応急処置と状況把握
「まあ、話は後だ」
こちらを睨みつける楓に向かって、光秀は鷹揚にそう言った。
そうして、太ももから血を流してもがき苦しむ男の傍へと歩み寄った。
「た、助けて……」
「ああ助けてやる。だから妙な真似はしないでくれよ」
額から脂汗を流しながら命乞いする男。光秀はその男の傷を検める。
あの刀はなかなかの業物だったのだろう。我ながら顔を顰めたくなるほどに、すっぱりと肉が切り裂かれている。
「おい、あんた。何か布と、あと縛る物ないか?」
「いいから私の質問に答えなさい! お前は何者だ!」
眉を吊り上げる楓をあえて無視する。
男の傷は深い。今も傷口からは新しい血が噴き出すように流れ出している。
急いで応急処置しなければ失血死してしまうだろう。
楓からは最初の巫女じみた雰囲気はなくなっている。代わりに放たれるのは傲慢な子供の気配。
光秀はこういった、相手より自分が偉いと信じて疑わない連中をよく知っている。
貴族だ。
昔からどうにも気に喰わない。王となってからは彼等も光秀のことを表面上は敬ってくれてはいるが、影では『剣を振り回すしか能のない王』だの『女を誑かして玉座に座った男』などと口さがない。
もっとも、どちらも本当のことではある。あるが、だからといって腹が立たないかといえば別の話だ。
光秀は男に対して回復魔法を使おうとして舌打ちする。
彼が覚えている回復魔法というのが精霊魔法だったからだ。
仕方なく光秀は再び楓に話しかけた。
「悪いが回復魔法を使える人を呼んでくれ。それとも、まだ呪いは解けてないのか?」
普通の魔法なら術者が意識を失えば、その効果は切れるはずだ。
事実、楓と徳爺の二人は最後の男を光秀が倒した時から動けるようになっている。
「は? 回復魔法?」
「……もういい、大体分かった」
楓の反応からすると、なんと回復魔法すらも一般的ではないらしい。
とすると、まさか怪我人は治療不可能なのだろうか。
そんなことを考えていると、それまでムッツリと黙ったままだった徳爺がゆっくりと口を開いた。
「残念ながら人を呼ぶことはできません」
「そりゃあ、穏やかな話じゃないな」
目の前で人が死のうとしているのに助けようともしないのか。
幾ら自分達を殺そうとしたとはいえ、少なくとも顔見知りだろう。
眉を寄せる光秀だったが、自分に刃を向けた人間まで助けようとする自分の考えの方が変だという自覚はあるので、深く息を吐いて沸きかけた感情を押し出した。
「出来れば理由を教えてもらいたいな。……あらかじめ言っておくけど、アンタ達を殺そうとしたから見捨てるって理由なら、俺の方で勝手に助けさせてもらうぜ」
「……そんなこと言いながらなんで服脱いでんのよ、変態なの!?」
楓が悲鳴を上げた。
まぁ、キメ顔で台詞を吐いている男が、何の前触れもなく着ていたバスローブを脱ぎだしたら、そんな反応をするのも当然だろう。
光秀としては、甚だ不本意な反応ではあるが。
「アンタ等が傷塞ぐモンをくれないからだろうが。俺だって好きで脱いでるわけじゃない」
脱いだバスローブで男の傷口を塞ぐ。見る見る内にタオル地に血が染み込み、色を朱へと変えていく。
「自分で押さえられるか?」
光秀の問い掛けに男はコクコクと頷く。
男が己の傷口をしっかり押さえるのを確認して、光秀は顎が砕けた若い男や肩に槍の刺さった男の容態を確認する。
両者とも意識を失っていた。
顎が砕けた男の方は重症だが即座に死ぬということはないだろう。槍の方は刃先が刺さったままになっているのが幸いしたのか出血はそれほどでもない。
意識を取り戻した時に槍を抜かないように言えばそれでいい。
殴り倒した年かさの男については言うまでもない。
殴った段階で自分の今の身体能力についてはある程度把握出来ていたので、十分に加減が出来ている。単純に脳震盪で意識が飛んでいるだけだ。すぐに目を覚ますだろう。
とりあえずの応急処置が済んだことを確認して、光秀は改めて自分が助けた少女と老人へと向き直った。
素っ裸なので見た目はアレだが、ここで恥ずかしがったら負けのような気がした。
「慣れたものですな」
「まあ、昔取った杵柄ってやつさ」
感心した様子の徳爺にニヤリと笑って答える。
さて、この目の前の爺さんは次に一体どんな台詞を口にするのか。そんなことを考えていた光秀は、徳爺が取った行動に驚いた。
「……おい、そりゃあ一体どういうつもりだい?」
徳爺は光秀に向かって、床に正座すると深々と頭を下げたのだ。
しかも翻訳の魔法の篭もった呪符を、額から外している。
「ちょっと爺!?」
光秀以上に驚いたのは、老人の隣に立っていた楓だ。
驚愕と戸惑いの混じった表情で彼を睨んでいる。
だが徳爺はそんな少女の視線を無視して、光秀へと語りかける。
『かしこみ申し上げます。名のある神とも知らず働いた、我等の無礼をどうぞお許し下さい』
「……!?」
光秀は目を見開いた。自分の耳を疑う。
徳爺の口にした言葉、それが彼の知っている言語だったからだ。
と言っても、光秀の治めるシュバート帝国や周辺諸国で使われている言葉ではない。
神代語。
地域によっては精霊語と呼ばれる言葉。
世界を創造した神々が使っていた言葉。地上に遍く全ての言語の元となった言葉。
今ではその殆ど忘れ去られ、神に仕える神官や精霊使いなどの一部が、僅かな単語のみを覚えている失われた言語。
徳爺が口にしたそんな古い古い言葉だった。
『……俺が神? 一体、何の話だ』
対して、口を開いた光秀の口から放たれたのもまた神代語だった。
頭を下げたままの徳爺の体が揺れる。
『我々が為していたのは、貴方様のような祀られぬ御霊を常世に招く儀式で御座います』
『祀られぬ……つまり俺は死んでいるって言いたいのか?』
『……召喚に応じ顕現なされたということはそうであろうと存じます』
『ボディ・スキャン』の呪文で自分の心臓が動いていないのは確認済みだ。
だからショックがないといえば嘘になるが、他人にその事実を突きつけられるの楽しいものではない。
そもそも、こうして動いて考えているのだから死んだという自覚を持つのは難しい。
とりあえず光秀は色々な疑問を横に置いて、自分に向けて頭を下げる老人の勘違いを正すことにする。
『期待を添えなくて悪いが俺は神じゃない。ただの人間だよ』
『長瀬の家が責を持って、貴方様を神として崇め奉り申し上げます』
『……なんだって?』
老人の言葉に光秀は間の抜けた表情をする。何しろ、それぐらい徳爺は常識外のことを言った。
彼は『長瀬家が光秀を神として崇める』と言った。それはつまり『光秀が神だから崇める』のではなく、『長瀬家が崇めるから光秀は神となる』という意味だ。
『それは……創造主に対する冒涜じゃないか?』
何とか搾り出した光秀の言葉に、徳爺は顔を上げた。だがすぐに得心がいったと言いたげな表情を浮かべる。
『なるほど、明智様は基督教の方でしたか。この国では貴方様のように傑出した人物を神として迎えるのです』
なんともいい加減な信仰だと光秀は思った。
世界中を旅した経験のある光秀だったが、人間霊を神として崇める宗教など聞いたことがない。
もちろん世の中には竜や精霊を信仰する人々もいる。だがそれはあくまで竜や精霊を崇めているのであって、それらを神々と同一視するわけではない。
『……そんなことをして神。ああと、この場合は創造神のことだが。彼らは怒らないのか?』
『残念ながらこの世界を創造した神とは誰も出会ったことがありません』
『そんなわけがないだろう』
光秀にとって世界の創造神とは現実に確かに存在するものだ。
神官達は神の声を聞くし、その神の力を借りて奇跡を起こす。
そもそも、今光秀が話している神代語を教えてくれたのもその創造神の一人だ。
うっかり魔王に封印されたり、人に勝手に勇者なんて運命を背負わせたまま放置したりと、なかなかにアレな連中なので光秀個人としてはあまり敬う気持ちはないが、存在することだけは確かだ。
第一、光秀達が今話している言葉である神代語自体、神々の言葉なのだ。
神々が存在していないというのなら、老人が使っているこの言葉は一体誰に教わったものなのだという話になる。
「……そういえばここに飛ばされる前、その神様の声がしたような気がするな」
『明智様?』
『ああ、いや悪い。なんでもない』
思わず帝国の言葉で呟いた光秀は、徳爺が不安そうな声を出すので言語を神代語に戻した。
同時に大いに話がずれていることにも気付く。
現状を認識するのも大事ではあるが、それ以上に自分が倒した男達の傷の治療を優先するべきだ。
『それで、それとこいつ等を助けられないこととどう関係があるんだ?』
『当たり前でしょう!』
だが声を上げたのは老人ではなく少女だった。
しかも額の符を外して神代語で話しかけてくる。少々、訛りがあるものの流暢なものだ。
もっとも裸の光秀を見ないようにしているので、視線は下に向いたままではあるが。
『彼らは私に刃を向けたのよ! 死を持って罰とするのは当然だわ!』
『なるほど、言いたいことは分かる。だがこの日本という国には司法機関はないのか?』
『分家とはいえ長瀬家の人間を警察に引き渡せるわけがないじゃない!』
楓の物言いに光秀は深く息を吐いた。
面倒な少女だ。
自分が知っていることは相手も承知しているのが当然といった感じで話してくる。
ただ会話するだけでも我慢を必要とする。倒れた男達が謀反を企んだのも仕方がないのじゃないか、そう思えてきてしまう。
『……おい、爺さん。俺は神様なんじゃなかったのか』
だから堪らず光秀が徳爺に助けを求めたのも仕方がないことだといえる。
別に自分が神であることを許容した訳ではないが、少なくとも目の前の少女の態度は神に対するものではない。
『それは……』
『神なんて言ったって、所詮は生きた人間の魔力がなければ現世に留まれない亡者のくせに!』
何事か言おうとする徳爺を遮って、楓は憎しみすら混じった声音でそう吐き出した。
その一言で光秀は自分の置かれた境遇を理解した。
『……なるほど、神だなんだと持ち上げたところで俺の扱いは召喚獣ってことか』
異界から呼び出され、召喚者の魔力を餌とする代わりに力を貸す召喚獣。
その中には呼び出された時だけではなく、契約を交わして恒常的に現世に留まり続ける者もいる。
見れば、暗くて分かりにくいがこの部屋の壁には何やら複雑な文様が刻まれている。
恐らくは魔法封じ。内部に閉じ込めた魔の者を、外に出さないようにするための術式だろう。
彼等の今までの反応から判断するに、本来『神』は肉体を持たない存在なのだろう。
魔法陣によって呼び出された『神』は、召喚者と契約して現世へと留まる。だが契約しなければ実体を持たない『神』はこの部屋から出ることも出来ず、元居たいずことも知れぬ場所へと帰るだけで済む。
契約を望む者は守護霊として従え、それ以外の者は元いた場所へ帰す。
ここはそういう魔法を行使するための部屋なのだ。
『だが俺は体があるぜ。別に君と契約しなくても、自分の足でこの部屋を出て行けるのさ』
『そんなの、うまくいく訳ないじゃない!』
『少なくとも君の守護霊とやらになるよりは楽しそうだ』
その言葉に楓は黙り込む。
我ながら大人げなかったかと光秀は思うが、この少女を相手にしている限り進む話も進まない。
光秀は視線を徳爺へと向ける。
その目の意味を察したのだろう。徳爺は気まずそうに咳をしながらも話し出す。
『その男達は長瀬家の分家の者でございます』
それは今までの話の流れで十分に分かっている。問題なのは幾ら自分達を襲ったとはいえ、彼を治療する者を呼んではいけないということだ。
『分家の者達は霊具などを作るなどして本家を支えていたのですが、今回はこれに影縛りの呪いが込められていたのです……。
問題なのはこれがこの男達個人では不可能な事だということでして』
そう言うと徳爺は懐から大量の呪符を取り出した。
それにさっと手を掲げると、その符に書かれた文字がグニャリと歪んだ。
「やはり」と苦々しげな表情で老人は呟く。
『私が持っている霊符のほぼ全てに呪いが仕込まれていますな。こんなことは分家の者が総出で手を貸さねば無理な仕業でございます』
『そんな……!』
大きな反応を示したのは、光秀と徳爺の会話を憮然とした表情で聞いていた楓だった。
『それじゃあ、これは計画的な犯行だってこと!?』
『左様』
『左様って……』
重々しく頷く老人に、巫女姿の少女は歯を食い縛る。
『じゃあ、この部屋の外は敵だらけってことじゃない』
『……なるほど、そういうことか』
ようやく合点がいった光秀だった。ここに辿り着くまでに随分と遠回りの会話をしてしまった気がする。
有益な情報も幾つかあったので決して無駄とは思わないが徒労感はある。
『分家の人間ってのは、そんなに多いのか』
『当然ですな。本家の方で屋敷にいるのは二十八名、後は全員が分家のものです。
どこまでの人間がこの度の謀反に関わっているかは分かりませんが、逆に言えば誰が信用できるかも分かりません』
こめかみを押さえる徳爺。そんな表情になるのは当然だ。
どうやらこの場所は屋敷の一室らしいが、外にいるのは敵か味方か分からない人間ばかり。そんな中で助けを呼べば、わざわざ部屋の中に自ら刺客を招き入れるようなものだ。
そして、今回のこの襲撃が計画通りのものならば、恐らくこの部屋のすぐ外にいるのは全員謀反を企てた人間で占められているだろう。
『しかし、分からんのはこいつ等謀反など起こして何が目的なんだ?
順当な線なら当主の座、それに付随する金や権力といったところだろうが』
そんな光秀の疑問。
『決まってるわ、奴等の目的は私の命。そう決まってるじゃない』
それにそう答えたのは、自虐的な笑みを浮かべた楓だった。
なんだか突っ立ったまま会話を続ける回になってしまいました。
さらに文字数が一万を超えているのに、全員最初の部屋からまだ出ていません。
果たして次回、光秀達は部屋の外に出れるのか。