勇者は風の魔法を唱えた!
闇が支配する空間に哄笑が響き渡った。
楓と徳爺が驚いた顔で背後を振り返る。
「いや、失敬。思わず笑ってしまうのを止められませんでした」
四人のモブ男の中でも最年長の男が、可笑しくて堪らないといった様子で言葉の端に笑いの色をつけたまま言った。
光秀はピクリと眉尻を振るわせる。
自分が皇帝であり勇者であると名乗ったことがそんなに面白いのか、と。
思わず殴りかかりそうになった光秀だったが、それを実行しなかったのは男がこちらを見ていなかったからだ。
「まったく、傑作ですよ楓様」
男の嘲りの視線は、光秀ではなく真っ直ぐに楓へと向けられている。
「鳴神様との受け霊も出来ぬひるこの上に、ならばと望みを託した守護霊も生きた人間を呼び出す始末。情けなさに笑いもします」
……何言ってるのか、さっぱり分からん。
分からんが、どうやら自分を召喚したことで楓は馬鹿にされているらしい。
「幾ら長瀬本家の血筋と言えども、所詮は何の力も持たん女に産ませた子ということか」
「……貴様、母上まで愚弄するつもりか」
それまで顔を険しくしながらも黙って聞いていた楓だったが、話が親のことまで及ぶに至ってついに声を上げた。
すっと両足を肩幅に開き戦闘体勢を取る。
「一体、何のつもりじゃ。流石に今の発言、軽口と見過ごすわけにはいかんぞ」
徳爺も声を硬質にする。
だが男はそんな反応に、なおさら可笑しそうにくつくつと笑った。
「……いい加減、飽き飽きなんですよ。伝統を無視し、その上ロクに霊能力を持たないガキに頭を下げるのはね」
男達はこちらへと明確な敵意を持って武器を向ける。
「守護霊降臨の儀に挑んだ楓様と徳永翁は、顕現した守護霊の制御に失敗して残念ながらお亡くなりになる。そういうことになりました」
どうやらお家騒動勃発らしい。
醜い限りだが皇帝という立場上、光秀としても全くの他人事と思える話でもない。
特に彼の帝国は一代で幾つもの国家を統合したため、内部にこういった問題を抱えまくっている。
恐らく、自分の死後は跡継ぎ問題で荒れに荒れるだろう。
光秀は片手に持ったままだったサンドイッチの最後の一切れを口の中に放り込む。
それを十分に咀嚼して飲み込んでから、光秀はずいと足を一歩前に踏み出した。
「あー、なにやら盛り上がってるところ悪いが。少し確認したいことがある」
出来るだけフレンドリーな雰囲気を作って話しかけるが男は無視する。
額に翻訳の呪札をつけたままなので言葉は通じているはずだが。
ちなみに額に紙札をぶら下げたまま真面目な会話をしている姿は、冷静に見てみると非常にシュールだ。
だが光秀は構わずに言葉を続けた。
返事がなかったとしても、それはそれで答えだ。
その答え次第によっては彼等はとても可哀想なことになるが、その時は諦めてもらうしかない。
「君達はクーデターを企てているようだが、それが成功した場合の俺の扱いはどうなるんだ?」
楓と徳爺は、光秀が自国に帰るまでの協力を約束してくれた。
では目の前の男達はどうか。
光秀の問いかけに男は一度だけ目蓋を閉じた。
再び開いた瞳。そこには不断の決意があった。
「巻き込まれてしまった君には申し訳ないが、ここで起こることを外に漏らすわけにはいかんのだ」
「なるほど」
口封じとして殺す。
分かりやすい返答に光秀は笑った。
こちらを最低限気遣ってくれている男は、決して根っからの悪人というわけではなさそうだ。
だが、こちらに対して害意を明らかにした以上は敵である。
光秀は静かに手を掲げ、体内の魔力を練り上げる。
「天駆ける自由なる風の精霊よ。激しく舞い踊れ、我は汝に焦がれる者なり」
朗々と詠唱を開始する。
こんな室内で炎の魔法は危険だろう。風の衝撃波で行動不能にするのが定石だ。
世界に遍く風の精霊へと呼びかけ、自らの魔力を発動体にして世界へ変革を促す。
風の初級魔法ではあるが、牽制としては十二分に役に立つ。
そして構成の完成した魔法を、世界に対する変革の宣言と共に打ち放つ!
「ウィンド・ブラスト!」
かくして魔法は完成し、何もない空間から突如として発生した衝撃波が男達を襲い――
かからなかった。
「……あれ?」
堂々と魔法を放った姿勢のまま、光秀は首を傾げる。
闇が支配する空間に光秀の声が空しく、ただただ虚しく響き渡った。
……なんで魔法が使えない?