第五話 勘違いとクズ
「やっと着いたわね。ここが、私の住む村アーレンよ」
俺は今朝目を覚ましてから、食わず飲まず歩き続けて半日、日が沈む直前にアーレンの村へと辿り着いた。
運よくオークなどの魔物には遭遇しなかったが、日中はずっと雨。一時間前にやんだが、服はびしょ濡れでとても寒い。
熱があるのか、頭が何だがぼーっともしてきている。
「すまん。着いてすぐですまないんだが、寝させてくれないか? 風邪をひくかもしれんし、お湯の用意も頼む」
「えぇ……? 男なのに情けないわね」
うるさい。
ミリアは俺に呆れている様だが、頼んだことは素直にこなしてくれた。
俺はミリアの家に入らせてもらい、用意してもらったお湯で水浴びをして、寝ることにした。村の皆は就寝しているのか、外には誰もいなかったので、誰にも気づかれなかった。
弟も就寝しているようで、俺の存在には気付かなかった。
起きたら知らない男がいるんだ。明日はちゃんと説明しなければ、不法侵入の罪で罰せられる。
それだけは嫌だ。嫌だから、誰よりも早く起きて、挨拶をしよう。
そう誓って、俺は眠りについた。
*
やばい。やばい事になってしまった。
俺は目が覚めても頭がぼーっとしていて、ベッドから起きる気になれなかった。熱は高まる一方で、意識が朦朧とし始めたころ、部屋に誰かが入って来た。
「姉ちゃん、おととい帰ってこなかったけど、何かあった――」
ミリアではなく、ミリアの弟であった。
少年の声というだけで判別したので、実際弟かどうかは分からない。
意識が朦朧として、視界がぼんやりとしているから。
今の状況に思考が追い付かず、弁明することが出来なかった。
それが、非常に不味かった。弟が俺の危険な身体状況に気が付いてくれればどうにかなったのかもしれないが、弟は一人で騒ぎだしてしまった。
それを止める気力は無く、騒ぎに駆け付けた男たちによって、俺は取り押さえられてしまった。
俺は日の光が届かない地下の牢屋に放り込まれ、事情聴取を受けている。
何回も言うが、意識が朦朧としていて何も口にすることは出来ない。
それを、男たちは黙秘していると勘違いして勝手に激情して、俺に殴りかかって来た。止める人間はおらず、一方的にボコられる俺。
そのまま男たちは去っていき、俺は放置されてしまった。
そして今だ。ボコボコにされたのが功を奏して、思考は回復してきたが、どうにも体が全く動かない。
それは、いつも鍬を振るっている男たちの殴りを一気に受けたからだろう。
それに熱が下がったわけでもなく、ずっと何かを考えていないと逆に意識が遠のいていく。
最悪だ。ミリア、早く助けに来てくれないかな。
あの人たちは、俺が病人と気付いた後、俺がミリアの客人? と気付いた後、どう思うだろうか。罪悪感を抱いてしまうだろうか。
それはなんだか、申し訳ない。
俺ごときに罪悪感を抱かせてしまう事が、心の底から申し訳ない。
昔は、こんな人間じゃなかった。
ほら! ざまぁみろ! お前は勘違いで人を殴っちまったんだよ! ざまぁwww
昔はそう思ったことだろう。
しかし、今は違う。自分が罪を犯したことによって、罪悪感がどれほど辛いかを知ってしまった。
その辛さを知っている俺が、他人に罪悪感を抱かせてどうする。
俺は迷っている。
ミリアは、いずれは帰って来るだろう。
そして、俺が罪人でないことを証明してくれるだろう。
はたして、それが本当にいい事なのか。俺には分からない。
そんな事を考えていると、体が限界に達したのか気絶してしまった。
*
「おい! ミリアは何処にいる! 探せ! 探せえええええええええ!」
村人たちは、ミリアがミリアの部屋で寝ていた男に襲われてしまったのではと推測して、自分の仕事を放り投げて、捜索に乗り出していた。
ミリアは、アーレンの村最強の弓手であり、生活するのに不可欠な存在であった。何故なら、アーレンの村には野菜があっても、肉類は無い。
村人は、ミリアが動物を狩って来る事によって、健康ですごせているのだ。
それに、オークなどの魔物から村を守る用心棒のような仕事も請け負っている。
だから、ミリアがいなくなってしまえば、それはそれは焦る。
村人は総動員で森へと捜索に行き、数人の男はミリアを襲ったと思われる男の拷問の為に残っていた。
そして、今森全域に轟く声で叫んでいたのは今年七十六歳の村長である。
あまり動く事の出来ない老人も、村人に指示を出したり、くたくたで帰って来る村人への食事を作ったりと大忙しだ。
「くそう……あの子は領主様の専属騎士をも倒すことが出来た凄腕の弓手だぞ? あんなヒョロヒョロの男に負けるとは思えん。まさか……あの男、魔法使いか?」
村長は小さい脳みそを精いっぱい働かせて思考を巡らすが、納得できる答えにはいつになってもたどり着けない。
それはそうだ。先入観が邪魔をしてしまっているのだ。男……もとい獅子崎正義がミリアを襲ったと断定して、話をしてしまっている。
「はあ、これじゃったら……ミリアよりクレイの方が良かったかもしれぬな。女なんて、脆くて役に立たない。儂がもっと若ければ、あんた小娘に頼らなくても済むのに」
嘘だ。爺は村長という立場に甘えて、成人になってから一度として運動をしてこなかったし、自分で仕事をしたことさえ無かった。
どんなに若かったとしても、ミリアに弓の腕で勝つことは出来ない。
ましてや、弓を引くこともままならないかもしれない。
「チッ、それで! アッシュ! グリード! 男は何かを吐いたか!」
地下牢から出てきた二人の青年に声を掛けるが、青年たちは首を横に振り、結果が乏しいことを伝える。
それに憤怒した村長は、自ら男の元へ行くと止める青年を投げ飛ばし、地下牢へと向かって行った。
*
あ…………?
また、誰かが地下牢に入ってきたようだ。
もう殴られるのはこりごりなんだが。
まだ意識が朦朧としているし、体中が痛い。
気絶しても熱は下がらないし、痛みも引かない。最悪だ。
次一発でも殴られたら、その部分の骨が粉砕して即死しそう。
でも、口を開く気力すら残っていない。
悪竜と対峙したとき以上に、絶体絶命ではないか?
俺が思考を張り巡らしているとき、地下牢に入って来た足音はとうとう俺の前で止まった。
俺は冷えた石の床に寝転がる体勢でいるので、そいつの足しか見えない。
杖をついているので、高齢の人間であることだけは分かる。
「お主……気持ち良かったか?」
「……あぁ?」
声から察するにこれは爺だ。俺の予想通りだいぶ高齢の。
それより、気持ち良かった? 何がだ? 殴られることに快感を覚えるドМではないから、何のことを言っているのかさっぱり分からない。
「お主、やったんじゃろう? あの小娘を。あの娘は小生意気だったが、容姿だけは優れていたからのぉ」
何言ってんだこの爺。老いぼれすぎて頭が可笑しくなっているのか。
だが、言いたいことは分かった。こいつは俺がミリアを犯したといいたいのだろう。勘違いも甚だしい。
「儂ももうちょい若ければ、こう……腰を振れたのだがのぉ。ふぉっふぉっふぉっ」
爺は杖を放り投げて、何かのジェスチャーを始める。なんのジェスチャーかは今までの会話で察することは出来るし、よく見えないが腰を精いっぱい振っているのだけは分かる。
しかし、この爺さん、救いようがないクズだ。
「のう、お主。あのミリアを襲うことが出来たのなら、それなりに腕は立つのだろう? どうじゃ、金はやるから、村の用心棒として雇われてみないか?」
短時間でここまで人を嫌いになったことは初めてかも知れない。
ミリアにそれほど思い入れがあるわけではないが、俺を悪竜から救ってくれた女性をここまで侮辱されると、さすがにイライラしてくる。
気が付くと、意識は完全に覚醒して、体も少し軽くなっていた。
どうにかして、逃げ出さないと。こんな奴らに弁明したとしても、信用されるはずがない。だったら、逃げ出して、ミリアを見つけ出し連れ帰る。
そして、この爺をぶっ飛ばす。
俺も最低のクズだが、こいつは俺とは別の類のクズだ。
許されるべきではないクズだ。
俺は立ち上がり、頭をフル回転させる。