第一話 やり直し
「死んでしまいましたか……」
とても透き通る美しい声が聞こえてきた。
目の前には、見覚えのある美少女が立っている。
それに、真っ白な空間が視界いっぱいに広がった。
何処までも続く真っ白を眺め続けると、頭が痛くなってくる。
はて、何故俺はこんな所にいるんだろうか。
記憶を辿ろうとしても、何も思い出せない。黒いドロドロした物が頭を埋め尽くして、邪魔をしてくるのだ。
名前も自分が何者なのかも、一切覚えていない。
「俺は……死んだのか?」
これだけは分かる。
俺は、死んだ。殺されたのか自ら死んだのか、それは全く分からないが、死んだことは確かだ。
俺は問いかける。
しかし、美少女は微笑んでいるだけで、答えようとしない。
この状況を俺は一度経験している。
あっ……少し思い出した。断片的で薄っすらとではあるが、何となく自分の素性を思い出してきた。
俺の名前は……俺に似つかわしく無い物だったはずだ。“誠”とか“正義”とかだった気がする。
そしてここは……目の前の美少女、女神ルディアが作り出した空間だ。俺達が異世界に転移する前、ここに来たのを覚えている。
俺が何故異世界に転移したかと言うと、世界征服を目論む魔王を討伐するためだ。
そして俺は魔王を討伐して、元の世界に帰ってくる途中で、ここを訪れた。
でも、違う。俺は死んでしまったのだ。
なにか、もっと重要なことを忘れているような。
俺はどうにかしてこの疑問の答えを探してみるが、何も見つからなかった。
「それは、あなたが思い出すのを拒否しているからです」
「どういうことだ? ……俺は必死に思い出そうとしている」
因みに、女神さまには心の中の声はお見通しらしい。
話を戻すが、思い出したくないだけで物事を忘れられるのなら、この世界の人々はもっと幸せに生きている……はずだ。それでは、忘れてはいけない記憶も一緒に忘れてしまうから、一概には言えないか。
女神さまを信じるとすれば、俺は思い出したくないから、思い出そうとしても思い出せないという訳だ。
正直言って、理解できない。
「まあ……思い出さなくてもいいか」
思い出すのを本能で拒むという事は、絶対に思い出してはいけない記憶なのだろう。
「それより、俺は天国と地獄どっちに行けるんだ?」
予想というか確信しているのだが、絶対に俺は天国に行けると思う。
俺は一つの世界を救ったのだ。
「地獄ですね」
「…………え? 嘘……」
嘘だろ。俺は世界を救った勇者の筈だ。
いや、何か思い出せそうだ。
……思い出した。そういうことだったのか。確かに、思い出したくないな。でも、思い出せてよかった。
「そりゃそうだな。裏切ったんだもんな、俺は。人間を。救うべき者たちを。罰を受けたけど、それは本当の償いではない。だって、誰にも償えていないのだから」
そりゃ、地獄行きに決まっている。
確かに、償ったことで自分の中で何かが吹っ切れた気がする。
でも、それは自己満足の償いであって、俺が裏切ってしまった、俺が救えなかった人々への償いではない。
俺が死んだあと、償った筈なのに心が晴れなかったのは、それが理由だ。
誰にも償えてない。償えぬまま、俺は死んでしまったんだ。
ああ、くそっ。
過ちを犯してから、後悔の連続だ。
地獄で償えという事なのか?
……いや、それじゃあ償ったことにはならない。
人を救う事が、償いではないか。
もう、無理なんだ。一生、その罪悪感に押しつぶされていろという事なんだ。
「では、やり直してみませんか?」
「…………へ?」
そんなこと、出来るのならとっくにやっている。
賢者であれば時間の巻き戻しも可能ではあろうが、俺は勇者で、その勇者の力も失った。
やり直すことは、不可能だ。
「思い出したのでしょう。私の正体を」
「あんたの……正体?」
女神様は女神様だろう。
……あっ、そうか。この人は、女神様だ。賢者や勇者なんかよりも偉大で、強大な力を持つ女神様だ。時を巻き戻すことなど朝飯前なんだ。
女神様の力をもってすれば、俺はやり直せる。
救えなかった人々を、自分の手で救う事が出来る。
そう思うと、自然と力が漲って来る。
「朝飯前じゃないですよ」
「どういうことだ? 女神様でも出来ないという事か?」
「いえ、出来ない訳ではありません。ただ、あなたをもう一度勇者として召喚することは、難しい……というより、不可能ですね」
「じゃあ、時間を巻き戻したら、俺は勇者じゃなくなってるって事か?」
勇者じゃないと、俺は人を救うことが出来ない。
俺は戦いと無縁の普通の日本人だ。それに加え、臆病で体力もない弱者だ。
「女神様、どうにかならないのか!」
「それについては、私の力をもってしてもどうにも出来ません。詳しい事はお伝えできませんが、私より高位の神があなたを罪人として認めました。勇者の力を全て奪われ、不幸な人生を送ることになるでしょう」
神様は、俺が償おうが償わまいが、罰するのだ。
しょうがない。これについては、俺にはどうしようもできない。甘んじて、受け入れるしかない。
「ですが、私たちはそれを理不尽だと思っています」
「はい?」
「シュワルドの人間が魔王を討伐できなかったせいで、異世界人を召喚してしまった。それも、戦いと無縁の日本人を。これは、私たち神々の不手際なのです。世界同士の干渉は、禁忌とされていて、それを止めさせるのも私たちの仕事なのですが、急な事だったので止めることが出来ませんでした。それを私たち神は負い目に感じておりまして、そこであなたに機会を与えることにしたのです」
それが、時を巻き戻しやり直すという提案。
それにしても、世界同士の干渉は禁忌とされている、か。日本の異世界への転生や転移の創作物はすべて現実に起こっていたら、禁忌だったのか。
「しかし――あなたが神々に認められた罪人であることに変わりは無い。ですので、勇者の力を全て奪い、どんな危険な訓練を行ったとしても、能力が成長しない体にしたのちに、時間を巻き戻し、やりなおさせることに決めました」
「お、おい! 訓練しても成長しないって、魔物とどうやって戦えばいいんだ。一般人の基礎能力って滅茶苦茶低いんだろう? それじゃあすぐ死んでしまう!」
シュワルドにはステータスの様な能力を数値化した物は存在しないが、それっぽいものはある。
特殊な液体を塗って、ライトを当てることにより体を発光させ、その光の大きさで、能力の高さを調べる。
赤色の液体を塗れば、筋力が調べられ、黄色の液体を塗れば、体力が調べられる。
俺は勇者だったので召喚当時から光の大きさは異常だったが、戦いと無縁の一般人(料理人など)であれば、発光は極僅かな物だという。
そして、その無縁の人々にとってはスライムの突撃でさえ、気絶か即死レベルらしい。
そんなんじゃ、人を救うなんて夢のまた夢。
それじゃあ、時間を巻き戻す意味なんてない。それじゃあ、異世界の人々に申し訳が立たない。俺の為だけに、魔王を討伐した前に巻き戻るのだ。
「どうにかならないのか?」
「……そうですね。あなたはまだ勇者の力を全て奪われてはいない。その残っている極僅かな力を、私の力で隠蔽すれば、他の神に気付かれず、その勇者の力を引き出すことが出来るでしょう。でも、本当に極僅かです。勇者として召喚された当時より少し弱いぐらいです。それに、その力を使えるのは、たった一度だけです。一度使ってしまえば、すぐに力が残っていることがばれて、奪われる事でしょう」
そうか。力を引き出せるのは、たった一度だけ。
それでいい。何も出来ないより、よっぽどましだ。
「ありがとうございます。それと、どの時間まで巻き戻るのでしょうか」
「勇者召還の時間までですね」
「そうですか。分かりました。それでは、お願いします」
神々は俺に機会を与えてくれた。
それを、無駄にすることは出来ない。
やってやる。償ってやる。やり直してやる。
もう、後悔はしたくはない。
「それでは始めます。《クロノス・グヴィスリング》」
女神様は魔法の詠唱を一瞬で終わらせる。
その詠唱の終了と同時に、俺の体が温かい光に包まれる。
なんだろう。この、安らぐ光は。気分が良くなってくる。
「それでは、頑張ってきてください」
女神様がほほ笑みを浮かべて手を振ってくれていた。
それが確認できた途端、俺は意識を手放した。