ep.002 嵐が来る
薄暗いオペ室の前の長椅子に座り、私は桜子さんの手術が終わるのを祈りながら待っていた。
刹那、病院の入口方向から叫びながら駆けてくる足音が聞こえる。
「桜子ーーーっ、桜子ーーーーー!」
私の目の前で立ち止まった足音の主は、大柄な女性のモノだった。
180センチはあるだろうか?
桜子さんと同じ制服に、背中にJAPANと大きくワッペンが張り付けられているジャージを羽織っている。
ちらりと目をやると、テレビで見た事のある顔だった。
《えっ?今来た人って、・・・、バレーボール全日本の代表のスーパー高校生の人よね?名前は確か・・・、こ・・》
口に出そうとした瞬間、
「こころちゃん、もう少し静かにするよし。桜子ちゃん、まだ手術中え」
諭す様に可愛い声が聞こえた。
《そうだ!こころさんだ!桜子さんと同じ学校だったんだ》
はっとした私が声の方向を見ると、小柄で胸の大きな女の子がこっちに向かってゆっくり歩いて来るのが見えた。
「藍、アンタも来とったと?」
どうやら小柄な女の子は、藍と言うみたいだ。
藍さんはにぱぁと笑うと、こころさんに顔を向け急にしゃがれた声で、
「のう、こころ。ベスが儂に言うんじゃ。桜子に危機が迫っておる。早く行かないと。とな」
「何ね、ベスも来とると?」
こころさんは、藍さんが声が変わったのには気も留めない。
又、声が変わり、
「せやさかい、ベスちゃんのスカーレットに載せてもろて来ましたんや」
「へっ?db1に?てっきり、ウチはローズのアパッチに載せてもろたかと?あっちの方が速くなかね?」
藍さんは首を横に振り、
「そんな事あれへんえ。アパッチは速いけど、あちこちの空港や自衛隊の基地に連絡入れなあかんから、面倒臭さおます」
私は目を白黒とさせ、
《へっ?全く話が読めないんだけど。何?db1って?で、アパッチも・・・。そもそも駆け付けるのに何で空港や自衛隊が関係してくるの?訳わかんない・・・》
私が困惑してると、藍さんが優しい口調で、
「ほらほら、こちらの可愛い女の子が困ってはるえ、こころちゃん」
こころさんは私に初めて気付いた様子で、
「あちゃー、すまんと。ウチは桜子の友達の鷹見こころね。こっちが隼人藍。ウチら、二人とも桜子のクラスメイトね」
藍さんを指差した。
私は恐る恐る、
「あの、烏丸皐月さんも同じクラスって言われてましたけど・・・」
そう尋ねた。
藍さんは微笑み、
「そうどすな。ウチもこころちゃんも、ベスちゃんもローズちゃんも、ここにおらへん瑠奈ちゃんも全員同じ学校の同じクラスどすな。もちろん、皐月ちゃんも同じクラスどすけど・・・」
「皐月は引きこもりやから、ほとんど授業には出んとよ。いわゆる、ニートね」
こころさんが呆れる素ぶりで遮った。
「あらあら、人をニート呼ばわりとは、余り良い趣味とは言えないわね。少なくとも、私は学年でいつもトップ10には入ってるけど?こころ、貴女は何位だっけ?」
はっとした私が、声のした方を見ると、制服姿とは違いPRADAの黒いスーツを見事に着こなした皐月さんが居た。
ブラウスの胸元を大胆に開け、黒の下着がチラリと見える。
「くっ、皐月も居たと、ね。ウチは下から数えた方が早かとよ」
こころさんはちょっと悔しそうだ。
刹那、手術室のランプが消え、扉がギィと開くと、桜子の手術を受け持っている医者が出て来た。蒼白な面持ちで、
「皆さん、お話があります。思いの外下腹部からの出血が多く、血が足りません。この中にA型の血液の方が居たら、血を分けてもらえませんでしょうか?」
ドクターは深々と頭を下げる。
皐月さん、藍さんが手を上げ、
「私、A型です」
「ウチもどす。使ておくれよし」
負けじとこころさんが、
「ウチはO型ね。誰にでも使えるとよ」
ジャージの袖をバッと捲って右腕を差し出した。
《私も確か・・・、パパがOで、ママがAだったから・・・》
思いを飲み込み、恐る恐る右手を上げ、
「先生、私もAかOのハズです。調べて使って下さい」
言わずにはいれなかった。
「ありがとう、ももせちゃん。桜子お嬢様もきっとありがとうと言うと思うわ」
皐月さんは私の頭を撫で、こころさんと藍さんに向かって、
「こころ、藍。クララ会の全傘下の全グループに伝達。A型の血が足りない。大至急、高速を飛ばして、今居る浜松港救急救命センターまで集合。いいわね?」
「よかよ、皐月。全員緊急」
こころさんが威勢よく答えた矢先、藍さんが、
「こころちゃん、ちょっと待つよし。今、大和狂走乙女は確か伊賀上野のグループとモメてるはずえ。こっち来さすんやったら東名高速使わさんとあきおへんなぁ」
諭して言った。
「ちゃー、何ねこんな時に。まだモメてると?せからしかね。ウチが行って、ちょっとタイマン張ってくると。それで問題なかね。上手くいけば、その子達にも血を分けて貰えるばい」
言い終わるなり、玄関に向け走りだす。
こころさんの背中に向け皐月さんが、、
「バイクはどうするの?」
こころさんは振り返えり、
「ベスに借りると。皐月、後でウチのスマホに伊賀上野のチームのたむろってる場所メールかLINEでくれんね」
5分も経たずに、ビモータ・db1のエキゾースト・ノイズが聞こえ、一台の 真っ赤なバイクが救急救命センターから出て行った。
皐月さんはため息を吐くと、スマホを取り出し電話を掛け、
「あっ、徳?私、皐月よ。調べて欲しい事が・・・。今、三重から愛知で最大勢力の女暴走族のリーダーの居場所と名前。5分で調べて。え?15分欲しい?だったら10分で調べなさい。ご褒美あげるから。んーとね、この前買ったシャネルの真っ赤なピンヒールで特別に踏み付けてあげる。10分よ、それ以上待てないわ。いいわね」
無慈悲にスマホを切った。
直ぐさま別の番号に掛け、
「兄さん、さっき報告した件だけど、ローズに飛んでもらうから、大阪赤十字、名古屋赤十字病院に桜子お嬢様の血液を手配して、そして血液積んで、浜松港救急救命センターまで一緒に来て欲しいの。そうね、理事長と智ちゃん先生にも来てもらった方がいいかしら?私の見立てだと、多分、《ケルベロス》の人達も動いてはいると思うけど・・・。念の為ね。じゃあ、待ってるわ」
皐月さんは、スマホを切って深く深呼吸をした。
私に顔を向け、
「ももせちゃんにしてみたら、訳分かんないわよね。とりあえず、採血室に向かう途中で話せる事は話すわ、いいわね?」
勿論、私は拒否なんて出来なかった。
巨大な嵐に巻き込まれていく、只、それだけは理解った。