第三話 逃亡
その少女は、近距離で矢を放つ珍しい戦い方をしていた。
弓というのは、相手のリーチに入らない位置から、攻撃することに意味があるのに。近距離で戦うなら、剣の方がいい。
まあ、そんなことを言っても仕方がないか。
少女はドラゴンのブレスや爪の攻撃をかわし、弓を撃つ。かわして、撃つ。それを繰り返し、着々とダメージを与えて行った。
しかし、ドラゴンは地上にいては勝ち目がないと悟ったのか、翼を羽ばたかせ大きく飛び上がってしまった。
そして、弓が当たらぬ位置まで飛び上がり、ブレスを吐き始めた。
「今ならいけるわ」
少女はそう呟くと、少女の強さに度肝を抜かれていた俺に近づいてくる。
よく見てみると、少女の弓の弦は普通の糸ではなく、魔力が少し含んでいた。これのおかげで、ドラゴンの鱗に傷を付ける威力の矢を放てるのだろう。
俺は召喚当時から、魔力の感知に長けていて、些細な魔力でも気づくことが出来た。
「あなた、何で悪竜の巣に何か潜り込んだのよ。ここら一体は、悪竜の縄張りとしてそれなりに有名なはずなんだけど。知らなかったの?」
少女が俺を訝しげに見つめて来る。
ここ周辺は有名な土地だったのか。
全然知らなかった。いや、異世界人だから知るはずがないのだけれど。
「いや、王国に来たばっかでさ。ここら辺の事詳しく無くてな」
「そうなの? まあいいわ。早く逃げないと焼き殺されるわよ」
いや、今出たら結局焼き殺されるだろ。外で飛び回っている悪竜に、こちらの攻撃は当たらない。それなのに、あっちの攻撃は当たる。
そんな状況で外に出るのは、自殺願望がある奴だけだ。
生憎、俺はここで死ぬわけにいかない。
「大丈夫、ここは安全圏だ。後ろを見てみろ」
少女は後ろに振り向いたが、真っ暗で何も見えなかったのだろう。魔法で生み出した光で照らしていた。
少女は何かの雛であることに気が付いたが、何なのかは分かっていなかった。
世間の常識では、悪竜は破壊と殺戮を繰り返す厄災の象徴。子供でさえも、すぐ殺すと言われている。
だが、それは間違っている。何故そんな常識が根付いてしまったかと言うと、悪竜の個体数が極端に少ないからだ。
この世界の学者は、それは悪竜が子供を産んでも殺してしまうからと考えた。
あとは、口で説明しよう。
「それは、悪竜の子供だ」
「あ、悪竜!? い、いや、でもそんなはずないわよ。悪竜って子供を産むと、すぐ殺しちゃうって、聞いたことがあるわ」
やっぱり。
「それは違う。悪竜は子供を大切にする。まず、その常識がなぜ根付いてしまったかと言うと、悪竜の数が極端に少ないからだ。その理由を、子度が生まれてもすぐ殺すからと、学者は考えた。でも、悪竜から生まれてくる子供が何故悪竜だと決めつける。悪竜は、力に執着しすぎて、堕ちてしまったドラゴンだ。その子供自体は、堕ちていない。だから、悪竜ではないのだ。そう考えれば、個体数が少ないのは、悪竜になるドラゴンが少ないから。と考え着く」
「あああああああああああ、もうっ。私馬鹿だから良く分かんない! 結論を言ってくれればそれでいいわよ!」
「結論は、悪竜は子供を大切にするということだ。大切にするという事は、子供がいるこの空間にいるかぎり、攻撃はしかけてこないということだ」
「最初からそう言えば良いのよ。それじゃあ、この空間にいる限り――」
その時、いつのまにか降りて来ていたドラゴンは、爪で俺達を薙ぎ払っていた。
言うのを忘れていた。此奴の爪は例外だ。爪だけは攻撃を仕掛けてくる。
少女は迫りくる爪を軽々と避け、ギロリと俺を睨んでくる。
嘘をついた訳じゃないんだ。忘れていただけなんだ。といっても、命の危険に晒してしまった。
「すまない。言うのを忘れていた」
「あのねぇ……私じゃなかったら今ので死んでたわよ。まあ、ブレスを吐いてこないだけでもいいわ。爪なら避けられるから」
少女は洞穴を覗き込んでくるドラゴンに向かって、弓を構える。
そうか。洞穴の中からチクチク撃っていれば、いずれ倒せる。そういう作戦で行くのか。
だが、そう簡単にはいかない。ドラゴンは不利だと悟り、大きく飛び上がってしまった。これではどちらの攻撃も入らない。
「このままだと埒が明かないわね」
「一気に駆け抜ける訳にもいかないし。普通に雛を人質にとるしかないのか?」
「それは駄目よ。雛を奪われたことにより暴れまわられては、アーレンの村にも被害が及ぶわ。ああ、アーレンの村というのは、私の住む集落で、この森を抜けた先にあるわ」
やっぱり。この少女はアーレンの村出身だった。
それに、一か月後アーレンの村は悪竜に襲われる。それは絶対に阻止しないと。その為には、この悪竜を早い内に倒さなければ。
それでも、今は逃げ出すことを優先したい。武器が無い今、勇者の力を解放するのはもったいない。勇者は武器……というより、剣が無いと基本的に勇者の力を扱えない。勇者の技のほとんどは剣術だからだ。
「あんた、武器も何も持ってないわね。馬鹿なの?」
いきなりどうしたんだ。
初対面の相手に馬鹿と言われたのは、生まれてこの方初めてだ。
でも、こんな森の中で何も持っていない人間なんて、よほどの馬鹿か自殺願望がある人間だけだ。
怪しく思われてもしょうがない。
「今日起きたら何も無かった」
「……は? 野盗にでも襲われたの?」
「さあ? 寝てたからわからん」
「あっそ」
嘘をついてしまったが、しょうがない。
異世界から来ましたとか、未来から来ましたとか言っても、信用されないだろう。
「グラァァァァァァァァァァァァァァ!」
俺達が会話をしていると、ドラゴンが怒り心頭に発して雄叫びを上げた。耳を劈くその五月蝿さ、激しさに俺は身が竦んでしまう。
やっぱり、このモンスターが放つ独特の気迫、威圧にはいつまで経っても慣れない。
それに対し少女は、今のが切り替えのきっかけになったのか、気を引き締めるために頬を叩いていた。
よく、耐えられるな。育った環境の違いというのもあるのだろうか。
「作戦を言うわ。私が森の方に爆発を引き起こす矢を放つから、その爆発を合図に子の洞穴から抜け出す。そっからは森に全力疾走よ。それしかないわ」
「爆発音に反応させて、ドラゴンに隙を生み出す作戦だろ? ドラゴンって音に反応するのか?」
「大丈夫よ。さっき私が叫んだ時、確かに反応していたわ」
「そうか。了解」
早めにどうにかないのだから、この作戦に乗っかる以外の選択肢はない。
たぶんチャンスは二度とこないだろう。ドラゴンは何事にもすぐ慣れ、対応する。爆発音に反応するのも多分一回だけ。
「ドラゴンが下りてくるまで、待つわよ」
「ああ」
ドラゴンは空中で俺達を警戒しており、降りてくる気配はなかった。
だったら俺達は洞穴の空中からは見えない奥深くに隠れ、降りて来るのを待つだけだ。
……よし、ドラゴンは翼を羽ばたかせ、降りてきた。
少女は矢を構えて、ドラゴンの先を見据える。
ドラゴンに当たってしまえばそこで終わり。別に当たっても成功するかもしれないが、この作戦は俺達から目を逸らさせることに意味がある。
少女は慎重に弓を構えて、放った。
ドゴォォォォン! と森全域に響き渡る轟音を合図に、俺達は駆け出す。作戦通りドラゴンは音に反応して、森の方へ振りむいていた。
俺達は絶対に振り返らない。後ろから、もうスピードで風を切る音が聞こえてくるから。怖い。怖いが、止まれない。
少女の方が、足が速くもうすぐ森の中に入れる地点まで走り終えていた。
それに対し俺は、まだまだたどり着けない位置にいる。このままだとドラゴンに追いつかれて、殺される。
くそっ、死ぬ。そう思った時、
「グラァァァァァァァァァ!」
ドラゴンが突然叫び出した。
少女が矢を放ち、ドラゴンを足止めしてくれたのだ。
ありがたい、これなら森に辿り着ける。
結果、俺は悪竜の巣から逃げ出すことに成功した。