世の中ってすごいものがたくさんあるんだな
まだまだ、序章感が抜けませんね!
よろしくお願いします。
彼は、持ってきていた救急箱の中身を整頓しながら、
「良かったです。さっきはとても暗い顔していたので」
「暗い顔してましたか?」
動揺のせいもあるかもしれないが、実にとんちんかんだ。そりゃ、走って逃げてきて、しかも、ナイフで切られて腕から血を流していたのだから、明るい顔をしているはずはない。またも、気恥ずかしい思いが、私の心の内を占めた。
「こんなところに家があるなんて、驚いたでしょう?」
「え?あ、はい」
急に話が変わり、気の効かない返事しかできない。話を変えてくれた理由が、私が恥ずかしそうにしていたからだった、ということに気づいたのは、この後、家に帰ったからだったのだが。
私は、何とかして次の言葉を紡ぐ。
「よく町の中を自転車で走り回っているんですけど、ここまでは来たことがありませんでした」
「そうですよね。私も、仕事でなければ、ここまで来なかったと思います」
須藤教授は、いたずらっぽく笑う。こういう笑い方を、大人の人がするのは、なんだか好きだ。
しかし、この町外れにある家どころか、町にすら、普通の人は来ないのではないかと思う。そう思うと、この端正な顔立ちの教授との出会いは、不思議なことのような気がした。
「自転車では、よく出掛けるんですか?」
「学校には自転車で行っているので。一時間くらいこいでいます」
「一時間。すごいですね」
そこで、深みのある香りが周りを包んだ。礼さんが、ティーカップを二つ、テーブルに置く。机の茶色とは違う、透き通った色の飲み物が入っている。紅茶だ。
ティーカップの持ち手に触れると、かすかな温もりが感じられる。
「私がブレンドした紅茶なの。お口に合うかわからないけれど」
礼さんは、ティーカップのように丸みのある笑顔を向けた。
夏に、熱い紅茶か。とためらいつつも、好意をむげにするような教育を受けてはいない。私は、ティーカップの中の紅茶に、軽く息を吹きかけ冷ますと、一口、含んだ。
やはり、熱い。けど、すごく、本当に、すごくおいしい。
私は、あまりの驚きに言葉が出せず、自分の大きな目をさらに大きく開いて、礼さんを見た。
「おいしい?」
私は強くうなずく。こういうときに、口下手って困りものだ。
もしかしたら、勘違いかもしれないと、紅茶をもう一度、口に迎え入れるが、先程と同じ感動があった。
たぶん、砂糖は入ってない。でも、それとは違う品のある甘さがある。そして、ちゃんと、紅茶としての苦味も存在している。それなのに、お互いが喧嘩をしていなくて、年の離れた兄弟のように、付かず離れずの立ち位置をとっていて…。
こんなにおいしいものを知らずに、私は生きてきたんだ。
気づくと、須藤教授と礼さんは、顔を見合わせて、笑っていた。また、恥ずかしいことになっている気がする。それでも、この感情は、どうしようもなかった。
「本当に、おいしくて…」
「わかります。私もそうでした」
須藤教授は、もう一つのティーカップを持ち上げると、静かに香りをかいだ。そして、飲む。
正しい飲み方って、須藤教授の飲み方だったのかも。しかし、たった、十六年の私の人生では、まだ経験したことのない方法だった。やはり、大人には、まだ遠いんだな。
「私は、もっぱらブラックコーヒー派だったんですが、紅茶も好きになりましたね」
「須藤教授は、この味をずっと?」
須藤教授は、口元についた紅茶を右手の親指でぬぐう。とても色っぽい仕草に、私は思わず下を向いてしまった。
「残念ながら、まだ、二週間ちょっとです」
「そんなに、短いんですか?」
つまりは、ここに来て、まだ二週間ちょっとということなのだろう。それなのに、須藤教授と礼さんは、ずいぶんと親しげに感じられた。
「すみません。知ったかぶりっぽかったですかね」
「いえ」
私は首を振る。たった、二週間でも、この味を早く知っている須藤教授は、とてつもなくすごい人のように思えた。
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