに硬いもんはもう二度とごめんだ」
バリスタの存在を知られると王侯貴族に利用される。これを設計した人はすでに覇獣の襲撃でその命を散らしていた。もともとは反乱を起こそうと画策していた領地の貴族につかえていた学者だったそうである。バリスタが完成する前に反乱は鎮圧された。だが、王国の圧政と貧困にあえぐ民の事を考えた亡き主人のためにも研究を続けていた。壊滅した村のある家から、その設計図をゼクスが偶然拾った。これを覇獣に使うことになるとは本人は思っていなかったに違いない。
「俺もファロも本職の職人じゃねえ。前回プレブを狩れたのは本当に運が良かった」
「これを、修理すればいいんだな」
「ああ、思いついた改良も加えてくれると助かる」
バリスタに手を置き、サイトは自身の鼓動が聞こえるようだった。
ゼクスは王都にバリスタの修理が可能な職人を探しに来ていた。ちょうどそこにサイトがいたのは運命かもしれない。ただ製作者の遺志を汲み取ったゼクスはこれの公表をしないようにしていた。しかし、サイトは思う。これがあれば、特に軍隊がこれを使うことができれば覇獣を狩ることは十分に可能であるはずだった。それはフロンティアがフロンティアではなくなるという事を意味している。
「これを発表するのはダメだ」
サイトの心の中を見透かしたかのようにゼクスが言った。サイトもそれは自分の考えることではないと切り換える。そしてバリスタを詳しく見始めた。
「すごいな、弓本体のしなりではなくて弦の方で張力を発生させる仕組みなのか」
今までのサイトが製作してきた弓とは真逆の発想である。小さなものならば組み立ては十分に可能だった。兵器としても同じような構造のものはすでにあるかもしれない。だが、これほど大きなものとなると弦の耐久性そのものが問題となってくる。
3発で弦が切れ、その勢いで本体も損傷したのだろう。弦の素材は抜覇毛であるようだった。それ以上の素材というのはどこにあるのだろうか。
「あのさ、これでこの矢を撃ったんだろ? 覇獣にどのくらい刺さったんだ?」
たしかに運び込まれた覇獣の死骸には不自然な穴が二つほど空いていた。当時は特に気にもせずに戦いでできた傷だろうと思ったのだ。あれはこのバリスタで打ち込まれた鏃の痕だったに違いない。
「半分くらいかな」
この大きさの兵器から発射される矢が半分程度しか刺さらない。それは覇獣の外皮の硬さが規格外であることを示していた。たしかに兵器でもなければ人間の力で覇獣を止めることは不可能である。
翌日から、ゼクスの革鎧の作製器具とは別にバリスタの改修にとりかかった。と言ってももともとは素人が作ったものである。サイトはほとんど全て作り直す気でいたために解体と言った方が正しかった。昼間に村民の農具などの修理もしていたために寝る間を惜しんでである。
ただ、サイトの中で何か焦りのようなものがあり、ゼクスも心なしか時間がないと思っている節があった。
同時にゼフの痕跡の情報は常にゼクスの所へ報告されていたようだった。
「まずいな、ここから徒歩で2日の距離での痕跡があった」
覇追い屋の一人が抜覇毛を見せながら言う。本来は高価であるそれは手に入れることができたら喜ぶものであるが、彼らの表情に喜悦はこれっぽっちもない。
「2日であれば奴らが飛べばすぐだ。上空からこの村が見えるところまでは距離がないぞ」
覇獣の中には徐々に生息域を増やすものもいれば、いきなり新しい場所に現れるものもいる。後者がもっとも危険であり、予測がつかない。ゼフはどちらであるかという議論が不毛であるのは分かっているが、それでも彼らはしないわけにはいかなかった。
「サイト、バリスタはあとどのくらいでできるんだ?」
「バリスタはあと数日で完成する。革鎧はまだ無理だな」
「よし、刺激してしまうことになるかもしれんが、ゼフの行動を把握しに行くか。次に帰ってくるまでにバリスタを完成させておいてくれ」
覇獣を視界に入れることができる距離まで接近するというのである。覇獣の行動範囲は確かに広いが、それは上空を飛んでいるからである。地上に降り立ったときにわざわざ足を使って移動する距離はたかが知れている。
覇獣が降りたつ地をあらかじめ探る。それによって待ち構えるのならば見つかることも少ない。そのためには準備も必要であれば詳細な地図も必要であった。だが、この時のために覇追い屋は周辺の地図を作り上げている。全てはゼクスの指示だった。
「中継地点を複数作る。情報と物資の共有はそこで行おう」
危険を伴う。すこしでも覇獣に気取られれば、死を意味していた。ここには覇追い屋がゼクスを含めて5人いた。彼らの何名が生きて帰ってこられるのだろうか。
***
「そりゃバリスタの作製も続けなきゃってのは分かってるけど、こっちも頼むよ」
ゼクスが部下のように使っている覇追い屋の中でもアーチャーとよばれる男はサイトと仲が良かった。と言ってもおそらくはゼクスより年上である。ゼクスが20代後半から30代前半だろうとサイトは思っていたが
、アーチャーは40手前といったところか。そしてアーチャーの本当の名前は分からない。弓を好んでよく使うということでアーチャーと呼ばれている。
「抜覇毛弓ならできてるよ」
ゼクスに作ったよりもややしなりが軽く小型のものである。森の中ではこういった方が役立つのだという。アーチャーの要望はそういったものだった。
試しに何回か弓を引く。その出来栄えにアーチャーの表情も緩む。
「俺じゃあ、覇獣には何しても刺さらないからな」
「ゼクスの矢なら刺さるのかよ?」
サイトは冗談めかして言った。だが、アーチャーは笑わなかった。
「なんで俺たちが年下のあいつの指示に従っているか分かるか?」
年が倍以上はなれた男の真面目な顔にサイトは軽い驚きを感じた。
「あいつの矢はおそらくは覇獣に刺さるんだ。もちろん、それは倒せるほどの威力にはならないけどな。だいたいあいつは戦争のころに……おっと、この話はなかったことにしてくれ」
アーチャーは戦争と言った。ゼクスは自分のことを猟師と言っていた。
この数十年、大きな内乱は一度だけだった。辺境の領地が反乱を起こしたのである。それも準備が整う前に王国軍が急襲した形であった。サイトがまだ少年だった頃の話である。
兵士といえばほとんどが衛兵業務しかしていないはずだった。有事の際でしか徴兵などされない。それ以外は貴族が私的に作り上げている騎士団くらいのものである。形の上では平和な時代には無用の長物と揶揄されているのであるが。
そのために兵士として名を上げるなんてことはほとんどできない。フロンティアの近くを与えられている
領主ですら、覇獣の襲撃を恐れて領主の館をもっとも東に建てている。戦うことを示すものは皆無であり、兵力を持つことは逆に反乱を示すこととなってしまっている。
バリスタを設計した学者はそこの領地の人間だったのだろう。王国軍から逃げるようにフロンティアへとやってきた。そこで覇獣に襲われたに違いなかった。
サイトはなんとなくゼクスはその反乱に加わっていたのではないだろうかと思った。そう考えると全てが納得いくのである。王都で名前を売らない事なども王国軍に反乱した過去があったからで、まるで犯罪者のような動きだった。
であるならば仲間の覇追い屋はその時の仲間なのかもしれない。彼らは抜覇毛を手に入れても換金しに行く素振りがなかった。ある程度たまったらいくのかもしれない。だが、サイトが知っている覇追い屋はできる限りフロンティアへ滞在することを嫌ったものである。
なんてことを想像していたが、おそらく誰も正解を答えてはくれないだろう。ただ、サイトはこの想像が正しいのではないかと思っていた。
***
覇追い屋の仲間にシエスタという若い覇追い屋がいた。若いと言ってもサイトよりはだいぶ上である。20代中頃と思われる彼は、中継点の設営を行っていたはずだった。
中継地点の設営を終えたのはアーチャーが最初で数日後に帰ってきた。収穫があるかもしれないと、サイトがゼクスたちの家へと行く。しかし、入ると同時にアーチャーが机を叩いた。そこにはシエスタの遺体が寝かされていた。
「くそっ!」
左の肩から胴体の中心にかけて、何かで切り裂かれたようであった。それは動物の革鎧をやすやすと貫き、内臓にまで達していた。そのシエスタが無残な死体となって数日後に発見されたのだった。まだゼクスたちは帰ってきていない。アーチャーが彼の遺体を探し当てたのは比較的村に近い方の中継地点の近くにある川だったという。そこからここまでは徒歩で3日の距離しかない。
「覇獣の尾でなでられたんだ」
アーチャーは、なでられた、と言った。
強靭な純覇毛の中でも尾の部分は最も強い。尾が芯となった状態で振るわれるそれは鞭どころか刃物と言っても良かった。その切っ先が軽く触れた。その衝撃で川に落されたために喰われることがなかったのだろうとアーチャーは言った。
「覇獣の尾をくらって生きているのは同じ覇獣くらいだろう」
シエスタとは、数日前までは普通に話していた。サイトは胃から何かがこみ上げるのを抑えきれずに外に出て盛大に吐いた。病死以外での知り合いの死ははじめてだった。
覚悟が足りなかったかもしれないと、今になって思う。ここは覇獣の生息域から近く、今まさに覇獣がここにやってきてもおかしくないのだ。せめてものささやかな抵抗として武装している開拓村の村民は全てがこの覚悟をしていた。
「サイト、大丈夫か?」
アーチャーが様子を見に来てくれ、背中をさする。サイトは力なく、はいとしか答えられなかった。
シエスタは身内がいなかった。アーチャーとサイトで村の外れに墓を掘り、シエスタを埋めた。
翌日になってゼクスが帰ってきて、墓の前で泣き崩れていた。
「ゼフの行動範囲が広がったんだ」
他の覇追い屋も次々と帰ってきたようだった。思った以上にゼフは移動を繰り返しているらしい。
「この地点にはよく立ち寄っているようだ」
ゼクスはシエスタが設営していた中継地点と、もう一つのゼクスが担当した地点のちょうど中間を指差した。数日間、その周囲に潜伏していたゼクスは計3回ほどゼフを見たと言う。
「巣ではないの確かだが、休憩所と言ったところか」
「村を襲う前に、なんとかしないと」
頻繁に周辺を飛び交っているうちにシエスタは発見されてしまったのだろう。
「バリスタを解体して荷車に詰め込もう。ここまでならば荷車が通れるはずだ。夜の内に全員でなんとかこの地点まで担いで運び、組み立てる。ボウズ、組み立て方を教えろ」
「それでバリスタが外れたら……」
「それはもうお仕舞だろう、諦めるしかない」
「他に方法が…」
「明日にはゼフがこの村を見つけるかもしれない」
ゼクスの言うことが正論だった。サイトは「教えろ」と言われた時点でほっとしてしまった自分を恥じた。同時に自分がどうするべきかを考えた。
これから先は言ってはならない。冷静な頭はサイトにそう告げていたが、サイトはそれを振り払った。これまでゼクスたちがこの村の、他に居場所のない人々のためにどれだけ頑張ってきたかをよく見てきたからである。
シエスタの死がサイトには受け入れられなかった。それは覚悟が足りなかったというのもあるが、こんな所でしか生きていくこのとできない人たちがいるという、世の理不尽に対してでもある。奥歯を噛み締める。足が震える。身体も恐怖と戦っていた。だが、サイトはそれに怒りで対抗した。
「……俺がついて行く。お前らだけじゃ組み立てるのに夜が明けてしまうだろうが」
ゼクスを中心に反対された。単純にサイトはすでにフロンティアに来ている以上、命を賭けた場所にいる。これ以上危険な目には合わせられないというものだった。
「お前が死んだらお前の両親や親方になんて言えばいいんだ」
「そん時はお前も死ね。悩まなくて済む」
16歳とは思えない過激な発言である。
サイトが本気で言っているという事は分かりすぎるほどであった。
「分かった。だが、バリスタが無事に組めたらアーチャーと共に村へ戻れ」
覇獣を狩るのはゼクスを含めた3人でやると決めた。アーチャーが反対したが、最終的にはカイトという名の覇追い屋の一言が決め手となったようだった。
「お前には妹がいるだろう」
何も言い返せないアーチャーを見て、サイトは王都に残してきた両親や兄弟、工房の親方などの事を想う。自分がした選択はおそらくは間違っていたのだろう。だが、どうしても引けなかった。いつの間にかこの覇追い屋たちを含めてこの村の人々が守るべき対象となっていた。
移動は主に夜に行われた。最初の中継地点までは荷車を使っての移動だった。それはアーチャーが主体になって引いた。どうしても、と言うアーチャーは無念そうだった。夜間の移動で交替で荷車を引くのである。解体されたバリスタの重量はかなりのものであったが、アーチャーは文句ひとつ言うことなく歩いた。
悪路も多かった。例え双角馬であったとしても移動はできそうにない段差などもある。その場合は荷を下ろして荷車を引き上げた。
「覇獣は移動する際に飛ぶのが基本だ。夜は視界が悪く飛びづらいものなんだと思う」
カイトが教えてくれる。そのために日中、上空から見えない場所を中継地点として設定する必要があった。
「シエスタが設営した中継地点は使えない。もしかしたら覇獣に見つかったかもしれないからね。だから今日は多めに進むよ。大丈夫、ここからの道は平坦だ」
二日目の夜にそう言われた。覇追い屋の食事は基本的には冷たいものだけである。火など、起こせるわけがなかった。やや蒸し暑い気候であるのが幸いしたが、高所などはそうも言っていられなくなる。
サイトが夜間に震えていると、アラニアという寡黙な覇追い屋がそっと毛布を貸してくれた。彼とはあまり話したことはないが、いつも他の仲間に気を使ってくれる心優しい人物であるのは知っていた。
山岳地帯を越えると、森林が広がっていた。この資源を活用できればと昔は多くの兵がここに送り込まれたそうだ。だが、そのほとんどは覇獣によって帰ってこなかった。
「本格的に覇獣の生息域になるよ。今まではプレブの縄張りだったから他の覇獣は寄り付かなかったけどね」
森に入ると荷車は使えなくなった。それまで引いて来ていた荷車は草木で覆って隠しておく。少しでも人の痕跡を消すことに気を使っていた。
バリスタの部品はそれぞれが背負うことになった。サイトは矢と弦を担当した。壊れた時のために弦だけは予備を持って来てある。さらに矢は3本用意した。
「3本は打てないだろうよ」
ゼクスは言った。どうしてもその間に覇獣に詰め寄られて殺されるという。前回2本打てたのは、1本目が急所に当たったからだという事だった。それでも覇獣はふらつくだけで死にはしなかった。
サイトが改良したバリスタは威力が上がっているはずである。弦の素材は抜覇毛をより合わせてさらに強度を増加され、弓と弦の長さを大きくすることでより大きな力が出せるようになっていた。さらには耐久性も向上しているはずである。矢を装填する速度だけは、訓練と冷静さが必要だった。それは村でこれでもかとやってきている。
初発は不意打ちが基本である。おそらくはと覇獣がくるであろう場所に狙いを定めておき、覇獣がくるのをひたすら待つのが良い。
矢が刺さった、もしくは外れた覇獣がどのような反応をするかは分からない。
プレブは矢が刺さったあと、突進をしようとし転倒したという。少なくとも装填をする係と、狙いを定める係が必要である。
「プレブはお気に入りの場所があったわけじゃない。バリスタは馬車の荷車にあったし、プレブを仕留めたのは襲撃された村だった」
すでに村人は死に絶えていたという。たまたま近くにいたゼクスとファロは村の近くに残っていた覇獣に襲われそうになった。バリスタも覇獣を狩ろうと思って荷馬車に乗せていたわけではなく、馬車に乗っている際に襲われた時の護身用のつもりだった。だが、飛んでいたプレブを射ち落とし、起き上がるも再度転倒してしまったところをもう一発胴体に当てることができた。壊れたバリスタを見て、半狂乱になったゼクスが斧を担いで走る様をファロは信じられない思いで眺めたが、すでにバリスタで撃たれた傷は致命傷になっていたのだろう。だが、二人とも頭部が切り離されるまでは恐怖しかなかったという。
「急げ、朝日が出ると奴が飛ぶかもしれん」
先頭を行くゼクスはもっとも思い部品を担いでいた。その身はサイトが製作を間に合わせた覇獣の革鎧に包まれている。月明かりに光るその革は体毛とは違い、落ち着いた茶褐色をしていた。
最終の中継地点とした洞窟の近くからは若干低めになっている襲撃地点が見えた。
「あの泉のほとりだ。森が開けているから覇獣が降りやすい」
暗がりで見ても周辺には茂みがありそうである。隠れる場所には苦労しそうにない。バリスタに草木を付けて偽装するのもいいかもしれないなとサイトは思った。
「ここからあそこまでは数時間もかからないだろう。今日はもう少しで朝日が出るしここで休憩だ」
ここまでの予定の行程はほぼ完璧に行うことができたと言える。ただし、ここからが重要だった。
「あそこまで行って、バリスタを組んで、隠れる。朝までに全て行えると思うか?」
サイトは落ち着かなく、隣に寝ていたアーチャーに聞いてみた。正直な話、朝日が出るまでに隠れることができるかどうかが心配である。重いバリスタの部品を担いだ歩みは非常に遅い。組み立てはサイトが主導となって行うとしてもその隠蔽と自分たちが隠れるという時間が必要である。
「一度現地に行って状況を把握した方がいいんじゃないか?」
「サイト、心配は分かるが食料がそんなにあるわけじゃない」
ゼフが襲撃場所に毎日来るわけではないのである。朝早く来ずに夕方に来る可能性だってあった。この計画で行く限り全ては運なのだ。そしてその運にすがるしか方法はなかった。
「今は少しでも体力を回復させることだ。食料も少なければ休む時間も限られている」
最善を尽くすと、アーチャーの目は語っていた。それを汲み取れないサイトではない。ゼクスからはすでに寝息が聞こえている。
「分かった」
もう信じるしかない。今日の夜にここを出る。できる事は全てやってきた。そして、後は託すしかないのである。
気持ちとは裏腹に寝つきは悪く、まだ日が高い時間帯に起きてしまった。もう一度寝ることができる自信のなかったサイトは体をほぐそうと洞窟の入り口付近へと移動した。
光の中に体を晒すわけにはいかない。上空にたまたま覇獣がいたら全てがお終いである。だが、ある程度光がある部分までは近づきたかった。
十分な大きさのある洞窟の中は窮屈ではなかった。伸びをしながらサイトは歩く。足音や声で他の仲間を起こさないようにと細心の注意を払った。
サイトは革鎧を付けていない。だが、他の覇追い屋は全て革鎧に武装をつけていた。誰も鎧を脱ごうとしない。武器も常に傍に置いている。対してサイトは軽い服に、最も軽い荷物でここまできた。
鍛え方が違うと言えばそうであるが、男として思う所がないわけではない。もし、生きて帰ることができたならば、走り込みくらいはやろうかなとも思う。
干し肉を取り出し噛みちぎった。水筒の水を少し飲む。水は事前に調べてあった水場が各所にあったために最低限しか持ち歩かなかった。これが十分量の水も携帯しなければならないとなればさらに歩みは遅くなったことであろう。全てはこの時がくるかもしれないと思い事前に準備をしていたゼクスたちの用意である。
覇獣の死骸を売って、その金で王都付近で暮らしていくと言う選択肢がないわけではなかったはずだった。実際にファロはその道を選んでそれなりに裕福な生活を送っていた。だけど、ゼクスはそれをしなかった。気持ちはサイトには十分に理解できた。理解できたからこそここにいる。
いまだに冷静な頭が引き返せと言っていた。十分に義理は果たしたはずである。そもそも最初からやらなければならない事ではない。王都で一級品を作り出す道具職人としても十分に人々の役に立てたはずだった。
「眠れないのか?」
気づくと後ろにアラニアがいた。アラニアも体をほぐしながら入り口の付近に近づいて来る。
「迷っているわけではなさそうだな」
アラニアはサイトの近くに座るとぽつぽつと語りだした。彼がこんなに話すのをサイトははじめて聞いた。だが、それはとても重要な事だと理解だけはしていた。
「ゼクス様はな、もともとは貴族だったんだ。反乱を起こした辺境領の領主様に仕えていた」
その領地は貧困にあえいで西へとやってくる移民を多く抱え込んだ。それでも覇獣の領域にしか行き場がない民を見て領主は反乱を決意したのだという。ゼクスの父親はそんな領主に心酔し、さまざまな知識から据置型大型弩砲という兵器の存在を知った。もともと学者としても優秀であったゼクスの父親は、その力で領主の後押しをしたかったらしい。
ゼクスは父親には似ず、どちらかというと武勇が優れた息子だった。嫡男ではなかった彼は得意な弓を持たせると領地の誰よりも遠くまで矢を飛ばすことができたらしい。
だが、反乱の計画はどこからか王国側に漏れ、多くの王国軍が領地へと攻め込んできた。全くと言っていいほど準備ができていなかった領地は精一杯の抵抗を行った。ゼクスはそこで狙撃手として活躍したという。将校を射抜くゼクスの矢は王国軍には大いに恐れられた。しかし、最終的に反乱は鎮圧された。
領主は捕らえられ王都で処刑された。
ゼクスの一家はフロンティアへ逃げた。王国の手が届かないのがフロンティアである。そこで開拓民とともに生きた。だが、その村は覇獣に襲われた。ゼクスはたまたま猟に出かけていたために助かった。覇獣は村の全てを壊しつくした。
「あまり驚かないのだな」
「うん、ある程度想像していたのとあまり変わらない」
「やはりサイトは賢い」
賢いと言われたのは初めてだった。そもそも職人に賢さはいらない。愚直に道具を作るのが良いとされているのだ。
「私たちはゼクス様の父上に仕えていた使用人や、その開拓村に住んでいた者たちだ。全員がゼクス様の父上に恩がある。ファロは違うがな」
ファロはゼクスたちに覇追い屋の技術を教えた人物であった。と言ってもそんなに経歴が長いわけではなく、逆にゼクスに助けられていたところも多かったようだ。
「サイトには私たちの事を知っていて欲しかった。ゼクス様は語りたがらないからな」
アラニアはそう言うと干し肉を噛んだ。
「これから、どうするんだ?」
サイトはたまらずに聞いた。
「これからというのは?」
「ゼフを狩ってからだよ。そうしたら契約通りに俺はその死骸を持って王都へ帰る。だけど、この土地にはまた他の覇獣が来るかもしれないだろう」
その度にお前らは命を賭けるのか。そこまで言う勇気がサイトにはなかった。
「それはゼフを狩ってから考えるかな」
「今、考えろよ」
「そうだな、まだ少し時間はありそうだな」
微笑むアラニアの顏をサイトは直視できなかった。何故そんな顏ができるのだと叫びたかった。
***
全員が起きた頃には夕日が出ていた。こういう時に限って時間が進むのが早い。準備をする中で、サイトはアラニアに答えを聞く機会がなかった。
「日没とともに行く。できる限り速くだ」
全員が分かっていた。運にすがるしかないが、それまでにできる事をした上での話であるという事を。
サイトは頭の中でバリスタの組み立ての順序を反芻した。現地に着いて、隠れる場所が決まり次第、最速で組み立てるのである。作り上げた自分以上にこの作業が速いと思われる人物はこの世にいないはずだった。
幸いな事にここから襲撃場所までは下り坂である。体力はそこまで消費しない。
音を立てることを嫌った今までの歩みが嘘のようである。サイトは覇追い屋の滑るような歩行についていくのがやっとであった。それだけ焦りがあったのだろうが、目的の場所に着くまでに、それでも数時間かかった。隠れる場所を作り上げるというのにも時間がかかるのである。最悪の場合は穴を掘らなければならないというのは話し合っていた。そして、おそらくはそうなるだろうとも。
「くそっ、やはり何もない!」
茂みは確かにあった。だが、数人の覇追い屋が隠れるというのは無理である。バリスタの射程を考えると穴を掘らなければならない。カイトがこっちだと叫んだ。そこは確かに十分な量の茂みがあり、泉の近くのどの場所でも狙えることのできる場所だった。ゆっくり考えたとしてもそこが最善の設置場所であると思われる。ゼクスは即断した。
「急ぐぞ!」
そのために運んできた工具があるのだ。数人で円匙を使うが、穴を掘る作業も茂みの下であると根が邪魔で思うように作業が進まない。ただでさえ夜間の見えにくい時間帯なのである。それでもサイトが改良した円匙は厚手の刃がついていたこともあって根を断ち切りながら土を掘ることができた。
しかし、この作業が全てを決めるかもしれないということがわかっている。全員が隠れる必要があり、さらに外からみてすぐにはバリスタが分からない状態にしなければならない。今から中継地点に帰るには上空から丸見えな場所を必ず通る必要があった。どこかで夜まで隠れなければならないために危険は冒せない。
ある程度穴が掘れたところでバリスタの組み立てに入った。穴を掘る作業は引き続き続ける。
掘り出した土の処理も考えなければならない。日が上った時点で上空から見て不自然な状況では感づかれてしまうのだ。茂みから外に出そうな量の土は遠くへ持っていく必要があった。出てくる土の量はかなりの物である。全員が必死になって作業を行った。
そしてそんな中、サイトはバリスタの組み立てを行っていた。全ての部品は揃っている事は確認している。そして、組み立ての順序は何度も頭の中で行ってきた。
一刻もはやく組み立てを終わらせて穴を掘る作業を手伝う必要がある。
頭の中は冴えわたっていた。一部の組み立てを行いながら、次の行程を考える。手とは別に頭は数手先を考えていた。目の前には過去に考え抜いた光景が構築されていくだけである。
おそらく、一般的には数十分はかかるであろう行程が十五分ほどで終わったのではないだろうか。矢を装填し、後は弦を絞るだけの状態にした頃、サイトは全身に汗をびっしょりとかいていた。
「サイト、大丈夫か?」
「大丈夫。バリスタはいつでもいける」
アーチャーが掘られた土を集めながら聞いた。そのアーチャーも土を袋に詰めてかなり遠くの森の中にまくという行程をもう数十回と続けている。見た目以上の重労働なはずだった。
月明かりが入りにくい森の中の作業である。隣で土を掘っているのが誰なのかも分かりにくい。
サイトはすぐに袋を取り出して掘られた土をかき集めだした。これから日没までの数時間のうちに隠れきることが重要である。
運がよければ1日くらいは覇獣はここを訪れない。それであれば掘り起こした土は乾き、上空から見ても何の変化も分からないはずだった。さらにはサイトとアーチャーはここを離脱することができる。夜間に行った隠蔽も昼間に見直せば修正できるところもあるだろう。だが、どうなるかは分からない。
全員の緊張を知ってか知らずか、覇獣は朝になっても泉にはやってこなかった。
朝日が出る頃に作業は終わった。5人が十分に隠れることのできる穴が掘られ、その上は茂みで隠蔽されていた。茂みの中にはバリスタが隠されており、十分に目を凝らしてようやく違和感に気づくことができる程度である。
「よし、ここでまずは1日待つぞ」
上空を見張る役を交代しながら、ゼクスたちはようやく眠ることができた。見張りはアーチャーが名乗り出た。夜になれば離脱する予定なのである。少しでも3人には休んで欲しいというのが聞き入れられた。サイトはあまりの疲労からすぐに寝入ってしまった。
気づいたらすでに夜だった。
「じゃあ、サイトを連れて行きます」
「頼んだ」
「ゼクス様、御武運を」
ゼクスは最後はアーチャーと目を合わそうとしなかった。
「おい、最後に何か言うことはないのか?」
サイトはゼクスのそういう態度が気に入らない。
「ボウズ、俺たちの付き合いは長い。すでに伝えたい事は伝え終わっている。…………だが、まあボウズには世話になった。ありがとうな」
「ばっか! そういう事じゃねえ!」
しかしそう言ったサイトも言葉が出てくるわけではなかった。
「サイト、良いんだ。それに別れだときまったわけじゃねえ」
アーチャーに促されてサイトは立ち上がった。ゼクスたちを直視できない。そのまま後ろを振り返って歩き始めた。後ろにアーチャーが続いた。一人だけが見張りにたち、それ以外は穴の中に戻る気配がしたが、それが誰だったのかは分からなかった。
荷物がない徒歩行は登りの斜面であっても楽だった。
「まずは最後の中継地点にもどるぞ」
いつの間にかアーチャーが先行している。彼も何かを我慢しているのだとサイトは思った。フロンティアは常に我慢を強いられている。アラニアからこれからの事を聞けなかったのが悲しかった。アラニアはこれからの事は考えていないのだろう。サイトは、このまま王都へ戻ったあとの事を考えるのが嫌だった。それは、例えゼフが討伐できたとしても、いつかはゼクスたちが死ぬことを意味しているからだ。
「早いがもう寝よう」
徹夜で見張りをしていたアーチャーの体力は限界であった。それでも中継地点までは力強く歩いた。まだ夜が明けない時間に、サイトたちは眠りにつくことになった。
***
アーチャーとサイトが出て行った後、夜の間は覇獣の気配は皆無だった。
「できる限り体を休めよう」
気を抜くわけにはいかなかったが、それでも隠蔽工作は問題ないはずだった。運の良い事に風の方向も問題ない。覇獣がどこまで匂いに敏感なのかは知らなかったが、人間よりも感覚が鋭いのは確実だった。
「ゼクス様、サイトは無事に王都まで帰ることができるでしょうか」
起きていたカイトはゼクスに聞いた。見張りはアラニアが行っている。
「あいつは運が強いから大丈夫だ」
「それだと俺たちは運が悪いみたいに聞こえますよ」
「実際に運は悪いな」
くくくっと二人して笑った。朝日が出てから数時間は経っており、覇獣がくるならばそろそろかもしれないという時間帯である。夜の間にそれぞれ仮眠をとったこともあり、あまり寝つけなかった。排泄などはできる限り夜の内に済ませてある。干し肉を少しずつ齧りながら待つことにはもう慣れた。
「ゼクス様!」
アラニアが声を上げた。慌てているようで、隠れて囁いているようで、それが何を現わしているかは明白だった。
ゼクスは鼓動が跳ね上がるのを感じた。
鮮やかな青。かつて見たのと同じく空よりも青い。躍動感にあふれる肢体と全てを包み込むような両翼。着地と同時に天に向かって上るかのような体幹の姿勢に、ただただ美しいとしか思えない。
恐怖がこみ上げる。今まで多くの同胞がこの獣に殺されてきた。対峙した経験があろうがなかろうが、直観的に自分が獲物であると感じてしまう。その間も常に美しさは損なわれることはなかった。
「落ち着くんだ」
ガクガクと震える両膝を掴みながら、バリスタに矢を装填する。ギリギリと巻き上げられる音が聞こえるのではないかと不安がゼクスを包んだ。
ゼフはこちらには気づいていない。泉へ水を飲みに寄ったのだろう。ゆっくりと泉へ向かって歩いていた。
「狙いは首だ」
翼や四肢を狙ったとしても致命傷にはならない。胴体もそれらに阻まれた場合には次の矢を装填する時間がないかもしれない。
照準を合わせるのはゼクスの役目であった。アラニアが発射の引き金を引く。カイトは次の矢を準備し、ゼクスとともに装填を行う予定であった。3人ともに今更自分の役割を確認するまでもなく配置についている。
水を飲む瞬間がもっとも無防備になるはずだった。バリスタの耐久力はおそらく数発はもつ。少なくとも持ってきた3発の矢で壊れることはないだろう。ここからの距離としても外さない自信がある。
当初から当たろうが外れようが2発の矢を撃つ計画にしていた。1発で倒せるとは思っていない。プレブの時に使ったように斧も持って来ている。3発目を撃つかどうかはその時の判断に委ねるつもりだった。できれば2発までで終わらせたい。
「サイトのバリスタを信じよう」
カイトとアラニアが頷いた。照準は合った。ゼフは泉に口を付けて水を飲みだした。
「撃て」
アラニアは言葉ではなく行動で返事をした。サイトが研ぎ、形状を工夫した矢が飛んだ。
矢はゼフの首に突き刺さった。
カイトは次の矢の装填を始めている。矢がどうなったかは見ていないのだろう。既に腹をくくっている。それはゼクスもアラニアも同じであった。ゼクスも訓練したように装填を手伝い、次の照準を合わせようとする。
そこで初めてゼフをみた。
「うおぉぉぉぉぉ!! 撃てぇ!!」
ゼクスの目には倒れようとするゼフが映っていた。確実に首に刺さった矢が効いている。
もう一発、首に矢が飛んだ。それはさきほどの矢と拳一つ分だけ離れた場所に突き刺さった。
ゼフが前のめりに倒れる。首からは大量の血が流れていた。
ズゥゥンと巨体が音を立てて地に伏せた。その周囲には赤い血が流れ、泉に流れ込んでいった。
「やった……」
まず、カイトが呟いた。アラニアの所からはゼフが見えないのだろう。だが、カイトのつぶやきを聞いてアラニアの顏にも変化が訪れた。
ゼクスは信じられなかった。死を覚悟していたのだ。プレブに打ち込んだバリスタはここまでの効果がなかった。おそらくサイトの作り上げたバリスタは首を貫通しているのだろう。矢の尻が肉にのめりこんで見えない。
「倒したぁぁぁぁ!!」
カイトがらしくもなく叫んだ。その手には斧が握られている。とどめを刺しに行くのだろう。走り出した。アラニアも急いではいないが斧を担いでそれに続いた。
ゼクスはその場にへたり込んだ
「やったぜ……」
空が青かった。
そして、青いそらに一点の赤いそれが見えた。
「なんだ?」
それはゼフよりも巨大で、赤かった。ゼフの上に降りると、近づいていたカイトを踏みつぶした。
「カイト!!」
アラニアが叫んだ時にはゼクスは状況を把握できていなかった。
目の前の光景が信じられない。先ほどまでも信じられなかった。ゼフを討伐できるなんて思ってもみなかったのである。だが、それを越える光景があった。
「二体目の……覇獣?」
これまで見てきた蒼い体毛ではない。深紅の体毛に覆われた死神である。ゼクスはこんな時にも関わらず、個体名を付けるならば「クリムゾン」と呼ぶだろうなと思った。
ゼクスからみて右側にアラニアはいた。クリムゾンは突進すると、アラニアを前足で払った。斧でそれを防ごうとしたアラニアは、爪で斧ごと身体をいくつかに分けられて吹き飛んだ。
クリムゾンはその回転を利用し、ゼクスとバリスタを、尾で払った。ゼクスを認識していたのか、たまたまだったのかは分からない。
尾の先がゼクスを襲った。このままだとバリスタも壊れるだろうなと最後にゼクスは思った。
***
サイトもアーチャーもあまり眠ることができなかった。寝始めたのが早かったという事も影響し、まだ日が高いうちに起きてしまった。
「ここからはまだあそこが見える」
近くからは相変わらずに襲撃予定地の泉が見えた。さすがにゼクスたちが隠れている茂みが確認できるほどの距離ではない。
「起きていたのか」
アーチャーも起きてしまったらしい。もしかしたらサイトよりもこの男性がもっともあそこから離れたくなかったのかもしれないと、サイトは思ったがそこでサイトは自分はあの場所に残りたかったのだと気づいた。
「ゼフだ」
アーチャーをぼんやりと眺めているとそう言われた。最初は意味が理解できなかった。だが、目を見開いてサイトではなくその後ろを睨みつけるアーチャーの顏を見ているうちに気づいた。
サイトは首を振り返った。同時に身をかがめるようにとアーチャーが上からのしかかってきたが、首の動きは制限されなかったためにゼフらしき蒼い巨体が泉へとゆっくり降りていくのが見えた。
「アーチャー、あいつら大丈夫かな」
「大丈夫だ。サイトの作ったバリスタがある」
アーチャーの体は震えていた。もし何らかの刺激が加われば走り出しそうである。気持ちは痛いほどに分かる。だが、もうここからでは何もかも間に合わない。
ゼクスたちを信じるしかない。自分はやれる事をすべてやった。
だが、二人はさらに信じられないものを見た。
「あ……あ……」
サイトの指差した方角をアーチャーは怪訝な顔でみた。
フロンティアは、この世界は理不尽である。
その赤いそれは、泉の周囲をぐるりと飛んだ。下にいる何かを確認するかのようである。
「まさか、……覇獣?」
サイトのつぶやきで、急に上から抑えられていたものが消えた。アーチャーが走り出したのである。
「待てよ! アーチャー!」
「あいつらは! ゼクス様たちは矢を3本しか持ってないんだ!」
指摘されるまで気づかなかった。少なくともゼフに2本使う計画なのである。ならば、泉に降りたゼフを倒していたとしても、もう一体の覇獣に使うことのできるのは1本だけだった。よほど急所に当てない限りは、殺すことは難しいだろう。
「待てよ!」
簡単な荷物だけ持ってサイトは跡を追いかけた。アーチャーは弓しか持っていない。頭ではサイトとアーチャーが追い付いたところで戦力にはならないという事がよく分かっている。それに泉まで坂を駆け抜けたとしても1時間くらいはかかる。だが、アーチャーは耐えられなかった。今まで苦楽を共にした仲間が死んでいく。覇獣にはそれを決定づけるものがある。
「待てよ!」
アーチャーはサイトを振り返ろうとせずに斜面を降りて行った。日が出ている時はこんなに歩きやすいんだなと、こんな時でもサイトは感じた。
だが、心臓が喉から出てくるのではというほどに鼓動が強い。
そしてこのままだとアーチャーも死ぬことになるだろう。
あの赤いそれが覇獣だと、脳が直感で伝えてきていた。そもそも上空を飛ぶ巨体という時点で覇獣しかない。だが、記憶にあるそれはゼフよりも大きかったのではないか。
サイトはアーチャーが無策で単純に突撃しないかだけが心配だった。それほどに取り乱し方が違った。だが、坂をある程度降りた時点でアーチャーは体力が尽きた。フラフラと歩きながら、追いついたサイトの水筒を受け取るとぐびっと水を飲んだ。
「すまない、取り乱した」
「アーチャー、とりあえず泉を目指そう」
ここまで来て中継地点まで帰るという選択肢はなかった。ここからならば茂みが多く樹々が生えているところを伝っていけば泉まで上空から見つかることなく行けそうである。
さらには覇獣は二体ともに泉にいるだろう。それがどんな状態だったとしても。
「息子よりも年下なお前に諭されるとはな」
「アーチャー、息子がいたのか?」
「いや、いない」
ニヤリと笑ったアーチャーの顏はいつもの顏だった。頼れる覇追い屋となったアーチャーの跡を、サイトはついて行った。
泉がもう少しで視界に入るところまで来た。ここからならば泉よりもバリスタが隠されている場所の方が近い。
「何か、音がする」
人差し指を立てて音をだすなという意思を伝えるアーチャーが言った。
グチャリ、グチャリ、という音が聞こえてきた。
今まで聞いたことのないような音である。だが、サイトはそれを見ずとも何なのかが分かってしまった。
「と、共食い……」
驚愕の顏のアーチャーが顏を上げ過ぎないように腕を引っ張る。
そこにはゼフを食らう深紅の覇獣がいた。ゼフを上回る巨体である。もしかしたらゼフを追いかけてここまで来たのかもしれない。
「カイト!」
足元にはカイトが倒れていた。ピクリとも動かなければ、明らかに潰されていた。アーチャーの目から涙がこぼれる。
他にも、地面が血だらけな場所があった。そこに散乱している革鎧には見覚えがあった。アラニアのものである。
「アラニア……ゼクス様は?」
バリスタが隠されている場所へと移動した。深紅の覇獣はいまだにゼフに食らいついている。
「バリスタが……」
バリスタは隠された茂み事壊されていた。弓は大丈夫そうであるが台座と弦が壊れてしまっている。
「使えるか?」
「台座の代わりがあれば……」
弦は予備があった。気づかれないように弦を張り替えるが、斬れた弦にはかなりの量の血がついている事に気づいた。周囲にもいくつか血痕がある。
「まさか、ゼクスのか?」
サイトのつぶやきを聞き、アーチャーが一瞬動きを止めた。ゼクスの安否を気にしている。だが、二人とは別にここにも血がついているということは、ゼクスも襲われていたに違いなかった。
近くに落ちていた石を台座の破損した部分に詰めて、バリスタは使えることができるようになった。
「サイト、話がある」
サイトの両肩をぐっと掴んだアーチャーが言う。言われることは分かっていた。
「俺はこれからゼクス様たちの仇を取る。だが、失敗した場合、お前は逃げろ。だから、あそこまで今から離れるんだ」
中継地点のある方向を指差したアーチャーの手は震えていた。
「矢は1本だ。それにお前を巻き込むわけにはいかない。王都に帰ってバリスタを作って俺たちの仇をとってくれ」
「馬鹿だな、アーチャー。そんな事言われて、はいそうですかと言えるかよ。それにバリスタは一人じゃ打てない」
照準役と、発射役がいなければならない。本当は照準を合わせてから発射場所に移ればよいだけだったが、サイトは見栄を張った。アーチャーももしかしたらそのくらい分かっていたのかもしれない。
「あんたはアーチャーだろ? 急所を狙えよ」
涙で濡れたアーチャーの顏に笑顔が戻った。
「このボウズが、一丁前に」
「あんたも俺をボウズって呼ぶのかよ」
王都で職人をしている頃にはなかった感情がサイトに満ちた。命をかける覚悟とはこれかもしれない。
「覇獣の弱点というのでゼクス様たちと話し合ったことがある。矢が刺さるならば首だ」
腹を食らわれているゼフの首には傷があった。噛み傷には見えないのと、深紅の覇獣が無傷であることを考えると、ゼクスが打ち抜いた痕であり、それによってゼフを倒したかもしくは深手を負わせたと思われた。
「頭はだめだ。頭蓋骨が硬すぎて、おそらくは矢が貫通しない」
サイトも頷く。覇獣といえども獣だ。ならば首には重要な器官が詰まっている。撃ち抜けば十分に勝機はあった。覇獣の頭蓋は加工できなかったために剥製屋に回した。
「だが、なかなかこちらを向かないな」
照準を合わせながらアーチャーがうめく。その首筋には気温とは関係なく大粒の汗が滴っていた。
肉に食らいつく深紅の覇獣の全貌はよく見えない。ゼフの肉体が邪魔となっているのだ。
「くそぅ…」
焦りだけが募る。矢は1本しかない。
その内、風が変わった。
ゼフを食らっていた深紅の覇獣がピクリと動きを止めた。さらにはギロリとこちらを見た。
「見つかった!?」
台座が破損したバリスタは背が低くなっている。サイトの所からも十分に覇獣が見えた。
一瞬で突撃体勢を取る覇獣。頭蓋を正面に突っ込んでくるその巨体は弱点を露出していなかった。一瞬、アーチャーは目などを狙うかとも思ったが、おそらくは当たらない。あたったところで致命傷にはならない。首か、せめて胸や腹が見えていればと奥歯を噛むがどうしようもないい。
今まででこれ以上の恐怖というのをサイトは感じたことがなかった。同時にこちらへ突っ込んでくる深紅の巨体が美しく見えた。
「美しい……」
これで終わるのだなと思うと、時間がゆっくりに感じられた。
人は死ぬ前に今までの人生を振り返るのだという。それは王都で過ごした見習い時代や、親方に認められたこと、職人として仕事ができたこと、悪友ができた事に加えてこの1か月程度のフロンティアでの生活も含まれていた。
帰ったらセリアの母親の作った蒸かし芋が食べたい。シエスタに教えてもらったゼクスの秘蔵の酒を開けて、アーチャーに覇追い屋で経験した話を聞けたらいい。アラニアには答えを聞かせてもらってないと怒らなきゃいけなかった。カイトは一緒に笑ってくれるんだろう。
ゼクスを一発殴らなきゃ。まあ、一発で許してやろう。やっぱり二発いこう。
覇獣が迫ってきた。その巨体に今更恐怖を感じる事はない。恐怖は常にあったからだ。それなのに身体は何故か動いた。
巨体の足音は大きかった。だが、その音ははっきりと聞こえた。
ヒュンッ! トスン!
何が起きたのかも何故か見えていた。
左から飛来した矢が深紅の覇獣の顏に刺さったのである。反射的に覇獣がそちらを見る。
覇獣に刺さる矢はバリスタの矢だけではなかった。だが、それは致命傷にはならないかもしれない。
覇獣の尾の一撃を防ぐことができるのは覇獣の外皮だけだった。だが、それは加工が難しかった。
「サイト!」
「撃てぇぇぇ!!」
誰かの叫びとアーチャーの合図は同時だった。サイトは引き金を引いた。
バリスタの矢は、射掛けられた方角を振り向いたために露出した深紅の覇獣の首に突き刺さった。
***
覇獣という獣がいる。
それはこの世界における生態系の頂点である。遠くからも良く見える鮮やかな青の体毛がそのことを示している。その風貌は獅子を思わせる体躯に立派な翼が付いておりあらゆるものを凌ぐ大きさをしている、とされる。だが、中には深紅の体毛をしたものなども確認されており、その生態はまだ謎に包まれている。
人類にとってこの覇獣の生息域に住むということは死と隣り合わせであった。しかし、建国されて数百年の王国に生きる場所のない人々にとってはこの覇獣の生息域以外には行く場所がなかった
そこはフロンティアと呼ばれた。新天地を意味するこの言葉が本当にフロンティアになるまでには時間がかかったという。
いつしか、人類は覇獣を克服する時がくるだろう。その力は人間同士の戦争に使われてしまうかもしれない。だが、この時代に生きた人間の中に、覇獣を克服し更に西に進むことに力を使った人物がいた。
フロンティアのさらに先、最果ての森のさらに向こうに一つの国ができた。王国で行き場所がなくなった人々が作り上げた国である。覇獣を恐れ、敬い、共に生きるこの国は、周辺に覇獣がいるために不可侵と言われ、数百年以上自治を保ったと言われている。一説によるとこの国は壁で覆われ、その壁の上には見たこともない巨大な弓が設置してあるのだとか。
国の名前は「バリスタ」。初代の代表であるサイト=バリスタは全ての人が生きていくことのできる国にしたいと言った。彼はもともと道具職人だったとか。
40000文字くらいの中編をお読みいただきありがとうございます。
連載中の作品が沢山あるのにこんなの書いてしまってすいません。舞い降りてきて書かずにはいられなかったのですよ。
感想など頂けると嬉しいです。今回はおふざけなしですよ。
本田紬