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墓碑銘

作者: 煢獨

 彼女は、陰った大理石の床に歩を記していた。革の靴底から、大理石の冷たさが伝わってくるようだ。大理石は翳った薔薇色で、鈍い、だが硬質な光沢を見せている。うねるような、細やかな模様を見せている。薔薇の花のようでもあり、嵐の雲のようでもあり、滄溟の波のようでもある。ただいえることは、静謐であるということだ。大理石が、すべての音を吸い込んでしまったように、静謐だ。

 彼女は、辺りを見回した。ここが、どこなのかまったく知らない。大きな、ドームを有する広間である。大理石の柱に支えられた天井は、かなりの高さがある。柱にも、天井にも、細やかな彫刻が掘り込まれている。幾何学模様や、アカンサス。窓から差し込んだ日の光が、塵を照らして、光の梁になっている。柔らかな、陽光だ。巨大なタペストリィが一面の壁にかけられている。緩慢に揺れているのが、風があるからなのか、まったくわからない。光の梁は、そのタペストリィを穏やかに照らしている。神話か何かを描いたのか、よくわからないが、アルカイックな絵柄である。それは、ほとんど抽象的であるようにも思える。

 彼女が立っている、一階には、何もない。ホールを廻るように設えられた、螺旋を描いた階段の、一段目が目の前にある。後ろを振り向いてみる。玄関廊になっていて、玄関の外は光に包まれている。その風景は、ぼんやりしていて、なぜか像を結ばない。彼女は、外を見るのをやめて、ホールへ視線を戻した。彼女の目の前には、ホールを廻る、螺旋の階段がある。彼女は、自然と前へ、脚を運び出した。

 意外なほど、硬質な足音がホールに響き渡る。彼女は少しだけ驚いた。だが、すぐに、気にすることなく、歩みを続けた。高い足音だが、ホールの静寂はそよとも崩れない。彼女は、螺旋階段の前まできた。階段を見上げる。ホールの正面には、巨大な肖像画が掲げられている。静かな瞳の、少女が描かれている。黒曜石のような少女の瞳。溟く、深く、ただこちらを見ている。

 彼女は、それを見ていると、涙が出てきそうになった。どこかで、見たことがある。確かに、彼女を、見たことがある。どこで見たのだろう。いつ、見たのだろう。彼女の顔を、記憶から探そうとする。だが、記憶? そもそも、なぜここにいるのだろう? ここは、どこなのだろう。私は、誰なのだろう。何も思い浮かばず、彼女の思考は白いままだ。

 何か、音がした。何かがぶつかったような、倒れたような、乾いた音。螺旋階段の、向こうのほうから音が聞こえてきた。耳を澄ませると、微かに、弦の揺れる音が聞こえる。一定の、和音を保っている。どこかに、エオリアンハープがあるのだろう。彼女は、音のしたほうへ向かおうと、階段を昇っていった。




 階段を昇っていくと、ホールから横へと伸びる廊下があった。廊下は、窓から差し込む光に、満たされている。音は、こちらからしたような気がする。彼女は、廊下へと歩みだした。向こうに見える、扉の一つが、わずかに開いている。部屋の向こうは、やはり静かで、誰もいそうにない。この建物には、誰かいないのだろうか。少女は、この世界に自分以外、誰もいないのではないかと思った。しかし、それはひどくあたりまえな事実であった。

 扉を開けると、そこは誰かの書斎であった。翳った部屋は、散らかっていたが、誰かが使っている様子はない。本が、机や床に散らかっている。黒い羅紗のカーテンが、風であおられて、波打っている。彼女は、本を一冊手にとった。黒革の装丁で、金文字でタイトルが記されている。何と書いてあるのか、読めなかった。彼女は、頁を捲った。中に何が書いてあるのか、やはりわからなかった。

 机の上には、何かをしたためたメモがある。彼女は、メモを手にした。地図が記されている。中央の建物は、このホールだろう。外の、一点に、印がつけられている。あとは、何も書いていない。

彼女は、地図に記された、印のあるであろう方へと向かった。




 白い扉を開けると、ヘヴンリーブルーの空が広がっていた。風が強く、綿のような巻雲が、蒼穹の上を煙のように横切っていく。建物の外は、なだらかな斜面の丘陵地帯で、背丈の低い草が生え、所々に、糸杉や、夾竹桃の潅木が生えている。あとは、何もない。丘陵の向こうも、見渡す限り丘陵だった。印のあったところに目を向ける。そこには、一本のポプラの樹が生えている。妙に伸び上がった、ポプラの樹だ。陽光に、木の葉が煌いている。風に揺れ、銀色に、瞬いている。彼女は、ポプラの樹のほうへと、向かっていった。

 ポプラの根元に、石碑のようなものがある。半ば崩れて、辺りの草叢に沈みかけている。陽光の下で、皓く光っている。彼女は、小走りに駆け寄った。石碑の周りには、亜麻の花が群生している。薄青い花弁が、風に揺れていた。彼女は、石碑の前にかがんだ。


“R.I.P. S.Miyanagi

 v.NOV.2052 - xxii.AVG.2066”


 文字は、装飾のない文字で、しっかりと刻まれている。だいぶ、歴史を経たものらしい。角が、磨耗している。彼女は、一文に、引き込まれた。何かを、思い出す。

「あっ、」

 ああ、彼女はやっと思い出した。がっくりと、ひざを落とす。うなだれて、言葉を失う。瞳が熱くなる。乾いた地面に、雫が滴った。

 昔暇つぶしで書いたもの。

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