第二話 出会い
ここは……?
俺は気持ちが良いそよ風が吹く小高い丘の上に立っていた。
よし、時を巻き戻す事には成功したみたいだ。
俺の体は確かに二年ほど若返っている気がする。筋肉が全くついていないのだ。この体の方が、スラッとしていて良い。
それに服も、学生服だ。下校時に召喚されたから、学生服だったのだ。
というか、ここはどこだ。俺の考えでは、王国に召喚される時に巻き戻るはずだったのだが。
それに、この風景、どこかで見た覚えがある。勇者時代に立ち寄ったことがあるのだろうか。
下は木々が鬱蒼と生い茂る終わりの見えない森になっている。どこまでも続く緑を見る限り、このあたりに人は住んでいないだろう。
女神の不手際で、こんなところに来てしまったのか?
「とにかく、降りてみない事には何も始まらないな」
俺は丘を下りて行き、薄暗い森の中に入っていった。
*
森の中は、魔物はおろか鳥などの動物もいない物静かで薄気味悪い場所だった。
進んでいくたびに、薄気味悪さが増していき、この先に行くべきではないと脳が警告してくる。
しかし、俺は足を止めない。
今から丘に戻ったとしても、戻る途中で夜になってしまう。
そんな無駄な事をするのなら、いち早く人里を見つけるために進んだほうが合理的だ。
それから、ある程度進んでいくと、大きな洞穴を発見した。
この洞穴も見覚えがある。
本当に思い出せない。勇者時代、魔族を殺すためだけに生きていたから、場所も地名も固有名詞も、覚える必要のない物は覚えなかった。
だから、景色なんて覚えているはずがない。
俺は中を見れば何か思い出せるんじゃないかと思い、中に入ることにした
中にはとても大きいドーム状の空間が広がっており、先に道は無かった。
日の光が差していない奥の方は真っ暗で、何があるのか全く分からないが、鳥の雛の鳴き声が聞こえてくるので、鳥の赤ちゃんでもいるのだろうか。
手を差し伸べると、掌に何かが乗っかる。
「なんだ?」
乗って来たのは、とても小さくて軽い、真っ黒な体で羽が生えた生き物だった、
これは、鳥じゃない。ドラゴンだ。毛ではなく鱗が生えかけている。
真っ黒なドラゴンと言ったら、悪竜か闇竜の二体が一般的だが、闇竜は魔界と呼ばれる異空間にしか生息しないから、これは悪竜の雛だ。
まずいぞ。悪竜に理性は無いが、自分の物は大切にする。人間が自分の子供を掴んでいるところを見れば、殺されたことさえ気づけないまま殺される。
俺は急いで悪竜の雛を下ろすと、急いで洞穴から逃げだす。
しかし、幾分気付くのが遅かった。
洞穴の外にいる真っ黒なドラゴンが、俺を怒りの込めた瞳で見つめていた。
「まずいッ!」
この周辺に動物がいなかったのは、何か強大なものを恐れて逃げたから。
そんな森に何かの雛が居たら、親がいるんだと瞬時に気付くことは出来た。そして、皆が逃げ出す中、雛を連れて逃げなかったのは、逃げる必要が無かったから。
何故逃げる必要が無かったかというと、そいつが皆に恐れられている存在だから。
何故気付けなかった。分かりきったことじゃないか。
どうにかして逃げないと、ここで死ぬ。
勇者の力を使うなんて論外だし、雛を人質にとるなんて行為も論外だ。
後者の方法ならばほとんどの確率で逃げ出せそうだが、逃げ出すことに成功した瞬間、焼き殺されそうだから駄目だ。
俺を味方だと認識してくれれば、見逃してもらえるはずだ。脚力や体力に自信はないから、逃げることはもとより不可能だから、見逃してもらうほかない。
問題は、どうすれば普段から人をコロッと殺せるような威圧を放っているドラゴンに見逃してもらうかだ。
土下座……なんて、通用しないだろうし、人語は理解できないだろうから、言葉も使い物にならない。
……これは絶体絶命じゃないか。
まあ、出来る事だけはやってみるか。
まずは、土下座をしてみる。土下座をすると、真実を打ち明けた時の事を思い出すから、あまりやりたくないが、止むを得ない。
俺は、睨んでくるドラゴンに土下座をしてみる。
「漆黒の鱗を身に纏い、見るもの全てを怯ませる力強い面構えをお持ちなドラゴン様にお願いがございます。どうか、どうか、私目にご慈悲がいただけないかと……まあ、要するに、見逃していただ――」
「グラァァァァァァァァァァァア!」
「ですよねー」
やばいやばいやばい。
後ろに雛がいるからブレスを吐いてくる気配はないけど、雄叫びは問答無用でしてくる。近距離で雄叫びは普通にやばい。
鼓膜が破れる。なんで雛はびくともしないんだ。うるさくないのかよ。
「このままだと本当に殺される。どうにかして、逃げ出さないと」
見逃してもらえることは無いと理解できたので、諦めることにした。
だったら、このドラゴンの股の下を潜り抜けて、森に逃げ出すしかない。
森に逃げれば、ドラゴンは入ってこれないし、緑の屋根のおかげで、空から発見されることも無いだろう。
「グラァァァァァァァァァァァァア!」
俺はドラゴンの股に向かって走り出そうと一歩踏み出すが、ドラゴンの爪が洞穴に侵入し、俺の体を切り裂こうとする。
巨大な躯体を見て、洞穴に入ることは出来ないし、幼体がいるからブレスも吐けないと、油断していた。
爪があった。腕があった。混乱して、思いつかなかった。
俺は勇者時代の感覚が残っているのか、危険を察知して避けられた。
才能は奪われても、体に染みついた感覚までは奪われないのか。経験や感覚、己の肉体全てを奪われる覚悟でいたのだが。
感覚が残っているのなら、倒すことは出来なくとも、逃げることは可能かもしれない。
俺を敵と認識したドラゴンは、先程とは違って俺を強く警戒していた。
下手に手を出せば雛を殺されるという危機感を覚えたのだろう。大丈夫だ。俺には、雛を殺せない。感覚は覚えてても、筋力は無いからな。
「そっちが来ないなら、こっちから行かせてもらうぞ!」
俺はドラゴンに向かって駆け出す。
勿論、攻撃などするつもりはない。
相手に、攻撃してくると警戒させることに意味がある。身構えてくれれば、俺が股の下を潜り抜ける時間が出来る。
しかし、ドラゴンは何を思ったか爪を差し出してきた。
何故だ。ここは警戒して、身構えるところだろう。
しょうがない。避けてから一気に駆け抜けるぞ。
繰り出される爪の一閃を寸前で避けて俺は――拳を突き出してしまった。
拳はドラゴンの手に直撃し、大ダメージを受けた。
感覚だけでなく、勇者時代の癖まで抜けていなかった。
相手の攻撃を避けたら、相手が追撃をしてくる前に追撃する。その癖を付けろ。俺の師匠の教えだ。
その癖が抜けず、拳を突き出してしまった。そのせいで、駆け抜けることが出来なくなった。しかも、俺の方に隙が出来てしまった。
そのままドラゴンは追撃を仕掛けてきた。
片方の爪で俺の首を刈り取ろうとしてきたのだ。
重心が前に傾いてしまい、避けることが出来ない
ここで死ぬわけにはいかないんだ。
俺は諦めずに、前方に跳躍した。
爪に直撃はしなかったが、勢い付いた腕に直撃してしまい、壁に叩き付けられてしまった。
「グハッ……うぅ、あぁ」
これ肋骨粉砕しただろ。
内臓ぐちゃぐちゃになってるだろ。
ドラゴンは醜く笑っていた。
敵ではなく、おもちゃとして俺を認識し始めたのだ。
万事休すなのかよ……!
「化け物! こっちを向きなさい!」
そんな時、外の方から若い女の子の声が聞こえてきた。
この声、どこかで聞いたことがある。勇者時代に聞いた声だ。
俺は頑張って女の子の声がする方へ顔を向ける。
「あぁ……ああ? あの子は……!?」
深紅の髪を揺らし、とても華奢な体で縦横無尽に駆けて、悪竜を翻弄する少女。
あの子は、アーレンの村が悪竜に襲われた時、悪竜に殺されてしまった少女ではないか。
それじゃあこの悪竜は、あの時の!
まさか、この森を抜けた先には俺が救えなかったアーレンの村があるというのか。
こんな都合の良い事……いや、女神様が仕組んでくれたのだろう。
こんな償いのチャンス、逃すわけにはいかない。
俺はボロボロな体を奮い立たせて、立ち上がった。