ありがちな異世界召喚
光が収まる寸前、神はこう言った。
「アンタ、やり過ぎ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
気が付けばそこは見たこともない場所だった。
「あ?」
バスローブ一枚という格好で光秀は眉をひそめた。
口が大きく開き、呆然といった表情だ。
頭は寝癖でボサボサで見るからに寝起きといった姿。
何が起こったのか分からない。
記憶が確かならば昨日は寝るのが遅かったこともあり、昼近くまでベッドでダラダラしていた。
そして行儀が悪いがベッドの上でブランチを食べようとしていた矢先だったと思う。
その証拠に光秀の手には食べかけのサンドイッチが握られていた。
今、光秀が立っているのは暗い部屋の中だった。
昼間だというのに窓の一つもないため完全な闇が落ちている。
壁際に置かれた蝋燭立ての光だけが唯一の光源。
足元には見たこともない魔方陣らしきもの。
それは最初は燐光を放っていたが、それも徐々に消え今ではただの床の模様となっている。
部屋の中には光秀以外に六人の人間がいた。
その内訳は少女が一人に、その他大勢。
光秀の正面に立つ少女は端的にいってかなりの美少女だった。
まず何より腰まで伸びた長い黒髪が目につく。長い髪というのはあれでかなり手入れが大変なものだが、彼女のそれはツヤツヤと輝き、触れば水のように指の間を流れ落ちるだろう。
小さな顔には切れ長な目。その奥の焦げ茶色の瞳には強い感情の輝きが灯り、溌剌な印象を与える。
もう十も年を重ねれば、それは色気へと置き換わるだろう。
だが何よりも光秀の目を惹いたのは彼女の胸の膨らみ。
十五かそこらだろう年には不釣合いに実った大きな果実が、白い巫女装束に似た衣装の上からでもはっきりと分かる。
尻の方は年相応に薄いのが残念であるものの、そのアンバランスさはそれはそれで、そそられるものがある。
今年で二二となる光秀だったが、あまり大きな声で言える話ではないがこの年齢は十分に対象年齢である。
少女は美しい。できればずっと眺めていたいが、問題なのはむしろその他の有象無象だ。
全員が男。その内の一人は今日にも死にそうな年寄り。だがその所作にはまだまだ覇気があり、光秀に向かって警戒心も露な視線を向けてくる。
残る四人は下は十代、上は四十代ほどの年齢は様々な男。見慣れぬ鎧を纏い、その手には鋭く光る武器を持っている。
刀はすでに鞘から抜かれ、槍の切っ先は光秀に向かって突きつけられている。
全員が着物のような服を着ていた。
誘拐。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
知らない間に意識を奪われ、こんなところに連れて来られたのか。
だとしたら彼らの目的は何だろう。金か、それとも光秀の命か。
光秀が意識を取り戻した時の姿勢から微動打にしないまま、周囲の状況を探っていると、目の前に立つ少女が巫女服という清廉であるべき姿には不釣合いな、腰に手を当て胸を張るといった動作をした。
どうやら巫女服の下はノーブラらしい。動いた拍子に大きく揺れる胸の動きを凝視してしまったのは不可抗力であると弁明したい。
そして少女はそのまま何かを宣言するかのように大仰な様子で口を開き。
「……※※※※※※※※※!」
さっぱり意味の分からない言語を口にした。
「え、何もう一回言って」
思わず自分が聞き間違いしたのかと錯覚したほどだ。
何しろ向こうは、こちらに言葉が伝わると信じて疑っていない様子で話しかけてきたのだ。だとしたら通じないのは、こちらに何か問題があると思ってしまうのは仕方がない。
だが光秀の言葉を聞いて、少女の方も驚いた顔をしたところを見るに、どうやら彼女にとってもこれは想定外の事態であったらしい。
「※※※※、※※※※※※※※※※※」
「……※※※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※※」
少女と老人がなにやら相談している。
その間放置される光秀としては所在に困るのだが、後ろに立つ四人の男は相変わらず武器を向けているので迂闊には動けない。
だが彼らの顔にも困惑がある。一番困惑しているのはこちらだというのに勝手な話だ。
その間にも少女と老人の会話は続く。
何を言っているのか分からないので合っているかどうかは分からないが、どうやら少女は老人に叱られているようだった。
くどくどと強い口調で喋る老人に、少女は不貞腐れた表情で言葉少なに返事をする。
どうでもいいが俺のことを忘れているのではなかろうか。
「あの、ここ、どこですか?」
勇気を出してこちらから話しかけてみる。
大仰なジェスチャーをしながら質問する。まずはここがどこか知るのが先決だ。
彼らの様子を見る限り、営利目的の誘拐という線はないように思える。
「※、※※※※※」
どうやら懸念は的中したようだ。二人して、どう見ても「あ、忘れてた」という表情を浮かべた。
今の表情は絶対そうだった! わざとらしい咳をして仕切りなおしても俺は誤魔化されないぞ!
少女と短い会話を交わした老人が着物の懐から一枚の長方形の紙を取り出した。
それをなぜかこちらの額に貼ろうと手を伸ばしてくる。
いやいやいや、なんか嫌な予感がするから断固拒否されてもらいたい。
これなんか変な魔法とかかけられるパターンじゃん。そんな訳が分からないものを貼られるのは勘弁だ。
後退りする光秀に老人は「大丈夫だから」とでも言いたげに作り笑いを浮かべる。
騙されるか。パターン的に翻訳魔法か何かなのかも知れないが、意地が悪い物語ならそのついでに目の前の相手に逆らえなくなる洗脳魔法がセットになっている可能性もある。
「やめて下さい、やめて下さいマジやめて下さい」
外国人に話しかける時って、どうして敬語になってしまうのだろう。
断固として拒否するジェスチャーを送りながら、ついそんなどうでもいいことを考えてしまう。
もしこれ以上、相手が無理に札を貼ろうとしてくるなら、こちらとしても平和的ではない対応などを考えなくてはならなくなる。
だがどうやらその心配はないようで、老人は光秀に札を貼るのを諦め、懐から新たに五枚の札を取り出した。
それを少女や男達に配ると自分達の額へと貼り付ける。
あっという間にキョンシー軍団の完成となった。
「……こちらの言っていることが分かりますかの?」
どうやら、あの札は本当に翻訳の魔法だったようだ。
老人のしわがれた声が意味の分かる聞きなれた言語として聞こえてくる。
「あ、はい。分かります」
とりあえず意思疎通の問題は解決したようで安堵する。
だがその時、美少女がこちらにずいっと一歩踏み出したかと思うと、いきなり深々と頭を下げてきた。
「ごめんなさい!」
驚くこちらに構わず少女は早口に事情を説明する。
「私が召喚術を失敗しちゃったみたいで……本当にごめんなさい!」
「お嬢様! 一般人にそのようなことをペラペラと!」
老人が慌てる。どうやら召喚術というものは、みだりに知らない人間に話していいことではないらしい。
ははーん、これはあれだな。光秀の中で合点がいく。
どうやら自分は彼女に召喚術で呼び出されてしまったらしい。
しかも、どうやら最初から光秀を呼び出すつもりだったわけではなく、ここに自分が召喚されたのは事故のようなものらしい。
「ともかく、貴方がここにいるのはこちらの完全なる手違いです。お国に必ず責任を持って送り届けますので安心して下さい」
老人が何かを諦めたように嘆息しながらそう言ってくる。
その言葉に光秀はほっと安堵した。
どうやら自分は家に帰れるらしい。いきなり見知らぬ場所に放り出された時はびっくりしたが、思っていたよりも事態は深刻なことにならずに済みそうだ。
見れば武器を構えていた男達も、もうこちらに刃を向けてはいない。どうやら誤解は解けたようで何よりだ。
「ああ、そう言えば……」
無事に帰れると分かると、途端に緊張が解けた。
そうなると気になるのはここがどこかだ。言葉が通じないことから外国のようだが、少なくとも初めて訪れる場所であることは間違いない。
だとすると家に帰る前に少し観光をしてみるのも良いかもしれない。
「一体、ここはどこの国なんですか?」
そんな風に気楽に考えながら光秀はそう質問した。
その問いに少女も不測の事態に混乱していたのだろう。その状態から解放されてリラックスした様子でこの国の名前を答えた。
「ここは日本ですよ」
さも知っていて当然といった様子で口にされた国の名前。
「……あの、それってどこですか?」
だが光秀はそんな国など見たことも聞いたこともなかった。