勇者、部屋を出る
長瀬英明は憂鬱な気分で畳敷きの自室に篭もっていた。
まだ二十歳を少し過ぎた程度の若者だが、その顔には年に似合わない深い懊悩が刻まれている。
何度も部屋の壁掛け時計に目を向けるが、針は一向に進む様子がない。
純和風の屋敷はこの時代だというのに障子と襖で各部屋を遮っており、白い和紙越しに陽光が部屋の中に注ぎ込んでいる。
今頃は本家の跡取りである楓が、招来の間で守護霊召喚の儀を執り行っているはずだ。
「……暗殺、ね」
その単語を舌の上で弄ぶ。それはとても苦い味がした。
自分が命じた事とはいえ、あまりにも心持ちの悪い響きに自嘲する。
別段、英明は彼女に対して何か悪感情を抱いているわけではない。
あの気位の高さには辟易させられることもあるが、その境遇を思えばむしろ同情の方が強い。
英明は本家の跡取りが誰もいなかった時に、その跡を継ぐことになっていた。
それは生まれた時から決まっているだったが、まさか本当にその時が来るとは周囲も彼自身も思っていなかった。
それが本家の人間がバタバタと死に、気が付けば残っていたのはいつ死ぬか分からない病の床の当主と、彼が妾に産ませた娘だけとなってしまった。
長瀬の血を引く者は総じて短命だ。
それは長瀬の祀る神、鳴神様――ナルイカヅチの影響だろう。
死を司るその神はかなり昔から長瀬の家の守護霊を辞めたがっていた。
だが長瀬の初代当主との契約によりそれは叶わず、年を経るごとに荒神としての性質を強くするばかり。
実のところ、本家の人間が全員死に絶えるという事態はこれが初めてのことではない。
その度に英明のような分家の人間が跡を継ぎ、長年暴れたがる死神をこの家に封じてきたのだ。
問題なのは最後の長瀬家本家の生き残りである楓が、鳴神と守護霊として契約するだけの巫力を持っていないということだ。
現当主が学生時代に出会った一般人の娘に産ませた子であるから当然であるのだが、このままでは鳴神が契約の楔から解き放たれてしまう。それが問題だった。
家の慣習ではそういう時、彼女のような存在は自害することになっている。
だが彼女はそれを拒み、こうして守護霊召喚という悪足掻きまでしている始末。
「だからと言って暗殺など……まさに呪われた家だな」
彼女の儀式に同行させた護衛は全員、英明の息がかかった者だった。
周囲に配置した人員も全て同じ。彼等は鳴神を封じる長瀬の使命を重く見る人間だ。
もちろん中には英明が長瀬の家を継ぐことで甘い汁を吸おうとする者や、単純に今の本家に対して不満を持っている者もいる。
中でも実際に楓を暗殺する役目を負わせた四人の男達。彼等は特にそういった俗な欲望を持つ者達だった。
本来ならとても信頼できる人間ではない。
特に彼等のリーダー格の男は、典型的な『巫力を持って生まれた人間は特別な存在』という選民意識を持っており、無力な楓を心の底から馬鹿にしている。
「だが、だからこそ良いのだ」
相手はまだ十五でしかない少女なのだ。どんなに崇高な理由があれ、それを殺すとなればどうしても刃が鈍る。
だがあの男達なら躊躇なく、どころか嬉々として彼女を消してくれるに違いない。
事が終わった後は、男達の口を封じる手筈は整っている。所詮、欲で動く人間だ。いつか今回のことを理由に、英明を強請ってくる可能性が高い。
命令を下した以上、英明に出来るのはこうして成功の報告を待つのみ。
だが落ち着かず部屋の中をウロウロと歩き回る。
「英明様!」
その時、部屋の障子が勢い良く開き、英明付き下男が転がるようにして部屋に入ってきた。
「どうした、騒々しい」
それで計画の成功を確信しながら、英明は素知らぬ顔で下男に尋ねた。
この下男は長年英明の下で働いていたが、長瀬の血も薄く今回の暗殺の件について何も知らない。
だから楓の死にこれほど動揺しているのだろう。英明はそう思っていた。
「ぞ、賊です! 金髪の男が屋敷の人間を次々と!」
「……なんだと?」
だからその言葉は予想外で、英明はぽかんと口を開けた。
だがそれが事実であることを知らせるかのように、開いた障子の向こうから人の怒声や悲鳴のような音が聞こえてくる。
しかもそれは徐々にこちらに近付いてきているようだった。
「金髪の男……? 楓様はどうした?」
「分かりません! 突然屋敷の中に現れて……英明様は早くお逃げ下さい!」
「そんな訳に行くか!」
英明は立ち上がる。
状況はまったく分からないが、呪術界の名家である長瀬の屋敷が襲撃を受けているのだ。
まだ当主ではないが、今の長瀬の家でちゃんとした指示を下せる人間は英明の他にはいない。それが一番に逃げ出すことなど出来なかった。
下男を引き連れて縁側を早足に音の発生源に急ぐ。
現場が近付くにつれ戦いの音は大きくなる。
「がはっ!」
中庭の見える場所へと辿り着いた時だった。
そこに英明の目の前に大の男が殴られ宙を舞う姿があった。
「なんだこれは」
英明は呆然と呟いた。
そこで繰り広げられているのはあまりにも一方的な戦いだった。
金髪の男がいた。外国人らしい風貌のその男は、なぜか着物を着ていた。
しかし着方が分からなかったのか、襟は左前だし、帯も空手着のように適当に結ばれている。
そして、その手には屋敷の人間から奪ったのか一本の刀を握っていた。
そのたった一人に長瀬家の誇る武闘派が圧倒されていた。
長瀬の人間が使う憑依術は契約した霊や神を、自分の体に降ろしてその力を使う実戦的な技だ。
例えば凄腕の剣士の霊と契約したとするなら、その剣の技を使えるようになるだけではなく、その身体能力を自分自身のそれに上乗せできる。
極端な話、何の特技も無い一般人の霊を降ろしたとしても、大人二人分の力で暴れることができる。
それが全く意味を為していない。
それほどまでに男の動きは凄まじかった。
多数を相手にしながら全く苦戦している様子がない。
今、英明の前で気絶している男などは、熊の動物霊と契約し人間を超越した力と耐久力を持つ凄腕だ。
それがたった一撃で吹き飛び意識を奪われている。
しかも驚くべきことに見る限り、たった一人として命を奪われている者もない。
見たところ妖怪妖物の類ではないようだが、もしかすると自分達の憑依術のような術を行使しているのかもしれない。
「何をしている! 銃を使え!」
堪らず英明は叫んだ。
接近戦ではたとえ何人で掛かっても勝てるとは思えない。
その命令に男達が懐から拳銃を抜き放つ。
一騎当千の動きをする金髪の男が、それを見て驚いた顔をする。
まさかこの日本で銃が出てくるとは思っていなかったのだろう。あるいは呪術士が現代兵器を使うのが予想外なのか。
だが例えどんなに凄腕の武芸者や呪術士だろうが銃の前には敗れるのが道理。
引き金が引かれ、屋敷の敷地に火薬の爆ぜる乾いた音が連続して響く。
「なんだと…」
次の瞬間、目の前で起こった出来事に英明は状況も思わず忘れて立ち尽くした。
金髪の男は自分に放たれた弾丸を避けようともせず、
斬り落とした。
いや正確には飛来する弾頭を、刀の腹で叩いて進行方向を変えたのだろう。
言葉にすらばたったそれだけのこと。だがそれは飛んで来る銃弾の軌道を完全に見切っていなければ不可能な芸当。
それも一発だけなら奇跡でも起これば可能だろう。だが男は自分に向かって放たれた音速の攻撃を全て打ち落としたのだ。
どころか刀で弾を弾きながら、逆に銃を撃つ相手に向かって距離すら詰める。
中庭に金属同士がぶつかる甲高い音が続く。
やがて距離がゼロになる。
銃の間合いを踏み越えて、刀の届く距離へと到達する。
――数秒後、その場に立っているのは金髪の男と英明だけとなっていた。
男と戦っていた者達は地面に無様に転がり、痛みに呻き声を上げるばかり。
一太刀斬られて戦意喪失した者はまだマシで、一度斬られても構わず戦闘を続けようとした者は両手両足の関節を砕かれて強制的に身動きができなくされていた。
『よぅ、アンタがこいつ等の親玉かい?』
男が刀に付いた血を振り払いながら近付いてくる。
驚いたことに男が話しているのは神代の言葉だった。
『……お前は一体何者だ?』
英明は精一杯の抵抗として男を睨み付ける。
自分が目の前の相手に勝てる訳がないのは、否応なく理解させられてしまっている。
手向かうことは愚か、逃げることも適わないだろう。それ程の力の差がある。
『お、アンタは言葉が通じるのか。いや、目的地まで案内しようと思ったら突然襲われてびっくりさせられたぜ』
英明が同じ言語で返事をしたことに、男は嬉しそうに笑う。
『なにちょっとこの家の神様とやらに用があってね』
『鳴神様に……?』
男はどこまでも気楽な様子で肩を竦めて見せる。
だが英明は更に困惑の表情を強くするばかりだ。
『一体、鳴神様に会ってどうしようというんだ。言っておくが、あの方は人間の言葉に耳を傾けるような神ではないぞ』
その問いに男はニヤリと笑って答えた。
『なに、我侭な神様にちょっとお仕置きをしてやろうと思ってね』
ついに部屋を出ました!
やったーばんざーい!
宣伝ですが現在別作品も同時に連載中です。
http://ncode.syosetu.com/n4030bl/
なろうの作品としては書き出しがたるいかも知れませんが、読んでいただければこの上なく嬉しいです。