死兵
「義弘様が徳川方の兵を突破し国許へお帰りになる。わしらはそれを命を賭けて…いや、捨てて成功させねばならん。武器を持てる者は持て」と島津家家臣 三浦成友から聞いた郎党の左衛門は高揚する気持ちを抑えながら準備に取りかかった。
なるべく身軽に、だが敵を破るため武器は必要である。
鉄砲を持ち、具足はつけたままである。
慶長五年九月十五日、早朝に美濃国関ヶ原で始まった大戦で西軍は諸侯の相次ぐ裏切り、内応、傍観で崩壊し東軍有利に動き瞬く間に終わろうとしている。
島津家も傍観していた。
しかし傍観と言っても、島津軍に向かってくる東軍がいたら攻撃してもいいという下知を義弘が出していたため、今更東軍に裏切る事も許されない。
かといって、このまま島津兵達を戦わせるわけにはいかなかった、彼方此方で戦いが終焉に向かっていて東軍にも少なからず損害が出たとはいえ相手は未だ大兵なのである。
島津兵は一騎当千のつわもの共だが数が足りさすぎた。
時機を見逃したのである。
陣太鼓が鳴り響く、後に「島津の退き口」と言われる戦いの始まりである。
まず鉄砲隊が一斉に放ち、弾の雨を徳川方に降らせる。
そして本来ならここで繰抜という島津独特の戦術を使うはずだが、敗北の文字しか見えてこない関ヶ原ではその様な余裕がなかった。
「始まったか。よし行くぞ!殿を守れ、わしら島津の底力を彼奴等に見せてくれようぞ」と走り出す。
郎党である左衛門もそれに付き従い走り出す。
左衛門は鉄砲の名人である、だが郎党で戦場での名乗りができないため活躍の場がなく、三浦成友の一郎党という立場に収まっている。
左衛門自身もそれで充分だと不満がないように振舞っている。
本心かはわからないが。
実はこの男、普段から寡黙なため周囲から浮いている存在だった。
ある者は、何を考えているのかわからんと言い、また他の者は何も考えていない男と言うものもいるが、主人 成友からの信頼は厚い。
左衛門は成友の父の代から三浦家の郎党あった。
成友の父親は、天正六年の大友家との耳川の戦いで討ち死にした。
母親もそれを追うようにその後流行病で死んだ。
まだ幼かった成友は左衛門相手に槍や刀の稽古をし、鉄砲の使い方を学んだ。
しかしそれは昔左衛門は自分には家族もいないし、もう若くない。
関ヶ原で討ち死にしても殿の迷惑にもならない、悲しむ者はいないと思い最期はできたら島津家の、そして主人の三浦家のためになろうと静かに心の中で誓った。
島津軍は関ヶ原の戦いが始まった際の兵は千五百人。
その後、自衛の戦いや他の戦いに巻き込まれ三百人を切る人数まで減っている。
とにかく島津軍はひたすら走る。
まるで三百人で勝者の凱旋のようにひたすら。
途中、福島正則勢とぶつかったが島津兵を「死兵」と感じ取った歴戦の強者である福島正則は「通せ!彼奴等は死兵ぞ!」と麾下の軍に迎撃を行わせず、道を開けさせ通行させる。
「死兵」と戦ったらどれだけの戦死者が出るか知れたものではないからだ。
「わしゃあ、ここに残る、残って殿様の殿を務める!」と次々と島津兵達が、少人数で固まりその場で鉄砲を放ち敵兵が近づいたら、槍で太刀でとにかくがむしゃらに戦う。
「死兵」とはそのようなものだった。
家康の本陣まで間近とまで来た島津軍は南に転進、一気に南下し伊勢街道へ突き進む。
これを逃したとあっては徳川家直臣の名折れとばかりに、松平忠吉、井伊直政等が追撃する。
そんな時だった左衛門は成友と離れてしまったのだ。
そして今、後方から周囲に馬廻の武者をつけ、豪華な甲冑を着た若武者の一行が近づくのが左衛門の目に入った。
ひた走り、島津兵を追撃し殿を務める小勢を次々と潰している。
(これはきっと立派な大将じゃ、鉄砲弾を食らわせてやれ)と左衛門は思った。
放つ用意をしておいた左衛門は鉄砲をその武者に合わせ、鉄砲の弾が届く距離に近づくと放つ。
轟音。
その武者は馬から落ち、辺りは一瞬静かになった。
「殿!」
「忠吉様!」と馬廻の武者たちが騒ぎ出す。
と、同時に一人の馬廻の武者が左衛門を見つけ、槍を投げてきた。
左衛門は、それを身体で受け仰向けになる。
「殿は無事に行ったかのう…」と意識が朦朧とし失った。
気がついたら、誰かの背中に乗っていた。
周囲にも何人かの怪我をした者達がいる。
「う…うむ、ここはどこじゃ?」とまだはっきりと意識が回復しないのか唸りながら背負っている者に問いかける左衛門。
「おう、左衛門。起きたか!」と背負っているのは主人の三浦成友だった。
「殿。どうしてここに?それより下ろしてください」と胸の傷が手当てされているのを確認し、痛みが走ったのか苦しそうに話す左衛門。
下ろしてくれという言葉が聞こえなかったのか「お前。よくやったな!お前が鉄砲を当てた武者は松平忠吉じゃ!あの徳川の四男坊よ」と何もわかっていない様子な左衛門を笑いながら話す成友。
「そのような人物を、わしが殺したんですか?」
「いや、おそらく死んではおるまい。実はな、わしは離れたお前を探しておったらお前が鉄砲を放つ場に出会ってな。その後お前に敵方の槍が刺さりおって、死んだと思って肝が冷えたわい」と軽やかに話す成友。
「それなら、どうしてそのまま置いといて下さらなかったんですか?」
「お前のその姿を見たら、わしは無意識に泣きながら槍を振り回して敵を追っ払っておった。前々から言えなんだが、お前は幼い頃からわしに付き従って戦い方、女の扱い方を教えてくれた。わしにとって大事な一族なんじゃ。親父も同然じゃ、そんなやつを放っておけるか」と涙を我慢するように話しだす。
自分が今までそんな風に思われていた事を知り左衛門も「殿…」と普段感情を表に出さないのに嬉しいのか涙ぐむ。
この歳が、親と子の様に離れた主従はまるで本当の親子の様に無事に薩摩に帰った。
慶長七年、関ヶ原での大戦から二年後。
薩摩は本領を安堵される。
それは成友や左衛門や「死兵」と化し死んでいった島津兵達の勇猛さを徳川家が恐れたのかもしれない。
こんにちは、脇坂屋です。
2作目の短編時代劇です。
最初、タイトルの死兵の通りの結末にしようとしたのですが書いていたらこのような結末になりました。
読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。