ジェラシーと残り香
ブ、ブブブ、ブ、ブブブ、、
(あー、電話マナーモードにしっ放しだぁ。大量にメッセージが来てるな。)
開かない瞼と起き上がれない身体を、ベッドから這うようにテーブルにあるスマホに手を伸ばす。
『未読12件』
メッセージの送信相手は15年来の親友、未奈からだった。
『ロゼルージュの日本公演決定だよ!!!』
ロゼルージュは高校時代からのファンで、8年前に世界デビューしてからは、日本公演がほとんど無く、今回のライブは約10年振りだ。
未奈が興奮した文面で、イラストとどれだけ熱望していたかを連続でメッセージが届く。
彼女と私は高校生の頃から彼らを追い掛けてて、未奈はスタッフと知り合いになり、付き合い、のし上がり、少しのコネで現在は音楽系の雑誌編集に携わる仕事をしている。
『チケットも心配ご無用!東名阪、もちろん全部行くでしょ!?今回もプラチナチケットだと思うよ!』
そんな誘いに、久々に胸が高鳴る。
(ライブかぁー。ダラダラの毎日にやっとダイヤモンドが降って来たかな。)
私は親指を立てたイラストを未奈に送信した。
◻︎柊のやきもち
とある夜、コバルトエアーのライブ。
目黒のライブハウス。
ライブ後の打ち上げ、ロゼルージュのライブツアーに行くと言ったら、あからさまに柊が焼きもちを焼く。
それを見ていた別彼女の取り巻きに問い詰められる 面倒な夜。
つまらない打ち上げを抜け出して、タクシーで家に帰る。
帰りにいつものバーへ。
愚痴って帰る時、背の高い男とすれ違う(後の緋色)。マリンノートの香りが鼻に残る。
目的のできた日々は、それなりに色付いて見えて、繰り返しで退屈な昨日とは時間の流れ方が変わったかのようだった。
あれから毎日、ライブに向けての興奮したメッセージが未奈から送られてくる。
『メンバーの泊まってるホテルがわかった』とか
『連泊して観光しない?』とか。
そして、沢山のメッセージの中に柊からのメッセージが埋もれてた。
『金曜日、目黒でワンマンライブあるからたまにはおいでよー』
(金曜、って今日じゃん。)
急な誘いだと思っていたのは私だけで、メッセージが届いたのは月曜の事だった。
ふうっと一息ついて、かけ慣れた番号に電話をかけた。
「あ、店長?今日休みまーす。罰金、了解でーす。」
電話先の店長が何か言いかけたが、直ぐに通話を切った。
(よしっ。)
来週からロゼルージュのライブで大阪に行くし、ライブ自体久しぶりだったので柊にも顔を出すとメッセージをした。
目黒。
駅を降りて、坂を下って少し行くとライブハウスがある。
老舗ライブハウス。
色んな有名なバンドがここから産まれた。
ロゼルージュもそんなバンドの一つだ。
私が高校生の時は、たまにシークレットライブなんかをここでやっていたが、世界のロゼルージュとなった今は、もう帰ってくる事はないだろう。
ライブハウス入り口には『コバルトエアー』の文字。エントランスの周りには、ちらほらファンの女の子達が集まって来ている。
エントランスに入り、階段を降りると、すぐに受け付けのスタッフがいた。
名前を言ってパスを貰う。
チケットくらい買えば良いけど、いつも奢ってばっかりだから、こんな時くらいパスを頂いている。
でも、差し入れ持って来てるからあんまり意味はないんだけど。
さらに 階段を降りると、ステージのあるフロア。
中ではリハーサル中なのか大きな音がする。
もう一つ階段を下ると楽屋のある階。
私、この場所が好き。
階段降りると直ぐにベンチがあって、そこに座って、忙しく楽器を運ぶメンバーやスタッフをぼーっと眺めてるのだ。
楽屋に顔を出す前にベンチに座り込んでいたので、私を見つけた柊がスルリと隣に座る。
「顔出してよ。来てたんだ?」
「あ、うん。」
そう言って、ビニール袋に入った栄養ドリンクやビールを渡した。
「お、ありがとっ。」
膨らんだビニール袋を持って、柊は楽屋の中へ入って行くと、彼と入れ違いにヘアメイクの咲良が出てきた。
私と目が合うと、嬉しそうに近寄って来た。
「べーにぃー!久しぶりじゃない!てゆーか、珍しいっ!あんたがライブに来るなんて!」
咲良とは近所のバー、rapaceで会った。
容姿端麗で、小綺麗な男で指先まで気を使っているのが印象的だった。
そんな咲良は人懐っこく紅に話しかけた。
第一声が、
「同じ匂いがするわね」
会話をしていると、音楽やインテリア、雑誌の好みがまるで一緒。
また、ロゼルージュのファンだってことがわかり、完璧に意気投合した。
そして、そのバンドの後輩でもあるコバルトエアーのヘアメイクをやっているって事を教えてくれた。
ついでに、自分はバイセクシャルだってこともご丁寧に教えてくれた。
「絶対、コバルトエアー好きだと思うわ!今度ライブにおいでよ!メンバーも紹介するわ!」
半ば強引に誘われたライブから早6年。
これが、インディーズでそこそこ人気のあるこのバンドと咲良、柊との出会いだ。
ま、柊と今の様な関係になったのはもう少し後だけどね。
久々の再会にキャピキャピしていると階段の上から折れそうなピンヒールの足がテンポ良く降りてきた。
「おつかれさまですぅー。」
甘い声でメンバーやスタッフに挨拶し、ムスクの香りを残しながら楽屋へ入って行った。
「あの子の香水のセンス嫌いだわぁー。自己主張強すぎっ」
眉間にシワを寄せて、手のひらを鼻の前で扇ぎながら、咲良は楽屋へ戻って行った。
6:30
開場すると瞬く間に女の子達で一杯になる。
入り口付近のドリンクカウンターやステージの前も後ろも。
お気に入りのメンバーの前を陣取る為に人をかき分けて前へ行く子。
お決まりのフリをするのにスペースを確保する子。
鏡で化粧を直す子。
みんな大好きなメンバーに会う為に準備をしている。
ホールに入ってすぐ、左側に二階へ続く階段がある。
いわゆる関係者席だ。
関係者席っていっても特別な事は無く、ただ少しスペースが確保されているだけだ。
階段を登ろうとすると、後ろから咲良が声を掛けてきた。
「紅っ!要くんが呼んでるわよ!」
「え?」
要さんが私を呼ぶ時は大体パシリの時だ。
いつも何かを頼む時、なぜか私を指名する。他にもスタッフ居るのに。
人混みを掻き分けて、さっきの階段を降りて楽屋へ向かう。
コンコン
「おつかれさまでーす。紅ですけど、、、」
そこには鏡の前に座る柊と先ほどのピンヒールの女、瞳が居た。
明らかに敵対する眼差しで私を見た。
「要さんは?」
柊にたずねると、
「またパシリ?言う事聞かないでいいからね??」
ニコッと微笑んで指差した方に要は居た。
「あー!紅ちゃん!ごめん!スタッフ1人休んじゃって、関係者席でビデオ回してくれない?」
「ビデオ?いいけど?」
「おー、助かる!ありがと!打ち上げ出るでしょ?飲もうなー!」
私はどうしよっかなーっという顔で、ビデオカメラと三脚を受け取り、二階の関係者席へ向かった。
ビデオをセットして横で待機。
関係者席は綺麗に着飾った女の子と
先輩なのであろう、少し年上のバンドマンやレーベルのスタッフなど、思ったより混雑していた。
まだ始まらないステージを見つめていると、さっきの瞳の事が気になっていた。
(私が彼女の立場だったら凄い鬱陶しい存在だろーな。)
ピンヒールの華奢な足、眩暈を起こすようなムスクの香り、甘い声。
スニーカーとノースリーブのパーカの私は、彼女ってゆうよりスタッフだよね。
(少しは女でいた方が良いのかなぁ。)
(そしたら、もうちょっとキラキラした視界になったりしないかな)
そんなくだらない事を考えていると、SEが始まりライブが始まった。
黄色い声が会場に響き、メンバーが焦らしながら登場すると、さらにボルテージは上がった。
瞬きの様に変わる照明を眺めていた。
大きなアンプからの音も、目まぐるしく変わる照明も、私にとって心地よい空間。
十代の頃から包まれた大好きな空間だ。
その空気の中、ステージの上では大好きな男が四弦を弾いている。
ビデオカメラの液晶に映る柊にそっと触れた。
ライブが終わった会場は、少し耳が痛いくらいの静寂だ。
三脚とビデオカメラを片付けて楽屋に向かう。
興奮覚めやらぬ少女たちが、ライブの話に夢中になってたり、床に座ってメイクを直したりしていた。
その中、ひときわ目立つ子がいた。
まだあどけなさが残る、ショートカットの瞳の大きいスレンダーな女の子。
目は合ってはいないが、私を見ているのがわかった。
楽屋に入るとメンバーやスタッフが忙しく片付けをしていた。
私も咲良の手伝いをし、彼と共に会場を後にした。
ライブハウスから歩いて5分ほど行った所に打ち上げ会場はあった。
探し当てたファンの子が会場の居酒屋の前で溜まっている。
いつもメンバーが揃い打ち上げが始まるまで時間がかかるので、先に入り別の席で呑んでいる。
今日も咲良と先にビールを乾杯した。
「で、どうなの?最近は。」
「どうって?」
「柊よ!」
私はニヤっと笑い半分程のビールを飲み干した。
「別に、変わらないよ。束縛しないし、束縛されない。男も女もご自由に、って感じ。」
咲良は枝豆をつまみながら、眉間にシワを寄せた。
「あんた達、もう付き合い長いんだから、そろそろ考えた方がいいんじゃないの?」
(そんなのわかってるよ)
いつも思っている事を、他人から言われると少しだけ腹が立つ。
軽く頷いて私は店員を呼んだ。
「ビールくださーい。」
「ちょっと、聞いてる?何かアクション取らないと、あのドレンチェリーみたいな甘ったるい女に取られちゃうわよ!」
咲良が枝豆を持ったまま熱くなるので、その枝豆を奪い、つまみながら言った。
「取る、取られる、って感じじゃないんだよね。」
あからさまに大きなため息をついた咲良に、私は二杯目のビールを飲み干して、
「ねぇ、ダイヤモンドとか降って来ないかなぁ??」
「はぁ?」
宴会場には50人は居るだろう。
様々なバンドのアーティスト、先輩や 後輩、彼女や奥さんやマネージャーやレーベル関係の人、ローディーさん、沢山の人が座っていた。
要さんが私達を見付けると手招きをした。
「こっち座って!紅も今日はスタッフ扱いだから、打ち上げ代いらないから。」
そう言ってメンバーの向かい側の席に半ば無理やり座らされた。
乾杯の合図と共に次から次へとビール瓶が運ばれる。
ボーカルの七緖が紅の前に座って、乾杯をねだった。
グラスを合わせて「お疲れ様っ」とウィンクをして隣の柊の席をずらした。
「ライブ来るの久しぶりだよな?」
「うん、来週からロゼルージュのライブで大阪と名古屋行くから、その前にと思って。」
私は柊とは目を合わさず話した。
「え?そおなの?俺たちも来週から大阪だよ?すげー!大阪でもライブ来いよ!」
思わず「えっ!?」と言ってしまった。
全くそんな事考えても居なかったし、それに未奈と観光する予定も組んじゃってるし、予想もしなかった柊の言葉に思わず
「未奈と約束してるし、行けるかわからないよ。」
と、かなり冷たく言い放ってからはっとした。
「えー!なんだよそれー。来いよー!ホテルは?どこ?俺が行ってもいい?」
出た、柊の甘え攻撃。
この人の凄いところは、人目を気にせず、他の女が居ようがお構いなしで、甘えてくる。
向かいにいた柊は長い足でテーブルをまたぎ、当たり前の様に隣へ座り腰に腕を回した。
「ちょっ、瞳ちゃん来てるんでしょ?」
「大丈夫。今日の打ち上げはスタッフだけって言ってあるから。」
なんとなく、今日は柊の隣の居心地が悪かった。
「ちょっとトイレ行ってくる。」
コップに入ったビールを飲み干して席を立った。
トイレの個室から出ると、鏡の前に瞳が居た。
「あの、いい加減にしてもらえますか?」
「へ?」
あまりの突然の言葉に、気の抜けた声が出てしまった。
「柊は優しいんです。だから、あなたにも優しいんです。余計な事を言わないでください。あなたのせいで私も柊も迷惑…して…るんです…」
息もつかずに言い切ったと思ったら、泣き出してしまった。
(あたしが泣きたいんですけど。)
泣き声のタイミングで、外で待機していたのであろう取り巻き達が、トイレ内に入ってきた。
そして私の悪口大会が始まった。
(あー、もう、だから嫌なんだ。)
そう、数ヶ月前のライブの時もこんなんだった。
打ち上げ最中に瞳が泣き出して、みんなでフォローに回って、全然飲めなかったんだ。
私はハイハイといい、彼女らの横を通りトイレを出た。
(つまらん。)
これ以上ここに居ると、さすがの私もキレてしまいそうなので、そっと荷物を取り店を出た。
タクシーの拾える通りまで歩いて居ると、
「大変ですね。」
振り返ると、さっきライブハウスに居たショートカットのかわい子ちゃんだった。
「さっき、みてました。私、紅さんの方が柊さんとお似合いだと思います。」
「え?なんで私の名前…」
「あ、有名です。背が高くてかっこいいお姉さんだし、柊さんの彼女さんだって。」
怪訝な顔が戻らない。
歩く私の歩幅に合わせて、その子はちょこちょこと着いてくる。
「メンバーの彼女さんて大変ですよね。私尊敬しちゃいます。柊さんもお優しいから他の女性がほっとかないんですよね。」
「あ、ごめん、私、彼女じゃないから。」
「え!そ、そうなんですか?何かすみません。えっと、本当にごめんなさい。」
必要以上に謝る彼女を見て、こちらまで申し訳なくなり、
「いや、別に気にしないで。」
そう言って、向こうから来たタクシーにを上げた。
乗り込む私に彼女は
「あ、詩穂です。新崎 詩穂です。」
私、多分顔ひきつってる。
作った笑顔で軽く会釈をしたら車が出発した。
(なんなの、なんなの。ちょっと怖い。)
とりあえず、帰った事を咲良にだけは伝えたかったので、携帯を出してメッセージを入れた。
窓の外、シートに身体を沈めてまだ暗い街を眺めていたら、自然とため息が出た。
(…ラパーチェ寄ってこ。)
カラーンカラーン
ドアを開けると、シルバーのガムランボールが来客を奏でるこのお店。
マスターの強志さんは年齢不詳だが、いつも取り留めの無い私の話を聞いてくれて、時には怒り、時には慰めてくれるいわばお父さんのような存在だ。
「いらっしゃい。今日は遅いね。」
「強志さんー!聞いてぇー!」
今夜も太陽が昇るまで愚痴大会だ。
やっと美味しいビールにありつけた私は、時間を忘れて朝まで喋り続けた。
怒りに任せて飲み続けたせいか、さすがにアルコールが回ってきたので強志さんにお会計をしてもらった。
帰り際に、
「ねぇ、紅ちゃん。ダイヤモンドも降って来るの待ってないで、こっちから向かって光らせるくらいしないと駄目な場合もあるよ。」
強志さんの言葉ってどうしていつもキラキラしてるんだろう。
足元はフラフラだけど、今日一番の笑顔が作れた気がする。
軽く手を振り、入り口のドアノブに私が触れるよりも早く、ガムランボールが来客を奏でた。
「強志くん、まだ大丈夫?」
170センチの私より背の高い、ニットをかぶり、メガネをかけた男が入ってきた。
私は気にせず、その人の横を通り外へ出た。
昇りたての太陽に、彼の香水だろうか、マリンノートの優しい香りがまだ残っていた。