第四話 名前
悪竜から逃げ延びた俺達は、木の根元に寝転がり息を整えていた。
しかし、一生分の体力を使い切った気がする。それほど、全力で駆けた。足はパンパンで、歩くことも出来ないくらいだ。それをこの少女に言ったら、おんぶしてあげると言われたが、男としての何かが崩れ去りそうなので断った。
「ねえ、あんた。本当に何であんなところにいたの?」
この人、さっきからこれしか聞いてこない。
名前とか、他にいっぱい聞くことがあるだろうに。
「それより、お前の名前聞いて無かったな。教えてくれよ」
ちょっと無理矢理すぎたかもしれないが、話を逸らした。
これ以上聞かれても、答えられることなんてない。何度も言うが、異世界から来たとか未来から来たとか言っても信じてもらえない。
言っても意味が無いのだ。
「はあ、そんなに言いたくない事なのね。まあいいわ。私の名前はミリア。命の神ミリア様の名前を取ったのよ。どう? 素晴らしいでしょ。ミリア様は、創造神様が作った何も無いこの世界に生命を授けた神様として有名で…………」
良く分かった。命の神を崇拝する気持ちは良く分かったから、その小難しくて知っても意味が無さそうな話を早く止めてくれ。
ミリアは命の神がどれほど偉大で素晴らしいのかを永遠と説いた後、満足したのか笑顔で眠りについてしまった。
もう空は橙色に染まっていて、日が沈む時間になっていた。
この世界の人々、というより農村に住む人々は晩飯を食べた後すぐ寝る。朝早く起きて、仕事をしなければならないからだ。
七時にはもう寝ると言ったところだ。
だから、辺境の農村に住むミリアはすぐ眠りについてしまった。悪竜と戦闘をして疲労が溜まっていたのだろう。
「てか、俺まだ名乗っていないんだが」
俺もすることが無いし寝るか。
と思ったが、二人とも熟睡してしまっては、何かにに襲われた時誰も対応が出来ない。そう寝る訳にはいかないと思い、起きていることにした。
*
勇者時代にこの村へ訪れた時は、訓練に勤しんでいて村の人と交流する機会を作れなかった。
だから、この少女の事も何も知らなかった。
こんなにも命の神を崇拝していて、弓の扱いが上手くて、すぐ寝てしまう人だなんて、会話をすれば一瞬で気付けることなのに。
そう思うと、自分は前世で何も出来ていなかったんだと、しみじみ思う。
ただただ人間を裏切って罪悪感に苛まれて死んだ人生だっただけでも愚かしいのに、救う人間の事すら何も知らないなんて、可笑しくて笑えて来る。
何も知らないって、本当に愚かだ。もっと人々と交流していれば、魔王を倒してこの世界を救うという思いが強くなって、裏切らなくて済んだかもしれないのに。
「うっ……うぅぅ……あぁ、ああ? 私寝ちゃってたの?」
俺は隣で寝ているミリアは目が覚めたのか、目を擦りながら上体を起こす。
「良く隣に男がいるのに熟睡できるな」
「ああああ!? 私、寝ちゃってたの!?」
同じ言葉を繰り返すな。耳に残る。
それにしても、早寝早起きが過ぎるだろ。
今地球時間で言う所の、夜中の二時だぞ。こんなに早く起きるものなのか?
俺からしたらありえないな。夜更かしなんて当たり前。寝るのが夜中の二時だ。
「あ、あなた、私に手を出していないわよね! わ、私がいくら美少女だからって、寝て込みを襲うなんて……冗談よ」
俺がミリアに無言の圧を与えていたら、それに気が付いたミリアが一気に気まずそうな表情を見せた。
自らを美少女と語る人だとは思わなくて驚愕したが、寝込みが何チャラカンチャラって話をし始めた時点で、面白がってるなと思い無言の圧を与えた。
そしたら、ミリアの方から自粛してくれたのだ。
「今は……まだ真っ暗ね。このまま動くのは危険だわ。悪竜のせいで森の動物や魔物はいなくなったから、ここは危険ではないけれど、もう少し進めば悪竜の行動範囲を抜けて、オークなどのモンスターが襲ってくるわ。動き出すのは明るくなってからにしましょう」
勇者時代にここを訪れた際、オークの集落の発見に手間取ったのは、悪竜からオークが逃げて、集落の場所を移動させてしまっていたからだ。
このまま悪竜が行動範囲を広げて行けば、その度にオークは集落を移動させる。
これに関しては、人間にどうにかする方法は、悪竜を討伐するほかない。
「そうか、じゃあ俺寝ていいか? ミリア……さんが寝てから、一睡もしていないんだ」
「ミリアで良いわよ。てか、一睡もしてないの? ここら辺は悪竜の行動範囲だから誰もいない……って、あなたここの立地に詳しくないのよね。ほら、早く寝なさい。明日は早く動くわよ」
やっと寝れる。その安堵と疲労がいっきに俺の体を夢へと誘った。
「ねえ、まだ起きてる」
否、大嘘だ。早く起きろというのに、寝させてくれなかった。
俺は寝てるふりを貫き通すことにした。そしたら、いずれは寝れるだろう。
そう思っていたのだが、全く眠れない。
「ねえ、あなたの名前を教えてもらってなかったわ」
「正……」
俺は、自分の本名を名乗ることを躊躇ってしまった。ミリアが信用できないという訳ではない。俺は、親から授かった“正義”という名を名乗る資格はあるのだろうか。そう考えてしまう。
正義何て名前俺には相応しく無いし、俺自身胸を張ってその名前を名乗ることが出来ない。
だから、名前を名乗ることを躊躇ってしまった。
「どうしたの? 野党に襲われた時名前まで奪われちゃったの?」
全く面白くないボケを噛ましてくるミリアを無視して、俺は葛藤する。
せっかく生まれ変わったと同然なんだから、自分が格好良いと思う名前を名乗るか。でも、それだと親が授けてくれた名前を捨てるみたいで嫌だ。
でもやっぱり、自分は今の名前が好きだ。
「正義だ。正しい行い……的な意味かな? よく考えてみると、正義の意味を理解していないのかもしれないな。でも、いい言葉だ」
「……そう。正義ね。良い名前ね」
いい名前か。そう言って貰えるとありがたい。
俺を見た人間が俺の名前を聞いて真っ先に言うのは、「似合わない」だ。臆病なお前には似合わないって言われる。
まあ、悪竜から決して逃げ出さなかったのが、功を奏したのかな。
「じゃあおやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい……って、なんで今日知り合ったばかりの男とおやすみなさいなんて言い合わないといけないのよ」
「知らないよ」
確かに、なんなんだ。この数日一緒に過ごした男女のようなムードは。思い返すとイライラしてくる。
最終的に俺は良い気分で寝ることは出来なかった。が、清々しさはあった。逃げずに済んだから。自分の名前を名乗ることに。